はじめに

2000年12月25日に閉店した
北九州市八幡西区黒崎の百貨店「黒崎そごう」の21年間の
記録を残したい・・・・そんな気持ちで始めたブログです。
順不同・時系列無視・未確認等お許しください。
                               2005年6月 isa@管理人
※メモリアル【memorial】:記録・覚書・回想録・年代記の意。
※なお、当ホームページは株式会社そごう・西武およびセブン&アイHLDGS.とは
 一切関係はございません。
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※ウィキペディアへの無断引用およびリンクを禁じさせていただきます
kurosaki
黒崎そごうカラーパース画

そごう豆知識

Sogoiheiそごうの起こりは、遠く江戸時代文政年間、大和国十市郡十市村(現在の奈良県橿原市十市町)の「きぬや徳兵衛」の次男「伊兵衛(いへい)」が大阪に出て、天保元年(1830年)に坐摩神社南隣(現在の大阪市東区渡辺町所在)に店を構え「大和屋(やまとや)」と称して古手商(古着商)を始めたのに由来します。初代伊兵衛の長男、二代伊兵衛は、父ゆずりの商才に加えて明治維新の新しい時流を敏感にとらえ、数々の新しい方策を打ち出しました。明治3年に「十合(そごう)」姓を名のり、明治9年には、養子の十合重助に当時の繁華街である大阪市安堂寺橋通り3丁目に呉服店を開業させ、太物(綿織物)を販売しました。明治10年、安堂寺橋通りの店を閉鎖し、大阪市南区心斎橋筋1丁目44番地(現在の心斎橋筋鰻谷角)に新店舗を開き、重助を移り住まわせました。大和屋は古手業を廃業、心機一転の決意をこめて創業以来の屋号「大和屋」をも廃止しました。新しい店には、新しい看板とのれんが掲げられ、それには『現金正札 呉服太物帯地 十合呉服店』と印されていました。「大和屋」は屋号を『十合呉服店(そごうごふくてん)』と改めました。これが心斎橋そごうのスタートとなりました。明治30年(1897年)商号を「十合合名会社」に、明治41年(1908年)「合名会社十合呉服店」に変更しました。心斎橋に進出したそごうは、明治32年(1899年)神戸に支店を開設。大正8年(1919年)には大阪店を改装し、社名も「株式会社十合呉服店」に改め、本格的に百貨店業に乗り出すことになりました。昭和15年(1940年)商号を「株式会社十合」に、昭和44年(1969年)「株式会社そごう」に変更しました。
※画像は店祖「初代十合伊兵衛画像」(久保田米僊 画)
※「そごう(ひらがな表記)」の店名表記は、昭和8年(1933年)、「そごう神戸店」開店の際から
 使われるようになりました。

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十合呉服店 大阪本店 明治38年(1905年)
※ショーウィンドーと軽便車(看板表記順:場本見 品行流 店服呉合十 社会名合)

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神戸元町「安井写真機店」から浜側の「十合呉服店 神戸支店」を撮影
大正2年(1913年)(C)安井光三

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左:明治5年(1872年)頃の十合呉服店の引札(ひきふだ=チラシ)
右:明治41年(1908年)、十合呉服店大阪本店の新装開店時に入口両側に掲げられた大看板。銅地に金文字で「十合呉服店」「随意御縦覧」と書かれている。
※黒崎そごうにもこの看板のレプリカがありました。

osakaopen昭和5年(1930年)そごうは、本店新店舗の設計者に当時新進の建築家「村野藤吾氏(福岡県立小倉工業高校卒)」を起用。一期工事、二期工事の末、昭和10年(1935年)「そごう大阪店」が完成。ちなみに村野氏は、「そごう東京店」も設計しています。左:昭和10年(1935年)9月、そごう大阪店が新装オープンした時の新聞全面広告。藤川勇造氏の「飛躍の像」がメインビジュアルに使用されています。(大阪毎日新聞)

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村野藤吾「そごう(大阪店)」御堂筋側エレベーション
昭和7年(1932年)6月30日※建設は大倉土木(現大成建設)が担当

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村野藤吾「そごうロゴタイプデザイン」※アイデアスケッチ

Sogosensai
昭和20年(1945年)3月13日「大阪大空襲」から2日後の
「そごう大阪店」付近の惨状。そごうは、辛うじて被災を免れた。

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昭和21年(1946年)5月1日「そごう大阪店」は、アメリカ進駐軍に「OSAKA PX(軍人・軍属向け物品販売所)」として全店接収され、「OSAKA COMMUNITY CENTER(大阪中央公会所)」と呼ばれる駐留軍施設として利用されることになりました。接収は、昭和27年(1952年)まで6年間も続き、その間「そごう神戸店」と5つの営業所(本部卸商品館・難波店・阿倍野店・全国食品市場・百貨更正デポー)のみでそごうを支えなくてはなりませんでした。その時、接収を解除されたのは「そごう大阪店(OSAKA PX)」と「小倉玉屋(KOKURA PX)」の2店のみでした。

Hiyaku_3 左:そごう大阪店のシンボル「飛躍の像」。高さ210cmのブロンズ像。御堂筋側外壁地上18〜21mに位置。昭和10年(1935年)、日本近代彫刻界の第一人者 帝国美術院会員(二科会名誉会員) 藤川勇造氏 製作。

Maru_2 そごうのロゴマークは「まるにちきり」または「まるちきり」と呼ばれています。「ちきり」は縦糸を巻く織機の付属具で、当初そごうが呉服店(十合呉服店)であったころ、織機にちなんでマークとして使ったものです。また「ちきり」は石材や木材などをつなぐときに用いる堅木の「千切り」に通じ、堅く結びつくことも表わしてます。さらに「まるちきり」は「五」の文字を図案化したもので「りゅうご」とも言われ、形がエンドレスなところが目出たい意味も持ってます。なお、マークの規格は、直径の9分の1をもって、円の太さ(外円および内部)が定められています。
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daliya「ダリア」は躍進そごうの店花。親切・感謝を表します。優美な大輪「デコラティブ咲き」豪華で花首が強く、上向きに咲く「ダリア」はそごうの限りない将来への発展を象徴しています。(しかし倒産してしまいました・・・)
※1967年ストアフラワー「ダリア」を制定

そごう系列会社一覧(破綻前)

国内法人

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そごう大阪店(1979年)

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そごう神戸店(1979年)

●株式会社そごう(大阪市中央区・資本金144億4,000万円)※親会社
        大阪店(大阪市中央区)※通称:心斎橋そごう
        神戸店(神戸市中央区)※通称:神戸三ノ宮そごう
        東京店(東京都千代田区)※通称:有楽町そごう
●そごう商事株式会社(大阪市中央区・資本金1億円)※連結子会社
●十合木材工業株式会社(資本金不明)※そごう商事子会社
●株式会社神戸エス・ジー・サービス(神戸市中央区・資本金1,000万円)
●株式会社十合(大阪市中央区・資本金不明)※のちのミレニアムリテイリング
●株式会社ダリア友の会(大阪市中央区・資本金不明)
●そごう情報システム株式会社(横浜市神奈川区・資本金1億円)
●株式会社ケイ・エスビル(資本金1億円)
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千葉そごう旧店舗(1969年)

●株式会社千葉そごう(千葉市中央区・資本金1億円)※親会社
●株式会社柏そごう(千葉県柏市・資本金1億3,000万円)
●株式会社阿倍野そごう(大阪市阿倍野区・資本金1億円)
●株式会社廣島そごう(広島市中区・資本金1億円)
●株式会社札幌そごう(札幌市中央区・資本金4億円)
●株式会社黒崎そごう(北九州市八幡西区・資本金7億5,000万円)
●株式会社船橋そごう(千葉県船橋市・資本金20億円)
●株式会社徳島そごう(徳島県徳島市・資本金1億円)
●株式会社八王子そごう(東京都八王子市・資本金1億円)
●株式会社横浜そごう(横浜市西区・資本金4億5,000万円)
●株式会社大宮そごう(埼玉県大宮市・資本金1億1,000万円)
●株式会社木更津そごう(千葉県木更津市・資本金2億5,000万円)
●株式会社長野そごう(長野県長野市・資本金8億円)
●株式会社豊田そごう(愛知県豊田市・資本金1億円)
●株式会社加古川そごう(兵庫県加古川市・資本金18億円)
●株式会社奈良そごう(奈良県奈良市・資本金168億9,000万円)
●株式会社多摩そごう(東京都多摩市・資本金164億3,800万円)
●株式会社呉そごう(広島県呉市・資本金1億円)
●株式会社西神そごう(神戸市西区・資本金1億円)
●株式会社茂原そごう(千葉県茂原市・資本金1億円)
●株式会社福山そごう(広島県福山市・資本金1億円)
●株式会社柚木そごう(東京都八王子市・資本金5,000万円)
●株式会社廣島そごう新館(広島県中区・資本金1億円)
●株式会社新千葉そごう(千葉市中央区・資本金1億円)
●株式会社小倉そごう(北九州市小倉北区・資本金1億円)
●株式会社錦糸町そごう(東京都墨田区・資本金1億円)
●株式会社川口そごう(埼玉県川口市・資本金3,000万円)
●株式会社コトデンそごう(香川県高松市・資本金3億円)※琴平電鉄グループ
●株式会社いよてつそごう(愛媛県松山市・資本金1億円)※伊予鉄道グループ
●株式会社そごうホップ(大阪市阿倍野区・資本金3,000万円)
●株式会社そごうインターナショナル・デベロップメント
 (東京都品川区・資本金155億3,300万円)
●株式会社そごうトラベルサービス(横浜市西区・資本金8,000万円)
●株式会社そごう工作所(資本金4億9,000万円)
●神戸エス・ジー・ビル株式会社(神戸市中央区・資本金1億円)
●株式会社サンダリアン(大阪市中央区・資本金不明)
●株式会社そごう物産(東京都港区・資本金32億円)※旧ティスミー
●株式会社シー・エヌ・エス(横浜市西区・資本金不明)
●そごうクレジットサービス株式会社(横浜市神奈川区・資本金2億円)
●株式会社そごう情報サービス(横浜市神奈川区・資本金1億円)
●中国そごうシステム開発株式会社(横浜市神奈川区・資本金3,000万円)
●そごうファイナンス株式会社(東京都港区・資本金1億円)
●そごうカンサイ物流株式会社(神戸市東灘区・資本金2,000万円)
●ロジスティックスサービス株式会社(資本金不明)
●株式会社滋賀ゴルフ倶楽部(滋賀県水口町・資本金3,000万円)
●三多摩土地建物株式会社(東京都多摩市・資本金1,000万円)
●株式会社そごうクリエーティブアソシエーツ
 (神戸市中央区・資本金2,000万円)
●株式会社エス・エス・ディー(広島市中区・資本金不明)
●株式会社中国そごう都市開発(広島市中区・資本金2,000万円)
●株式会社そごう海洋開発(広島市中区・資本金不明)
●株式会社そごうサンホームズ(広島市中区・資本金不明)
●株式会社そごうサンヘルス(広島市中区・資本金不明)
●株式会社装苑(広島市西区・資本金5,000万円)
●株式会社クロスワールド(広島市中区・資本金不明)
●株式会社嵯峨野(広島市中区・資本金不明)
●株式会社グリーンスポーツ(広島市中区・資本金不明)
●株式会社オーク(広島市中区・資本金不明)
●株式会社プロスパージャパン(広島市中区・資本金不明)
●株式会社七博(東京都港区・資本金1,000万円)
●株式会社アレックス(東京都港区・資本金1,000万円)
●株式会社秋田アレックス(秋田県秋田市・資本金2,000万円)
●株式会社ベストワン(東京都港区・資本金不明)
●株式会社エヌ・ジー・シー(横浜市西区・資本金不明)
●株式会社ヴィアート(横浜市西区・資本金不明)
●株式会社ティスサービス(横浜市西区・資本金不明)
●株式会社エイチ・ピー・ティー(横浜市西区・資本金不明)
●株式会社徳島クロージング(徳島県徳島市・資本金不明)
●株式会社コリドー開発(千葉市中央区・資本金5,000万円)
●千葉そごう産業株式会社(千葉市中央区・資本金1,000万円)
●千葉そごうサービス株式会社(千葉市中央区・資本金不明)
●十栄商事株式会社(北九州市八幡西区・資本金不明)
●財団法人そごう美術館(横浜市西区)
●財団法人奈良そごう美術館(奈良県奈良市)
●財団法人千葉そごう美術館(千葉市中央区)

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海外法人

●そごうホンコン株式会社(香港・資本金400万HK$)
●イーストロードディベロップメント株式会社(香港・資本金50万HK$)
●エス・スペースデザイン株式会社(香港・資本金不明)
●そごうシンガポール株式会社(シンガポール・資本金1.000万S$)
●そごうタイランド株式会社(タイ・資本金2,500万B)
●エラワンそごう株式会社(タイ・資本金2,500万B)
●太平洋崇光百貨有限公司(台湾・資本金不明)
●廣三崇光百貨有限公司(台湾・資本金不明)
●北京荘勝崇光百貨有限公司(中国・資本金不明)
●そごうパルナスデパートメントストア株式会社(マレーシア・資本金2.000万RM)
●パルナスそごう株式会社(マレーシア・資本金1億RM)
●GAMAホールディングス 株式会社(マレーシア・資本金1,641万8,804RM)
●GAMAスーパーマーケット&デパートメントストア株式会社
 (マレーシア・資本金不明)
●そごうパネンインドネシア株式会社(インドネシア・資本金不明)
●そごうロンドン株式会社(イギリス・資本金3.300万£)
●そごうエスパーニャ株式会社(スペイン・資本金不明)
●ホテル・デ・ヴィラ・オリンピア株式会社(スペイン・資本金32億PTS)
●そごうイタリア株式会社(イタリア・資本金1億9,700万ITL)
●S&Aインターナショナル株式会社(イタリア・資本金28億5,100万ITL)
●S.N.C.そごうフランス株式会社(フランス・資本金8.400万FF)
●バローハム株式会社(オーストラリア・資本金51A$)
●そごうアメリカ株式会社(アメリカ・資本金1,260万US$)
●ツー・ロデオ・アソシエーツ株式会社(アメリカ・資本金1億5,900万US$)

※有価証券報告書上では、ほとんどの法人が「株式会社千葉そごう」の子会社であり
 「株式会社そごう」の関連会社は7社に過ぎない。
※「株式会社横浜そごう」および「株式会社廣島そごう」には子会社・関連会社
 (いわゆる孫会社)が各20社以上あった。また、各現地法人にも子会社・関連会社が
 無数にあり、社名・数は把握できていない。

黒崎そごう会社概要

Kurosakipers
黒崎そごうカラーパース画(リアルバージョン) 

■商号 株式会社黒崎そごう(英文 Kurosaki Sogo Co.,Ltd)
■店名 黒崎そごう
■住所 〒806-0021 北九州市八幡西区黒崎1丁目1番1号
■電話 093-632-2111(代表)
■営業時間 午前10時〜午後7時(1・2・3階は7時30分まで)
■年間休日 12日
■定休日 木曜日(1979年10月6日〜1991年9月2日)
       火曜日(1991年9月3日〜1996年5月15日)
       木曜日(1996年5月16日〜2000年12月25日)
■設立 1977年10月21日
■開業 1979年10月3日
■開店 1979年10月6日(閉店2000年12月25日)
■内容 百貨店業および百貨店業に付随する事業
■資本金 7億5千万円
■株式総数 4,700,000株(額面500円)
■株主構成
 株式会社広島そごう40.67%
 株式会社千葉そごう24%
 株式会社柏そごう16%
 株式会社横浜そごう7.6%
 株式会社船橋そごう5.2%
 株式会社小倉そごう0.4%
 その他6.13%
■役員(オープン時)
 代表取締役相談役 水島廣雄
 代表取締役社長 松尾武
 代表取締役 山田恭一
 常務取締役店長 山形義一
 取締役 光行康郎
 取締役 田中久昭
 取締役 里見康男
 監査役 城戸寿彦
■建物面積 50,051平米(地上8階)
■店舗面積 26,332平米(兼業面積3,306平米)
■取引銀行 日本興業銀行・福岡銀行・福岡シティ銀行・西日本銀行他
■出資先
 株式会社小倉そごう20%(4位)
 株式会社横浜そごう9%(4位)
 株式会社長野そごう3%(3位)
■従業員数 正社員225名(男114・女111)・パート73名※2000年
■売上推移
 1980年=185億0000万円(80/1〜80/12合計)
 1981年=225億0000万円(81/1〜81/12合計)
 1982年=256億0000万円(82/3〜83/2合計) 
 1983年=273億0000万円(83/3〜84/2合計)
 1984年=303億0000万円(84/3〜85/2合計)※単年度黒字転換
 1985年=322億0000万円(85/3〜86/2合計) 
 1986年=329億0000万円(86/3〜87/2合計)
 1987年=334億0000万円(87/3〜88/2合計)
 1988年=344億0000万円(88/3〜89/2合計) 
 1989年=356億0000万円(89/3〜90/2合計)
 1990年=377億2000万円(90/3〜91/2合計)
 1991年=380億2000万円(91/3〜92/2合計)※最高売上・全国71位 
 1992年=370億1000万円(92/3〜93/2合計)
 1993年=306億8000万円(93/3〜94/2合計)※10月小倉そごう開店
 1994年=276億0000万円(94/3〜95/2合計) 
 1995年=257億3000万円(95/3〜96/2合計)
 1996年=257億9000万円(96/3〜97/2合計)
 1997年=245億9200万円(97/3〜98/2合計)
 1998年=224億9000万円(98/3〜99/2合計) 
 1999年=200億9200万円(99/3〜00/2合計)

※1991年、賃貸借で営業していた店舗部分などを自社ビルとして買収することで 
 ビル所有者の「メイト黒崎」と合意した。黒崎そごう側が譲渡を申し入れていたもので 
 買収金額はビル・土地代を合わせ約95億円。毎月支払う高額な家賃負担軽減が狙い
 だったが、小倉そごうオープンに伴う、閉店身売り話を否定する要素もあった。
※1993年4月1日 九州百貨店協会加盟   
※なお、株式会社黒崎そごうは、2000年12月25日閉店、2001年1月31日に全従業員を
 解雇、3月12日東京地裁が再生手続廃止を決定、4月18日東京地裁が破産宣告、
 のち清算され、現在、法人として存在していない。

本館

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黒崎そごう全景(1990年秋)
※ジャスコ黒崎店が黒崎フォーラスに業態変更(1990年9月)した頃

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ペデストリアンデッキ2階正面玄関前(魚眼レンズで撮影)

外商ご用承り所

■そごう小倉ご用承り所(1980年11月21日開設)
 北九州市小倉北区大畠3丁目4番17号
■そごう博多ご用承り所(1981年6月29日開設)
 福岡市中央区大手門2丁目1番10号西鉄大手門ビル3階
■そごう戸畑ご用承り所(1983年2月12日開設)
 北九州市戸畑区天神2丁目1番33号
■そごう直方ご用承り所(1985年6月2日開設)
 直方市津田町1番2号

サテライトショップ

飯塚そごうショップ(1990年11月17日開設)
 飯塚市西町2番87号
■下関そごうショップ(1992年6月15日開設)
 下関市唐戸町1番22号
■宗像そごうショップ(1993年6月20日開設)
 宗像市土穴411-5
■直方そごうショップ(1994年6月24日開設)
 直方市古町10-13

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宗像そごうショップ(旧国道3号線沿・現サンリブくりえいと宗像前)

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直方そごうショップ(ふるまち通り内)

物流センター

■名称 黒崎そごう物流センター
■住所 福岡県遠賀郡水巻町頃末新池ノ下1030-3
■敷地面積 4,224平米
■建築面積 2,475平米(鉄筋2階建)
■床面積 4,950平米(1階配送・納品/2階ストック・包装)
■開設 1979年10月
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黒崎そごう物流センター(小倉そごう共用)
※元々は閉鎖されたボウリング場跡を改築し使用。1階にはレストラン跡を
 利用した社員食堂、2階にはボウリングレーンの名残がありました。
 なお、現在は解体され、跡地には立派な高層マンションが建っています。


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黒崎そごう桃園センター(現存・閉鎖中)※賃貸

事務別館(外商事務所)

■名称 黒崎そごう事務別館
■住所 北九州市八幡西区藤田2丁目2-1(朝日生命八幡ビル内)

黒崎そごう出店経緯

黒崎そごうは、北九州市の国鉄黒崎駅前に建設された黒崎再開発ビルの核店舗として、1979年10月6日開店した。黒崎再開発ビルは、北九州市の副都心黒崎駅前の近代化をはかるため、都市再開発法に基づいて、黒崎駅東地区市街地再開発組合が施工したビルである。
(発起人北九州市建築局再開発協議は1972年3月)
「株式会社そごう」は、再度にわたりこのビルの核店舗として出店要請を受け、1977年10月、資本金1億円の「株式会社黒崎そごう」を設立した。
(出店表明は1975年9月27日)
その後、黒崎そごうは、1979年3月、増資により資本金を3億円とした。
(のち7億5千万円)
黒崎再開発ビルは、1978年6月起工、翌1979年9月竣工した。建物は、一部地下1階地上7階、総面積は98,195平米で九州最大を誇り、建物の東西の全長236mは日本一の長さである。
(いずれも当時)
ビルには、黒崎そごうのほか、ジャスコ黒崎店、メイト専門店街が入居し、さらに公共施設、クリニックなどが配され、そごうとしては初めての入居形態である。黒崎そごうの誕生によって、そごうは、北海道から九州にいたる日本列島四島を縦断するわが国初の百貨店網を実現したのである。
※株式会社そごう小史より一部抜粋追記

元々、株式会社そごうは「小倉そごう」出店計画が先にあったため「黒崎そごう」出店に関しては、一度正式に断っている。しかし、市役所など地元側から
『八幡西区の黒崎出店をするなら、小倉出店にも協力する』と言われ出店に踏み切った。そごうは、地方自治体に協力する形で多店舗化の歴史を歩み始める。

建設の記録

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再開発以前の黒崎駅前広場

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初期の完成予定図

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建設中の黒崎そごう(左から1979年1月・4月・7月・8月)

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1978年12月頃

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1979年7月頃

建設コストを軽減
黒崎そごうの建設コストは、従来のそごう店舗の中で最も安かった(当時)。長期的展望に立ち、回収期間(黒字化)が永くなることを想定。約2割のコストダウンを達成した。多面的な検討の末、地下階を造らなかった理由のひとつもそこにある。もっとも、黒崎の地下は川が流れていることもあり、造れば通常の倍の経費がかかり、地下鉄の無い地下階は、それほどの意味を持たないと判断された。

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1979年9月頃※まだ駐車場入口が整備されていない

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北九州市北東部(若松・戸畑方面)を望む
※中央の緑地部は黒崎城(山城)があったとされる「城山緑地公園」
 左上の洞海湾には真紅の吊り橋「若戸大橋」が見える


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1979年10月頃※鳴水方面より望む

黒崎そごうオープンにあたって(プレスリリース)

(1979年8月27日付マスコミ用資料挨拶文)
10月3日(水)そごうグループ10番目の店 黒崎そごう を開業させていただく運びとなりました。
黒崎そごうは九州最大の都市 北九州市の副都心の形成という地元関係者の永年にわたる願いを実現する核店舗として開設されます。新しい街づくりを願う多くの人々の期待に応え核店舗としての役割を果たすためにも地域一番のサービス、地域一番の信用、地域一番のグレードをその内容とした店づくりを進めます。知名度ゼロからの出発というキビシイ現状認識のもとに、
より謙虚な姿勢、ヴィヴィッドな感覚、強固なチームワーク、あふれる行動力で本当に消費者に喜ばれる店づくりを心がけてまいります。特にサービスの基本は「親切」と「感謝」とし、
ニコニコ・ハキハキ・キビキビとした行動を全員が実行します。どうか末永く格別のご指導と、ご愛顧を賜りますよう心からお願い申し上げます。
※大店審による営業許可日は10月1日(10月3日開業・10月6日開店)

ストアコンセプトの変遷

オープン時は、中央百貨店「そごう」の九州上陸第1号としてのイメージ付けもあり、売上競争のためのマークダウン厳禁で「本格的都市型百貨店」を構築することが至上命令であった。その後、地域経済の鈍化傾向、小倉そごうオープンによる商圏縮小に伴い「ファミリーで楽しめる地域密着型百貨店」としてコンセプトを再構築した。

社内用記録映画

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■映画名:九州のシンボル・宇宙戦艦黒崎そごう誕生(建設の記録)
■企画:株式会社黒崎そごう
■製作:株式会社そごう総合事業部
(1979年製作・35分・ベータ※写真はVHSにダビングしたもの)

◆映画に出てくる沿革一覧

■1978年06月01日 起工式
■1978年11月01日 黒崎そごう第1期生入社試験(応募約500名)
■1978年12月06日 水島社長・山田専務現地視察
■1979年04月01日 黒崎そごう第1期生入社式(安川電機体育館)
             店花ダリアの種を付けた風船
             合宿研修(葛城高原ロッジ・県立英彦山青年の家)
■1979年04月27日 上棟式・祝賀会
■1979年08月17日 黒崎そごう第1期生グループ店研修より帰店
             (千葉・神戸・広島・いよてつ)※4ヵ月間
■1979年08月18日 下期人事異動に伴い第2次幹部社員到着
■1979年09月06日 水島社長・山田専務最後の現地遵守
             幹部社員集会(ホテルサンルート黒崎)
■1979年09月03日 訪問キャンペーンスタート
             (2週間:30万世帯・1人1日100件)
houmon
■1979年09月11日 エスカレーター付き横断歩道設置(国道3号線)
■1979年10月02日 節理の滝始動式・光の樹点灯式(水島社長)
             伏見稲荷奉鎮祭(屋上)
             労使共催開店祝賀前夜祭(屋上)
■1979年10月03日 竣工式・竣工開店披露宴(1,100名)
             □司会:山口崇・藤田弓子
             □来賓:
              日本興業銀行 中山素平 相談役
              野村證券 瀬川美能留 相談役
              海外石油開発 今里廣記 会長
             □ゲスト:池坊専永・アンジェロリトリコ
             □取引先700名
             ※オンワード樫山 馬場彰 社長(乾杯音頭)
             ※東京スタイル 高野義雄 社長(万歳三唱)
■1979年10月06日 黒崎そごうオープン
             福岡大学ブラスバンド(演奏・本年日本一)
             黒崎祇園山笠保存会(太鼓披露)
             ママさんコーラス(SOGOそごうへ行こうの歌)
             東京消防記念会第5区4番組(木遣り)


YouTubeにアップしました(1〜3まであります/計約36分)

zenya
屋上で開催された労使共催開店祝賀前夜祭
(1979年10月2日)

masu竣工開店披露宴で使用された升
(1979年10月3日)
Kurosaki_np_5
        (1979年10月3日・西日本新聞夕刊1面)

宇宙戦艦 黒崎そごうオープンキャンペーン

黒崎そごうオープン広告

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話題を呼んだキャッチフレーズ『まるで宇宙戦艦!黒崎そごう』
(B3中吊りポスター)

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新聞特集「躍進するそごうグループ」のカラー広告
(1979年10月3日・朝日新聞西部本社版・全5段)

openisshiki
opencard
上:オープン1ヶ月前の1979年9月3日からスタートした「訪問キャンペーン(ローラー作戦)」用のVIPパンフレット(外袋・ケース・本冊)
※前年にオープンした「札幌そごう」パンフレットを完全に踏襲している。
右:同封していたオリジナルポストカード(3枚入)

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(参考)大ヒット映画「さらば宇宙戦艦ヤマト〜愛の戦士たち〜」は1978年8月上映で、黒崎そごうが開店した1979年は空前の「宇宙戦艦ヤマト」ブームの真只中。黒崎そごうでもオープン週にキャッチフレーズにちなみ「宇宙戦艦ヤマト展」を開催しています。オープン時の担当広告会社は「株式会社大広」で、外観を戦艦に見立てた発想、ヤマトブームのタイムリー性といい、当時としては秀逸のキャッチフレーズと言えます。有楽町そごうの「有楽町で逢いましょう」までは行きませんが。なお、原作者の漫画家「松本零士」氏が地元北九州市出身(福岡県立小倉南高校卒)と言うのは当時まだ知られてなかったと思われますので、偶然の産物と言えます。(C)松本零士・東北新社

黒崎そごうオープンCM

インパクトがあり当時評判だったオープン告知テレビスポット。
25年以上たった今でも強い印象を残しているCMと言えます。
■商品名:黒崎そごう(平常版)※オープン後使用版
■広告主:株式会社そごう
■広告代理店:株式会社大広
■制作会社:株式会社Bushman(現像:東洋現像所ビデオセンター)
■時間:15秒
■放映エリア:福岡県全域および関門エリア
■挿入歌:揃ってそごうへ行こう(作詞・作曲:いずみたく)※1966年

     Cm1
     放送されていない冒頭ロゴマーク
     Cm3
     「S!O!G!O!」※合唱
     Cm2
     「そごうへ行こう」※合唱
     Cm4
     「S!O!G!O!」※合唱
     Cm5
     「そごうへ行こう」※合唱
     Cm6
     「まるで宇宙戦艦!」※ナレーション
     Cm7
     「全国スケールの本格デパート」
     「黒崎そごう!」※ナレーション
     Cm8
     「そろってそごうへ」※合唱
     「行こお!」※ナレーション
     Cm9
     エンドのロゴマーク

YouTubeにアップしました

黒崎そごう通年ラジオCM

KBCラジオ 午前10時の時報スポット

『SOGOそごうへ行こう・・・黒崎そごうは只今10時開店です』(時報:ピーッ)
『SOGOそごうへ行こう・・・黒崎そごうは本日お休みです』(時報:ピーッ)

黒崎そごう1社提供ラジオ番組

FM福岡 「黒崎そごうサマーウィンド」
ハートカクテルvol.1(松岡直也作曲)をBGMにした
オシャレな週1の5分間番組(1990年夏頃〜)

黒崎そごうオープン

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1979年10月6日 秋晴れのもと華々しくオープンした黒崎そごう

〈オープニングセレモニー司会〉

山口崇(俳優・ミスターロージェント)
藤田弓子(俳優)
安藤正春(テレビ西日本アナウンサー・故人)
そごう新店舗のレセプション・オープニングの司会を毎回担当している山口崇氏と、当時9月で放送が終了したばかりのNHKの人気朝ドラ「マー姉ちゃん」に出演していた藤田弓子氏を起用。

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黒崎そごうのオープンにより
●業界初の日本列島四島縦断百貨店チェーン
を達成。
そごうグループ10店舗構想「グレーターそごう計画」を達成。

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開店時の人の波(黒崎駅前)※記者発表約30万人

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テープカットする関係者
※左から
松尾武(株式会社黒崎そごう社長)※故人
岡崎春雄(黒崎駅東地区市街地再開発組合理事長)※故人
安川寛(北九州商工会議所会頭)※故人
水島廣雄(株式会社そごう社長)
欠席:谷伍平(北九州市長)※故人

Genkan
オープン直後の2階正面玄関

Kaitenbi
2階北側通路※奥が正面玄関

yama
ネクタイ売場でアドバイスする山口崇1日店長
呼び込みの安藤アナウンサー

fujitaAngelolitrico
左:藤田弓子1日店長
右:ファッションデザイナー アンジェロ・リトリコ氏

yamaguchi
4階紳士服売場での両氏

Kurosakiopen_np_2
(1979年10月7日・朝日新聞西部本社版1面)

黒崎そごうシンボルゾーン

Hikarinoki_2Setsuri_3

シンボルゾーン完成予定パース「光の樹」と「節理の滝」 

       hikarinoki
       「光の樹」(正面玄関・1〜3階吹き抜け)
       コミュニティスペースに彩りを添える
       3本のゴージャスな回転式オブジェ。
       オーストリア製スワロフスキークリスタル
       を贅沢に使っています。

       setsuritaki        
       「節理の滝」(屋外正面玄関前)
       芥屋海岸大門の節理をテーマとした
       金属性の立体的な滝。

※いずれも国際的造形作家(現 東京芸術大学美術学部デザイン科教授)である伊藤隆道氏による作品。しかし、同氏のプロフィールには悲しいかな作品として登録されていません。削除されたのかも・・・。「そごう」のニオイを感じる2つのモニュメントは「井筒屋」移転オープンと共に完全に撤去されています。

hikarisetsuri
現在の姿
左:「光の樹」跡は、クマさんこと芸術家 篠原勝之氏の壁面モニュメントになっています。右:「節理の滝」跡は、埋め立てられ、適当に植栽されています。この状態はひど過ぎます(T-T)

黒崎そごう歴代社長・店長

Kurosakiekimae
ペデストリアンデッキができる前の黒崎駅前(1981年)

Kurosaki92
黒崎そごうと廃止直前の西鉄路面電車(1992年)

Pedestriandeck95_2
JR黒崎駅前ペデストリアンデッキ全景(1995年)
※デッキの竣工は1989年11月3日(その後、2001年コムシティ側に拡張)

株式会社黒崎そごう

●相談役  水島廣雄 (1977年10月〜2000年7月)
 ※兼務(株式会社そごう会長)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

●初代社長 松尾武(1977年10月〜1994年5月)
 ※兼務(北九州市議会議員/議長・故人)

●二代社長 山田恭一 (1994年6月〜2000年7月)
 ※兼務(株式会社そごう社長・故人)

●三代社長 阪田悦紹 (2000年7月〜破産まで)
 ※兼務(株式会社そごう社長代行・元興銀取締役)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

●初代店長 山形義一(1979年9月〜1988年2月)
 ※その後、いよてつそごう店長/副社長・故人

●二代店長 桜井俊宏(1988年3月〜1991年2月)
 ※その後、そごう神戸店外販担当店次長・コトデンそごう店長

●三代店長 梶谷方宏(1991年3月〜1994年8月)
 ※その後、小倉そごう店長・船橋そごう店長・故人

●四代店長 樋口勝彦(1994年9月〜1995年2月)
 ※その後、いよてつそごう店長・クアラルンプールそごう店長・故人

●五代店長 垣内龍介(1995年3月〜1999年2月)
 ※その後、小倉そごう店長

●六代店長 土屋徹(1999年3月〜2000年2月)
 ※その後、小倉そごう外商部長

●七代店長 濱田和麿(2000年3月〜2000年12月)
 ※その後、呉そごう店長

syasyo
   そごう社章  そごうルネッサンスバッジ

sogoname
 そごうネームバッジ そごうサービス課バッジ
※社章・バッジ類は在籍中にスキャンしたもので現存しておりません。

sogomae
新入社員には一定期間、若葉マークの
「見習」バッジもありました

hata
屋上のそごう社旗

sogocard
そごうカード(VIP用)そごうカード(一般用)

Shohinken
黒崎そごう商品券(デザイン全社共通)

         Dahliamanki
ダリア友の会満期記念品(一例:手提げバッグ)

Atarimae
1階納品場エレベーターホールに掲示されていた
「わたしたちの基本」

黒崎そごう職位・職制

職 位

■(社長)※非常勤
■店長
■(副店長)※桜井氏のみ
■店次長(総務担当・内販担当・外販担当)※後年廃止
■部長(統括マネジャー)
■担当部長(マネジャー)※ライン課長と同格
■課長(マネジャー)
■担当課長※係長と同格
■係長(スタッフエキスパート・スキルズエキスパート
 セールスリーダー・セールスエキスパート)
■一般職
■フリースタッフ※パート社員
■アルバイト

職 制

店長
|-----(副店長)
店次長

販売推進部
-----営業企画課(営業企画宣伝課)(営業企画担当)
-----宣伝課(宣伝装飾課)(宣伝担当)
-----装飾課(宣伝装飾課)(装飾担当)
-----催し課(催・特招課)
-----特販ギフト用品課
-----(販売サービス担当)
-----(友の会担当)
-----(外商サロン担当)
-----(ギフトショップ担当)
営業第1部
-----呉服課(呉服寝具課)
-----特別雑貨課
-----美術工芸課(特雑美術工芸課)
-----ギフト用品課(特雑ギフト用品課)
-----リビング用品課(特雑リビング用品課)
-----家庭用品課(美術家庭用品課)
-----寝具課(呉服寝具課)
-----家具課(家具家庭用品課)
-----食品課(食品食堂課)
-----食堂名店課(食品食堂課)
-----紳士服レジャー用品課(紳士服課)(紳士服用品課)
-----紳士用品課(紳士服用品課)
-----特販課
-----制服課
営業第2部
-----文具玩具課(文玩子供ベビー用品課)
-----子供服ベビー用品課(文玩子供ベビー用品課)
-----婦人服第1課(婦人服課)
-----婦人服第2課(婦人服課)
-----婦人服第3課(婦人服課)
-----婦人雑貨課
営業第3部
外商統括部
-----統括課(統括担当)
-----外商システム第1課(外商システム課)
-----外商システム第2課(外商システム課)
第1外商部
-----第1課・第2課・第3課・・・
第2外商部
-----第1課・第2課・第3課・・・
第3外商部
-----第1課・第2課・第3課・・・
第4外商部
-----第1課・第2課・第3課・・・
総務部
-----秘書室(秘書・お客様相談室担当)
-----お客様相談室(秘書・お客様相談室担当)
-----人事課(人事教育課)(人事教育担当)
-----教育課(人事教育課)(人事教育担当)
-----サービス課(サービス担当)
-----保安課(保安担当)
-----庶務課(庶務担当)
-----電機営繕課(電機営繕担当)
-----配送課(配送担当)
財務部
-----財務課(経理財務課)(財務担当)
経理部
-----経理課(経理財務課)(経理担当)
-----会計課(経理担当)
全そごう労働組合黒崎支部

黒崎そごうの制服(全社共通)※一部

Shimuraデザイナー 志村雅久
そごう女子社員(サービス担当社員・一般社員)の制服デザインを担当。そごう専属デザイナーとして、プライベートブランド「志村雅久ベスト」「シムラ・スポーツ」「シムラSライン」「ヨーロピアン・トラディション by シムラ」などを展開していた。第10回毎日ファッション大賞受賞。

そごう最盛期、サービス担当社員の制服は季節ごとに贅沢にも毎年4回ずつ(春服・夏服・秋服・冬服)新調していました。一般社員は年2回(春夏服・秋冬服)を2年毎新調していました。
    Service891_2
    サービス担当社員制服(1988年冬服)

    Service891
    サービス担当社員制服(1989年春服)
※モデル:小樋井麗子さん(当時セレーズファッションモデルクラブ所属)
 黒崎そごうの広告に一番出ていただいたモデルさん。
 他社では「肥前夢街道」のTVCM等


    Service892
    サービス担当社員制服(1989年夏服)

    Service01
    サービス担当社員制服(1989年冬服)

    Service904
    サービス担当社員制服(1990年秋服)

    Service90_4
    サービス担当社員制服(1990年冬服)

   Service92_4_2
      TegvTokyoeg_2
サービス担当社員制服(1992年冬服)
※宮沢りえ主演のTBSドラマ「東京エレベーターガール」着用デザイン(C)TBS
    Service93
    サービス担当社員制服(1993年冬服)※小倉そごうオープン時

    Service
    サービス担当社員制服(1995年春服・夏服)

   Info
    サービス担当社員制服(1990年代後期・冬服)

   Seifuku1Img136 
    一般社員制服(1990年頃 左:春夏服/右:秋冬服)

Service39


(参考)
1964年のそごう大阪店サービス担当社員制服。バスガイドを連想するデザイン。機能性重視の要素が強い頃の制服。

Service467

 


そごうプライベートブランド商品として、ちょうど販売が開始されようとしていた、パリのデザイナー「ジャック・エステレル」がデザイン。スチュワーデスを連想するこの制服は、半歩進んだ洗練されたデザインとして当時好評を博しました。
右:順に1971年秋冬服・1972年夏服

Service_2

 

 

右:2007年現在の新生
そごうサービス担当社員制服。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そごうプライベートブランド(PB)※破綻前

●アンジェロ・リトリコ(婦人服雑貨/紳士服雑貨/女児服)※途中提携中止
●パコ・ラバンヌ(婦人服雑貨/紳士服雑貨/男女児服/リビング用品)
●チタ・ファッシーノ(婦人服雑貨/紳士服雑貨/リビング用品)
●ジャンクロード(婦人服)※途中提携中止
●志村雅久ベスト(婦人服)
●シムラ・スポーツ(婦人服)
●シムラSライン(婦人服)※黒崎は未導入
●ハニーベル(婦人服雑貨/女児服)
●ミス・マーティ(婦人服)※途中提携中止
●イ・コローリ(婦人服)※途中提携中止
●ダニー・ノーブル(婦人服)※途中提携中止
●ザザ・サンディフォード(婦人服)※途中提携中止
●ミキシング(婦人服)※途中提携中止
●オブリッジ(婦人服)※途中提携中止
●アイムテン(婦人服/紳士服/リビング用品)
●ロージェント(紳士服雑貨/男児服)
●ロージェント2(紳士服雑貨)
●ロージェントゴルフ(ゴルフウェア)
●ルイス(紳士服雑貨)※途中提携中止
●ヨーロピアン・トラディション by シムラ(紳士服雑貨)
●ノートン&サンズ(紳士服)※途中提携中止
●G.B.フォンタナ(紳士服)
●プチ・マードレ(女児服)
●カセグラン(高級ステーショナリー)※途中提携中止
●ジャンニ・カリタ(宝飾品)
●メレリオ・ディ・メレー(宝飾品)
●モウワード(宝飾品)※黒崎は未導入
●タニノ・クリスチー(婦人雑貨)※黒崎は未導入
●ペニンシュラホテル(チョコレート等)※輸入代理
●ラ・トゥール・ダルジャン(ワイン等)※輸入代理
●生活栽培ジュース(食品)※旧ダリアジュース 

黒崎そごう店内

       info
       Pers
       2階 インフォメーション
       2f1
       2階 国道側通路手前(化粧品等)
       kutsu
       2階 JR側通路手前(婦人靴売場等)
       2f2
       2階 JR側通路奥(ヤングカジュアル等)
       Aline
       2階 JR側通路奥(Aラインショップ)
       Young_2
       2階 国道側通路奥(テイクオフ) 
       Donqjpg
       donq
       1階 フランス菓子 ドンク(ミニクロワッサン) 
       green
       1階 グリーンショップ
       3f
       3階 エレベーターホール
       3f
       3階 婦人服フロア(ミセスカジュアル等)
       itariya
       3階 婦人服フロア(プレタポルテ等)
       Ucc
       3階 UCCカフェメルカード ウィーンの森
       shinshi
       4階 メンズフロア(高級紳士服等)
       dorian
       4階 珈琲舎 萄梨杏(ドリアン)
       miki
       5階 ミキハウス
       sanrio
       5階 サンリオショップ
       shingu
       6階 寝具売場
       tachikichi
       6階 たち吉       
       surugaya
       6階 和風喫茶 駿河屋
       familyrest
       7階 そごうファミリーレストラン(そごう商事経営)
       ※そごうで初めて「川の流れるレストラン街」が導入されました。
       futabatei
       7階 とんかつ 双葉亭(そごう商事経営)
       akasaka
       7階 中華料理 赤坂飯店
       Kuretake_1
       7階 日本料理 呉竹
       Gen
       7階 お好み焼 絃
       Mc
       7階 ハンバーガー マクドナルド
       Hisho
       従業員施設7階 黒崎そごう店長室・秘書室
       Shashoku
       従業員施設7階 社員食堂

各階 パーラー & 7階 東西味の名店食堂街の変遷

〈オープン時〉

●フルーツパーラー「万惣」(1階)※途中閉鎖
●ファッションパーラー「ガーデニア」(3階)※途中閉鎖
●レディスパーラー「ダリア」(3階)※途中閉鎖
●珈琲舎「萄梨杏(ドリアン)」(4階)
●ファミリーパーラー「チャコ」(5階)※途中閉鎖
●和風喫茶「駿河屋」(6階)
そごうファミリーレストラン(7階)※そごう商事経営
●江戸前寿し 東京銀座「日の出」(7階)※途中閉鎖
●中国料理 東京「赤坂飯店」(7階)
●日本料理 大阪竹葉亭姉妹店「呉竹」(7階)
●サンドウィッチレストラン「グルメ」(7階)
●手打ちうどん「河口屋」(7階)
●肉とサラダ 神戸「レッドカーペット」(7階)
●とんかつ 東京銀座「双葉亭」(7階)※そごう商事経営
●お好み焼 大阪心斎橋「」(7階)
●珈琲館 神戸「」(7階)※途中閉鎖
●博多全日空ホテル「レストランスカイメイト」(7階)※途中閉鎖
●ティーサロン 東京「オーク」(7階)
屋上パーラー(屋上)※途中閉鎖

〈後継店〉

●サラダハウス「ヨシノ」(1階)※途中閉鎖
●カレーハウス「マルコポーロ」(1階)※途中閉鎖
●京風ラーメン「京まいこ」(5階)※途中閉鎖
●UCCカフェメルカード「ウィーンの森」(3階)
●豆腐料理「TOFUの館」(7階)※途中閉鎖
●カジュアルレストラン「マリアテラス」(7階)※途中閉鎖
●料亭どんぶり「味くらべ」(7階)※途中閉鎖
●ハンバーガー「マクドナルド」(7階)
●アイスクリーム「北キツネの大好物」(7階)
●長崎ちゃんぽん「蘇州林」(7階)
●和食・こだわりの味「松嘉庵」(7階)

書店

●「旭屋書店」(6階)
 (1979年10月6日〜1995年2月19日)※途中閉鎖
 495平米。18万冊。

黒崎そごうフロアガイド(2000年3月期)

       7階 東西味の名店食堂街
       007f
       6階 リビングと大催会場のフロア
       006f
       5階 子供服と婦人肌着のフロア
       005f
       4階 メンズファッションフロア
       004f
       3階 レディスファッションフロア
       003f
       2階 ファッションと雑貨のフロア
       002f
       1階 食品フロア「おいしさ一番館」
       001f
       ※2000年7月の民事再生法申請前の
         黒崎そごう事実上の最終売場配置図です。
         図面をクリックすると拡大になります。

空の公園「屋上大スカイパーク」

長さ240mもの広大なスペースに楽しい乗物や施設が充実。
モノレールをはじめ、アストロライナーやメリーゴーランドなど
家族が1日を思い切り楽しめる屋上公園として華々しくオープン。
アスレチック、バッティングセンター、おばけ屋敷など改装を
繰り返したが、階下に「SEGA WORLD」がオープンしたため、
末期は大型施設は休業、ビデオゲームのみの運営となりました。

monorail
1周240mのモノレール(現存してるのかどうか不明)

astro
オープン時呼び物の一つだったアストロライナー
(すぐ壊れて撤去されたとのこと・・・)

merry
定番メリーゴーランド(最後まで人気があった)

pet
屋上定番ペットショップ

黒崎そごう屋上のお稲荷さん

御由緒

御祭神 宇賀之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
 この御社は株式会社黒崎そごう開設に当り
特にメイト黒崎ビル社屋の鎮護と社業の繁栄
ひいては懸民、市民ご近隣の方々の開運、安穏を祈念して
昭和五十四年十月二日
総本宮伏見稲荷大社より勧請いたしました。
(鳥居横の御由緒より抜粋)

inarisyoumen
inari
inarikanban
現存しているかは不明

黒崎そごうの屋外看板

     kanban
     屋上のメイン看板
     (4面ネオン・アッパー照明あり)

     sokumen
     国道3号線側エスカレーターより

        sogoura
        JR側の懸垂幕昇降装置(3基)とネオン看板

     kanbanjr
     JR側のネオン看板

Sogoyoko
懸垂幕昇降装置(正面5基・国道側5基)

promnade
2階プロムナードの突出し看板(ネオン)   現在の看板

黒崎そごうの包装紙

百貨店の顔である包装紙。
黒崎そごう営業期間(1979年〜2000年)は
全店共通の2種類の包装紙が使用されました。
(慶弔およびクリスマス等催事包装紙は除く)
切替え時が不明ですが、「小倉そごう」オープン前の
1993年のお中元からではないかと思われます。未確認。
個人的にはロゴマークの「ちきり」をモチーフにした
前期のピンク/グレーがおしゃれで好きなんですが、
事実上のそごうのフラッグシップストアであった
「横浜そごう」がグリーン地に「YOKOHAMA」ロゴが
入った独自の包装紙を使用していたので
ストアアイデンティティの統一と言う意味で
似た感じのデザインに変更になりました。
実は紙厚が薄くなり経費削減が本当の意味です・・・

(そごう豆知識)
下記左のピンク/グレーの包装紙は、
昭和36年(1961年)「そごう東京店宣伝部」でデザイン
されたもので「▲▼ちきり」マークの大きさを均一に
並べるのではなく図案の幅に変化をもたせてます。
これは、小さな商品を包んでも単調な感じにならないように
するための工夫と言われていました。
翌年より、そごう全店で使用されるようになりました。

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包装紙前期:開店〜    包装紙後期:〜閉店

黒崎そごうの出向先

黒崎そごう社員には、そごうグループおよび関連会社以外に
地域のテーマパークへの出向勤務がありました。
主な業務内容は、商品開発・流通・販売。
余談ですが、そごう本体はもとより、
出向先もそのほとんどが、破たんしている現実が皮肉です。
また、同時にグループで、東京ディズニーランド(TDL)
のオフィシャルスポンサーをはじめ、スペースワールド、
ハウステンボス、呉ポートピアランド、レオマワールド
など各地のテーマパークのスポンサーにもなっています。
黒崎そごうも毎月TDLのスポンサー費を支払っていました。
(スポンサーになってる場合じゃなかったんですが・・)

黒崎そごうの主な出向先

スペースワールド(北九州市)
スーパーブランドシティ(福岡市)※株式会社エス・ビー・シー
ハウステンボス(長崎県佐世保市)※実際は横浜そごう管轄
有田ポーセリンパーク(佐賀県有田町)株式会社有田VOC

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スペースワールドに出店していた
そごうおもちゃ館「FUNFUN

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そごうが提供していたスペースワールドの
スペースドーム内「コスモピア」

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スペースワールド開園5周年特集号協賛広告

黒崎そごう主な催事・歩み

※ほんの一例・確認分のみ

物産系催事(通年)

●信州の物産と観光展(1月)※長野県主催
●長崎県の物産と観光展(4月)※長崎県主催
●中国大商品展(5月)
●北海道の物産と観光展(11月)※北海道主催
●日本列島グルメ紀行 全国うまいもの大会(年2〜4回)

物産系催事(単発)

●福岡県の物産と観光展( 月)※福岡県主催
●大分県の物産と観光展(11月)※大分県主催
●飛騨高山の観光と物産展(9月)※飛騨特産品組合主催
●鹿児島県の物産と観光展( 月)※鹿児島県主催
●沖縄県の物産と観光展( 月)※沖縄県主催
●四国の物産と観光展(2月)
●東北の物産展( 月)
●大阪浪花の物産展( 月)
●大英国展(10月)
●フランス展(9月)
●スペインフェア(5月)
●大イタリア展(1979年10月31日〜11月5日)※イタリア大使館後援
●ドイツ食品フェア(1991年9月25日〜30日)※ドイツ農産物振興会後援

文化系催事(通年)

●サンリオフェスティバル(7月)※ サンリオ主催
●北九州いけばな名流展(9月)※毎日新聞社主催
 池坊・池坊佳月式・雲心流・小原流・嵯峨御流・新池坊・
 新生流・専正池坊・草月流・日本華道・立華池坊
●日本名刀展〜展示即売〜(1月)

文化系催事(単発)

●日本芸術院会員展(1979年10月6日〜14日)
 ※日本芸術院・日本経済新聞社主催
●池坊専永展(1979年10月6日〜11日)※朝日新聞社主催
●宇宙戦艦ヤマト展(1979年10月6日〜12日)
●イタリアオペラの世界(1979年10月31日〜11月5日)
 ※スカラ座演劇博物館・西日本新聞社主催
●辻村ジュサブロー展〜新八犬伝・真田十勇士〜(   年)
●英国の代表作にみるバーナード・リーチ展(1980年6月20日〜7月1日)
 ※大原美術館・朝日新聞社主催
●第2回日本新工芸展(1980年8月14日〜27日)※日本新工芸家連盟主催
●山下清展(1981年9月)
●横山大観展(1981年10月)
●小柳ルミ子写真展〜立木義浩撮影〜(1983年)
●大チベット展(1984年)
●マイセン現代磁器展(1984年3月2日〜7日)
 ※日本経済新聞社・マイセン磁器公団共催
●芦馬治雄展(1984年11月・1986年11月)
●長岡秀星イラストファンタジー・迷宮のアンドローラ展
 (1985年1月3日〜11日)※長嶋茂雄企画・小泉今日子イメージソング
●和泉雅子冒険展(1985年)
●中国蘇繍芸術展(1985年)
●ローマ法王庁秘蔵展(1988年10月14日〜19日)
●上村政利 手作り世界の船展(1989年)
●千 利休遠忌400年秋の文化講演会(1989年11月13日)
●メルヘンの世界展(1989年3月10日〜15日)※毎日新聞社主催
●専正池坊いけばな展(1990年3月23日〜28日)※専正池坊主催
●オチ・オサム「浮遊する球体」展(1990年5月25日〜30日)
●スペイン・光と影 山口精之助油絵個展(1990年8月2日〜8日)
●池田満寿夫「書」展(1990年9月21日〜26日)
●大徳寺の秘宝と嵯峨御流いけばな展(1991年4月19日〜24日)
●バラ色の暮し ハーブの世界展(1991年10月9日〜14日)
●肥前有田焼名窯展(1991年10月16日〜21日)
●切り絵作家 小野史郎作品展(1991年10月16日〜21日)
●小樽ヴェネツィア美術館所蔵展(1991年10月30日〜11月4日)
●税を知る週間(1991年11月13日〜15日)※八幡税務署主催
●秋山 巌板画展(1991年11月20日〜25日)
●新春いけばな展(1992年1月8日〜13日)※帝国華道院北九州支部主催
●いけばな池坊展(1992年4月22日〜27日)※池坊福岡県連合支部主催
●枡田秀山墨蹟展(1992年10月8日〜12日)※法隆寺107世管主
●鉄道展(1992年10月14日〜19日)※JR九州・JR黒崎駅主催
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●大相撲新時代写真展(1992年3月17日〜23日)
●ピカソ・ミロとカタロニア美術新世代展(1992年5月27日〜6月1日)
●景徳鎮名磁展(1992年)
●全自衛隊美術展(1993年2月9日〜14日)
●TDL5周年そごうのディズニーフェア(1988年5月13日〜18日)
●TDL10周年そごうのディズニーフェア(1993年7月7日〜12日)
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黒崎そごう前にミッキーミニーを乗せてやって来た
TDLオフィシャルリムジン「liMOUSEine(リマウジン)」
厚地恭子氏(東京ディズニーランド第11代アンバサダー)

●後藤純男展(1993年10月6日〜11日)
●佐賀県立有田窯業大学校卒業生作品展(1993年10月6日〜11日)
●市立八幡西養護学校・太田和孝合同作品展(1994年3月16日〜21日)
●ぼくらの声・聞こえますか!旧ユーゴスラビア子供の絵画展
 (1994年5月3日〜9日)※日本習字教育財団北豊支所主催
●愛EYEチャリティーバザー(1994年5月11日〜16日)
 ※北九州八幡ライオンズクラブ主催
●世界のワンちゃん大集合展(1996年4月24日〜5月6日)
●世界のわん・にゃん大集合展(1997年4月25日〜5月7日)
●高畑勲・宮崎駿のすばらしきアニメの世界展(1995年1月2日〜6日)
●ビックリマンワールド(1988年4月29日〜5月11日)
●それいけ!アンパンマンワールド(1989年12月24日〜1990年1月7日)
●ドラえもんのなかよしひろば(1990年4月28日〜5月6日)
●ドラえもんアドベンチャーワールド(1998年8月12日〜18日)
●ひみつのアッコちゃんとゆかいな仲間たち(1989年4月29日〜5月7日)
●夏休み塩ジョイワールド(1989年8月10日〜16日)※JT主催
●夏休み塩ジョイワールドソルティ王国への冒険(1990年8月2日〜8日)
 ※JT主催
●夢の紬インドサリー展(1989年11月17日〜22日)※毎日新聞社主催
●ビジュー・サンク チャリティーカット展(1991年8月5日)※癌研究
●土谷忠臣遺作展(1992年9月2日〜7日)
 ※土谷忠臣遺作展実行委員会主催

特別ご招待会(通年)

●宝飾逸品会(4月・11月)
 会場:ニュー瀬戸ホテル→松柏園グランドホテル(グランドホール)
    →北九州プリンスホテル(プリンスホール)
●ファッション衣料雑貨・リビング用品 大倉庫市
 会場:黒崎そごう水巻物流センター
    →北九州プリンスホテル(プリンスアリーナ)
●店休日返上全館特別ご招待会「店特」(月1)
●全館特別ご優待会(月2)

特別ご招待会(単発)

●豪華洋上逸品コレクション
 (1988年9月20日)会場:豪華客船 さんふらわあ7
 (1990年9月19日)会場:豪華客船 サウンズ・オブ・セト
 (1991年7月14日)会場:豪華客船 サウンズ・オブ・セト
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サウンズ・オブ・セト出航(1991年7月14日/門司港西海岸)
中央は三代店長 梶谷氏(故人)

全館催事(単発)

●読売ジャイアンツ日本シリーズ優勝セール
 (1981年10月・1989年10月・1994年10月)
●西武ライオンズ優勝おめでとう(ご声援ありがとう)セール
●福岡ダイエーホークス優勝おめでとうセール

その他催事(単発)

●第12回防災フェア(1993年8月25日〜30日)※国土庁主催

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◆新聞折込み広告のヘッドデザインの変遷

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(上から1991年〜・1993年〜・1995年〜・1996年〜)
1993年10月の小倉そごう開店週より、差別化のために
SOGO」より「Kurosaki(くろさき)」を大きくアピール。
(八幡西区全域に小倉そごうの広告が折り込まれていた為)
※1979年〜1990年は、統一のアイキャッチはなし。

黒崎そごう来店芸能人一覧

※ほんの一例・確認分のみ。
そごう主催・そごうテナント主催・ウィーンレコード主催(メイト)含む。順不同。

●山口崇(1979年10月06日)※開店セレモニー司会・1日店長
●藤田弓子(1979年10月06日)※開店セレモニー司会・1日店長
●小曽根実(1979年10月06日)※ピアノ演奏
●小曽根真
●中原ひとみ(1979年10月10日)※1日店長
●海援隊(1979年10月10日)※RKBラジオ公開放送
●松本ちえこ(1979年10月10日)※RKBラジオ公開放送
●倉田まり子(1979年10月10日)※RKBラジオ公開放送
●坂本新兵(1979年10月10日)
●堀江美都子(1979年10月14日)※アニメ歌手
●平山三紀(1979年11月16日)※FM福岡公開放送
●美樹克彦(1979年11月16日)※FM福岡公開放送
●内藤やす子(1979年11月18日)※FM福岡公開録音
●和泉雅子※1日店長
●西村知美(1986年3月31日・1987年4月5日・1990年5月20日)

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(1988年01月16日・西日本新聞)

ダイアン・レイン(1988年01月15日)※マックスファクター
来店当時は、22歳。ヒット映画の主演が続き、日本での人気がピークの時でした。黒崎そごう2階正面玄関上の3階バルコニーから登場し、お客様に挨拶をしました。オープンセレモニー司会の山口崇・藤田弓子氏以来のバルコニー利用でした。実はこれが最後のバルコニー開放でした。

●来栖あんな(1988年07月17日)※マックスファクター
●奈美悦子※マックスファクター
●今陽子※マックスファクター
●中島ゆたか(1986年04月26日・1988年04月09日・1989年01月28日)
 ※マックスファクター
●松岡きっこ(1989年10月08日)※マックスファクター
●BaBe 近藤智子 ・二階堂ゆかり(1987年09月05日)※FM福岡公開録音
●斉藤洋美(1988年04月17日)※TBS「ラジアメ」公開録音
●田村英里子(1989年09月16日)
●西田ひかる※KBCラジオ公開放送
●風見しんご
●安田成美※花王ソフィーナ
●萬田久子(1999年11月13日)※HABA化粧品
●武藤まき子※HABA化粧品
●インペリアルJB'S(1994年10月01日)
●ピーコ(1994年10月08日)※開店15周年記念イベント
●いいとも青年隊(1989年08月26日・1990年04月07日)
 ※K-Chaps! (塩ノ谷和康・中上雅巳・井谷真)
●マリ・クリスチーヌ(1990年07月08日)※マックスファクター
●岡本南(1988年08月27日)
●坂上香織(1988年08月29日)
●ひまわり(1990年04月01日)※長崎旅博覧会イメージソング
●早坂好恵(1990年08月28日)
●1987レナウンイエイエガール 田中美奈子(1987年09月05日)
●1990レナウンチャージクイーン 三瀬真美子(1990年09月23日・24日)
  ※のちにシェイプUPガールズ
●北の湖
●ドナート・ラシアッティ オーケストラ
 (1990年09月19日・1991年07月14日)※洋上特招
●泉アキ(1991年07月14日)※洋上特招
●一条みゆき※NHKステージ101
●山野さと子(1993年07月10日・11日)※ディズニーフェア司会・歌のおねえさん
●水谷麻里(1986年)
●小川範子(1988年03月26日)
●里中茶美(1989年08月21日)※DA PUMP ISSAの姉
●新島弥生(1992年08月14日)
●中村清六(1992年10月11日)※有田焼作家
●藤原秀樹(1992年12月20日)※恐竜戦隊ジュウレンジャー・ダン
●高瀬春奈
●河合奈保子
●杉田かおる
●富田靖子
●芳本美代子
●桂三枝
●林葉直子※旭屋書店
●荻野目洋子
●みのもんた
●中原理恵
●沖雅也
●山本富士子
●石川秀美
●谷隼人
●小林繁※プロ野球
●若菜嘉晴※プロ野球
●大竹英雄(1988年08月28日)※囲碁
●アンナアン(1988年08月04日)
●岡崎友紀
●ラブ・ウイングス(1980年05月05日)
●ひかる一平(1981年)
●真屋順子(11月25日)
●香坂みゆき
●西田恭平(1993年08月28日・29日)※防災フェアラジオ公開録音
●松本未来(1993年08月28日)※防災フェア
●永田真代(1993年08月29日)※防災フェア
●ばってん荒川
●ケン坊田中(1992年03月20日)※屋上大スカイパーク

※ダイアン・レインをはじめ、なぜ、マックスファクター関連のイベントが多いのか。当時、「マックスファクター黒崎そごう店」は九州管内のマックスファクター全ショップの中でNo.1の売上げを誇っていたため、優先的に芸能人のトークショーやメイクアップショーなどが実施されていました。

広告モデルとして

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岡部まり(1983年頃)※元:探偵!ナイトスクープ秘書・エッセイスト 

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夏川結衣(1988年5月〜10月)※現:女優
 右(撮影場所:八幡市民会館前広場)
※当時セレーズファッションモデルクラブ所属(福岡市)

黒崎そごうvs黒崎井筒屋

黒崎そごうオープンにあたり、
同業競合店「八幡井筒屋(現 黒崎井筒屋)」対策として
ハード面で八幡井筒屋の増床拡張を抑えるために
道路を挟んで南側の酒店の土地に「ふれあい会館」を建設。
(紅林・サン明治屋等飲食店が入居)
また、道路を挟んで東側アーケードの旧焼肉店跡地を購入し、
ゲームセンターとして貸し出しました。
もちろん、迎え撃つ井筒屋も黒崎そごう対策として
黒崎そごうオープンから2年後の1981年に
郊外型の低層百貨店「本城井筒屋(1984年閉店・現 太陽家具)」
をオープンさせています。
※この項、ガゾーン関門北九州圏「小倉井筒屋新館」にリンクされています。
ガゾーン関門北九州圏ホームページ


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今は無き西鉄「黒崎駅そごう前」バス停

そごう保養所「別府心温閣」

そごうには「そごう健康保険組合」が運営する
直営の保養施設が全国に5つありましたが、
その中でも唯一九州にあった「別府心温閣(しんおんかく)」は
黒崎そごう並びに小倉そごう従業員・家族が親しんだ施設でした。

そごう保養所

●そごう那須山荘(栃木県)※閉鎖
●そごう箱根山荘(神奈川県)※閉鎖
●そごう芦屋山荘(兵庫県)※閉鎖
●そごう洞爺湖蒼水閣(北海道)※閉鎖
●そごう別府心温閣(大分県)※閉鎖

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鉄輪(かんなわ)温泉の高台にあった「そごう別府心温閣」
大分県別府市大字鉄輪字トノヤシキ1063
宿泊定員35名・和室9室・洋室1室
1994年4月開業・2001年3月閉鎖
(現在の所有者および営業は不明)

幻のデパート「福岡そごう」

1979年の「黒崎そごう」、1993年の「小倉そごう」に続き、
九州では3店舗目、1990年代後半、西鉄福岡駅のターミナルビル(Cビル)に
福岡そごう(にしてつそごう)※いずれも仮称」開店予定がありました。
実際にはご承知の通り、現在は「福岡三越」が入店していますが、
噂によるとコンペでは「そごう」出店で、ほぼ決まっていたとのこと。
政治的なものが動き、最後は大どんでん返しで
「三越」に決まったと聞いています。
福岡県内の福岡・黒崎・小倉の3大拠点の一等地を中央百貨店の
「そごう」1社がにぎることを地元財界が嫌ったからだといわれています。
(もし、福岡にそごうがあったら、福岡そごうは存続対象店舗だったかも知れません)
黒崎そごうでも、少しでも有利に西鉄と関わりを持つため、
オープンからの広告代理店であった「大広」をはずし、
西鉄グループの「西鉄エージェンシー」をメイン広告代理店にしました。
また、「そごう博多ご用承り所」を「西鉄大手門ビル」に入居させました。

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九州の中心地・福岡市天神にある福岡三越
(そごうが入る予定だった・・)

西鉄福岡駅の再開発 そごう、出店の意向、副社長が公式表明
1985/12/05
 そごうの井上盛市副社長は4日、東京都内で記者会見し、西日本鉄道が計画している西鉄大牟田線・福岡駅再開発に触れ、「立地条件の良い場所に出店したいという意欲は持っている」と語り、間接的な表現ながら進出の意向を示した。西鉄が10月末に同駅再開発の青写真を年内に作成すると発表して以来、そごうの名が取りざたされていたが、同社首脳が公式に進出意欲を表明したのは初めて。
 西鉄福岡駅再開発に伴う出店問題については、すでに岩田屋が西鉄に対し正式な申し入れをしており、また西鉄グループの井筒屋も出店へ関心を寄せている。今回、そごうが進出の意向を表明したことで、地場、中央の百貨店入り乱れての競争となり、西鉄側の対応が注目される。
 井上副社長によると、福岡市への出店はそごうの念願という。西鉄は昭和51年にも西鉄福岡駅の再開発を計画したが、このときにもそごうが有力候補にあげられた。しかし、西鉄が石油ショック後の不況で計画を断念したため、そごう側もあきらめざるを得なかった。
 その後、そごうは北九州市にねらいを定め、昭和54年に黒崎そごうを出店、現在も小倉駅前再開発に伴う出店計画を進めている。しかし、西鉄福岡駅への進出意向を示したことで、福岡市への出店意欲を現在も持ち続けていることが明らかになった。
 これに対し西鉄側は「年内に青写真を完成するという段階で、テナントうんぬんはまだ先の話」(橋本尚行専務)と言っている。一方、そごうの井上副社長は「出店する、しないは相手先の意向とも関連する」として他の百貨店の動きも見守りながら計画を進める構え。
 そごうと西鉄は現在、微妙な関係にある。小倉駅前への進出計画でそごうは西鉄グループの井筒屋と対立する一方、同じ西鉄グループの広告会社、西鉄エージェンシーが黒崎そごうの代理店となるなど緊密さを増しているとの見方もある。西鉄福岡駅の青写真が完成する前にあえてそごうが進出意向を示したことで、両社の関係がどう変わるのか、注目される。

北九州市の副都心「黒崎」最盛期

1993年の黒崎地区全景

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右奥に白く巨大なメイト黒崎ビル。洞海湾を挟んで対岸は若松です。
中央の細長い緑地帯は長崎街道の名残り「曲里(まがり)の松並木」です。
今は無き「北九州プリンスホテル」の18面テニスコートが目を引きます。

1990年代中盤のJR黒崎駅前(正確な年は不明)

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すでにジャスコ黒崎店が黒崎フォーラスに業態変更しており、
黒崎そごうには、SEGAのネオンが設置されています。
黒崎そごうのほか、黒崎井筒屋、長崎屋黒崎店、トポス黒崎店の
看板が見えます。黒崎での流通各社がフルラインだったころです。
ある意味、まだ黒崎が北九州市の副都心としての存在をアピール
できていたころとも言えます。もちろん、手前の黒崎駅西地区
再開発ビル(コムシティ)の姿はありません。
コムシティ含め、現在、残っているのは井筒屋のみとは・・・・・

2001年のJR黒崎駅前(上の写真の逆アングル)

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JR黒崎駅を中心に南側に放射線状に商業地帯が広がる「黒崎」。
JR鹿児島本線と国道3号線、2つの九州の大動脈の間に2つの
巨大な再開発ビルが並びます。

左上(黒崎駅西地区再開発ビル):コムシティ
右下(黒崎駅東地区再開発ビル):黒崎井筒屋(旧黒崎そごう)
左下:井筒屋アネックス-1(旧黒崎井筒屋)
遠方に洞海湾、北九州工業地帯(三菱マテリアル・三菱化学・
安川電機等)が広がっています。
※現在、井筒屋アネックス-1向かいの「長崎屋黒崎店」は解体され
 ビジネスホテル「アルクイン黒崎」になっています。


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手前(黒崎駅西地区再開発ビル):コムシティ
奥 (黒崎駅東地区再開発ビル):黒崎井筒屋(旧黒崎そごう)

そごうグループ倒産

2000年(平成12年)7月12日
百貨店「そごう」がグループ21社とともに

民事再生手続き開始を申請


そごうグループの倒産は 合計28件
負債の単純合計 2兆9220億2900万円

東証1部上場の大手百貨店(株)そごう(負債6891億円、大阪市)は、百貨店業界を取り巻く環境の悪化により業績低迷に見舞われ、グループの大半が債務超過に転落、リストラなど再建計画の策定やメーンバンクからの役員派遣も抜本的解決には至らなかったことから2000年4月には取引金融機関へ総額6390億円の債権放棄を要請したものの、これを拒否する準メーン旧・長銀(現・新生銀行)の同グループ向け債権をめぐり、預金保険機構が買い取ったうえで債権放棄に応じることについて国民の批判が高まり、企業イメージも大幅に低下したことで再建計画の前提条件も崩れ、グループ21社とともに民事再生手続き開始を申請した。

株式会社そごう(資本金144億4044万円)ほかグループ21社
1830年(天保元年)「大和屋」の屋号で古着屋として創業
1919年(大正08年)12月 (株)十合呉服店として法人に改組
1949年(昭和24年)大証1部に上場
1961年(昭和36年)東証1部に上場
1969年(昭和44年)04月 現商号に変更
2000年(平成12年)07月12日 東京地裁へ再生手続開始の申立

●(株)そごう(大阪市)…負債総額6891億円
●(株)千葉そごう(千葉市)…負債総額4054億円
●(株)新千葉そごう(千葉市)…負債総額953億円
●(株)柏そごう(柏市)…負債総額1238億円
●(株)廣島そごう(広島市)…負債総額3282億円
●(株)廣島そごう新館(広島市)…負債総額545億円
●(株)徳島そごう(徳島市)…負債総額662億円
●(株)八王子そごう(八王子市)…負債総額503億円
●(株)横浜そごう(横浜市)…負債総額1955億円
●(株)大宮そごう(大宮市)…負債総額774億円
●(株)呉そごう(呉市)…負債総額236億円
●(株)西神そごう(神戸市)…負債総額240億円
●(株)川口そごう(川口市)…負債総額736億円
●(株)札幌そごう(札幌市)…負債総額496億円→破産宣告
●(株)黒崎そごう(北九州市)…負債総額321億円→破産宣告
●(株)船橋そごう(船橋市)…負債総額666億円→破産宣告
●(株)豊田そごう(豊田市)…負債総額496億円→破産宣告
●(株)加古川そごう(加古川市)…負債総額361億円→破産宣告
●(株)奈良そごう(奈良市)…負債総額1231億円→破産宣告
●(株)福山そごう(福山市)…負債総額742億円→破産宣告
●(株)小倉そごう(北九州市)…負債総額673億円→破産宣告
●(株)錦糸町そごう(東京都)…負債総額303億円→破産宣告
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●(株)木更津そごう(木更津市)…負債総額241億円→自己破産
●(株)長野そごう(長野市)…負債総額87億円→自己破産
●(株)多摩そごう(東京都)…負債総額553億円→特別清算
●(株)茂原そごう(茂原市)…負債総額235億円→特別清算
●(株)コトデンそごう(高松市)…負債総額246億円→破産宣告
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●(株)そごうホップ(大阪市)…負債総額92億円→特別清算
●(株)アレックス(東京都)…負債総額59億円→自己破産
●(株)そごう物産(東京都)…負債総額402億円→自己破産
●そごうクレジットサービス(株)(横浜市)…負債総額55億円→特別清算
●そごう情報システム(株)(横浜市)…負債総額6億円→特別清算
●(株)そごう情報サービス(横浜市)…負債総額5億円→特別清算
●中国そごうシステム開発(株)(横浜市)…負債総額2億円→特別清算
●(株)中国そごう都市開発(広島市)…負債総額550億円→自己破産
●(株)エス・エス・ディー(広島市)…負債総額29億円→自己破産
●(株)そごうインターナショナルデベロップメント(東京都)
  負債総額2781億円→特別清算
●(株)滋賀ゴルフ倶楽部(滋賀県)…負債総額63億円
●(株)装苑(広島市)…負債総額55億円→自己破産
●(株)七博(東京都)…負債総額232億円→自己破産
●(株)コリドー開発(千葉市)…負債総額33億円→破産宣告
●三多摩土地建物(株)(多摩市)…負債総額131億円→破産宣告

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そごうグループ出資比率(1994年当時)

そごう9店が閉鎖に至った理由

◆そごう9店が閉鎖に至った理由
                           特別顧問 和田 繁明

 11月2日の経営協議会での説明を中心に、9店が閉鎖に至った理由を述べます。存続・閉鎖の審査基準は「速報」8号に挙げた5点です。二次破綻が生じない継続的な安定利益の確保のために、将来性を含めた総合的事業収益力を見極めようと、弁護士、公認会計士、ミレニアム企画、そごうの4者によるチームが各店の現地調査と、膨大なデータを分析検討し、客観的・科学的な結論として再生計画案にしました。
 全体的に言えるのは、(1)景気・経済が右肩下がりの環境にもかかわらず、過大な設備投資を重ねた結果、財務を圧迫、(2)商品力、販売力の強化による利潤追求ではなく、利益を薄くする手法の外商、値引き販売に頼った売り上げ至上主義、(3)その結果、収益構造が悪化を続け、営業リストラ、すなわち利益を上げられない店舗は閉鎖し、存続店舗は効率性の高い営業体質にして再出発するーということでした。
 閉鎖店舗と存続店舗を経営数値で比較してみれば、理解いただけるでしょう(詳細な数字は、紙面の都合上控えますが、経協で詳しく説明しました)。
 たとえば、売上総利益率(平成11年度=以下同じ)は、存続店平均24.8%ー閉鎖店22.4%/売上高対販売管理費率は存続店平均22.4%ー閉鎖店平均23.5%/営業利益は存続店1店舗当たり14億円に対して閉鎖店は1600万円の赤字。経常利益も存続店平均1店当たりは6億円ですが、閉鎖店は7億円の赤字です。
 経協で質問のあった個別店舗について説明します。
閉鎖店のなかで唯一、利益計上していたのは黒崎そごうです。しかし、売上高は平成2年度をピークに減少が続き、12年度はその半分以下になる見込みです。それなのに黒字を維持してこられたのは経費削減効果で、努力が認められますが、目一杯やってきて限界に達しています。12年度は大幅な赤字になるでしょう。
将来要素はどうか。基幹産業の衰退によるマーケットの縮小や、競合店の進出、店舗の老朽化による維持・改修費の増大などで、再生債権を弁済する財務力はないと判断されました。
では、同じ規模の売り上げである西神そごうは、なぜ残るのかと言うと、マーケットの潜在的可能性が高く、行政主導の総合都市開発による店舗であることから、成長性に期待できるからです。
数字的には赤字の現状です。しかし、上記の背景に加えて坪当たり生産性の高さ、マーチャンダイジングの見直しによる効率化や固定費などのコスト削減が可能であり、今後の設備投資も少なくて済むなどの理由で存続とされました。
小倉そごうも毎期赤字の連続です。好立地で来客数が多いにもかかわらず、開店時の過大な投資がいまだに重荷になっており、競合店や博多の集客力との戦いで将来性が懸念されました。
そのうえ、外商比率が高い割に1人当たりの売上高が低く、坪当たり生産性も低い。また、特招会、店外催事が多く利益圧迫要因になるなど、そごうの営業体質の悪さの一典型です。
したがって、その他の要素を含め、改善を重ね、経営数値を積み上げても弁済原資をまかなうキャッシュフローは生み出せない、と判断されました。
 奈良そごうは、立地や過剰投資などによる経常的な赤字体質、札幌そごうは当面に営業利益を確保できても建物老朽化への設備投資や金利負担による経常赤字状態から脱し切れず、競合店進出など商圏の変化に対応できないとの判定でした。
(2000年11月9日発行/新生「そごう」のために No.9より抜粋)

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◆そごう存続店・閉鎖店の背景
                            顧問 米谷   浩

 再建計画においては、継続的な安定利益の確保が何よりも求められている。債権者に多額の債権放棄をお願いすることとなる以上、利益が確保できる存続店舗を見極め、存続不可能な店舗については閉鎖をし、法的な手続きに従って清算するということにならざるを得ない。存続店舗においては、何年かに分けて債務の弁済を求められることとなる。したがって、2次ロスを発生させないというスタンスと継続的な安定利益が確保できる店であるかどうかという点が存続店舗の見極めになった。
 そこで、検討した結果、既存の収益店舗10店の中で横浜、千葉、神戸、広島、大宮、八王子、柏、徳島、呉そごうの9店舗については弱体化の要因を改善することで、継続的に安定した利益を確保できると考え存続させることにした。
99年までは収益店舗であったが、本年度赤字化に転落する黒崎そごうについては
(1)店舗の老朽化からくる(築21年)改善投資の必要性(投資額:5~10億円)、さらに耐震工事投資の必要性があり(投資約20億円)そのことを考慮すると、利益化の可能性は難しい。
(2)さらに、商圏内の基幹産業の衰退と2大都市圏、福岡、小倉の流出度が極めて高いことからマーケット自体が衰退してきており、将来の拡大が望めないこと。
(3)さらに来秋駅前に「コム黒崎(コムシティ)」(8000坪)の出現で新たな競合の軌道を考えると、減収減益に歯止めがかからず赤字転落は避けられないと考え、存続店より、はずさざるを得なくなった。
業績不振店舗については、業績不振要因を取り除けないかについて、店舗に赴き実査を行った。
(1)施設費の過大なものは家賃減額の試算をしたり、テナント導入による施設費負担の縮小化と利益の拡大化を計画しシミュレートしてみた。
(2)粗利益率の低さによるものについては、商品構成のバランス是正など、差益管理強化による年率アップ率を入れて試算し、可能性を追求した。
(3)人件費もすでにリストラされているが、さらに6~7%の削減を入れて試算した。
その結果、川口および西神そごうにおいては家賃の減額の可能性が見え、利益化の可能性が出てきたので、存続店舗に入れることにした。
 しかし、マーケットの成長性が期待できず、その上マーケットの競合条件が拡大される状況にあること。そして、マーケットサイズを見誤り、広域からの集客を見込んで、店舗に対して過大な投資をしたために、広大な施設設備からくる低生産性や固定費の負担は、どのような改善策を見込んでも改善は難しく、これからも継続して利益化のメドがつかない錦糸町、加古川、豊田、奈良、福山そごうの5店舗と、札幌そごうは、百貨店マーケットとしては、現在でも過剰な上に2003年に強力な新しい競合の出現が予測されるなかで、老朽化した店舗への改善投資(約20億円)、さらに競合に勝るための投資を考えると、利益化の可能性は難しく、百貨店としての運営は断念せざるを得なかった。
 そして、小倉そごうについては、マーケットもよく、立地も良好であるにもかかわらず、無理な開発からの過剰投資と非効率な区分所有物件であるために、営業努力では利益化できない構造から継続を断念せざるを得ないと判断した。
 これら継続的に利益を確保することが難しい7店舗については、不振要因を改善する可能性が現状ではないためそごうとしては残念ながら閉鎖することとし、再生計画の提出については見合わせることとした。
(2000年10月26日発行/全そごう労働組合機関誌 No.6より抜粋)

そごうの株券(ただの紙屑)

   kabuken
   紙屑となった株式会社そごうの株券(T-T)
   どれだけの従業員が損をしたのか・・・
   ※従業員持株会分
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kensui
左:閉店セール懸垂幕(没バージョン)※そごう本社より閉店
セールは粛々と実施するため、派手過ぎると指摘されました

右:閉店セール懸垂幕(OKバージョン)

西日本新聞への投書

思い出をありがとう       永住美枝子

 黒崎と小倉のそごうが、閉鎖になるというニュースが
テレビで流れた。もし娘が元気でいたら、このニュースは
だれよりも一番さみしがるのではないかと思った。
 体の弱かった娘は、病院以外あまり外出することもなく、
唯一そごうでの買い物が楽しみだった。
一人で行けるわけでもなく、いつも私が一緒だった。
そごうの中では書店、服売り場、アクセサリー売り場、
CDショップとコースが決まっていた。
買い物が終われば、紅茶とケーキを食べて体はくたくたに
なりながらも十分満足していた。
 今も娘のクローゼットの中にはそでを通していないままの
服などがいくつも並べられている。鏡台には真新しい口紅
などがあり、引き出しを開けるだけで胸が詰まる。
娘にとってのそごうは、心のやすらぎの場であったと思う。
そごうがなくなるとさみしくなるけれど、最後に一言
「娘とのたくさんの思い出をありがとう」といいたい。
(主婦・50歳=北九州市八幡西区)
西日本新聞 2000年11月28日夕刊「紅皿」欄より

nagazumi
※西日本新聞社様「無断転載」をお許しください。
 どうしてもこのお客様の投書は残したかったので・・・
 閉店間際、数々の報道があった中、一番忘れられない記事。
 永住さんの娘さんのためだけでも
 「黒崎そごう」が存在した意義はありました(T-T)

Yakei
歳末風景(1990年)
※広告撮影用にオープン以来11年ぶりに点灯させたネオンの
 アッパー照明。これが最後の点灯になりました。

sogoyakei
歳末風景(1995年頃)

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歳末風景(1997年頃)

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歳末風景(1998年頃)

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歳末風景(2000年閉店間際)

(参考)西日本新聞が選んだ2000年の九州10大ニュース

●佐賀市の17歳少年が西鉄高速バス乗っ取り
●プロ野球福岡ダイエーホークスが2年連続のリーグ優勝
●九州新幹線鹿児島ルートの全線フル規格が決定
●福岡市で九州・沖縄サミット蔵相会合、宮崎市で外相会合開催
●シドニー五輪で田村亮子、井上康生選手ら九州出身者が活躍
●九州国立博物館の建物の基本設計が決まる
北九州市の小倉そごう、黒崎そごう両店が閉店
●山口市の16歳少年が母親を金属バットで殺害
●熊本県知事選で、潮谷義子氏が全国2人目の女性知事に当選
●大分県野津町で一家6人が殺傷され,15歳の少年を逮捕

黒崎そごう閉店の日

2000年12月25日(月) クリスマス 午後7時30分
黒崎そごう21年間の歴史に幕

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1階正面玄関 入場制限

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2階レディスフロア 盛況が虚しい閉店セール

miokuri
2階正面玄関 最後のお見送り(一番奥:最後の店長 濱田氏)

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整列した幹部&サービス課社員の間をお客様が通り抜ける・・・

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全員でお見送り・・・

heiten
閉店の瞬間(正面玄関のシャッターが降りる)
「21年間ありがとうございました・・・」

heitensaigo
「さようなら・・・」

tekkyo
閉店後、商品・什器すべてが撤去された店内
(3階婦人服フロア)

shimbun
翌日の新聞記事の一例
(2000年12月26日・読売新聞西部本社版)

asahinp
(2000年12月26日・朝日新聞西部本社版)
                 
                  logo

参考文献〈一覧〉

●株式会社そごう社史(そごう社長室弘報室)昭和44年
●株式会社そごう小史(そごう小史編集委員会)昭和54年
●社報そごう(そごう本社広報室)昭和54年10月黒崎そごう開店準備号〜平成12年最終号
●お元気ですか(そごう健康保険組合)昭和63年4月号〜平成12年最終号
●黒崎駅東地区市街地再開発史(黒崎駅東地区再開発組合)昭和55年
●全そごう労働組合三十年の歩み (全そごう労働組合)昭和57年
●そごう各店開店パンフレット普及用・VIP用
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●そごうの全貌 (山森俊彦:ストアーズ社)昭和55年
●不死鳥・そごうの経営 (和田進:評言社)昭和56年
●そごう怒涛の大航海「水島そごう」日本一への出帆 (山森俊彦:ストアーズ社)昭和63年
●そごうさらに壮大なる未来へ (山森俊彦:ストアーズ社)平成4年
●日本最大の百貨店 そごうの実像 (日経ビジネス11月9日号 )平成4年
●[ポケット社史]そごう地域密着・地域貢献の経営 (佐藤正忠:経済界)平成6年
●「そごう」に新しい神話がはじまった (佐藤正忠:経済界)平成6年
●小説「翔べ!そごう」 (渡辺 一雄:廣済堂出版)平成6年
●小説「そごう」崩壊 (渡辺一雄:廣済堂出版)平成12年
●ブランドはなぜ墜ちたか そごうの深層 (産経新聞取材班:角川書店)平成13年
●そごう 壊れた百貨店—乱脈経営の全貌とメインバンクの過ち
(『週刊ダイヤモンド』特別取材班:ダイヤモンド社)平成13年
●ドキュメントそごう解体—裁かれる「バブル経営」(日本経済新聞社)平成14年
●神様の墜落〈そごうと興銀〉の失われた10年 (江波戸哲夫:新潮社)平成15年

〈追記〉黒崎そごうの残像

izutsuya
izutsuyakanban
「黒崎そごう」跡に入居したライバル「黒崎井筒屋」
屋上の4面メイン看板に黒い汚れが見えます・・・
覚えているだけで2〜3回は塗り直していると思いますが、
何度やっても浮き出てくる「そごうロゴマーク」・・・
成仏してないのか・・・

〈追記〉プレステの中の黒崎そごう

denshadego
1998年発売のPlayStationソフト
電車運転シミュレーター
タイトー「電車でGO!2」に出てくる「黒崎そごう」
黒崎駅停車アナウンスのあと、
黒崎駅が近づいてくると見えてきます。
※アーケードモード上級編:鹿児島本線 快速「折尾〜小倉」

〈追記〉どっちが元気だ!?小倉VS黒崎(1988年)

北九州市唯一のタウン誌「おいらの街(通称:おい街)」。残念ながら当時の運営会社(株式会社おーぱす)は、2004年末に破産。現在は別の会社が同じ名前で再発刊しています。

その「おい街」1988年5月号の特集記事。
北九州市の都心「小倉」と副都心「黒崎」を読者アンケートにより、ランキング形式で比較しています。ちなみに、この号が「おい街」最大発行部数を記録したといわれています。それだけ市民の関心が高かったのでしょう。発行時、まだ小倉に「そごう」が無かったため、小倉に対する黒崎のアドバンテージは「そごう」だったことが伺えます。
※クリックすると拡大できます。

Oimachi01_2

どちらが好きか その理由
●小倉
 1. 小倉城があるから
 2. モノレールがあるから
 3. 店がいろいろある
●黒崎
 1. そごうがある
 2. 物が安い
 3. トポスがある

街のイメージは?
●小倉
 1. 都会・賑やか(32%)
 2. ゴミゴミしている(20%)
 3. ガラが悪い(14%)
●黒崎
 1. 開発が進んでいる(29%)
 2. そごうがある街(25%)
 3. 商店街が広い(16%)

Oimachi02_2

良いところは?
●小倉
 1. ブティックが多い(40%)
 2. 賑やか(22%)
 3. 何でもある(15%)
●黒崎
 1. アーケードが広い(28%)
 2. そごうがある(25%)
 3. 物が安い(12%)

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よく行くお店は?(買物)
●小倉
 1. 井筒屋
 2. 東映会館
 3. 魚町銀天街
●黒崎
 1. そごう
 2. トポス
 3. 商店街

待ちあわせはココ
●小倉
 1. 小倉駅
 2. マクドナルド
 3. 東映会館
●黒崎
 1. 黒崎駅
 2. そごう
 3. 井筒屋

〈追記〉黒崎そごう元広報マン

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     (2001年3月8日・西日本新聞夕刊)
昨年末閉店した北九州市の黒崎そごうの元従業員、小路貴さん(47)
=同市小倉北区=が、写真展「一瞬の門司港」を同市門司区の
門司港郵便局で開いている。黒崎、小倉両そごうの閉店に伴い、
計1462人が失職し、2月末現在で再就職が決まったのは、12%と
いう厳しさ。小路さんは初の個展に「かつての同僚を励ましたい」
との思いをこめる。16日まで。

〈追記〉小倉そごうメモリアル

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(1979年10月4日・西日本新聞)
「小倉そごう」の当初オープン予定は「黒崎そごう」オープンからわずか2年後の「昭和56年(1981年)」でした。実際は遅れに遅れ、予定より12年後の1993年にオープン。しかも、わずか7年の短命に終わりました。小倉駅前にそごうが土地を取得したのはオープンより24年も前の昭和44年(1969年)のことでした。

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小倉そごう社長水島広雄氏 20年余の苦労に感慨(トーク)
1990/04/20
 「冷たい水で顔を洗ったようなすがすがしさ」と現在の気持ちを表現するのは、JR小倉駅前の再開発ビルに核テナントとして入居することになった小倉そごう(本社北九州市)の水島広雄社長。平成4年度中の完成を目指し19日に起工式を行ったが、ここに至るまでには地元商店街や寺院の根強い反対があるなど、実に長い道のりだった。「私どもが駅前に土地を取得したのは昭和44年11月27日午後11時35分」とメモも見ずにスラスラ。「半ばあきらめ、風化しかけていた土地で商売をやらせてもらう以上、博多に負けないよう頑張る」と決意を新たにしていた。

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水島氏にとって小倉そごうはある意味宿願の店舗でもありました。

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小倉そごう初期完成予定図

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小倉そごうカラーパース(最終)

小倉そごう会社概要

■商号 株式会社小倉そごう(英文 Kokura Sogo Co.,Ltd)
■店名 小倉そごう
■住所 北九州市小倉北区京町3丁目1番1号
■電話 093-512-2111(代表)
■営業時間 午前10時〜午後7時(地下1・1・2・3・4階は8時まで)
■年間休日 12日(原則として火曜日)
■設立 1988年11月28日
■開店 1993年10月10日(閉店2000年12月25日)
■内容 百貨店業および百貨店業に付随する事業
■資本金 1億円
■株主構成
 株式会社広島そごう30%
 株式会社千葉そごう25%
 株式会社柏そごう25%
 株式会社黒崎そごう20%
■建物面積 113,546平米(地下3階・地上14階)
■店舗面積 43,774平米(兼業面積7,161平米)
■取引銀行 福岡銀行・西日本銀行・福岡シティ銀行他
■従業員数 正社員410名(男195・女215)・パート160名※2000年
■売上推移
 1993年=151億3000万円(93/10〜94/2合計)
 1994年=343億4000万円(94/3〜95/2合計) 
 1995年=399億4000万円(95/3〜96/2合計)
 1996年=428億0000万円(96/3〜97/2合計)
 1997年=432億8000万円(97/3〜98/2合計)※最高売上
 1998年=418億3800万円(98/3〜99/2合計) 
 1999年=394億9500万円(99/3〜00/2合計)

※小倉そごうは閉店間際まで実に年商400億円を計上していました・・・

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(1993年4月1日・毎日新聞西部本社版夕刊)

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小倉そごう第1期生268名・黒崎そごう第15期生26名。
九州厚生年金会館大ホールで行われた最初で最後の合同入社式。
わずか7年半後に会社が破綻するとは誰も想像していませんでした。
しかし、破綻後の調査により、この時期、そごうの実体は実質
すでに債務超過におちいっており、仕掛かり品とはいえ、
小倉そごうのオープンは無謀であったと言われています。

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小倉そごうオープン広告のメインビジュアル

咲かせたい、暮らしルネッサンス。

人と人がふれあって、やさしくあたたかな気持ちが生まれてくるように。小倉そごうは、お客さまおひとりおひとりに心地よく充実した時を過ごしていただけるような店づくりをめざしました。楽しく快適な店内環境、上質な暮らしをご提案できる売場、あたたかいサービス、お役にたてる生活情報など、新しい生活を創造する百貨店として、皆さまの暮らしに上質な花を咲かせたいと考えます。
※TVCMと同時撮影。制作会社「株式会社電通」。
YouTubeにアップしました

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(1993年10月11日・朝日新聞西部本社版1面トップ)

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北九州市が1993年夏に実施した「街の中の色」人気投票でベストテン第3位に選ばれた「小倉そごうの外壁」。『街に花を咲かせよう』と桜の花をイメージして淡いピンク色に決められました。しかし、当初そごうは、初期完成予定図からもわかるようにピンクの度合いのもっと強いものを考えていました。さらに袖看板、懸垂幕スペースもかなり確保していました。ところが、北九州市より、市の玄関として小倉そごうだけが突出しないように要請があり、桜色が控えめになり、外壁北側と西側下部にあるそごう筆記体マークをひと回り小さくし、赤色から金色に変更。袖看板は取りやめ、懸垂幕の数を減らしました。なお、▽模様はそごうのまるちきりマークをイメージしています。
※企画段階では、天候によって、外壁タイルの色が変わるというアイデアもありましたが、
 経費的に実現されませんでした。
※外壁タイルは、地元TOTOを押しのけ、INAX製。

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JR小倉駅からモノレール軌道を入れた「小倉そごう」定番アングル。
ペデストリアンデッキ(人工地盤)を行き交う人々。
※後ろの破たんした「山一證券」ビルの看板が悲しい・・・
 小倉そごうビルには同じく破たんした「三洋証券北九州支店」もありました・・・


Kokura
屋上には「瘡守(かさもり)稲荷神社」がありました。
※江戸時代の寛永14年(1637年)に建立。天然痘や性病・皮膚病感染を
 避けるための疱瘡神(ほうそうがみ)。商売繁盛の神


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小倉そごう夜景(壁面全面に動くイルミネーション)

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Smallworld
イッツ・ア・スモールワールド時計
オフィシャルスポンサーだった東京ディズニーランドの
アトラクション「it's a small world」をモデルにしたからくり時計。
千葉そごうと並んでグループ最大級の大型時計でした。9時と3時の
文字盤の位置に小倉オリジナルの「小倉祇園太鼓人形」を設置。

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小倉そごうの階段壁面装飾
1995年「日本の空間デザイン」奨励賞を受賞。
(福岡在住の画家・イラストレーター土器修三氏の作品)

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3つの滝と吹き抜けが開放的な10階「UCCカフェプラザ」

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12月25日に閉店が決まった日(2000年10月25日)

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2000年12月25日 2階正面玄関

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Kokura
2000年12月25日 小倉そごう閉店(中央:最後の店長 亀岡氏)

歴代店長

●初代店長 森  透 ※その後、そごう大阪店次長
●二代店長 梶谷方宏 ※その後、船橋そごう店長(故人)
●三代店長 福井洋一 ※その後、コトデンそごう店長(故人)
●四代店長 垣内龍介 ※その後、日報社長・スピナ常任監査役
●五代店長 亀岡伸吾 ※その後、ちまきや副社長・山口井筒屋店長

主な催事(ほんの一部)

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●開店1周年記念 アイルトン・セナ展〜FOREVER〜
 (1994年10月4日〜10日)※フジテレビ主催
●今田美奈子お菓子展「バレンタインお菓子物語」(1994年2月9日〜14日)
●安田早葉子染め花展(1994年3月2日〜7日)
●仮面ライダーワールド(1994年3月23日〜28日)
●第1回加賀百万石名品展(1994年4月6日〜11日)※毎年開催
●エルンスト・ハース展(1994年4月27日〜5月9日)
●ねむの木の子どもたちとまり子美術展
 (1994年5月3日〜9日・1997年4月29日〜5月5日)
●服部早苗ジャパンキルト展(1995年2月8日〜20日)
●ひらけ!ポンキッキ チャイルドパーク(1995年3月28日〜4月10日)
●宮川大助・花子日本昔ばなし絵画原画展(1995年5月2日〜8日)
●小倉そごうの不思議水族館(1995年8月15日〜20日)
●開店2周年記念 後藤純男展(1995年9月26日〜10月8日)
●開店2周年記念 ザ・ビートルズ展(1995年10月10日〜23日)
●世界のテディベアコレクション展(1995年11月28日〜12月11日)
●中島みゆきストーリー展(1996年5月22日〜27日)
●与 勇輝展(1996年7月16日〜29日)
●開店3周年記念 宝塚歌劇展(1996年10月3日〜14日)
●開店3周年記念 ウェッジウッド・ミュージアム秘蔵の名品展
 (1996年10月15日〜21日)
●アプリケ芸術50年 宮脇綾子遺作展(1997年7月16日〜28日)
●スイス サン・クロワ博物館所蔵 世界のオートマタ展
 (1997年9月23日〜10月6日)
●山下 清展(1997年12月10日〜22日)
●華道新池坊創流85周年記念花展(1994年11月16日〜22日)
●アニエス ベー エトセトラ・・・!(1998年10月7日〜19日)
●開店5周年記念 野村万作・萬斎 三番曳・初の競演
 (1998年10月15日/九州厚生年金会館)
●新春いけばな展(1999年1月20日〜25日)
●カシニョール展(1999年2月11日〜14日)
●なかよしフェスティバル(1999年8月13日〜19日)
●華道新池坊創流90周年記念花展(1999年11月17日〜22日)

小倉そごうは復活の可能性がほんの一瞬ありました・・・

小倉そごうは破産手続きへ(産経新聞2001年2月26日)
福岡銀行の寺本清頭取は26日の会見で、融資先の小倉そごう(北九州市)の経営再建問題について「(そごうグループが)小倉そごうの再生は不可能と考えており、破産手続きに移行せざるを得ない状況にある」との見方を示した。同グループは、黒崎そごう(同市)についても破産手続きに移る方針を固めており、小倉、黒崎の両店舗が営業を再開する可能性は事実上なくなった。寺本頭取によると、そごうグループから2月16日、小倉そごうの営業再開で協力を求められたが、わずか一週間後には同グループが再開を断念した。同グループはまた、地元財界などによる小倉そごうの会社更生法適用申請も可能との見方を示したが、寺本頭取は「経営責任を地元に転嫁するもの」と強く批判、申請する考えがないことを強調した。 民事再生法に基づく両店の再生計画案提出期限は3月9日に迫っているが、同グループは「再建が困難と判断している以上、小倉そごう単独で会社更生法の適用を申請しても裁判所は認めない可能性が高い」としているという。 ただ、寺本頭取は地元で浮上している「持ち床会社」によるテナント誘致構想については「できる範囲でバックアップしたい」と協力する考えを示した。

               Logo2

〈追記〉有楽町そごうメモリアル

主な沿革

1954年12月11日 取締役会にて開設を決定
1954年12月24日 開設準備委員会を設置
1955年02月21日 読売会館建築起工
1956年09月24日 開設事務所を設置
1957年01月30日 東京雪ヶ谷社宅竣工(大田区)
1957年05月22日 読売会館竣工
1957年05月23日 開店披露
1957年05月25日 開店
1958年06月29日 「愛の女神像」除幕
1959年08月    店舗賃貸料引下げ交渉成立
1964年12月    店舗賃貸料再引下げ交渉成立
1970年11月    そごう東雲配送センター開設(江東区)
1972年11月15日 開店15周年記念式典挙行
1974年07月29日 地下2階・3階地下鉄開口部工事開始
1974年10月30日 地下鉄有楽町駅改札前に地下2階入口を開設
1977年12月26日 外壁改装工事
1978年01月11日 第2期エスカレーター工事
2000年07月12日 そごう民事再生法を申請
2000年09月24日 閉店

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        そごう東京店カラーパース画

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村野藤吾「読売会館(そごう東京店)」1階平面図

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有楽町駅から見た建設中のそごう東京店(1956年12月)

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そごう出店前の竣工時の読売会館(1957年)
設計:村野藤吾(協力:読売会館建築事務所)
構造:SRC造/地上9階・地下1階(基礎:木田式深礎工法)
施工:清水建設(三菱電気・音響・東大生産技術研究所)

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1957年(昭和32年)5月20日 朝日新聞夕刊 半5段

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1957年(昭和32年)5月24日 朝日新聞夕刊 全7段

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1957年(昭和32年)5月24日 日本経済新聞夕刊 全6段

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1957年(昭和32年)5月25日 日本経済新聞夕刊

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1957年(昭和32年)開店セール

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大映映画「有楽町で逢いましょう」タイトルバック
(1958年1月15日封切)

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有楽町地区空撮(1979年)
※そごう東京店の手前には今は無き「日劇」や「朝日新聞社」がある

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そごう東京店クリスタルシンボル柱

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そごう東雲配送センター(1970年開設)

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     1957年の外観

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1969年の外観※ゴールドのサイン

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1979年の外観

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1990年代の外観

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     2000年9月17日折込 そごう東京店最後の広告

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     2000年9月24日 そごう東京店閉店

     有楽町そごうで働いた仲間たちの集い有楽ちぎり会

               Yurakuchosogologo

〈追記〉そごう心斎橋本店オープン

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宮沢りえを起用した「そごう心斎橋本店」の開店ポスター2種
宮沢りえと言えば、20年前の「横浜そごう」開店時の
TVCM&折込み広告に無名時代の宮沢りえを起用していたし、
また、今は亡き「多摩そごう」を舞台とした
13年前のTBSドラマ『東京エレベーターガール』の主役
のエレガー、沢木つかさ役でも登場。
そして、今回の「そごう心斎橋本店」の広告・・・・・
何かと「そごう」と因縁があるようです。
※制作:K2クリエイティブディレクター長友啓典氏

                 shinlogo

〈追記〉そごうマークについて

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村野藤吾デザイン「マーク・そごう・SOGOの規格」

そごうのロゴマークは「まるにちきり」または「まるちきり」と呼ばれています。「ちきり」は縦糸を巻く織機の付属具で、当初そごうが呉服店(十合呉服店) であったころ、織機にちなんでマークとして使ったものです。また「ちきり」は石材や木材などをつなぐときに用いる堅木の「千切り」に通じ、堅く結びつくこ とも表わしてます。さらに「まるちきり」は「五」の文字を図案化したもので「りゅうご」とも言われ、形がエンドレスなところが目出たい意味も持ってます。 なお、マークの規格は、直径の9分の1をもって、円の太さ(外円および内部)が定められています。また、屋外広告等でマークを大きく取扱う場合には、太さの規格9分の1原則を、8.5分の1として使用することを例外として認めています。

各分野の第一人者による考察

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島 武史『屋号・商標100選〜CIのルーツをさぐる』
1986年日本工業新聞社刊

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中島福三郎『そごう原点帖〜商標について〜』
1990年8月 社報そごうNo.195

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松田行正「松屋とそごうとツェッぺリン」
『デザインの現場4月号』2008年美術出版社刊

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松田行正「招福記号と魔よけ」
『デザインの現場6月号』2008年美術出版社刊

〈追記〉空襲とそごう

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 昭和19年(1944年)6月15日、米軍のB-29爆撃機が初めて北九州を空襲。中国・成都基地から北九州の八幡製鉄所へ飛来・爆撃した(八幡大空襲)。11月24日、今度はマリアナ基地のB-29爆撃機70機が、東京を襲って爆撃を加えた。これを口火として、米機による本土空襲は、日を追って苛酷なものとなった。
 阪神地方に対する空襲も開始された。同年12月9日、大阪は初空襲に見舞われ、市内東住吉区瓜破(うりわり)地区が被災した。
 この頃から、そごうは大阪本店・神戸支店とも当直員を大幅に増員し、空襲に備えることになった。当時、すでに男子従業員は激減していたので、当直長をつとめる役付者は、ほとんど隔日に宿直しなければならなかった。
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 翌20年(1945年)3月10日、B-29爆撃機325機が東京を空襲(東京大空襲)。3月12日、B-29爆撃機288機が名古屋を空襲(名古屋大空襲)。3月13日、大阪に対する大規模な空襲が行われた。この日、午後11時30分頃からB-29爆撃機274機が襲来し、およそ3時間に渡って、市中心部を猛爆した(大阪大空襲)。
 被害は甚大で、心斎橋筋一帯をはじめ、市の大半は焼夷弾、爆弾によって、完全に焼土となった。
 この空襲下にあって、大阪本店は、被爆こそ免れたが、店舗の東、南、北側から猛火が襲い、鰻谷納品口の商品がたちまち火炎に包まれた。しかし、当夜の当直員の懸命な消火作業によって、店内への類焼は喰い止めることができたのであった。

参考文献
●株式会社そごう社史(そごう社長室弘報室・そごう)1969年発行
●株式会社そごう小史(そごう小史編集委員会・そごう)1979年発行

〈追記〉村野藤吾とそごう

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西側から見たファサード

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逆側から見たファサード

そごう大阪店(心斎橋そごう)
1933年[第1期]/1935年[第2期]/1937年[第3期]/1952年[改修]/1969年[増築]
大阪市中央区心斎橋筋1丁目8-3


ロシア構成主義の「そごう百貨店」、かたやアメリカンボザールの「大丸百貨店(W・M・ヴォーリズ設計)」は、御堂筋沿いに並んで建っていた。村野の「そごう百貨店」は、淡い黄褐色のトラバーチンとガラスブロックの凹凸により、幻想的な陰翳が印象的であった。
「そごう」と「大丸」は大阪市営地下鉄1号線の心斎橋駅の開設に合わせ、共にその全容を現した。その後、1937年の御堂筋の完成により、垂直リブのある「そごう百貨店」は移動しながら見る建築として、3分の2世紀の時を御堂筋の代表的景観の1つとして持続した。定点で見る様式建築の「大丸」と比較すれば、モダニズム建築としての「そごう」は、2003年に取り壊された今こそ、改めてその価値や存在の重さを強く印象付ける。
村野はあるインタビューで、ラジオの横縞を縦縞にしたとデザインの根拠を語っているが、それは上記の意図が実現できると確信があってのことである。
ロダンの弟子、藤川勇造が制作した西立面の「飛躍」と島野三秋制作のエレベーター扉は改築されたそごう心斎橋本店に受け継がれ、特別食堂の壁画、藤田嗣治「春」の一部は新高輪プリンスホテルのメインバー「あさま」にある。
内部、特に階段回りのやわらかい紐をイメージした曲線は、やがて大衆の好むところとなった。また、6階に茶室があり、文化的なサロンとして豊かさに寄与した。

Tokyosogo
そごう東京店
(有楽町そごう)
1957年
東京都千代田区有楽町1-11-1


JR有楽町駅の西側に隣接する三角形の敷地に建つ。地下2階〜地上6階はそごう東京店(有楽町そごう)、7〜9階は約1,100名収容のホールをもつ読売会館。外観より、この2つの機能は分割されていることがわかり、明快である。東面が線路に呼応するかのように緩やかにカーブし、北面および東面はガラスブロック(現在は型板ガラス)がはめられ、暗緑色のファサードを構成する。西面は目地をなくした白い大理石のテッセラ貼りの美しい壁面であった。敷地条件を逆手に取り、三角形の敷地に対して三隅に階段を配し、狭くなりがちな売場を有効に取るなど平面計画の巧みさがうかがえる。
内部の機能に対し、外部の表現は異なる。このことが、竣工当時、建築界の話題となった。同年竣工した、北東隣地の旧東京都庁舎(丹下健三設計)との比較である。
2001年、東面と北面を残し、ファサードは改装された。
ちなみに、当時の流行歌、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」は、有楽町そごうのCMソングである。

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そごう難波店

1946年
大阪市南区難波新地5番地外

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食品市場そごう阿倍野店

1947年
大阪市阿倍野区阿倍野筋1丁目54番地

近代建築青空ミュージアム〜そごう百貨店心斎橋本店

参考文献
●村野藤吾建築案内(村野藤吾研究会・TOTO出版)2009年発行
●村野藤吾建築設計図展カタログ3「村野藤吾とふたつのそごう」
  (京都工芸繊維大学美術工芸資料館・村野藤吾の設計研究会)2001年発行

〈追記〉そごうグループ52店舗 画像版(破たん前)

サイドバーにある「そごうグループ国内店・海外店」のパース部分を再編集したものです。

 【破たん前】 

Sapporosg 札幌そごう SAPPORO SOGO
1973年11月2日会社設立。1978年9月1日開店(8号店)。29,728平米。1988年増床。資本金4億円。売上高325億円(98年度)。札幌市中央区。国鉄札幌駅前の再開発事業の一環として、総床面積10万平米、北日本最大級の規模を誇る、札幌ターミナルビル「エスタ」の核テナントとして出店。1階にはバスターミナルを内包し、地下鉄およびJRの札幌駅とも直結。その商圏は札幌だけにとどまらず、小樽、千歳、苫小牧などを含み、広域的な動員力を持っていた。シンボルゾーン「北海道の幻想(伊藤隆道作)」。オープン時のキャッチフレーズは「でっかい、そごう」。
※2000年12月25日閉鎖:現札幌エスタ(ビックカメラ等)

Tokyosg そごう東京店(有楽町そごう) YURAKUCHO SOGO
1957年5月25日開店(3号店)。15,275平米。資本金144億4千万円(本社)。売上高168億円(98年度)。東京都千代田区。首都圏進出の第一号店としてオープン。アメリカ映画「ラスベガスで逢いましょう」のポスターからヒントを得た、ヒット曲の題名にもなった「有楽町で逢いましょう」のキャッチフレーズで知られ、開店日は雨の中を約三十万人の客が押し寄せた。正面入口に、天井から床に向け風を送って外気を遮断する「エア・ドア」を導入したり、昇りと下りのエスカレーターをX字型に設置するなど、目新しい設備も話題となり、若者たちの待ち合わせ場所にもなった。しかし、1991年に東京都庁が新宿に移転。バブルの崩壊と長引く不況のなかで業績が悪化した。1994年より業界初の日曜定休を導入し話題となった。シンボルゾーン「クリスタルシンボル柱」。
※2000年9月24日閉鎖:現ビックカメラ有楽町店

Kinshichosogo 錦糸町そごう KINSHICHO SOGO
1991年会社設立。1997年10月22日開店(42号店)。31,350平米。資本金1億円。売上高149億円(98年度)。東京都墨田区。1995年2月一時出店断念。同9月出店再開。オフィスビル、マンション、ホテル、商業棟からなる錦糸町駅北口「アルカタワーズ錦糸町」にオープン。そごうにとっ て東京23区2店舗目の出店となった。コア商圏は半径3kmと狭いエリアを設定していた。オープン時のキャッチフレーズは「すみだが生んだ、すみだの百貨店」。
※2000年12月閉鎖:現アルカキット錦糸町(クイーンズ伊勢丹等)

Tamasg 多摩そごう TAMA SOGO
1988年会社設立。1989年10月20日開店(24号店)。34,448平米。資本金4億円。売上高195億円(98年度)。東京都多摩市。将来人口約31万人の新都市を計画していた多摩ニュータウンの中心、多摩センター駅前に立地。八王子そごう・柚木そごう・(橋本そごう)との連携のもとで、西東京地域におけるそごうのイメージアップとエリアネット化を担っていた。シンボルゾーン「バード・サンクチュアリー」。オープン時のキャッチフレーズは「はじめまして、新・山の手社交界」。宮沢りえ主演のTBSドラマ「東京エレベーターガール」の舞台になった。
※2000年7月閉鎖:現三越多摩センター店

Hachiojisg 八王子そごう HACHIOJI SOGO
1982年会社設立。1983年11月11日開店(14号店)。28,809平米。資本金1億1百万円。売上高427億円(98年度)。東京都八王子市。JR八王子駅ビル「NOW」の核店舗としてオープン。
※存続:現そごう八王子店(その後2012年1月31日閉鎖)

Yugisg 柚木そごう YUGI SOGO
1990年9月28日会社設立。1992年6月開店(33号店)。資本金5千万円。13,150平米。東京都八王子市。多摩ニュータウンの西部地区、京王電鉄 相模原線南大沢駅前に多摩ニュータウン開発センターが建設した商業ビル「ガレリア・ユギ」の核店舗としてオープン。サマセット・モームやカーライルなど多 くの文化人が育まれた丘、ロンドンのチェルシーテラスの生活マインドがストアーコンセプトだった。そごうでは珍しいブラウン系の外壁を採用。オープン時のキャッチフレーズは「上質生活ヶ丘・東京チェルシーテラス」。
※1994年10月閉鎖:現イトーヨーカ堂南大沢店

Yokohamasg 横浜そごう YOKOHAMA SOGO
1969年会社設立。1985年9月30日開店(17号店)。77,211平米。資本金4億6千万円。売上高1403億円(98年度)。横浜市西区。当時としてはケタ外れの開店資金約590億円を投資した百貨店史上類をみない超弩級の巨艦百貨店。そごうグループの旗艦(フラッグシップストア)として、首都圏レインボー作戦の要として、重責を与えられていた。シンボルゾーン「燦帆」。シンボルモニュメント「太陽(岡本太郎作)」。オープン時のキャッチフレーズは「横浜が生んだ、世界最大級の百貨店」。
※存続:現そごう横浜店

Kawaguchisg 川口そごう KAWAGUCHI SOGO
1983年9月6日会社設立。1991年10月16日開店(30号店)。45,981平米。資本金3千万円。売上高323億円(98年度)。埼玉県川口市。シンボルゾーン「輝林」。オープン時のキャッチフレーズは「世界へ。そごう新世紀、始まる」。
※存続:現そごう川口店

Omiyasogo_5 大宮そごう OMIYA SOGO
1981年会社設立。1987年3月27日開店(19号店)。39,157平米。資本金1億1千万円。売上高484億円(98年度)。埼玉県大宮市(当時)。
※存続:現そごう大宮店

Chibasg 千葉そごう CHIBA SOGO
旧店:1966年10月28日会社設立。1967年3月21日開店(4号店)。オープン時のキャッチフレーズは「都心のムードでしゃれたお買い物」「千葉県でいちばん大きく、いちばん美しいデパート誕生!」。
新店:1992年会社設立(新千葉そごう)。1993年4月27日開店(36号店)。61,000平米。資本金1億円。売上高1,007億円(98年度)。千葉市中央区。シンボルゾーン「ゴールドプラザ煌源」。シンボルモニュメント「大空と子供(圓鍔勝三作)」。オープン時のキャッチフレーズは「世界最大級・新しい日本の百貨店」。
※存続:現そごう千葉店
Bee-One
(旧千葉そごう本館)1993年開店。17,000平米。千葉市中央区。専門店ビル。
※閉鎖:現塚本ビル

Funabashisg 船橋そごう FUNABASHI SOGO
1978年会社設立。1981年4月2日開店(11号店)。32,580平米。資本金20億円。売上高270億円(98年度)。千葉県船橋市。船橋ヘルスセンター跡地再開発として生まれたSC「ららぽーと」の核店舗。ワンフロア15,000平米、4階建という従来にない広大なフロアと低層階の売場展開は、百貨店の一つのあり方を提案した。1997年9月には新業態専門フロア「ベイ・プラネット」オープン。3、4階すべてを新しい集客装置と位置づけ、フットロッカーやトイザらスなど人気ショップや話題の専門店を導入した。シンボルゾーン「大シャンデリア(伊藤隆道作)」。
※2000年12月閉鎖:現ららぽーとWEST(ベスト電器等)

Kashiwasogo_2 柏そごう KASHIWA SOGO
1971年6月1日会社設立。1973年10月10日開店(6号店)。35,477平米。資本金1億3千万円。売上高403億円(98年度)。千葉県柏市。シンボルゾーン「光木の林」。オープン時のキャッチフレーズは「みどりのまちにお城のような百貨店」。
※存続:現そごう柏店

Mobarasg 茂原そごう MOBARA SOGO
1989年会社設立。1992年3月開店(31号店)。15,060平米。資本金1億円。売上高63億円(98年度)。千葉県茂原市。千葉県完全制覇を目標に、県下5店目の出店。外房地域を代表する都市型百貨店を目指していた。
※2000年2月閉鎖:現茂原サンヴェル

Kisarazusg 木更津そごう KISARAZU SOGO
1978年10月1日開店(9号店)。19,349平米。資本金2億5千万円。売上高107億円(98年度)。千葉県木更津市。地場百貨店「サカモト」と 提携。1978年サカモトそごう。1988年3月17日新店開店時に木更津そごうに商号変更。オープン時のキャッチフレーズは「木更津が変わる。夢ふくらむ、大きな そごう」。
※2000年7月閉鎖:現アクア木更津

Naganosg 長野そごう NAGANO SOGO
1983年6月開店(12号店)。11,157平米。資本金8億円。売上高59億円(98年度)。長野県長野市。地場百貨店「丸光」と提携。1983年6月丸光そごう。1987年5月大規模リニューアル時に長野そごうに商号変更。
※2000年7月閉鎖(その後解体):現TOiGO(SBC信越放送新社屋)

Toyotasg 豊田そごう TOYOTA SOGO
1986年8月28日会社設立(トヨタ自動車7%)。当初計画1987年春開店予定。1988年10月8日開店(21号店)。40,761平米。資本金1億円。売上高227億円(98年度)。愛知県豊田市。名鉄豊田市駅西口に本格派都市型 百貨店として開店。そごうグループにとって初の東海地区への出店となった。オープン時のキャッチフレーズは「世界の豊田に本格派都市型百貨店」。
※2000年12月25日閉鎖:現松坂屋豊田店

Osakasgそごう大阪店(心斎橋そごう) SHINSAIBASHI SOGO
1877年5月創業。1937年新築開店(1号店)。31,768平米。資本金144億4千万円(本社)。売上高523億円(98年度)。大阪市南区。シンボルゾーン「光の樹」。シンボルモニュメント「飛躍の像(藤川勇造作)」。エレベータ「漆螺鈿装飾扉(島野三秋作)」。モザイクタイル天井画「天空(鶴丸梅吉作)」。
※2000年12月閉鎖(その後解体):現大丸心斎橋店北館

Narasg 奈良そごう NARA SOGO
1984年11月21日会社設立。当初計画1986年春開店予定。1989年10月2日開店(23号店)。46,201平米。資本金161億2千万円。売上高346億円(98年度)。奈良県奈良市。店祖「十合伊兵衛」生誕の地に念願の出店。投資額600億円の重装備店舗。オープン直後から駐車場の拡充が課題とされ、1991年頃から立体駐車場併設の別館建設計画が持ち上がった。当初計画1993年9月完成予定。約22,000平米。1993年9月増床計画凍結。完成していれば、本館と合わせ県下最大の約57,000平米の総売場面積となっていた。シンボルゾーン「浮夢殿」。オープン時のキャッチフレーズは「奈良最大の都市型本格百貨店」。
※2000年12月閉鎖:現イトーヨーカ堂奈良店

Kobesg01 そごう神戸店(神戸三ノ宮そごう)  SANNOMIYA SOGO
1899年6月25日相生町に開店。1901年4月3日元町に移転。1933年10月1日三宮に新築開店(2号店)。48,962平米。資本金144億4千万円(本社)。売上高835億円(98年度)。神戸市葺合区(当時)。1995年1月阪神・淡路大震災により店舗倒壊全館閉店。同4月部分営業。1996年4月28日全館復興開店。
※存続:現そごう神戸店。

そごう神戸店 岡山分店
1975年2月開店。1978年の国鉄札幌駅前再開発に絡み「札幌そごう」を出店する際、大家である国鉄から「ニコイチ案件」として、岡山で国鉄が初めて開業するホテル(旧岡山ターミナルホテル)の1階〜3階を借りるよう条件が付いていた。1994年頃閉店。
※閉鎖:現ホテルグランヴィア岡山

Seishinsg西神そごう SEISHIN SOGO
1990年会社設立。1990年10月10日開店(28号店)。17,881平米。資本金1億円。売上高198億円(98年度)。神戸市西区。神戸の新しい街、西神ニュータウンに出店。ニューファミリーをメインターゲットに地域密着型の郊外百貨店を指向。オープン時のキャッチフレーズは「ハイ・カジュアル主義」。
※存続:現そごう西神店

Kakogawasg 加古川そごう KAKOGAWA SOGO
1988年会社設立。1989年9月15日開店(22号店)。30,854平米。資本金18億円。売上高205億円(98年度)。兵庫県加古川市。1991年11月、隣接したジャスコ加古川店跡に新館開店(のちアウトレット館)。オープン時のキャッチフレーズは「播州一の本格派都市型百貨店」。
※2000年12月閉鎖:現ヤマトヤシキ加古川店

Hiroshimasg 広島そごう HIROSHIMA SOGO
1972年会社設立。1974年10月10日開店(7号店)。34,702平米。資本金1億円。売上高924億円(98年度)。広島市中区。シンボルゾーン「大シャンデリア」。

Hsgsnkn_2 広島そごう新館 HIROSHIMA SOGO SHINKAN
1990年会社設立。1994年4月22日開店(40号店)。27,000平米。広島市中区。シンボルモニュメント「大空(圓鍔勝三作)」。
※存続:現そごう広島店

Kuresogo_2 呉そごう KURE SOGO
1987年9月26日会社設立。1990年3月18日開店(27号店)。21,365平米。資本金1億円。売上高181億円(98年度)。広島県呉市。ハイセンスな 都市型百貨店をストアコンセプトとした高級志向。オープン時のキャッチフレーズは「呉ではじめての、都市型本格派百貨店」。
※存続:現そごう呉店(その後2013年1月31日閉鎖)

Fukuyamasg 福山そごう FUKUYAMA SOGO
1988年会社設立。1992年4月開店(32号店)。34,300平米。資本金1億円。売上高243億円(98年度)。広島県福山市。広島県内3番目の店。 中・四国最大規模、福山で初めての都市型百貨店として出店。ファッション・文化・情報の発信基地=ミュージアムとして、21世紀の複合情報拠点とした店づ くりを目指していた。シンボルモニュメント「豊饒の濯(圓鍔勝三作)」「希望の奏(圓鍔勝三作)」。オープン時のキャッチフレーズは「夢発信。素敵が集うミュージアム」。
※2000年12月閉鎖:現福山ロッツ(マツモトキヨシ等)

Kotodensg コトデンそごう KOTODEN SOGO
1991年会社設立。1997年4月23日開店(41号店)。29,500平米。資本金3億円(コトデン7:3そごう)。売上高222億円(98年度)。 香川県高松市。地場私鉄「琴平電気鉄道」と提携。乗降客が最も多いコトデン瓦町駅ビルに四国最大の本格派都市型百貨店として出店。オープン時のキャッチフレーズは「それは、ニュースな百貨店」。
※2001年1月閉鎖:現高松天満屋

Tokushimasg 徳島そごう TOKUSHIMA SOGO
1979年会社設立。1983年10月1日開店(13号店)。26,939平米。資本金1億円。売上高379億円(98年度)。徳島県徳島市。本格派都市型百貨店を標榜するとともに、地域密着をより一層高めたワンストップ型百貨店を指向。
※存続:現そごう徳島店

Iyotetsusg いよてつそごう IYOTETSU SOGO
1969年9月1日会社設立。1971年7月5日開店(5号店)。23,517平米。資本金1億円。売上高507億円(98年度)。愛媛県松山市。地場私 鉄「伊予鉄道」と提携。伊予鉄道「松山市駅」のターミナルデパート。オープン時のキャッチフレーズは「ガラスのお城にあふれるファッション」。
※2000年12月提携解消:いよてつ百貨店→現いよてつ高島屋

Kokurasg 小倉そごう KOKURA SOGO
1970年小倉駅前出店用地買収(約3,500平米)。1988年会社設立。1993年10月10日開店(38号店)。43,774平米。資本金1億円。売上高418億円(98年度)。北九州市小倉北区。初期投資など515億円の負債を抱え、毎月億単位の借入金返済に追われた。坪単価で平均24,000円という高額な賃料と、地権者を優遇した売場配置がネックとなった。初期計画には東映と共同で「小倉東映会館(閉鎖解体済)」の場所への出店案もあったといわれる。シンボルモニュメント「花の女神(圓鍔勝三作)」。オープン時のキャッチフレーズは「咲かせたい、暮らしルネッサンス」。
※2000年12月閉鎖:小倉玉屋仮店舗→小倉伊勢丹→現コレット

Kurosakisg 黒崎そごう KUROSAKI SOGO
1977年10月21日会社設立。1979年10月6日開店(10号店)。26,332平米。資本金7億5千万円。売上高225億円(98年度)。北九州市八幡西区。北九州市の副都心、国鉄黒崎駅前東地区の再開発ビル「メイト黒崎」の核テナントとして開店。黒崎そごうのほか、ジャスコ黒崎店・メイト専門店街・公共施設(消費生活センター等)・文化教室なども配され、そごうとしては初めての入居形態だった。黒崎そごうの開店により、そごうは10店舗(グレー ターそごう計画)を達成。北海道から九州まで、百貨店業界で初めて日本列島4島すべてに店を出現させることになった。シンボルゾーン「節理の滝(伊藤隆道作)」「光の樹(伊藤隆道作)」。オープン時のキャッチフレーズは「まるで宇宙戦艦」。
※2000年12月閉鎖:現黒崎井筒屋

Amarinsg アマリンそごう(タイ) AMARIN SOGO
1984年12月1日開店(15号店)。そごうグループ海外1号店。12,000平米。SOGO(THAILAND)CO.,LTD.(資本金2500万バーツ:約2億5千万円/アマリンディベロップメント他地場51%・そごう49%)。約12,000平米。首都バンコクのメインストリート、プルンチット通りとラ ジャダムリ通りの交差する随一の商業地にあるアマリンプラザ1階〜4階に出店。旧アマリンホテル跡地。オープン時のキャッチフレーズは「The Brighter Side of Your Life」。
※閉鎖:現アマリンプラザ

Erawansg エラワンそごう(タイ) ERAWAN SOGO
1990年12月4日開店(29号店)。11,201平米。ERAWAN SOGO CO.,LTD.。ラーチャダームリ通り。新エラワンホテルビル内の核店舗としてオープン。インターナショナル、高感度商品の品揃えで都市型百貨店を目指し、東隣りに位置するアマリンそごうとの差別化を志向していた。
※閉鎖:現エラワンバンコク

Hongkongsg 香港そごう(香港) HONGKONG SOGO
1983年会社設立。1985年5月31日開店(16号店)。そごうグループ海外2号店。33,000平米。SOGO HONG KONG CO.,LTD.(崇光香港百貨有限公司)。香港島の商業の中心地、銅鑼灣(コーズウェイベイ)に最大級の日系百貨店として出店。オープン時のキャッチフレーズは「New Sensation」。2001年1月現地企業「利福国際集団有限公司(ライフスタイルインターナショナル)」に売却。
※存続:現香港そごう銅鑼灣店(崇光香港百貨)

Singaporesg シンガポールそごう(シンガポール) SINGAPORE SOGO
1986年10月25日開店(18号店)。そごうグループ海外3号店。12,500平米。DBS(シンガポール開発銀行=国営商業銀行)との合弁。SOGO DEPARTMENT STORES SINGAPORE PTE. LTD.(資本金1千万シンガポールドル:約11億円/そごう49%・DBS48%他)。官民一体のビッグプロジェクト「ラッフルズシティ」再開発のアンカーテナントとして出店。約40億円投資。
※2000年9月閉鎖:現ラッフルズシティショッピングセンター(ロビンソンズ等)

Tampinessgタンピネスそごう(シンガポール) TAMPINES SOGO
1993年7月31日開店(37号店)。シンガポールそごう2号店。SOGO DEPARTMENT STORES SINGAPORE PTE. LTD. TAMPINES STORE。シンガポール東北部タンピネス地区に、シンガポール発展銀行が開発する商業ビルの核店舗として入居。同国初の本格派郊外型ターミナル百貨店。
※1998年9月閉鎖:その後解体→現TAMPINES1(タンピネスワン)

Taipeisg 太平洋そごう(台湾) PACIFIC SOGO TAIPEI
1987年11月11日開店(20号店)。そごうグループ海外4号店(台湾1号店)。35,000平米。PACIFIC SOGO DEPARTMENT STORES CO.,LTD.(太平洋崇光百貨股分有限公司)。台北の中心、忠孝東路に開店。太平洋そごうの開店により、そごうグループは国内16店舗・海外4店舗の20店舗となり、宿願の「ダブルそごう計画(20店舗構想)」を達成。
※存続:現太平洋そごう台北忠孝館(太平洋崇光百貨)

Twsg太平洋そごう敦化新館(台湾) PACIFIC SOGO DUN HUA
1994年9月16日開店。
※存続:現太平洋そごう台北敦化館

Churekisg太平洋そごう中歴店(台湾) PACIFIC SOGO ZHONGLI
1998年9月25日開店(台湾4号店)。28,400平米。人口30万人、台湾北部有数の工業都市「中歴」にオープン。外環道路に面した海華新都心で「新都市型百貨店」を志向。高品質な商品とサービス、文化・情報を提供。※歴は土辺
※存続:現太平洋そごう中歴元化館

Takaosg 太平洋そごう高雄店(台湾) PACIFIC SOGO KAOHSIUNG
1996年9月26日開店(台湾3号店)。24,000平米。台湾第2の商業都市「高雄」の中心地三多三路(サントウサンルウ)に開店。PACIFIC SOGO DEPARTMENT STORES CO.,LTD. KAOHSIUNG BRANCH(太平洋崇光百貨股分有限公司高雄分公司)。
※存続:現太平洋そごう高雄店

Shinchikusg 太平洋そごう新竹店(台湾) PACIFIC SOGO HSINCHU
1999年9月25日開店(台湾5号店)。15,800平米。
※存続:現太平洋そごう新竹店

Kuangsansg 廣三そごう(台湾) KUANG SAN SOGO TAICHUNG
1995年11月11日」開店(台湾2号店)。40,000平米。KUANG SAN SOGO DEPARTMENT STORES CO.,LTD.(廣三崇光百貨股分有限公司)。
※存続:現廣三そごう(廣三崇光百貨)

Seiseirosg2廣三そごう精誠路店(台湾)
KUANG SAN SOGO TAICHUNG JINGCHENG ROAD

1999年12月6日開店。廣三そごう2号店。22,000平米。台中市のファッショナブルストリート精誠路とメインストリート中港路に面した新しいランドマーク。
※閉鎖:不明

Beijingsg 北京荘勝そごう(中国) BEIJING SOGO
1998年6月24日開店(43号店)。そごうグループ海外14号店。84,000平米。北京荘勝(そうしょう)グループに協力し、中国・北京の中心街、宣武区宣武門大街に北京最大級の店舗としてオープン。
※存続:現北京荘勝そごう(北京荘勝崇光百貨商場)

Uhansg 武漢そごう(中国) WUHAN SOGO
2000年12月24日開店。北京荘勝グループによる中国2号店。
※存続:現武漢そごう

Gamasg ペナンそごう(マレーシア)  PENANG SOGO
1989年9月開店(25号店)。1989年12月マレーシアのペナン島にある百貨店・スーパーの持ち株会社「ガマ・ホールディングズ」を約3940万マレー シアドル(約22億円)で買収。中心部ジョージタウンにあった百貨店を「そごう」として運営。11,077平米。GAMA SUPER MARKET & DEPARTMENTAL STORE SDN. BHD.。
※閉鎖:現GAMAデパート(提携離脱)

Kuarasg クアラルンプールそごう(マレーシア)  KUALA LUMPUR SOGO
1994年1月18日開店(39号店)。そごうグループ海外11号店。57,900平米。マレーシア国営コングロマリット、パルナスとの合弁で誕生した東南アジア最大の百貨店。娯楽施設や多目的ホールも備えた都市型複合コンプレックス。投資額26億円。SOGO PERNAS DEPARTMENT STORE SDN. BHD.(KOMPLEKS PERNAS SOGO)(そごう70%・パルナス30%)。
※存続:現クアラルンプールそごう(パルナスそごうコンプレックス)

Indonesiasg インドネシアそごう(インドネシア)  INDONESIA SOGO
1990年3月1日開店(26号店)。そごうグループ海外6号店。16,000平米。P.T.PANEN LESTARI INTERNUSA(P.T.パネン・レスタリ・インテルヌサ)。ジャカルタの中心、タムリン通りに面したプラザインドネシアの核テナント。地元の大手資本「カジャ・ツンガルグループ」と提携し、技術を援助。
※閉鎖:現プラザインドネシア

Plazasn インドネシアそごうプラザスナヤン店(インドネシア)
INDONESIA SOGO PLAZA SENAYAN

1999年10月29日開店。インドネシアそごう2号店。22,000平米。
※存続:現インドネシアそごうプラザスナヤン店(プラザスナヤン)

Kelapasgクラパガディンそごう(インドネシア)  KELAPA GADING SOGO
1995年1月開店。地場財閥ガジャ・トゥンガルグループ。ジャカルタ北部クラパガディン地区のショッピングモールの核テナントとしてオープン。約11,000平米。
※存続:現インドネシアそごうクラパガディンモール店(クラパガディンモール)

Londonsg ロンドンそごう(イギリス)  LONDON SOGO
1991年会社設立。1992年6月提携先の英国不動産開発業者マウントリー社倒産。1992年7月7日開店(34号店)。2,300平米。 SOGO(LONDON)LTD. 。クライテリオン再開発事業。ロンドンの超一等地ピカデリー・サーカスに出店。リージェント通り・ピカデリー通りなどの高級ショップ街に隣接。シンボルモニュメント「Horse Statue」。オープン時のキャッチフレーズは「新しい伝統の前奏曲(プレリュード)」。
※1999年4月閉鎖:現ヴァージンメガストア

Balsg バルセロナそごう(スペイン)  BARCELONA SOGO
1992年パーシャルオープン(35号店)。1993年9月25日グランドオープン。7,400平米。SOGO ESPANA S.A.。米デベロッパーのトラベルステッドグループ(NY)と共同で再開発したパルク・デ・マール地区の商業棟に核店舗として入居。ホテルやオフィス、SCなどで構成される巨大複合施設マリーナ・ヴィレッジ・プロジェクトの中核で、欧州最大の日系百貨店として誕生。当初70億円の投資予定が最終的には 1,000億円を使った。巨大シンボルオブジェ「Flying Fish(フランク・O・ゲーリー作)」
※1996年閉鎖:不明

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【破たん後】 

Shinsaibashisg_5 そごう心斎橋本店 SOGO SHINSAIBASHI HONTEN

Hongkongsgt_2
香港そごう尖沙咀(チムサーチョイ)店
HONG KONG SOGO TSIM SHA TSUI

Fuxingsg_2 太平洋そごう台北復興館 PACIFIC SOGO TAIPEI FUXIN

Churekisogo_2 太平洋そごう中歴中央新館 PACIFIC SOGO ZHONGLI

Tiamosg太平洋そごう台北天母館 PACIFIC SOGO TAIPEI TIANMU

Tunjungansgインドネシアそごうプラザタンジュンガン店
SOGO PLAZA TUNJUNGAN

インドネシア・スラバヤ。

Galaxymallsgインドネシアそごうギャラクシーモール店 SOGO GALAXY MALL
インドネシア・スラバヤ。

Pimsgインドネシアそごうポンドキンダモール店
SOGO PONDOK INDAH MALL

インドネシア・ジャカルタ。

Spzsgインドネシアそごうサンプラザ店 SOGO SUN PLAZA
インドネシア・メダン。

Discoverymallsgインドネシアそごうディスカバリーモール店
SOGO DISCOVERY MALL

インドネシア・バリ(クタ)。

Balisgインドネシアそごうバリコレクション店 SOGO BALI COLLECTION
インドネシア・バリ(ヌサドゥア)。

Pvjsg インドネシアそごうパリスファンジャワ店 SOGO PARIS VAN JAVA
インドネシア・バンドン。

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そごうグループ開店順リスト(破たん前)
※オープン当時の店名・住所(政令指定都市は市名より)表記 

01号店 そごう大阪店(1877年創業・1937年新築開店)大阪市中央区
02号店 そごう神戸店(1899年開店・1933年新築開店)
         神戸市葺合区(現中央区)

03号店 そごう東京店(1957年5月25日)東京都千代田区
04号店 千葉そごう(1967年3月21日)千葉県千葉市(現中央区)
05号店 いよてつそごう(1971年7月5日)愛媛県松山市
06号店 柏そごう(1973年10月10日)千葉県柏市
07号店 広島そごう(1974年10月10日)広島県広島市(現中区)
08号店 札幌そごう(1978年9月1日)札幌市北区
09号店 サカモトそごう(1978年10月1日・1988年新築開店)
         千葉県木更津市※木更津そごう

10号店 黒崎そごう(1979年10月6日)北九州市八幡西区
グレーターそごう計画達成(10店舗構想)〉
11号店 船橋そごう(1981年4月2日)千葉県船橋市
12号店 丸光そごう(1983年6月)長野県長野市※長野そごう
13号店 徳島そごう(1983年10月1日)徳島県徳島市
14号店 八王子そごう(1983年11月1日)東京都八王子市
15号店 タイそごう(1984年12月1日)バンコク(タイ)※アマリンそごう
16号店 香港そごう(1985年5月31日)香港
17号店 横浜そごう(1985年9月30日)横浜市西区
18号店 シンガポールそごう(1986年10月25日)シンガポール
19号店 大宮そごう(1987年3月27日)埼玉県大宮市(現さいたま市)
20号店 太平洋そごう(1987年11月11日)台北(台湾)
ダブルそごう計画達成(20店舗構想)
21号店 豊田そごう(1988年10月8日)愛知県豊田市
22号店 加古川そごう(1989年9月15日)兵庫県加古川市
23号店 奈良そごう(1989年10月2日)奈良県奈良市
24号店 多摩そごう(1989年10月20日)東京都多摩市
25号店 ペナンそごう(1989年9月)ペナン(マレーシア)※1
26号店 インドネシアそごう(1990年3月1日)ジャカルタ(インドネシア)
27号店 呉そごう(1990年3月18日)広島県呉市
28号店 西神そごう(1990年10月10日)神戸市西区
29号店 エラワンそごう(1990年12月4日)バンコク(タイ)
30号店 川口そごう(1991年10月16日)埼玉県川口市
トリプルそごう計画達成(30店舗構想)
31号店 茂原そごう(1992年3月)千葉県茂原市
32号店 福山そごう(1992年4月)広島県福山市
33号店 柚木そごう(1992年6月)東京都八王子市
34号店 ロンドンそごう(1992年7月7日)ロンドン(イギリス)
35号店 バルセロナそごう(1992年)バルセロナ(スペイン) 
36号店 新千葉そごう(1993年4月27日)千葉市中央区  
37号店 タンピネスそごう(1993年7月31日)シンガポール
38号店 小倉そごう(1993年10月10日)北九州市小倉北区
39号店 クアラルンプールそごう(1994年1月18日)
         クアラルンプール(マレーシア)
40号店 広島そごう新館(1994年4月22日)広島市中区
クアトロそごう計画達成(40店舗構想)※2
41号店 コトデンそごう(1997年4月23日)香川県高松市
42号店 錦糸町そごう(1997年10月22日)東京都墨田区
43号店 北京荘勝そごう(1998年6月24日)北京(中国)
ノンカウント店舗※3
==号店 太平洋そごう敦化新館(1994年9月16日)台北(台湾) 
==号店 クラパガディンそごう(1995年1月)ジャカルタ(インドネシア)
==号店 廣三そごう(1995年11月11日)台中(台湾)
==号店 太平洋そごう高雄店(1996年9月26日)高雄(台湾) 
==号店 太平洋そごう中歴店(1998年9月25日)中歴(台湾)
==号店 インドネシアそごうプラザスナヤン店(1999年10月29日)
         ジャカルタ(インドネシア)
==号店 太平洋そごう新竹店(1999年9月25日)新竹(台湾)
==号店 廣三そごう精誠路店(1999年12月6日)台中(台湾)
==号店 武漢そごう(2000年12月24日)武漢(中国)

※1 実際は23号店のはずなのだが、買収店舗のため、国内3店(加古川・奈良・多摩)の
   同時期オープンのカウントが優先されたと見られる。

※2 クアトロはスペイン後で「4」。会社発表の正式な計画名ではない。水島氏が命名。
※3 トリプルそごう(30店舗構想)達成以降、柚木そごうの閉鎖や、中百舌鳥・阿倍野そごう等の
   新規店の出店凍結、海外店の乱立など、店舗のカウントにこだわらなくなって行った。

YouTubeにアップしました

〈追記〉メイト黒崎/セントシティ北九州

閉鎖サイト「関門通信/ガゾーン関門都市圏」より転載

Mate_kurosaki_2

メイト黒崎
[設計・施工

石本建築事務所(設計)大成建設(施工)
竣工・規模等
1979年竣工・地上8階地下1階地区面積約2万4000㎡延床面積9万8195.28㎡
自走式駐車場517台
総事業費約193億円
場所
北九州市八幡西区黒崎1-1-1

あらまし

 メイト黒崎は、黒崎駅東地区第一種市街地再開発事業による大型複合商業施設。北九州市が初めて行った市街地再開発事業で、事業主体は対象地の地権者らが結成した黒崎駅東地区市街地再開発組合。事業は1974年に都市計画を決定し、1979年に建物が竣工、1981年に再開発組合が解散と迅速だった。
 下関地区の都心対抗策がシーモール下関(1977)なら、黒崎地区の都心対抗策がメイト黒崎で、両者は当初非常に成功した。特に黒崎地区はこれを契機に北九州最大の商業面積を有す大商業地区にのし上がった。しかしその後の小倉地区の巻き返しや地場経済の衰退から、黒崎の繁栄は長く続かなかった。

核店舗

 核店舗の黒崎井筒屋は、2000年にそごうが経営破たんして黒崎の店も閉めたため、地元政財界の要請を受けて最寄の八幡井筒屋を畳んで入居した。後に増床を行い、旧そごうを上回る売場面積2万8930㎡の大型百貨店になった。現在の黒崎で筑豊や遠賀・宗像からも集客できるのは井筒屋だけだ。
 ただ、井筒屋は小倉の印象が強すぎるのか、地元ではかつての核店舗、黒崎そごうを愛惜する人が多い。そごうの立地は黒崎が全国区の商業地であることの証であり、小倉とは対等の関係だという自負のよりどころでもあった。黒字店舗にもかかわらず閉鎖されたことも、わだかまりとして残る。
 黒崎そごうは売上が低落する中で設備投資を控えるなどして黒字を計上してきたが、百貨店は構造不況業種であり、遅かれ早かれ赤字転落する見込みだった。また、黒崎そごうが黒字といっても、小倉そごうの大赤字を埋めるには不十分だった。このため、両者抱き合わせで赤字という判断の下、そごうは小倉とともに黒崎も切り捨てた。

メイト専門店街

 メイト黒崎は1核2モール式というめずらしい型の商業施設だ。駅前側の黒崎井筒屋を核店舗とし、東側(奥)に専門店街のメイト黒崎、メイトエンポリアムが入る。2モールの実態については投稿記事が詳しい。
■メイトエンポリアムはジャスコ(そののち業態変換しフォーラス)が撤退後、ビル管理会社のメイト黒崎が某コンサル会社の指導の下にファッションビルを模倣したモノ。
 黒崎そごう撤退後、破綻寸前に追い込まれたメイト黒崎は当時の片岸社長が退任し、当時の北九州商工会議所会頭で副都心黒崎開発推進会議の会長を勤める高田賢一郎氏が就任。地元銀行三行(当時)等の支援の下、旧黒崎そごう跡地を買取り、井筒屋を核テナントとして入居させた。
 井筒屋も多額の有利子負債を抱える状況下、前役員をメイト黒崎に送り込み、メインバンクを福岡シティ銀行(当時)から福岡銀行に変更させ、メイトビル全体の経営およびビル東側の営業もサポートし、事実上、井筒屋による営業がスタートした。
 その時点で、メイトエンポリアムも事実上解体され、ビル東側をメイト専門店街として再出発したが、資金的に屋上塔屋部分までは手が回らなかったようで、店内の案内板やチラシのみ変更に終わった。
 その後、チラシや店内案内はクロサキメイトと表記されているが、屋上塔屋は依然、変更になっていない。2005年の正月はテレビスポットも流すなど積極的な販促も行っていたが、当初、井筒屋および福岡銀行から送り込まれた役員も転任、その後それぞれ他の人材を送り込んだが、各テナントの状況も厳しく、空店舗も増えている。
 マックアビー、カトレアサック、サリア・ラトカーレなど黒崎の有力専門店を抱えるビルだけに、シーモール下関のテナント戦略を参考に、井筒屋と共に黒崎の集客装置としての再生に期待したい。(2005/12/23)

建造物

 そごうは駅前に現れた「戦艦」と形容された。開業当時の宣伝文句は「まるで宇宙戦艦!黒崎そごう」。駅前の正面は敷地の制約から小さいが、国道3 号沿いに236mもの奥行きがあり、単独の建物としては当時日本一の長さがあった。壁面処理は商業建築らしく装飾的だが、合理主義の時代に特有の単調で幾何学な図案を用いる。
 表玄関は2階にあり、同時期に整備された黒崎駅前の空中地盤と連結する。当時は空中地盤も2階玄関も九州初登場であり、これまでの常識を覆す新しい時代の商業施設として世間の耳目を集めた。なお、この空中地盤は建物の国道側に設けた幅員4mの遊歩道に連絡し、場末感ただよう建物裏(東側)の藤田三丁目交差点の十字型歩道橋まで伸びる。
(2005/12/30)

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Saint_city_kitakyushu

セントシティ北九州(旧小倉そごうビル)
[設計・施工
石本建築事務所(設計)大成建設(施工)
竣工・規模等
1993年3月竣工地上14階地下3階敷地面積約1万2010㎡建築面積約8390㎡
延床面積11万4454㎡
事業費約478億円
場所
北九州市小倉北区京町3-1-1

小倉伊勢丹+アイム時代のセントシティ北九州
怒れる永照寺

 セントシティ北九州は、組合施行の小倉駅前東地区市街地再開発事業による大型商業施設。旧小倉そごう。旧小倉伊勢丹。現在は井筒屋系のコレット。この地区の再開発は非常に難航し、24年の歳月を費やした。
 難航したのは施工区域にあった永照寺が原因だった。永照寺は1495年に室町で開基した浄土真宗本願寺派(西本願寺)に属する寺院。細川忠興が小倉城を築城した後の1608年に米町へ移ってきた。米町移転から数えても約360年の歴史と伝統を誇り、本堂は江戸時代の歴史的建造物だった。
 ところが谷伍平市長(1967-87)は「駅前に寺は不要」と放言し、永照寺に立ち退きを命じた。北九州市と永照寺の対立は数十年に及び、話し合い自体が断絶して再開発は一歩も前へ進まなかった。そごうは小倉への出店が実現しないことから、1979年に黒崎へ出店して機が熟すのを待った。
 1987年に就任した末吉興一市長が最優先課題に掲げて取り組んだのがこの再開発だ。末吉市長は永照寺の大手町移転と再開発ビル着工をつつがなく決め、その行政手腕をあまねく知らしめたからこそ、北九州政財界の信頼を得て5期20年の長期政権を築いた。「(1990年4月の)再開発ビルの起工式で、出席した水島廣雄・そごう社長は『最初に土地売買話が持ち込まれたのは、昭和44(1969)年11 月27日23時35分。無理かと思ったときもあったよ』と裏話を披露しながら20年間の苦労を感慨深げに振り返った」(野島宏文)という。

小倉そごう / 小倉玉屋

 小倉そごうは1993年に開業した。この年は小倉興産が小倉北口で手がけたリーガロイヤルホテル小倉とラフォーレ原宿・小倉も開業し、小倉は1980年代のあいだ黒崎へ譲っていた「北九州最大の商業地」の地位を奪還した。
 5年後の1998年度にアミュプラザ小倉、小倉井筒屋新館、アジア太平洋インポートマート、メディアドームが開業し、さらに5年後の2003年度にリバーウォーク北九州が開業して、小倉は「200万都市圏にふさわしい北九州市の顔」(マイタウン・マイリバー整備事業)としての体裁を整えた。
 準備に24年を費やした小倉そごうは、そごう本体の経営破たんにより開店からわずか7年後の2000年末に黒崎そごうと共に閉店した。後継店誘致は再開発ビルの権利関係の複雑さから長らく揉めた。権利が一本化しないことから、2002年3月にリバーウォーク北九州建設に伴って立ち退いた小倉玉屋が建物の地下1階~地上4階部分に仮入居した。
 小倉玉屋にとって小倉駅前への出店は長年の願いだった。契約形態がどうであれ、実績を積めば正式店舗の承認を受けられると踏んでいた。しかし2年後にリバーウォーク内に新店舗を構える計画を急遽変更し、セントシティへ入居したのだから準備不足が否めなかった。仮店舗ゆえに百貨店らしい風格ある店づくりもできなかった。
 開店当初こそ物見客で賑わったが、その後は急速に客足が遠のき室町の旧店舗と変わらない水準に低下した。いま振り返ってみれば、玉屋は仮店舗でよくがんばったが、当時は後継店に対する過剰な期待が地元政財界や市民にあり、玉屋は力不足と受け止められた。仮店舗は同12月に閉店、同社は会社存続を断念して解散した。

小倉伊勢丹

 そごう破たんから約2年後の2002年12月、再開発ビルの権利がようやく一本化し、後継店を誘致できる態勢が整った。すなわち、地元財界出資の北九州都心開発がそごう保有床を買収し、ごねる地権者34名の保有床は管理組合が一つにまとめて同社へ一括賃借した。その後はとんとん拍子にことが運び、伊勢丹が出店を決めて建物を50億円かけて改装、準備期間を短縮して、2004年2月に小倉伊勢丹が開業した。
 世間一般には後継店が見つからないと騒がれたが、セントシティ北九州に入居したい百貨店は多かった。そもそも小倉そごうは「マーケットもよく、立地も良好であるにもかかわらず、無理な開発からの過剰投資と非効率な区分所有物件であるために、営業努力では利益化できない構造から継続を断念せざるを得ないと判断した」(黒崎そごうメモリアルより引用)。
 非効率な区分所有は北九州都心開発がセントシティの床を一括管理することで――実際は地権者の店舗が要所要所に組み込まれていたが――おおむね解消した。過剰投資に関しても賃貸料を安く設定することで解消した。二つの困難が克服されればセントシティが敬遠される理由はない。
 出店をもっとも強く望んだのは地元の井筒屋だった。「小倉駅前への出店が許されるなら」と感触を探ったものの、当時は井筒屋一人勝ちに対する拒絶反応が強く、受け入れられなかった。中央からも大手3社が進出の意向を示し、その中から井筒屋との関係が良好な伊勢丹が選ばれた。井筒屋・玉屋・そごうの三つ巴の百貨店戦争は消耗戦の様相を呈していたことから、地元では過度の競争を避けたいという思惑が強かった。
 小倉伊勢丹は伊勢丹と井筒屋の合弁会社だ。出資比率は伊勢丹70%、井筒屋30%。地元財界に急かされて準備期間がなかったこと、売場面積が小さく十分な品揃えができなかったこと、井筒屋の顧客を奪わないニッチな売場つくりが求められたこと、外商部門を持たなかったことなどが災いして、苦しい船出だった。
 小倉伊勢丹は初年度売上目標として260億円を掲げた。この数字は旧小倉そごうを大幅に下回り、同社の狙いは目標を上回る数字を出して大入りを宣伝することにあったとみられる。ところが実際の初年度の売上高は182億円程度。公言した目標を30%も下回り、おそらく内部目標の半分にも届いていない。業界筋は小倉伊勢丹の1年目を近年まれに見る大失敗と評した。
 小倉伊勢丹の不振は上記したやむをえない事情のほか、北九州の市場と似ても似つかない立川店を参考に店づくりを行うなどの戦略面での失敗も大きい。中高年向け婦人服を中心に25ブランドを入れ替えるなど少しずつ修正したものの、変化のスピードが遅く、地元政財界をやきもきさせていた。

※小倉伊勢丹の1年目に対する総括は関門通信の論説、小倉伊勢丹の2年目に期待したいを、撤退の顛末は関門通信の記事、小倉伊勢丹が撤退 井筒屋が手中に収めるを参照せよ。

小倉伊勢丹の2年目に期待したい
2005/02/08

 小倉伊勢丹が不振のまま1年目を終えた。同社の寺垣勝仁社長は7日、初年度の売上高が182億円程度になることを明らかにした。同店は初期投資が低かったこともあり、初年度は260億円という控えめな数字を掲げたが、その目標すら約30%も下回る惨憺たる結果だった。百貨店業界は小倉伊勢丹の初年度を近年まれに見る大失敗とみている。
 小倉伊勢丹は昨年2月10日に開業した。今年1月末日までの売上高は約179億円。百貨店の主力商品である女性向の衣料品がまったく売れなかった。来店客数は目標より104万人少ない896万人。客単価は530円少ない2720円。前半期より後半期のほうがよくない。状況は日を追うごとに悪くなっている。

不振の原因

 伊勢丹の不振はやむをえない部分があり、地元政財界にも反省すべき点が多い。寺垣社長は地元の強力な要請により準備期間が取れなかったことを挙げるが、市場調査そのものを断念して成功例である立川店をそのまま持ち込んだのは伊勢丹の驕りだった。
伊勢丹は北九州を福岡の郊外と捉え、1月に連結子会社化した岩田屋を都心店、小倉伊勢丹を郊外店と位置づけているふしがある。しかし北九州は福岡の郊外ではなく、人口構成も立川とは似ても似つかない。小倉伊勢丹に待望されたのは東京郊外の「雰囲気」ではなく、東京都心の「品揃え」だった。北九州の客は雰囲気を消費できるほどには成熟していない。北九州にないめずらしいモノがあり、それが自分を対象とした商品である場合にはじめて消費意欲を掻き立てられる。
 雰囲気を売るのは難しい。小倉伊勢丹は20~30代の女性を戦略顧客層としたことから、北九州で足まめに百貨店へ通う中高年女性にとっては買えるモノがなかった。そこに、顧客不在の伊勢丹色を前面に押し出したものだから、中高年女性は疎外感をことさらに強め、必要以上に印象を悪くした。新しい提案は「雰囲気の押し売り」と受け止め、「田舎をふふんと鼻で笑って馬鹿にしている」(主婦)という感情的な反発を生じさせた。
 井筒屋の資本が注入されたことからさまざま気兼ねはあろうが、自らの暖簾に対する過信が大きく躓かせた原因だと考える。北九州は難しい市場ではなく、子供のように無邪気で単純な市場なのだ。まずは北九州の顧客に寄り添い、北九州の感覚を身につけた上で、伊勢丹ならではの新しい生活提案で、少しずつ顧客を変えてほしい。

2年目の期待

 小倉伊勢丹は昨年の開店初日に14万人が来店し、今年の初売りには12万5000人が来店した。この「お祭り時の潜在市場」は300万の後背地人口を有す。かれらはいまだ小倉伊勢丹への期待を捨てておらず、地元政財界が小倉南口の一等地を東京資本へ明け渡したのも、地元資本では惹きつけられないこの潜在市場を北九州へ惹きつけたかったからだ。
 しかし東京はそのままでは通用しない。地元事情に精通した人間を企画に入れて、かれらの声にも少しは耳を傾ける必要があろう。デコシティもそうだったが、東京が単独で行う企画提案は、こちらの人間からみれば明らかにズレている。
 北九州は他の大都市と比較すると少子高齢化が15年進んでいる。少子高齢化は人口構成だけではなく、消費のあり方や交通手段の変化などももたらしている。東京資本が北九州の市場で総崩れなのは、将来に対応できていないことの証だろう。北九州を制すことは将来の市場を制すことでもある。北九州でノウハウを学んで将来に備えてほしい。
 2年目の小倉伊勢丹は中高年層向けの婦人服を中心に25ブランドを入れ替えるという。北九州の顧客を伊勢丹色に染めたいという野心は評価できる。そうであってこそセントシティ北九州を譲った価値もある。目的を果たすためにも、まずは小倉伊勢丹が変わることを期待したい。

小倉伊勢丹が撤退 井筒屋が手中に収める
2007/12/26

 井筒屋(本店、北九州市)は25日、伊勢丹が保有する小倉伊勢丹の全株式を取得し、完全子会社化すると発表した。小倉伊勢丹は債務超過のため、取得価格は備忘価額の1株1円になる。株式の引渡し期日は2008年3月31日。小倉伊勢丹は2007年度末をもって閉店し、改装を経たのち小倉井筒屋の三番館として再出発する。この決断が好感されて、井筒屋の株価は急騰した。
 小倉伊勢丹は伊勢丹と井筒屋の合弁会社だ。出資比率は伊勢丹が70%、井筒屋が30%。2004年2月にセントシティ北九州(旧小倉そごう)に出店したが、地元財界に急かされて準備期間がなかったことや、合弁相手である井筒屋への気兼ねが災いして、売上げが低迷した。2006年3月期は売上高161.47億円で、営業損失が11.84億円。2007年3月期は売上高170.29億円で、営業損失が7.91億円。債務超過は29.66億円。
 構造不況業種と呼ばれて久しい百貨店業界は再編の渦中にある。伊勢丹は2007年8月に三越と経営統合で合意し、2008年4月に共同持株会社「三越伊勢丹ホールディングス」を設立する。今後、三越伊勢丹は三大都市圏での攻勢を強める一方で、地方の重複店を整理する方針を打ち出すと受け止められていたが、主導権を握る伊勢丹が経営統合に先んじて小倉伊勢丹を切って捨てることで、三越に対して地方店の整理を促す意図があったようだ。
 伊勢丹は連結子会社の岩田屋を都心店、小倉伊勢丹を郊外店と位置づけて見当違いの店づくりを行い、北九州で足まめに百貨店へ通う中高年女性に嫌われた。2年目は中高年向け婦人服ブランドを増やすなどの修正がみられたが、変化のスピードが遅く、地元財界をやきもきさせていた。わずか4年での撤退は、伊勢丹が北九州の商圏に歩み寄らず、「福岡県」という枠組みの中で岩田屋と福岡三越の存続を優先させた結果でもある。
 一方、2007年3月にJR九州に追い出されて博多井筒屋を閉鎖した井筒屋は、福岡商圏との対決姿勢を強めている。山口の老舗百貨店「ちまきや」を買収し、山口井筒屋の出店を決めたのは記憶に新しいが、セントシティ北九州の後継店誘致の際も、もっとも強く出店を希望したのは井筒屋だった。しかし当時は井筒屋一人勝ちに対する拒絶反応が強く、井筒屋との関係が良好な伊勢丹が選ばれたという経緯がある。井筒屋は小倉伊勢丹に出資することで相手を締め上げ、4年後にセントシティ北九州を手中に収めた。

ダメージを修復する必要あり

 小倉伊勢丹は開店初日に14万人が来店し、2005年の初売りには12万5000人が来店した。この「お祭り時の潜在市場」は300万人の後背地人口を有す。地元政財界が小倉南口の一等地を東京資本へ明け渡したのは、地元資本では惹きつけられないこの潜在市場を北九州都心部へ惹きつけたかったからだ。井筒屋は守りを固めるにはいいが、攻める駒としての心構えがあるのか。
 百貨店は構造不況業種とはいえ都心の華の存在として注目度が高い。伊勢丹が4年で捨てた街という悪いイメージは、今後北九州全体についてまわる。単に小倉伊勢丹より素晴らしい店をつくるだけでは、この悪いイメージを払拭できない。伊勢丹撤退のダメージを修復するにはイメージ戦略が必要だ。井筒屋が新しい店づくりで国内外の有名店と業務提携するなどして裏方にまわり、「小倉の街は引き手あまた」と演出するのが手っ取り早いが、今後の方針はまだ見えてこない。

建造物

 セントシティ北九州は地下1階~地上6階の売場面積約3万㎡にコレット井筒屋が入り、地上7階~14階と地下1階の一部の売場面積約1万6000㎡にアスクプランニングセンターが手がけた専門店街アイム(I'm 約120店舗)が入る。11階にホールがあり、10階にスポーツセンターがある。地下2~3階は駐車場。地下3階の一部は機械室。
 建物は有り体の商業建築で面白みがない。窓のない単調な立方体の駅前片隅を切り取って円筒を立てる。円筒の最上階は回転床を持つレストラン。最上階に回転レストランがある建物といえば、北九州では他にサンスカイホテル(1974)がある。
 秋娘の厚化粧を思わせるどすピンクの色彩は為政者の口先介入によって実現した。井筒屋新館(1998)、大手町ビル(1995)などもそうだ。停滞した街を華やかにしたいという気持ちは理解するが、北九州は鉄とコンクリートの産地であり、素材感を強調したほうが北九州らしくてよかった。どすピンクとなんの関わりがあろう。
 2階の正面玄関は小倉駅と人工地盤で直結する。駅と直結すれば買い物客が囲い込める時代はとうに終わった。北九州では、小倉そごう・黒崎そごう・小倉玉屋の閉店により都心商業地の火が消えて、わずか数年の隙に買い物客の郊外志向が猛烈に強まった。もはや自動車客に嫌われては商売が成り立たない。
 この場所で商売を成功させるには、駅前は不利な立地と自覚することから始めなくてはならない。(2008/01/12)

〈追記〉北九州市の百貨店史

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そっくりな開店記念ハガキ 左:小倉井筒屋 右:菊屋百貨店(のちの小倉玉屋)

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小倉玉屋 絵ハガキ※増築前(5階建て時)

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小倉玉屋(1989年)(C)北九州市の建築

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小倉玉屋(1996年)リニューアル後(C)北九州市の建築
※周辺の電線が地中化され、突き出し看板を撤去。正面玄関も異なる。

小倉玉屋
1930年に八幡市西本町(現北九州市八幡東区西本町)に玉屋分店を開店し、蛭子町に別館を開設した。本館は1935年竣工。1938年に小倉市室町(現北九州市小倉北区室町)に開店。当初の店名は「菊屋百貨店」。進出に反対していた地元に配慮し、「玉屋」の商号は用いず、「菊屋」の名称で営業を開始した。戦後、店舗は「そごう大阪店」と同様にアメリカ進駐軍に全店接収され、進駐軍専用の「PX(軍人・軍属向け物品販売所)」となり、接収を解かれたあと、正式に「玉屋」の商号を用いる。建物は何度も増築され、8階建てになっているが元々は5階建てである。デザインの扱いが異なるので増築の過程は一目瞭然。当時の最上階に見られる丸窓は昭和初期の特徴と言える。2003年解体撤去。跡地は複合商業施設「リバーウォーク北九州」になっている。

小倉玉屋の歩み
1806年    田中丸家が佐賀県牛津で荒物商を始める
1925年    玉屋グループの本家格である「福岡玉屋」創業
1937年    旧小倉市田町に小倉玉屋の前身「菊屋」設立
1941年    社名を「菊屋」から「小倉玉屋」に変更
1952年    米軍に建物を接収され分散営業していたが本館で再開店
1973年    本館増築。延べ床面積26,607平米に
1996年    福岡玉屋が「博多リバレイン」への出店を断念
2002年02月 田中丸善昌会長兼社長が退任。小倉北区室町の店舗を閉店
2002年03月 旧小倉そごうのビルで仮営業開始
2002年10月 営業終了を発表
2002年12月 営業終了

Kaneyasu
かねやす百貨店
創業文久年間。初め米穀店であったが、のち慶応年間に「かねやす呉服店」となる。この建物は1920年、木造4階建のデパート式経営を始めた時のもので、1936年、鉄筋7階建の「かねやす百貨店」になった。しかし、1952年、附近の出火により消失し、2年後に破産してしまった。

     Hyogoya
   中津資本の「兵庫屋」だった小倉商工会議所(1926年)

     Hiraiya
     開業時の旧門司市栄町筋「平井屋」(1931年)

Marukyu
1932年に八幡市中央区(現北九州市八幡東区中央町)に開店した
通称“マルキュウ”「九州百貨店(のちの八幡丸物)」(1934年)

Hiraiya
新築ビル竣工時の「平井屋」(1934年)
その後、経営不振に陥り、1934年末に「山城屋」に買収された

1935
呉服店時代の「丸柏」(1935年)

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門司港まつり時の「山城屋」(1936年)

       Izutsuyaopen
       開業当日の「小倉井筒屋」(1936年)
         ※1936年10月6日「開店披露大売出し」風景

小倉井筒屋
昭和8年頃、第10代小倉市長だった神崎慶次郎氏は当時三越にいた高瀬潔にすすめられ、自分の経営する高級旅館「梅屋」の家屋敷を提供し、百貨店の設立を計画。さらに当時の九州電気軌道(現・西鉄)の村上専務に資本の件で相談し、半額の出資を要請した。残りの資本は、門司で井筒屋という呉服店を経営していた住岡由太郎氏に相談、出資を受諾、専務として迎え入れることになる。昭和10年7月18日に小倉商工会議所で創立総会を開き、7月30日に資本金100万円で株式会社井筒屋の設立登記を完了。昭和11年10月6日、鉄筋地下1階、地上7階、2,497総延坪で宝町(現・船場町)に完成し開店した。開店当時は玄関を開けると、10数分で店内は各階とも超満員になり、すぐ入客を制限して順次、入り口で待機する客を誘導するという盛況を終日くり返した。特に人気を呼んだのはエレベーターガールで、当時は東京からの転勤者が多数あり、その娘たちが採用されたため、スマートな服装と東京弁が好評であり、筑豊や中津方面からの腰弁当の見物客も殺到して、景気のよい開店風景であったという。

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銀行街だった大坂町筋から見た「小倉井筒屋」(1937年)

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戦前の小倉のメインストリートだった室町通り(1939年)
※手前:小倉警察署・一番奥:菊屋百貨店(のちの小倉玉屋)

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「小倉井筒屋」前の電車通り(1939年)

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終戦直後の「九州百貨店(のちの八幡丸物)」(1945年)
※背後:八幡製鐵所


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    戦時中の迷彩を施したままの「小倉井筒屋」(1946年)

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戦後の改築前の「丸柏百貨店」(1951年)
※歳末「大歳の市」売出し風景

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丸柏百貨店

1948年創業した石炭財閥系百貨店「丸柏(まるかし)」。1888年(明治21年)、広島県因島出身の店祖、柏原氏が若松で太物商をはじめたことに由来する。その後、「柏原太物店」から呉服店「柏原呉服店」「丸柏呉服店」となり、戦後「丸柏百貨店」となった。石炭産業の衰退で業績が悪化し、1979年に経営援助の要請を受けた井筒屋が子会社化し「若松井筒屋」となった。1995年閉店。建物は壊され、現在はビジネスホテルになっている。
※画像は当時、広告等に使用されていたイメージパース画

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貴重な小倉3百貨店のスリーショット(1952年)

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第一次増築工事が完成した「小倉井筒屋」(1953年)

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     屋上に観覧車がある頃の「山城屋」(1954年)

山城屋
1896年(明治29年)、大阪市で現在は別会社になっている「イカリソース」のメーカーとして創業。1934年に門司出張所が地元百貨店「平井屋」を買収して百貨店業に進出した。北九州市内の百貨店では最も古い。以来門司の老舗企業として営業を続けた。1953年に建てられた店舗は、地上5階・地下1階、売場面積約7,200平米。1993年8月期の売上高約26億7,900万円。ピーク時は1975年度に約32億円を売り上げた。1994年1月24日、福岡地裁小倉支部に和議申請・受理。破たん後、部分営業をしていたが、2001年1月29日営業継続を断念。同年3月末日閉店。現在は解体され、マンションが建っている。

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PX接収解除後、建物全体に電飾を施した珍しい「小倉玉屋」(1955年)

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電車通りの正面に見える「小倉井筒屋」(1955年)

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増築前の「小倉玉屋」(1955年)
※手前:正金相互銀行(現福岡中央銀行)

1955
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京都の老舗百貨店系列「八幡丸物(マルブツ)」(1956年)(C)jr6gnk

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西鉄ライオンズ優勝の横断幕と「小倉井筒屋」(1956年)

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「八幡丸物」前を通る西鉄ライオンズ優勝パレード(1956年)

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建設中の「八幡井筒屋(黒崎井筒屋)」(1957年)
※黒崎駅前通り(現ふれあい通り)

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左上に今は無き「小倉豊楽園球場」が見える(1957年)

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「小倉玉屋」から見た「小倉井筒屋」(1958年)

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「小倉井筒屋」周辺の空撮(1958年)

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西鉄魚町電停付近から見た「小倉井筒屋」(1950年代後半)
※のちの小倉東映会館の場所に「緑屋」がある

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建築中の「八幡井筒屋(黒崎井筒屋)」(1959年)

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天守を復興したばかりの小倉城と「小倉井筒屋」(1960年)
※1970年に閉鎖した遊園地(ジェットコースター)がある

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東壁面外装工事中の「小倉井筒屋」(1960年)

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小倉城天守閣から見た「小倉玉屋」(1960年)
※旧屋上サイン

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小倉博 会場駐車場から見た「小倉城」と「小倉玉屋」(1960年)
※小倉博(正式名称:市制60周年記念 伸びゆく北九州 小倉大博覧会)

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      雑居ビル化した「かねやす百貨店新館」跡(1960年代)
       ※みかげ通り(西鉄電車北方線)


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黒崎駅前通り(現ふれあい通り)「八幡井筒屋(黒崎井筒屋)」(1960年)

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 開業時の「小倉東映会館」と塔屋に大時計がある「小倉井筒屋」(1961年)

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     若松の老舗呉服店が前身だった「丸柏百貨店」(1962年)
      ※ミス若松のパレード

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     「丸柏百貨店」屋上観覧車(1962年)
      ※右背後:建設中の若戸大橋

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    「八幡井筒屋(黒崎井筒屋)」と黒崎の街(1962年)

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小倉駅側から見た「小倉井筒屋」「小倉東映会館」(1962年)
※左下:のちの小倉そごう建設地には移転した永照寺が見える 右下:国鉄小倉駅

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中の橋(現太陽の橋)から見た「小倉井筒屋」(1963年)

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「小倉東映会館」前を通る東京オリンピック聖火リレー(1964年)
※奥の小倉井筒屋壁面に東京オリンピックのシンボルマークが見える

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「山城屋」前を通る東京オリンピック聖火リレー(1964年)

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屋上に観覧車がある頃の「小倉井筒屋」(1965年)

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開店時の「戸畑岩田屋」(1965年)

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   「戸畑岩田屋」は岩田屋唯一の直営支店だった(1966年)

戸畑岩田屋
5市合併当時、北九州市には山城屋(門司区)・丸柏(若松区)・小倉玉屋(小倉区)・小倉井筒屋(小倉区)・八幡丸物(八幡区)・八幡井筒屋(八幡区)と6店の百貨店があったが、戸畑区(旧戸畑市)には昔から百貨店が無かった。そこで岩田屋は戸畑支店の設置を計画。1965年(昭和40年)5月29日に開店した。地上5階・地下1階、売場面積4,380平米。黒崎そごうオープンなどの影響を受け、1982年(昭和57年)2月に閉店した。

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小倉城天守閣から見た「小倉玉屋」と建設中の「ダイエー小倉店」(1966年)
※右:ダイエー小倉店(ダイエー九州1号店)

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6階から出火した「小倉玉屋」(1967年)
※右後方:小倉城

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勝山公園のジェットコースターと「小倉井筒屋」(1968年)
※現北九州市庁舎建設地
 

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隣接していた小倉記念病院跡に駐車場棟を増築中の「小倉井筒屋」(1971年)

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旧電車通り(旧大阪町筋)の先には「小倉井筒屋」がある(1971年)

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正面玄関上の屋上塔屋にネオンが設置された「小倉井筒屋」(1970年代)
※右奥:小倉市民会館・中央奥:北九州市庁舎・左奥:小倉城

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「丸柏百貨店」前を通る全国でも珍しい市営貨物路面電車(1974年)

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「黒崎そごう」「メイト専門店街」「ジャスコ黒崎店」と
「長崎屋黒崎店」「八幡井筒屋(黒崎井筒屋)」(1979年)

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黒崎駅前ふれあい通りを挟んで向かい合う
「八幡井筒屋(黒崎井筒屋)」と「長崎屋黒崎店」(1980年)

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小倉城天守閣から見た「小倉玉屋」(1982年)
※右:ホテルサンルート小倉(旧小倉キャッスルホテル)


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「小倉井筒屋」の大型カラー電光掲示板『デカ電太』(1987年)
※手前:小倉東映会館(4F小倉東映シネマ1・シネマ2)

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「小倉井筒屋」別館・駐車場棟(1980年代)
※手前:鴎外橋

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今は無き、別館・駐車場棟・電光掲示板がある「小倉井筒屋」(1990年)
※手前:小倉東映会館

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門司唯一の百貨店だった「山城屋」(1992年)

     Wakamatsuizu
     1979年、若松「丸柏百貨店」は井筒屋と資本提携
     「若松井筒屋」に商号変更(1993年)

Kokura
建設中の「小倉そごう」と「小倉井筒屋」のビル群(1993年)

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    閉店した「山城屋」(1994年)

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     「小倉井筒屋新館」オープン(1998年)

1999tamaya01
室町地区のシンボルだった「小倉玉屋」(1999年)

2001
「黒崎そごう」跡に移転オープンした「黒崎井筒屋」(2001年)

Annex

「黒崎井筒屋」跡にオープンした「井筒屋ANNEX-1」(2002年)

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        「小倉そごう」跡に「小倉玉屋(仮店舗)」オープン(2002年3月) 
         ※わずか9ヶ月後、そごうと同じく12月25日クリスマスに閉店した

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        旧「小倉玉屋」の屋上看板撤去(2002年4月)

Kokurakusatsu
「小倉井筒屋」周辺の空撮(2003年)
※その後、小倉市民会館・小倉東映会館は解体閉鎖


Shikos
紫川側から見た「小倉井筒屋本館」と「新館」(2004年)
※手前:井筒屋が経営する「紫江'S」

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   「小倉そごう」「小倉玉屋(仮店舗)」跡にオープンした「小倉伊勢丹」(2004年)

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     屋上に戦時中の防空監視哨が現存する「かねやす百貨店」跡(2009年)

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魚町交差点からの「小倉井筒屋」(2009年)

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南側壁面が姿を現した「かねやす百貨店」跡(2011年)
※元百貨店らしく屋上にお社らしき赤鳥居が残っている

Kokura
北九州市庁舎を中心に小倉の商業施設を一望(2011年)
※カラフルなリバーウォーク北九州(左)と小倉井筒屋本館・新館(右)

兵庫屋(旧小倉市鳥町・1916年〜1920年)現 小倉商工会館
かねやす百貨店(旧小倉市魚町・1920年〜1954年)現 小倉ワシントンビル
玉屋分店(旧八幡市西本町・1930年〜1932年)小倉に移転(蛭子町に別館)
平井屋山城屋(門司区本町・1931年〜2001年)現 サンリヤン門司港(マンション)
九軌デパート戸畑店(旧戸畑市・1933年〜1937年)井筒屋に吸収合併
小倉井筒屋(小倉北区船場町・1936年〜営業中)
菊屋百貨店小倉玉屋(小倉北区室町・1937年〜2001年) リバーウォーク北九州
九州百貨店八幡丸物(八幡東区中央町・1932年〜1971年)福岡銀行八幡支店跡
丸柏百貨店若松井筒屋(若松区本町・1938年〜1995年)現 ホテルルートイン若松駅東
八幡井筒屋黒崎井筒屋(八幡西区黒崎・1959年〜2001年)現 井筒屋ANNEX-1
黒崎井筒屋(八幡西区黒崎・2001年〜営業中)元 黒崎そごう
戸畑岩田屋(戸畑区中本町・1965年〜1982年)現 リビオン浅生(マンション)
黒崎そごう(八幡西区黒崎・1979年〜2000年) 黒崎井筒屋
本城井筒屋(八幡西区光貞台・1981年〜1984年) 太陽家具北九州西店
小倉そごう(小倉北区京町・1993年〜2000年)コレット
小倉玉屋仮店舗(小倉北区京町・2002年〜2002年)コレット
小倉伊勢丹(小倉北区京町・2004年〜2008年) コレット
コレット(小倉北区京町・2008年〜営業中)元 小倉そごう
(=建物が現存していない店舗)

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 Marukashilogo_9

History of department store of KITAKYUSHU CITY

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