祇園暴走事故は脱抑制?
今回は、4月12日に京都・祇園で起きた軽ワゴン車の暴走事故について考えてみたい。
車は最初、タクシーに追突し、直後に暴走を始めて多くの歩行者をはね、電柱に衝突した。多数が死傷する大惨事となり、運転していた男性も死亡した。
車はなぜ暴走したのか。男性にてんかんの持病があったため、最初は発作による意識消失が疑われた。だが間もなく、車の暴走の仕方などから意識はあったとの見方が強まった。そこで、様々な憶測が飛び交った。
「追突事故で焦って逃げたのではないか」
「性格的な問題で自暴自棄になったのではないか」
これらの可能性も、ゼロとは言い切れないが、事故直後の行動としてはあまりにも異様だ。追突事故で大きなショックを受けたのであれば、逃げるよりもまず、凍りついたようにしばらく動けなくなるのではないか。
仮に、男性が当て逃げを試みたのだとしても、そんな臆病な人間が、一時しのぎの逃走のために人を何人もはねるだろうか。
事件が報道された当初から、気になっていた情報がある。「10年前のバイク事故で言語障害を起こすようになった」という家族の証言だ。男性はこの事故の負傷がもとで、外傷性てんかんを発症したとされる。だとすれば、脳損傷で起こる高次脳機能障害も患っていた可能性がある。
高次脳機能障害は、症状として記憶力や注意力の低下が知られるが、前頭葉を損傷すると「脱抑制」が起こりやすい。気分や感情のコントロールがうまくできず、ささいなことでひどく興奮する。周囲から見ると、急に性格が変わったように映るが、脱抑制に陥った時の記憶は本人にはないことが多い。
男性は、ふだんはおとなしく真面目な性格だったようだが、追突事故のストレスで、潜在化していた脱抑制の状態に陥ったとは考えられないだろうか。そこで、高次脳機能障害治療の第一人者として知られる「やまぐちクリニック」(大阪府高槻市)院長の山口研一郎さん(脳神経外科)に意見を聞いた。
「実は私も高次脳機能障害を疑い、彼を知る関係者に話を聞きました。今回の暴走に、てんかん発作が関係したとは考えにくく、自暴自棄になるような性格でもなかった。脱抑制の可能性は高いと思う」
強調しておかなければならないが、高次脳機能障害を患う人の運転が危険なのではない。山口さんが診察した約800人の患者の中には、仕事に復帰して車を運転している人も多いが、問題は起こっていない。
脱抑制は、専門的なリハビリで抑えられるようになる。やまぐちクリニックでは、週に一度のグループワークなどで、脱抑制の一歩手前で気持ちをコントロールする術を身につける。
「まず大切なのは、自分の脱抑制に気づくこと。そして、なぜ陥ったのかを振り返り、陥らないための方法を考える。感情が高ぶってきたら、深呼吸をする。その習慣を身につけるだけで、脱抑制は避けられる」と山口さんは語る。
問題になるのは、脱抑制が起こりうることを本人が知らず、抑え方を身につけていない場合だ。事故を起こした男性も、このコツを身につけていなかったのではないか。
山口さんらの努力で、高次脳機能障害は近年知られるようになったが、日常的には問題が表面化せず、見逃されているケースもある。精神症状も見据えたリハビリにきちんと取り組める医療機関は少なく、適切なリハビリを受けられぬまま脱抑制を繰り返し、精神科病院に入院して更に状態が悪化するケースもある。高次脳機能障害と精神科入院の問題は、後日取り上げる。
事故はなぜ起こったのか。バイク事故以降の男性の症状と治療の経緯を、高次脳機能障害の観点から詳細に検証することが欠かせない。
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統合失調症の誤診やうつ病の過剰診断、尋常ではない多剤大量投薬、セカンドオピニオンを求めると怒り出す医師、患者の突然死や自殺の多発……。様々な問題が噴出する精神医療に、社会の厳しい目が向けられている。このコラムでは、紙面で取り上げ切れなかった話題により深く切り込み、精神医療の改善の道を探る。 「精神医療ルネサンス」は、医療情報部の佐藤光展記者が担当しています。 |
(2012年5月10日 読売新聞)
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