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@武士道とスポーツ
A丸裸でW杯や五輪という戦場に赴かざるを得ない今の日本のスポーツ選手たち
B歴史を消された日本人スポーツ選手に未来はない
Cバスケットボールの神様マイケル・ジョーダンは本当の神様≠セったという感動的なお話
Dスポーツマスコミ業界の日教組=玉木正之氏
E朝青龍問題は反日問題
F上野由岐子さんの公的責任感
日本のスポーツマスコミ関係者の異常性
日本の競技スポーツ(ナショナルチーム)が弱体化している原因
日本のスポーツマスコミ関係者の取材報道活動の真の目的
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◆以下の文章は
サンケイスポーツ↓からの引用です。
http://www.sanspo.com/beijing2008/news/080814/oab0808140432002-n1.htm
http://www.sanspo.com/beijing2008/news/080814/oab0808140432002-n2.htm
▼
3戦全敗1次L敗退、反町監督に選手造反
すでに1次リーグ敗退が決まっていた日本は
オランダに0−1で敗れ、3連敗で大会を終えた。
16チーム参加の現行方式となった80年モスクワ大会以降、
4度目の五輪出場で、初めて1勝もできない屈辱。
反町康治監督(44)に対する造反劇まで発生し、
後味の悪い終焉となった。
06年7月の結成から2年。
反町監督は「選手の動き自体は悪くなかった」。
本気のオランダ相手に善戦したと評価した。
ところが、選手からは思わぬ言葉が続出。
「監督から
“オランダは巧いから深追いしなくていい”
といわれた。
それはごもっともだけどオレの考えは違った。
そんなに怖くない。
圧倒できると思ったから前から行こうと。
他の選手に話したら全員、それでいくとなった」
とMF本田圭。
“安全策指令”無視の造反劇だ。
MF梶山も
「監督は“前から行かなくていい”といったけど、
みんなで前から行こうと話した」
と認め、
本田圭は
「それで問題なくやれた」と胸を張った。
▲以上、引用終わりです。
で、本田圭佑はその後、
↓のような言い訳をしています。
スポーツグラフィックナンバー2009年7/16
[特別インタビュー]
本田圭佑 「剥き出しのオーラ」
(インタビュアー金子達仁)から抜粋引用。
▼
前略
◆金子
反町監督に対する思いは?
◆本田
「僕はソリさん、リスペクトしてます」
◆金子
オランダ戦の後報道された事件は事実?
本田君の意図は何だったの?
(編集部注・オランダ戦で、
反町監督に対する造反があったと報道された)
◆本田
「あの、
これ話すとめんどくさいんですけど非常に。
逆にもういまさら分かってもらう必要もないかな
と思ってるんで」
◆金子
でも、聞きたい。
◆本田
「…誤解の一言ですよね。
というのは俺はたぶん、
ソリさんをチームの中で一番リスペクトしてたって
言ってもいいぐらいだと思うんです。
ソリさんもそれをわかっててくれると感じてたし」
◆金子
なるほど。
◆本田
「要は前から行くか行かないか、
というだけの話なんですけどね。
もしいなされるんであれば
前から行かなくていいという話で、
ただ、行けるんであれば行け
という話もあったのに、
そこは一切記事にされてなかった。
それだけの話ですよ。
非常にくだらない話です。・・・・」
▲以上引用終わりです。
「サッカー日本代表を
意図的に崩壊・惨敗へ導く
という明確な意図の下に
活動している
在日韓国・朝鮮系工作員」
という意味で
愚生は
本田圭佑は中田英寿の完全なコピー
だと考えていますが、
以下の事実は、
それを完全に裏付けているのではないでしょうか?
▼
96年7月、
アトランタ・オリンピックから帰国した
五輪代表の中で、中田は最年少だった。
ブラジルを撃破し、ハンガリーにも勝利しながら
得失点差で決勝に進むことができなかった
この時の五輪代表は、
当時、最年少選手の発言をきっかけに、
「分裂してしまった」のだと報道された。
その事件は様々に語られているが、
真実はその場に封印され、
二度とは触れることができないだろう。
しかし、中田が後に語ってくれたことは
ここに記すことができる。
予選リーグ第2試合、
対ナイジェリア戦のハーフタイム。
中田が味方DFに向かい
「もっと押し上げてくれ」と言ったことで、
監督の西野朗がキレてしまった。
中田から「押し上げろ」と言われたDFたちは、
監督に忠実で、
自陣ゴール前の深いラインで守備をこなしていた。
西野は、
チームメイトに傲慢な注文をつけた中田に
怒鳴り声を上げ、
次のハンガリー戦で彼をベンチに下げたのだ。
ブラジルに勝って日本を震撼させた日本代表は、
その2日後に崩壊≠オてしまったというのである。
アトランタ・オリンピックからしばらくたった頃、
中田は、あの時のことを訥々と話した。
「あれはね、チームの分裂とか喧嘩とか、
そんなことじゃないんだよ。
もっとシンプルなことだった。
俺は、ナイジェリア戦のハーフタイムで、
『日本は勝てる。
そのためには得点が必要なんだ』
ってことを言いたかっただけ。
それがうまく伝わらなかった」
確かに、
オリンピックが始まる前から、
攻撃側と守備側とで
戦い方の意見が食い違っていたこともあった。
「もちろん、
監督が言った守備の意識が
チームの要であることも分かっていた。
それでも攻撃が必要だと言ったのは、
あの時のあのナイジェリアが、
そんなに強いとは思えなかったからなんだよ」
まだ微かに少年の匂いを残していた当時、
中田はこう解説した。
▲以上、小松成美著「ジョカト―レ 中田英寿 新世紀へ」から引用。
◆ちなみに、
中田英寿はイタリアのセリエAに移籍して
日本以外の国では、
「選手が監督の戦術に逆らうことなど絶対にあり得ない」
という現実を学んだのか、
「監督と選手の関係」について
その後↓のように述べています。
▼
「監督の示した戦術に対して何か言うなんて、
僕の知る限り聞いたことがない。
周りの声が日本代表の戦い方を決めるなら、
監督なんていらないっていう話になるでしょう。
監督は全ての責任を負っている。
監督が決めることが全てであって、
そんな当たり前のことを
分かっていない人が多かった、
ということに逆にびっくりした。
戦術をうんぬん言うやつは
言うだけの責任を負わなければならないし、
本来、監督の戦術に異論があるなら
『代表から外れます』っていう
意思表示で終わりでしょう。」
▲以上、
中田英寿「nakata.net04-05」から引用。
アトランタ五輪の日本代表における
過去の自分の造反劇を棚に上げた
「nakata.net04-05」の
中田の発言には呆れ返るしかありませんが、
「五輪でチームを分裂・崩壊させた原因・セリフ」から、
その後の「支離滅裂の言い訳」まで、
本田圭佑と中田英寿は完全に同じです。
これが単なる偶然と思えるでしょうか?
アトランタ五輪では、
中田英寿が
西野朗監督のサッカー日本代表を崩壊させ、
北京五輪では、
本田圭佑が
反町康治監督のサッカー日本代表を
崩壊させました。
そして、
中田英寿は
二〇〇六年サッカーW杯ドイツ大会
でも
ジーコ監督の日本代表を崩壊させています。
ということは、
次は、
本田圭佑が
二〇一〇年のサッカーW杯南ア大会で
岡田監督のサッカー日本代表を崩壊させる番です。
(ちなみに、ここまで書けば、
鬼畜のような在日コリア系の本田さんでも
少しは南アで自重するかな
という淡い期待を胸に
愚生は拙ブログを書いています。)
そして、
在日コリア系の
反日スポーツライター金子達仁は、
この二匹を絶賛し、
腰巾着のように、
この二匹に常に寄り添っています。
「ええ加減にせんか在日コリア系軍団」
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