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神話の果てに−東北から問う原子力
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第8部・核廃棄物の行方(2)惰性のサイクル/可否先送り、蓄積膨大

英国から返還された高レベル放射性廃棄物の陸揚げ作業。トレーラーに積まれた輸送容器にガラス固化体が収容されている=2011年9月15日、青森県六ケ所村のむつ小川原港

<押し戻した青森>
 「(政府と電力業界の中で)誰が青森県に行って謝ったらいいのか、そこまで話が進んでいた」
 福島第1原発事故への反省から、将来の原子力のあり方が議論されていた昨年夏。政府関係者の一人は、核燃料サイクル政策も風前のともしびだったと振り返る。
 当時の民主党政権は結局、「2030年代の原発ゼロ」を打ち出す一方で、原発の稼働が前提になる「核燃サイクル継続」も決めた。
 理由の一つは青森県の抵抗だった。過去30年間も国策として核燃サイクルに協力してきた地元にとって、見直しは到底、受け入れられない。
 さらに、当時は英国から返還される高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)の青森への輸送も迫っていた。

<入港を拒み交渉>
 電力各社は海外にも使用済み核燃料の再処理を委託しており、高レベル廃棄物はこれまでも何度か日本に返還された。
 初めての輸送が行われた1995年4月、当時の木村守男・青森県知事(75)は県条例を盾に、フランスから返還されるガラス固化体を積んだ輸送船のむつ小川原港(六ケ所村)への接岸を拒否した。
 「青森県を高レベル廃棄物の最終処分地にしない」という確約を取るためだった。政府は確約書を出し、ようやくガラス固化体の陸揚げにこぎつけた経緯がある。
 原子力政策見直しの議論に関わった関係者は「青森県がまた入港を拒否すれば、輸送船が行き場を失って国際的な批判を受ける。政府は(青森の)要望をのまざるを得なかった」と話す。
 実は見直しの議論が起きたのは、昨年が初めてではない。
 「19兆円の請求書」と題した文書が2004年、国会議員らに配られたことがある。核燃サイクル推進に強い疑問を抱いた経済産業省の官僚グループが作ったとされる。
 再処理工場(青森県六ケ所村)の稼働から解体まで、少なく見積もって19兆円、多ければ50兆円という途方もない費用が掛かると指摘していた。
 見直しの声が高まり、再処理工場の試運転は一時延期になったが、最終的に国は継続を決めた。

<目先ばかり優先>
 「請求書」に関わった当時の官僚の一人は、本音では政府も電力業界も実現のめどが立たず「金食い虫」となっている核燃サイクルをやめたがっていると打ち明け、こう解説する。
 「青森県は『もし核燃サイクルをやめたら(再処理に備えて保管中の)使用済み核燃料を全国の原発に返す』とけん制してきた。電力業界は(原発内の貯蔵プールが満杯になって)稼働できなくなるのを心配し、国策として進めてきた政府も責任問題になることを嫌った」「まるで両者のチキンレース(我慢比べ)。それでいつも見直しが先送りになる」
 政府、電力業界ともに目先の都合を優先し、存続の可否に向き合おうとしない惰性のサイクル。青森県内には既に、ガラス固化体1742本と使用済み核燃料2937トンが蓄積している。


2013年06月03日月曜日

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