抗不安・睡眠薬依存(8) マニュアル公開記念・アシュトン教授に聞いた

 
アシュトンマニュアルのトップページ。日本国旗をクリックすると日本語版が表示される。

 英国ニューカッスル大神経科学研究所教授のヘザー・アシュトンさんが作成し、バージョンアップを続けてきた アシュトンマニュアルの日本語版 が、8月19日夜、ついに公開された。当初の予定よりも遅れたが、精緻に練り上げた訳文は読みやすく、日本の実情に合わせた注釈も加えられた。

 アシュトンさんと連絡を取り合いながら日本語版を完成させたのは、以前紹介した田中涼さんと、ニュージーランド人で翻訳家兼英語講師のウェイン・ダグラスさん。2人とも日本でベンゾの長期投薬を受け、常用量依存に苦しんだ被害者だ。ボランティアで翻訳作業を続けた2人に敬意を表したい。医学監修は、「正しい治療と薬の情報」誌編集長の別府宏圀さん(神経内科医)と、東北文化学園大教授の田中勵作さん(神経生理学)が行った。

 このマニュアルの最後に記された田中さんらの思いを、精神医療に携わる人々は真摯に受け止めて欲しい。「このマニュアルは、ベンゾジアゼピン依存や離脱についての情報がなく困っている患者のためだけに翻訳されたのではなく、医師、薬剤師、製薬企業の方、厚労省の方へのメッセージでもあります」

◆        ◆

 日本語版の公開に合わせ、田中さんとダグラスさんのお力を借りて、日本の現状などについてアシュトンさんの見解を聞いた。アシュトンマニュアルと共に、参考にしていただきたい。

――国連の国際麻薬統制委員会は2010年の年次報告で、ベンゾ系睡眠薬の使用量が突出して多い日本を問題視し、不適切な処方や乱用の可能性を指摘しています。日本の現状についてどう思われますか。

 日本の1人当たりのベンゾジアゼピン処方量は、他のいかなる国よりも多いと理解しています。しかし欧州や米国でも、ベンゾジアゼピンの過量処方は続いています。一部の国では、処方せん無しでベンゾジアゼピンを購入できます。さらに今では、インターネットを通して入手可能なことも多く、実際のベンゾジアゼピン使用者数は、国際麻薬統制委員会の統計よりもさらに多い国があると考えています。

――日本の医師がベンゾジアゼピンを安易に処方する理由は多々考えられますが、副作用が本当に少ないと思い込んで処方する医師が目立ちます。このような不勉強な医師たちに向けて、一言お願いします。

 ベンゾジアゼピンは、単独で短期間(2~4週間)に限って使えば、相対的に安全な薬です。しかしその場合も、例えば交通事故の原因となったり、認知障害(記憶力の低下など)を引き起こしたりします。また、他の抑制系の薬剤との併用で中毒作用を引き起こしたり、高齢者では転倒や骨折の原因になったりします。服用が長期に及ぶと、マニュアルで言及した多くの有害作用が引き起こされることがあります。例えば、過鎮静、薬剤相互作用、記憶障害、抑うつ、感情鈍麻、耐性の形成、依存(つまり中毒)などです。

 ベンゾジアゼピンは通常、不安や不眠に対して処方されますが、長期間の常用により、当初の効果を失います。そして不安症状は悪化し、服用前にはなかったパニック発作や広場恐怖、動悸などの身体症状、あるいは神経症状などが出現することがあります。依存は数週間、あるいは数か月の常用で起こり得ます。いったん依存に陥ると、薬からの離脱が非常に困難になる場合もあります。 

――日本には、自院の経営安定のため、ベンゾを意図的に長期処方して常用量依存患者を作り出し、通院を続けさせるケースがあります。このような使用法について、どう思われますか。

 それは医療過失、あるいは医療過誤と思われます。

――日本の医師の中には「常用量依存になっても、薬を飲み続ければ離脱症状は起こらないので問題ない」と開き直る人もいます。数年、あるいは10年以上の長期服用で表面化、深刻化する副作用があれば教えてください。

 ベンゾジアゼピンを長期間使用した場合、様々な問題が起こります。また、いったん耐性がついたら、例えまだ薬を使用中であっても離脱症状が出現します。マニュアルに列挙したように、これらの症状は服用者だけでなく、服用者の子どもや家族全体に、児童虐待や家庭崩壊などの形で深刻な影響を及ぼしかねません。

 他にも、失業や検査入院(循環器系、神経系、消化器系の症状や精神症状による検査)など、多くの社会経済コストがベンゾジアゼピンの影響で生じることがあります。

――日本では、未成年の若者や子どもたちにもベンゾ系の抗不安薬を処方するケースが多くなっています。発育途上の子どもたちに処方した場合、特に心配な点があれば教えてください。

 脳はおよそ21歳まで成長し続けます。ベンゾジアゼピンを子どもに投与すると、脳の成長を損ないます。また、新たなスキル(とりわけ不安や困難に対処する能力)や認知(知的)能力の習得を阻害します。その結果、その子が本来持っている知的能力、情緒的能力にまで到達しない可能性があります。

――多くの人が待望したアシュトンマニュアル日本語版が公開されました。しかし、このマニュアルを参考に減薬や断薬を行いたくても、サポートしてくれる医師がほとんどいないのが日本の現状です。このような中で、減薬を進めるにはどうしたらよいでしょうか。

 まずはマニュアルを読み通してください。そして減薬のプロセスを始める前に、医師に相談してあなたの考えを知らせて下さい。薬を処方するのは医師なので、医師の同意と協力が必要です。あなたが、既にマニュアルを読んでいることを医師に伝え、マニュアルの中で特に知っておいて欲しいポイントをしっかり伝えると良いでしょう。多くの医師は、ベンゾジアゼピンの離脱について、今もなお十分な情報を持ち合わせておらず、離脱の際に注意するべきことを認識しているとは限らないからです。

 離脱を目指す際には、次のような注意が必要です。

(1) 減薬プロセスに入る前に、長時間作用型のベンゾジアゼピンに切り替える必要はないか確認する。
(2) ほかのベンゾジアゼピンに切り替える場合は等価用量が重要(マニュアル内の等価換算表か、医師が用いる等価換算表を参照)。
(3) 抗うつ薬が併用して処方されている場合、離脱中に生じる抑うつを防ぐためには、ベンゾジアゼピンから減薬を始める。
(4) あなた(患者)自身が減薬をコントロールし、あなた自身のペースで減薬できる環境が必要。
(5) 医師による定期的な経過観察が必要。
(6) 個人的な要因が離脱に影響を与えることがあるため、それに対応できること(マニュアルで示した離脱スケジュールはあくまで基本的なもので、個人差など個々の状況や必要性に応じて作り変えることが必要)。

――日本人は肝臓などの代謝酵素が欧米人とは異なるため、ジアゼパムへの置換が勧められないケースもあるという指摘があります。このような人種差にどう対応したらよいですか。

 西洋人と東洋人には遺伝的な違いがいくつかあります。そのため、置換薬として推奨しているジアゼパムが合わない人が一部にいるとも言われています。個人的な要因に応じた対応は大切です。

――アシュトン先生は長く、ベンゾジアゼピン離脱クリニックでお仕事をされていましたが、このようなベンゾの離脱専門医療機関は日本では見あたりません。英国ではこのようなクリニックはいつごろからでき、何か所あったのでしょうか。また、このようなクリニックは国の支援で作られたのでしょうか。現在も離脱専門クリニックは残っているのでしょうか。

 英国には離脱専門クリニックが2施設ありました。一つはレイダー教授が1980年頃から運営していたもので、ロンドンにありました。もう一つは、私がニューカッスルで1982年に始めたクリニックです。両方とも、英国の公的医療制度のもとで運営される病院内にありました。

 両クリニックとも、我々が英国の法律にもとづいて年齢によるリタイアをした後、1990年代に閉鎖されました。現在は、慈善団体(ボランティアグループ)による支援が行われています。リバプール、ブリストル、ブラッドフォード、オールドハム、カムデン(ロンドン市内)にあります。このような施設は、一部の開業医(一般医)と連携して離脱のプロセスを進めますが、専属や常駐の医師はおらず、ほとんど一般人だけでこの問題に取り組んでいます。

 実のところ、英国でのベンゾジアゼピン処方数は増加しています。離脱のための施設は不足し、依存患者の多くは通うことができません。英国の状況も、全く不十分なのです。

――アシュトンマニュアルは日本語版以外でも9か国語に翻訳されていますが、この翻訳を見た人たちから、どのような反響が寄せられていますか。

 残念ながら、現在もマニュアルを読まず、離脱方法に無知な医師は多く存在します。しかし、世界中のベンゾジアゼピン使用者が、このマニュアルを読んでいます。そして私は毎日、離脱についての問い合わせを受けます。私の元には、「マニュアルのおかげで命が救われました」などと書かれたメールや手紙が次々と届いているのです。日本語版の完成で、日本の状況が変わることを願っています。



 統合失調症の誤診やうつ病の過剰診断、尋常ではない多剤大量投薬、セカンドオピニオンを求めると怒り出す医師、患者の突然死や自殺の多発……。様々な問題が噴出する精神医療に、社会の厳しい目が向けられている。このコラムでは、紙面で取り上げ切れなかった話題により深く切り込み、精神医療の改善の道を探る。

 「精神医療ルネサンス」は、医療情報部の佐藤光展記者が担当しています。
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2012年8月20日 読売新聞)

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