言葉を奪われた青年(2) ヨダレ垂らし「死にたい」

 タクヤさん(仮名)は幼少期、体が弱く、よく熱を出していた。「上の2人の子と比べるとあまり笑わず、いつも不安そうな顔をしていた」と母親は振り返る。

 言葉の発育が遅れ気味で、カ行がうまく言えず、「ばか」が「ばた」になったり、「ぼく」が「ぼち」になったりした。1人遊びが多く、同世代の子どもの輪に加わろうとはしなかった。

 5歳の時、自分から「サッカーやりたい」と言い出し、チームに入った。「急に生き生きとし始めて、練習から帰って来ると顔が輝いていた。試合でも楽しそうに動き回っていました。やっと子どもらしくなったと感じて、私もうれしかった」。ところが8歳の時、コーチが替わって勝つことが優先されるようになると、状況が一変した。

 タクヤさんはコーチに期待され、厳しい指導を受けるようになった。ある試合中、コーチはタクヤさんに次々と指示を飛ばした。タクヤさんは急に動けなくなり、しばらくその場に立ちすくんだ。

 「もうやめたい」。度々漏らすようになったが、サッカーを通して成長することを期待した父親が引き留めた。だが、試合前になると体調不良を訴えることが増え、練習でも生き生きとした表情が消えた。10歳でサッカーをやめた。

 「クラスの人たちがこそこそ悪口を言っている気がする」。そう言い始めたのは14歳の時。親しい友人が家に来ても居留守をつかった。いじめられていたわけではなく、「僕、頭がおかしくなっちゃったのかな」と自分でも不思議がった。少しすると被害妄想的な言動は消えたが、今度は宿題を一切やらなくなった。

 高校受験を控えた三者面談。担任教諭は「入れる高校がない。宿題がずっと滞っているから内申点が足りない」と告げた。その晩、タクヤさんは自宅のイスに座ったまま長時間動かなくなった。翌日以降も中学は休まず通ったが、帰宅するとイスに座りっぱなしになったり、1点を見詰めたまま立ち続けたりするようになった。食事をほとんど摂らなくなり、1か月で体重が15キロ減った。小児科に3週間入院し、点滴で栄養を補いながら少しずつ食べる練習をした。

 担任の予想に反し、公立高校に合格できたが、通学したのは10日間だけだった。自ら高校に「つらいからやめる」と伝え、退学した。

 手を何時間も洗い続ける、深夜に泣きながら家中を歩き回る、服を脱いだり着たりを繰り返す、布団に入ったり出たりを繰り返す、シャワーを何時間も浴び続ける……。決まった動作を繰り返す常同行動が顕著になった。

 常同行動は、精神科では統合失調症の一症状などとして扱われてきたが、自閉症の人にも現れやすく、知的障害のないアスペルガー障害(アスペルガー症候群)の人が、強いストレス下で同様の状態に陥ることも知られるようになった。だが、発達障害の知識を持つ精神科医は依然として少なく、子どもの常同行動をすぐに「(初期や前駆段階の)統合失調症」と決めつけ、対応を誤るケースが後を絶たない。

 タクヤさんの常同行動は、母親たちが体を押さえても止まらなかった。一晩中、体力が尽きるまで家の中を歩き続けたり、立ち続けたりした。心配した母親は、15歳のタクヤさんを精神科病院に連れて行った。即入院になった。

 被害妄想や幻聴は表れていなかったが、主治医は「幻聴は間違いなくある。幻聴から脅されていて言えないんだ」と、まさに精神科医らしい妄想的、ご都合主義的な決めつけをし、「統合失調症」と診断した。さらに主治医は「肉親に会うと帰りたがるので、しばらく面会に来ないでください」と母親に伝えた。1か月後、2分間だけ面会が許された。タクヤさんは保護室で全身を拘束され、導尿もされてベッドに横たわっていた。母親の顔を見るなり泣き叫んだ。

「もう繰り返し行動はしないから!」「お願いだから退院させて!」

 「これは虐待ではないか」。母親がそう感じたのも無理はない。タクヤさんは自分や他人を傷つけたわけではなく、同じ行動を家で繰り返していただけなのだ。主治医は、常同行動が起こった背景には無関心で、ただ動きを強制的に止めるため、体の自由を奪って導尿まで行った。こころを扱う精神科でありながら、思春期の複雑なこころには目を向けず、ズタズタに切り裂いたのだ。

 「今すぐ退院させたい」。母親は焦ったが、自宅に連れ帰っても、また常同行動を繰り返す可能性が高い息子にきちんと対応できる自信はなかった。ほかに相談するあてもなく、結局は病院を信じるしかなかった。

 2週間後。二度目の面会時には拘束は解かれていた。だが代わりに、鎮静目的で多量の向精神薬が投与されていた。

 タクヤさんの首は激しく前傾し、顎が胸についていた。両腕が震え、何かを持とうとしてもつかめない。両脇を支えないと立てず、すり足で歩幅が小さい小刻み歩行になっていた。

 ヨダレがダラダラと流れ落ちる口を必死に動かし、同じ言葉を繰り返した。

 「死にたい」「死にたい」「死にたい」「死にたい」「死にたい」



 統合失調症の誤診やうつ病の過剰診断、尋常ではない多剤大量投薬、セカンドオピニオンを求めると怒り出す医師、患者の突然死や自殺の多発……。様々な問題が噴出する精神医療に、社会の厳しい目が向けられている。このコラムでは、紙面で取り上げ切れなかった話題により深く切り込み、精神医療の改善の道を探る。

 「精神医療ルネサンス」は、医療情報部の佐藤光展記者が担当しています。
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2012年11月8日 読売新聞)

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