めちゃくちゃにされた人生(3) 「原因不明」の首骨折

 見知らぬ人を殴ったケイジさんは、家族に伴われ、うつの治療を受けていた精神科病院に行った。診察した医師は、ケイジさんにいくつか質問したが、幻聴や妄想は確認されず、しきりに首をひねった。最後には「無関係の他人を殴るのだから、統合失調症でしょうね」と結論づけた。

 この医師にとっては、「理由なく人を殴る=統合失調症」なのだろうか。そんな診断基準はなく、無理解もはなはだしいが、精神科では乱暴な診断もまかり通ってしまう。「自宅で様子を見てください」と、3日分の薬が渡された。それは後日、抗精神病薬リスパダールと分かった。

 服用1日目。飲んでまもなく、首がうなだれて意識がなくなる。家族が驚いて病院に電話すると、「水を飲ませてください」とだけ指示された。

 服用3日目。父親と散歩中、上半身が痙攣してエビのように大きく曲がり、苦しみだす。呼吸が困難になり、唇が紫色になる。処方した病院に救急車で運ばれ、入院。血中濃度を下げる点滴が行われた。

 入院後も、統合失調症の診断は変わらなかった。抗精神病薬は定型のプロピタンに変更され、筋肉の硬直などの不随意運動を抑える目的で抗パーキンソン病薬アキネトンが追加された。だが、意味不明のことを話し出すなど状態は悪化し、別の抗精神病薬や抗不安薬などが追加されていった。

 入院1か月半。次第に首が曲がり始めた。入院半年、斜頚(ジストニア)が悪化してあごが鎖骨のあたりにつくようになり、この治療のため大学病院に転院した。しかし、首へのボトックス(ボツリヌス毒素製剤)注射で筋肉の緊張を和らげる治療などを受けても、ジストニアは治らず、歩行困難や意識障害も現れた。

 この大学病院でも統合失調症の診断は変わらず、脳に通電する電気けいれん療法を勧められ、1クール(数回)受けた。効果がなかったばかりか、「これを境にかえって精神状態が悪化した」と父親は語る。2クール目を勧める医師に対し、不信感を募らせた家族は、再び転院を決めた。


「統合失調症でなく発達障害」


 「統合失調症ではなく、広汎性発達障害の可能性がある」。誤診を指摘したのは、皮肉にも、ケイジさんが後に重傷を負うことになる3か所目のA病院(精神科病院)の医師だった。ケイジさんはごく少量の薬にも過敏に反応し、重い副作用が出やすい体質だったのだ。薬による精神症状を、病気の悪化と誤診された典型的なケースだった。薬は処方されなくなり、外来通院することになったが、ケイジさんの認知機能はすでにひどく低下していた。

 バッグにいろいろなものを詰めて「そうだ、大学いかなくちゃ」と話す。大学時代のスナップ写真を眺めては、「ぼくのまわりから人がいなくなっていく」とつぶやく。不意に外出して行方不明になり、深夜に東京の警察署に保護される。一人でトイレに行けず、失禁パンツをつける。

 そしてある日、こう言った。「もう俺は終わったよ」。きれい好きだったのに、散らかしても平気になる。脈絡のない単語を並べ、家族も意味が分からないことが増える。2011年3月11日、東日本大震災。近くで石油タンクの爆発事故があり、パニック状態に陥って炊飯器を投げ、液晶テレビやパソコンを壊す。

 9月、居間で汚れた失禁パンツを替えようとしたため、父親が風呂場に連れて行こうとすると抵抗。手が父親のこめかみ部分にあたり、父親は倒れた。ケイジさんは、父親の背中を心配そうにポンポンと叩き、その後、あぐらをかいて座り込んだ。父親は念のため救急車で病院に行ったが、特に問題はなかった。

 ケイジさんは、A病院に保護入院となった。だが、薬剤性の認知機能低下に、有効な治療法があるわけではない。1週間ほど保護室で過ごし、拘束された状態で4人部屋に移動。10月初め、家族が面会に行くと、ケイジさんの目の周りに円形の青あざがあった。看護師は「体が硬直しているので風呂でちょっと」と答えた。

 12月5日、「行動の様子を見る」との理由で、再び保護室へ。12月26日、父親が面会に行き中を見ると、ケイジさんがおむつ姿で立っていた。父親は「何もない部屋に長くこんな状態で置かれたら、健康な人でもおかしくなる。大丈夫なのだろうか」と不安が募った。


「顔面を踏みつけられた」


 2012年1月3日正午ごろ、A病院から母親に連絡があった。ケイジさんの体調が急変して、総合病院に救急搬送されたという。家族が駆けつけると、ケイジさんは首の前側の骨が折れて神経が切れ、自発呼吸も難しい状態に陥っていた。対応した整形外科医は、骨折の原因について「顔面方向から何らかの強い力が加わったためでは」と家族に説明した。

 搬送時、ケイジさんの顔面左側には、大きなあざができていた。A病院は「おむつ替えの時にできた擦過傷」と説明したが、家族と親しい医師らは「明らかに打撲傷」と指摘した。

 「何があったのですか」。1月4日午後、不信感を募らせた母親と姉が、A病院で院長に説明を求めた。病院側は、保護室の監視モニターのビデオ(1月1日午後の分)を再生しながら説明を始めた。「(ケイジさんは)何度も自傷行為をしており、そのために負傷した」。だが、1月1日の映像にそのような場面はなく、代わりに職員がケイジさんの顔面を踏みつける様子が映っていた。

 ケイジさんはその時、床に横たわっていた。1人の職員が下半身を抑え、おむつ替えの後、ズボンをはかせようとする。もう1人の職員は、上半身を抑える位置にいたが、手ではなく足が出た。ケイジさんの頭部をまたぎながら、顔面を踏みつけたのだ。

 ビデオは早送りで再生されていたが、姉がこの動きに気づき、指摘した。だが、病院から職員の動作についての説明はなかった。姉と母親はケイジさんの容態が心配で、救急搬送の前日となる1月2日のビデオは見ずに総合病院に戻った。

 1月5日、家族から連絡を受けた警察が、病院からビデオなどの提出を受けて調査を開始。警察から家族に「職員が足で何かしているのを確認した」「画像解析の結果、(ケイジさんが)自傷行為をした事実は認められなかった」と報告があった。後日、家族は刑事告訴した。

 A病院の院長は取材に対し、こう語った。「当初、家族に自傷行為と説明したことは確かだが、ビデオには映っていなかった。原因は不明」

 負傷する前も、ケイジさんの首はジストニアのため前傾して動かず、仰向けに寝ても頭部がかなり上がった状態だった。そこを足で強く踏まれたら、どうなるのか。ジストニアの治療経験が豊富な神経内科医は「斜頚が続いても、首の骨が骨粗しょう症のようにスカスカになることはない。しかし、首の関節が固まってしまうため、衝撃を受けたときにその力が逃げず、一か所に集中してしまう。通常より少ない力でも、首の骨が折れることは考えられる」と話す。

 院長はこうも説明する。「1日のおむつ替えの後、ビデオに(ケイジさんが)立ち上がる場面が映っている。首が折れていれば、そのような動作はできないと思う」

 真相究明はこれからだ。だが、ケイジさんの人生が精神科でめちゃくちゃになった事実は変わらない。

 ケイジさんは現在、自発呼吸が戻ったが、脚などは動かない。総合病院にいつまでいられるか分からず、転院先を探しているが、リハビリに取り組める病院はどこもいっぱいで、家族は途方にくれている。


 統合失調症の誤診やうつ病の過剰診断、尋常ではない多剤大量投薬、セカンドオピニオンを求めると怒り出す医師、患者の突然死や自殺の多発……。様々な問題が噴出する精神医療に、社会の厳しい目が向けられている。このコラムでは、紙面で取り上げ切れなかった話題により深く切り込み、精神医療の改善の道を探る。

 「精神医療ルネサンス」は、医療情報部の佐藤光展記者が担当しています。
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2012年3月16日 読売新聞)

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