ならず者医療(5) 被害者軽視と隠蔽

 入院が長期化する中で、アヤコさんの危機感はますます強まっていった。

 理事長から仏教の教義などを細かく聞かれ、真面目に答えると「宗教へのこだわりが強過ぎる」と言われる。医療保護入院をさせた両親に、真意を問う手紙を何度か送ると「異常な執着心」と受け取られる。不本意極まりない入院に顔をこわばらせていると「表情が固い」と判断される。あらゆる自然な反応が「病気」に誘導されてしまうのだ。

 アヤコさんが置かれた状況下で、毎日柔らかな表情で過ごしていたら、かえっておかしいと思うのだが、こうした精神科医に常識的な判断を求めるほうが間違っているのか。挙げ句の果てに、アヤコさんが退院の条件として突きつけられたのは、「真理を悟ること」だった。

 このままでは、退院などできるはずがない。アヤコさんは、理事長や主治医の要求通りに演技をすることにした。主治医の前で「すべて私が悪かった」などと両親への謝罪の言葉を繰り返し述べ、宗教の話題には興味を示さず、明るく振る舞うようにした。こうした変化を、「あまりにもあっさりと『怒り』を捨ててしまった事に驚きと疑念を覚える」と当初はいぶかっていた主治医も、次第に「治療の効果が現れてきた」と判断するようになった。

 インクのシミがどう見えるかで性格を分析するロールシャッハテストでも、カウンセラーから「よくなってきている」と言われた。「入院してまもなく受けたロールシャッハテストでは、余計なことを言うと病気だとこじつけられると思い、あまり答えませんでした。退院の話が出始めた時に再び受けさせられたロールシャッハテストでは、カウンセラーの態度からたくさん話したほうがプラスに評価されると感じ取ったので、そのようにしただけです。私は何も変わっていません」。

 退院直前になっても、アヤコさんに対する両親の拒絶心は相変わらずだった。「実家に戻るのが筋だ」と主治医が諭しても、両親は「弟の家族、特に妻が(アヤコさんと)顔をあわせるのも嫌がるので、戻って欲しくない」と言い続けた。アヤコさんは結局、病院の近くで独り暮らしをすることになった。「処方された薬は必ず服用すること。定期的に当院外来に通院する事」と主治医に念を押され、退院したのは2008年暮れ。この年の2月に「拉致」されてから、10か月がたっていた。

 外来は何度か通った。「行かないとまた拉致されると思い、怖くて仕方がなかったから」。だが、すぐに状況は変わった。以前に知り合った男性と再会し、結婚して一緒に暮らすことになったのだ。最後の受診は2009年4月。以来、薬は飲んでいない。入院前も入院中も入院後も、幻聴や妄想に悩まされたことはないのだから、薬をやめるのは当然だろう。

 夫との仲も、夫の両親や妹との関係も良好で、対人関係に問題は生じていない。夫は言う。「怪しい宗教を信じているとか、暴力を振るうとか、そんな事実は一切ありません。なぜ精神科医たちが、口から出任せのような話を真に受けたのか、全く理解できない」

 アヤコさんは今も、何かのはずみで心が恐怖に震えることがある。厚生労働省も「拉致」と判断する理不尽な暴力と、長い強制入院で受けたショックが消えないのだ。精神科は心の傷をいやす場所なのに、アヤコさんは逆に、終生残る大きな傷を加えられた。

 体の傷も残った。拉致された直後から、首や肩、腕の痛みやしびれを感じていた。こうした症状を主治医に話したり、両親に手紙で訴えたりしたこともあるが、「無視された」という。退院後、頸部のX線検査を受けると、頸椎の一部が変形していることが分かった。現在も鍼灸やマッサージを受けているが、痛みのため動きが制限され、家事も十分にできない状態が続いている。「入院前はそんな症状はなかった」というアヤコさんの証言に基づけば、体を強く圧迫された拉致の途中で負傷した可能性が高い。とすれば、これは逮捕・監禁のみならず、傷害事件でもあるということになる。

 アヤコさんは退院後しばらくの間、入院中の話をすることを避けていた。振り返ると恐怖がこみ上げ、直視できなかったのだ。夫にも長く打ち明けられなかった。だが、次第に数々の疑問がこみ上げてきた。そして思った。「このままだと、私のような目に遭う人がまた出てしまう。何とかしなければ」。

 2012年、事件の経過を詳細に記し、調査と適切な対応を求める文章を栃木県知事、栃木県保健福祉部、栃木県議会生活保健福祉委員会、関東信越厚生局、宇都宮地方法務局などに送った。県知事、県議会、厚生局からは回答がなかった。法務局からは、「被害に対する保障は裁判を起こすしかない」などとする返事がきた。

 県保健福祉部は、障害福祉課から文書で回答があったが、簡潔に言うと「県に責任はない。病院の立ち入り調査や指導もできない」との極めて冷淡な内容だった。私の取材に対しても、同課の言い分は同じだった。「県が移送に関わる場合は、事前に必ず精神科医の診察を行い、必要性を判断しますが、この例は民間移送業者が保護者との契約で実行したもので、県は関わっていないので対応のしようがありません」。

 かつて、凄惨な宇都宮病院事件が引き起こされた栃木県で、また精神科絡みの深刻な人権侵害問題が起こった。アヤコさんは「精神科病院の実態は何も変わっていない」と感じて、県知事や県担当部局に調査と再発予防対策を求めたのだが、それすらできないというのだ。

 県に全く責任がないというのは、おかしな話だ。精神科病院の管理者が医療保護入院を行う場合、精神保健指定医が記した入院届を県知事宛に提出する。入院届には、患者の病名や生活歴、医療保護入院の必要性などが書かれ、その内容をもとに、県の精神医療審査会が医療保護入院の適否を判断する。アヤコさんの入院も、審査会が「適当」と判断したのだ。栃木県保健福祉部障害福祉課によると、例えば平成22年度には同県の医療保護入院の審査は1938件行われたが、結果はすべて「適当」だった。

 精神医療審査会は、精神科病院で多発した人権侵害問題の再発防止を目的に、1988年から全国に設置された。医師や弁護士ら、専門知識のある人たちで構成されるが、書類をもとにした適否の判断には限界があり、栃木県以外でも「ザル」と言わざるを得ない審査が目立つ。このような「人権に配慮したフリ」をする仕組みではなく、本当に人権を守る仕組みを早急に作るべきだろう。

 精神科で起こった問題は、警察の動きも鈍い。アヤコさんは栃木県の警察署に被害届を出し、捜査を求めたが、「県が合法といっているから、立件できない」と刑事課が回答してきたという。さらに拉致被害について相談すると「拉致されたというなら、まずあなたが移送業者から記録を取り寄せて提出してください」と突き放された。今も恐怖が消えない拉致被害者に、まずは加害者から拉致の証拠をもらってこい、と要求したのだ。昨年11月には栃木県警察本部にも手紙を出したが、何の返答もない。

 精神科で人権侵害を受けた人の支援に取り組む千葉県内の市議会議員は「警察にとって、精神科病院は治安維持の仕組みの一部。日頃から緊密に連携している仲間なので、対応が甘くなることが多い」と指摘する。確かに、私がこれまで取材したケースでも、警察の腰が重すぎると感じたことが何度もあった。これがもし、他の診療科で起こっていたらすぐに捜査が始まり、逮捕者が出ると思われるような事件でも、警察は動かないのだ。警察は、何を守ろうとしているのか。

 このような現状では、精神医療の名を借りた拉致や監禁はだれの身に起こっても不思議ではない。病院からなんとか脱出して、公的機関に被害を訴えたとしても、「県は関わっていないから関係ない」「立件は難しいので民事裁判でもやったらどうか」などとあしらわれるのだ。

 被害者は失望とやり場のない怒りを抱え、公的機関などへの訴えをますます強めるだろう。するとやがて、周囲からこうささやかれるようになるかもしれない。

 「あの人は精神病だから、なんでも過大に言うのさ」「パーソナリティー障害だからね」。精神科で不当な扱いを受けた被害者が、その問題を公に訴えても、そうした行動自体が「反社会的」で「病気の証」とされ、訴えが軽視される例が少なくない。

 そして、真の問題が隠蔽され続ける。

 統合失調症の誤診やうつ病の過剰診断、尋常ではない多剤大量投薬、セカンドオピニオンを求めると怒り出す医師、患者の突然死や自殺の多発……。様々な問題が噴出する精神医療に、社会の厳しい目が向けられている。このコラムでは、紙面で取り上げ切れなかった話題により深く切り込み、精神医療の改善の道を探る。

 「精神医療ルネサンス」は、医療情報部の佐藤光展記者が担当しています。
 ご意見・情報は こちら( t-yomidr2@yomiuri.com )へ。 お寄せいただいたメールは、記事で紹介させていただく場合があります。

 

2013年2月21日 読売新聞)

本文ここまで
このサイトの使い方

ニュースなどはどなたでもご覧になれますが、医療大全や病院の実力、マークのついたコーナーは有料会員対象です。

読売デジタルサービス

読売新聞では、ヨミドクターに加え、様々なデジタルサービスを用意しています。ご利用には読売IDが必要です。

頼れる病院検索

地域や診療科目、病名など気になる言葉で検索。あなたの街の頼れる病院や関連情報の特集を調べられます。

プレゼント&アンケート


報道写真記録「読売新聞記者が見つめた~東日本大震災300日の記録」5名様にプレゼントします


YOMIURI ONLINE新着情報
yomiDr.記事アーカイブ

過去のコラムやブログなどの記事が一覧できます。

読売新聞からのお知らせ

イベントや読売新聞の本の情報などをご紹介します。

子育て応援団
ヨミドクター Facebook
お役立ちリンク集

すぐに使えるリンクを集めました。医療、健康、シニアの各ジャンルに分けて紹介しています。

発言小町「心や体の悩み」

人気の女性向け掲示板「発言小町」の中で、心や体の悩みなど健康について語り合うコーナー。話題のトピは?


 ・生理前のイライラについて

 ・食欲が落ちない中年女性(悲)

薬の検索Powered by QLifeお薬検索

お薬の製品名やメーカー名、疾患名、薬剤自体に記載されている記号等から探す事が出来ます。
⇒検索のヒント

yomiDr.法人サービスのご案内

企業や病院内でも「yomiDr.(ヨミドクター)」をご利用いただけます。

yomiDr.広告ガイド

患者さんから医療従事者、介護施設関係者まで情報を発信する「yomiDr.」に広告を出稿しませんか。

PR
共通コンテンツここまで