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神話の果てに−東北から問う原子力
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第8部・核廃棄物の行方(1)幻の候補/処分地 ひそかに調査/岩手・福島などに集中

<個人宅で勉強会>
 2011年3月10日、福島県大熊町で07年まで20年間、町長を務めた志賀秀朗さん(81)が、自宅で高レベル放射性廃棄物に関する勉強会を開いた。最終処分問題をめぐる政策動向に詳しい人物を招いていた。
 東京電力福島第1原発の1〜4号機が立地する町では、原発の交付金が先細り、地域経済にも陰りが見えていた。志賀さんは「廃炉後の地域の発展のため、最終処分場を考えた」と言う。
 原発から排出される放射性のごみの中で、最も後始末がやっかいな高レベル廃棄物。その最終処分地の「適地」として、これまで東北の自治体が浮かんでは消えてきた。

<なし崩しの恐れ>
 「市長、(高レベル廃棄物の)最終処分地の調査に許可出したって、本当ですか」
 06年11月10日、遠野市政策企画室。同市附馬牛(つきもうし)町地区の行政区長たちが、本田敏秋市長(65)に詰め寄った。許可も了承も与えたつもりはなかった本田市長は、あっけにとられた。
 調査していたのは日本原子力研究開発機構(原子力機構)。この年の3月に市が機構から受けた連絡では「地下水の流れ方の調査」「純粋な学術調査」という話だった。
 それなのに、地元区長らは機構側から「ここの岩盤は最終処分に適している」「処分地になれば大金が手に入る」「(調査は)県、市の了承を取ってやっている」などと言われたという。
 「なし崩し的に最終処分の候補地にされてしまう」。心配になった本田市長は、すぐに調査打ち切りを求め、認めさせたが、市と住民には強い不信感が刻み込まれた。
 最終処分地選定をめぐり、原子力機構の前身組織の一つ、旧動力炉・核燃料開発事業団は1983年、人工衛星データなどを使って広域調査に乗り出した。「適地」とされた全国88カ所のうち、東北は25カ所を占めた。
 青森、岩手、秋田の3県では同じころ、電磁波やボーリングによる地質環境調査も行われた。
 二つの調査の対象地=図表=は、市民団体が起こした裁判で情報開示が決まる05年まで公にされることはなかった。

<正式応募はなし>
 国は最終処分地の選定に多額の補助金を用意する。02年に始まった原子力発電環境整備機構(NUMO)の公募事業では、文献調査で年間10億円、概要調査で20億円が自治体に支払われる。
 秋田県上小阿仁村の前村長小林宏晨さん(75)は在任時の07年6月、議会で「処分場誘致を検討する」と表明した。
 小林さんは「村は60億円の借金があった。調査だけで10億円は魅力的だった」と話すが、全国から抗議の電話が相次ぎ、「検討することすら断念した」。
 NUMOの公募には、高知県東洋町が07年に正式に応募したものの、地元の反発などで3カ月後に撤回。上小阿仁村をはじめ全国の十数市町村が「応募を検討」などと報じられたが、正式応募に至った自治体はない。
 大熊町の元町長、志賀さんが高レベル廃棄物と最終処分について勉強会を開いた翌日、東日本大震災が起きた。
 福島第1原発事故で、志賀さんは今もいわき市に避難している。最終処分場への思いは一変した。「原発から出たごみは、一番、原発の恩恵を受けている東京で処分するのがいい」
 ◇
 福島第1原発事故による除染廃棄物などは行き場を失い、青森県には核燃料サイクルのため、高レベル放射性廃棄物や使用済み核燃料が集められている。国内で原子力発電が始まって、ことしでちょうど50年。各地の原発が廃炉問題に直面しようとしている今も最終的な処分先は決まらず、核のごみが東北に滞留している。
(原子力問題取材班)

[高レベル放射性廃棄物]原発の使用済み核燃料を再処理し、プルトニウムなどを取り出した際に出る核分裂性生成物(核のごみ)が主成分。数十万年にわたって強い放射線を出すため、ガラスと混ぜてステンレス製容器に封じ込める「ガラス固化体」にする。ガラス固化体は冷却のため一定期間保管した後に、300メートルを超す地下の最終処分場に埋設することになっている。


2013年06月02日日曜日

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