DSMの功罪 小児の障害が20倍!
下記の疾患名と数字を見ていただきたい。
・注意欠陥障害 | 3倍 |
・自閉症 | 20倍 |
・小児双極性障害 | 20倍 |
これは、精神疾患の診断指針として広く使われる米国精神医学会のDSM―Ⅳ(精神障害の診断と統計の手引き第4版)が発表された1994年以降、米国で発生率が著しく増えた精神疾患とその増加率を示している。まるで新たな感染症が爆発的に流行したかのような激増ぶりだ。
米国のこうした異常現象の原因は、2012年8月発行の雑誌「精神医学」(医学書院)で説明されている。DSM―Ⅳ作成委員長を務めたアレン・フランセスさん(デューク大学名誉教授)が、大野裕さん(国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター長、DSM―Ⅳ国際委員)の質問に答えて、DSM―Ⅳの功罪を赤裸々に語ったのだ。一般にはなじみの薄い専門誌だが、重要な指摘が多く含まれているので、大野さんの協力を得てこのインタビュー記事の要点を整理してみた。
上記の急増3疾患は、DSMがⅢからⅣに改訂された際、診断基準に変更が加えられたという共通点がある。注意欠陥障害では、「少女は多動性よりも注意力の問題をより強く示す」との有力な研究報告を踏まえ、「集中力に問題があるだけで注意欠陥障害と診断できるようにした」(フランセスさん)。そのため、発生率の上昇は予想したが、15%程度の増加にとどまるはずだった。ところが、いざふたを開けてみると3倍にもなった。「よかれと考えて加えた小さな変更が、全く意図していなかった結果を生んでしまった」。
なぜこれほど増えたのか。フランセスさんはこう指摘している。「注意欠陥障害は過小評価されていると小児科医、小児精神科医、保護者、教師たちに思い込ませた製薬会社の力と、それまでは正常と考えられていた多くの子どもが注意欠陥障害と診断されたことによるものです」。
フランセスさんは、カナダの興味深い研究にもふれている。注意欠陥障害の最も正確な予測因子の一つが「8月生まれか9月生まれか」だというのだ。カナダは9月入学なので、8月生まれはクラスで最年少になる。最年少ゆえの落ち着かない行動などが、異常と判断されてしまうのだ。これを春入学の日本にあてはめると、予測因子は「3月生まれか4月生まれか」になるだろう。
フランセスさんは警告する。「米国では、一般的な個性であって病気と見なすべきではない子どもたちが、やたらに過剰診断され、過剰な薬物治療を受けているのです」。これは日本も同様だ。
自閉症はどうか。DSM―Ⅳ以前の米国の自閉症発生率は、2000人に1人~5000人に1人だった。ところが、アスペルガー障害が自閉症に加えられたDSM―Ⅳ以降、「米国で88人に1人、韓国では38人に1人が自閉症と診断されるようになった」という。
米国では、自閉症と診断されると少人数の手厚い教育が受けられるため、こうした社会的背景が診断数の増加につながっているとの見方もある。このためフランセスさんは「精神科の診断を、法医学的判断、障害判断、学校の判断、養子縁組の判断などから切り離すべきだと思います。精神科の診断は意思決定の一部であるべきであって、唯一の決定要因ではありません」と強調している。
小児双極性障害に対しては、さらに手厳しく、こう言い切っている。「これはまさに不祥事だと思います」。製薬会社から資金提供を受けた小児精神科医らが、全米各地で盛んに講演活動などを行った結果、「育児上の問題、子どもの発達の問題すべてが双極性障害の証拠として解釈されてしまいました」。子どもの多くはかんしゃく持ちだったり、感情の起伏が激しかったりするのに、それが小児双極性障害の典型的な症状とされてしまったのだ。
日本では近年、成人に対する双極性障害の過剰診断が問題視されている。大野さんが体験した例を見てみよう。
患者は中年男性。過労が続いて抑うつ的になり、受診した精神科で双極Ⅱ型障害と診断された。うつ状態に加え、本人や周囲があまり困らない程度の軽い躁状態が起こる病気で、これもDSM―Ⅳで追加された。男性が双極Ⅱ型と診断されたのは、睡眠時間を削って熱心に仕事に取り組んでいた状態を「軽躁状態」と判断されたためだった。そして軽躁を抑える目的で鎮静作用が強い抗精神病薬が処方され、この影響で男性は仕事が手につかなくなった。悩んで相談したのが、大野さんだった。
昼間はぼんやりしていても、夜になると寝る間も惜しんで仕事をバリバリやる。時間を比較的自由に使える職業の人にはありがちな生活リズムだが、診断力のない精神科医にかかるとたちまち異常と判断され、双極Ⅱ型にされてしまう。そして活力を奪う薬が与えられ、仕事ができなくなる。男性は大野さんに誤診を指摘され、救われたが、こうした倒錯した診断や治療が蔓延すると、患者個人だけでなく、社会全体の活力がそがれてしまう。
DSMの功の部分にもふれてみよう。典型的な症状がいくつあるかを基本に病名をつけるDSMの登場で、精神科医の診断の一致率は高まった。DSM以前は、精神科医ごとに診断名が変わるケースも珍しくなかった。薬の臨床試験で対象患者を絞り込めないなど様々な問題が生じていたため、一致率を高めた功績は大きい。だが一方で、患者の症状の背景に目を向けないお手軽診断の横行や、フランセスさんが取り上げた過剰診断の問題など、DSMのマイナス面も多く指摘されている。
2013年、DSM―5(版数は算用数字になる予定)が公開される。その前に我々は、実体験に基づいたフランセスさんの反省と警告に耳を傾ける必要がある。
「米国では数多くの勢力が(DSMの)変更点を丹念に研究しながら、どのようにしたら自分たちが考えている特定の目的に合わせて曲解できるかと待ちかまえているのです」
そうした勢力は、日本にも多数存在する。
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統合失調症の誤診やうつ病の過剰診断、尋常ではない多剤大量投薬、セカンドオピニオンを求めると怒り出す医師、患者の突然死や自殺の多発……。様々な問題が噴出する精神医療に、社会の厳しい目が向けられている。このコラムでは、紙面で取り上げ切れなかった話題により深く切り込み、精神医療の改善の道を探る。 「精神医療ルネサンス」は、医療情報部の佐藤光展記者が担当しています。 |
(2012年10月24日 読売新聞)
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