抗不安・睡眠薬依存(7) ボツになった告発本

偽りの幸福感

 抗不安薬は鎮痛目的で使われることも多く、それが薬物依存の入り口になる例が少なくない。

 中国地方の50歳代の主婦ミサコさん(仮名)は2010年初め、交通事故に巻き込まれた。運転していた乗用車を駅前に停車させ、知人を待っていた時、斜め後ろから来た車に追突されたのだ。その瞬間、「大地震が起こったと思った」。上半身に大きな衝撃を受け、以後、数分間の記憶ははっきりしない。

 体には特にけがはなく、痛みもないため安心していた。ところが事故の3日後、急に寒気と吐き気が襲ってきた。頭痛も始まり、どんどん悪化した。「脳みそが飛び出しそうな激痛で、こめかみのあたりがギリギリ締め上げられているよう。まばたきをするだけでも痛く、目を開けていられなかった」

 整形外科を受診し、脳の画像検査などを受けたが、異常は見つからなかった。激しい痛みの訴えに、医師はデパス(チエノジアゼピン系)を処方し、飲むと苦痛が少しやわらいだ。この薬は、海外ではあまり使われない抗不安薬だが、筋肉の緊張をとる作用から、日本では鎮痛目的でも多く処方される。

 ミサコさんは痛みの原因を知るため、整形外科を何か所も回った。しかし、どこに行っても原因は分からず、医師たちは詐病と決めつけた。「それほど痛いのなら僕の前で死んでみて」「(事故の相手を)裁判に訴えたいのだろう」。医師たちは痛みの訴えを退けながらも、デパスやベンゾ系を処方し続けた。

 約2年間、一時的な薬の変更はあったが、ミサコさんはデパスを飲み続けた。服薬が長期化するうちに、鎮痛効果は薄らいだが、それでも求めてしまう不思議な薬だった。「飲むと、何とも言えないブワーッとした感じでうれしさがこみ上げてきて、痛みが取れなくても安心する。本当は何も解決していないのに、心配なんかいらないと楽観できた。私にとっては覚せい剤のような感じで、このままで大丈夫なのかと思いながらも、かなり依存していた」

 だが、偽りの「幸福感」から覚める度に、激痛に直面した。痛みで顔がゆがみ、うまくしゃべれないほどだった。1人で抱え込むしかない苦痛に初めて耳を傾けてくれたのは、廿日市記念病院(広島県廿日市市)リハビリテーション科医師の戸田克広さんだった。事故の状況などを詳しく聞いた戸田さんは、脳脊髄液減少症を疑った。

「詐病」とされる病気

 この病気は、脳や脊髄の周囲を満たす脳脊髄液が、これを閉じ込めている硬膜にできた小さな穴から漏出し、減ってしまう。すると、脳脊髄液の中に浮かぶ脳の位置が、水位低下の影響で下がり、脳につながる神経が引っ張られるなどして、様々な症状が表れると考えられている。特に、起立すると襲う激しい頭痛やめまい、倦怠感、視覚障害などが起こりやすい。

 外傷後の専門的な検査で、脳脊髄液の漏出が見つかる人は近年増えてきたが、大半の専門家が「硬膜の穴は外傷では生じない」との定説に固執し、患者は事故の保障が十分受けられないなど、苦しめられてきた。度重なる痛みの訴えを「気のせい」などと決めつけられ、精神科で見当違いの投薬を受け、さらに苦しむ患者も少なくなかった。2011年6月、国の研究班が「脳脊髄液の漏出は外傷でも起こる」と認めた中間報告を公表。患者たちはやっと、「詐病」「誇張」「心の問題」などの誹謗中傷から逃れるきっかけを得た。

 
不適切なデパス投与例を語る戸田克広さん(広島県の廿日市記念病院)

 ミサコさんは、戸田さんから紹介された総合病院で脳脊髄液減少症と診断された。微量の放射線を出す薬品を腰から髄液中に注入し、その流れを画像化して漏出の有無を見る脳槽シンチグラフィーなどの検査で分かった。事前に採取した本人の血液を少量、腰椎などから注入し、固まった血で硬膜の穴をふさぐブラッドパッチ療法を受け、苦しみ続けた頭痛がやわらいだ。現在もこの病院で通院治療を続けている。

 だが、頭痛が完全に消えたわけではなく、手足の痛みやしびれなどはそのままだった。交通事故などの衝撃で、脳の神経細胞をつなぐ線維が断裂するなど、微細な損傷が脳の広範囲に及ぶ軽度外傷性脳損傷(MTBI)を合併している可能性があった。

 この病気は、事故直後の短時間の意識喪失の後、体の痛み、手足のまひ、嗅覚障害、視野狭さく、難聴、頻尿、てんかん発作など、様々な症状が現れる可能性があるが、通常の画像検査では損傷が写らないため、患者の訴えは「大げさ」「金目当て」などと決めつけられ、不当な扱いを受ける例が続出している。脳下垂体が傷つくと、ホルモン分泌の異常で精神症状が表れることもあり、精神科で事故によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)と誤診された例を取材したこともある。

治療を妨げる抗不安薬

 戸田さんは、ミサコさんに残る慢性疼痛症状から、身体の様々な部分に耐えがたい痛みが起こる線維筋痛症も合併していると診断し、痛み治療を始めることにした。その際、治療の妨げになったのが長期服用していたデパスだった。「デパスは痛みに即効性があるが、幸福感を感じるなど依存性が高く、長く使う薬ではない。痛みで私の外来を受診する患者の多くが、すでにデパスやベンゾ系薬剤を長期投与されており、効果的な痛み治療の前に、これらの薬の減薬と断薬を行わなければならないのが、私にとっても患者にとっても非常に大きな負担になっている」と戸田さんは嘆く。

 ミサコさんは戸田さんの指導のもと、デパスをソラナックス、続いてメイラックスに置き換えて、半年がかりでベンゾ系を中止した。一時的に頭痛がひどくなったり、イライラしたりしたが、比較的スムーズに減薬できたほうだった。戸田さんは減薬中の患者に、耐えられない離脱症状が表れたら量を少し戻し、そこからまたゆっくり減薬を始めるなど、細やかなアドバイスをしている。それでも、諦めて通院をやめてしまう患者が少なくない。

 「減薬は、短期間に簡単にできると主張する医師が日本では今も多い。そういう人たちは、患者の一部が減薬中に突然通院をやめる本当の理由を知らず、うまく断薬できたためと都合よく思い込んでいる。実際は、減薬に挫折して来なくなっているのに」

 ミサコさんは現在、戸田さんが鎮痛のため処方する三環系抗うつ薬トリプタノールなどを服用し、体調が上向いている。「タクシーを使う通院以外は外出できないほどだったのに、今は1キロくらいなら散歩できるようになりました。回復していく実感をやっと得ることができた」と喜ぶ。

忌まわしい長期の副作用

 臨床現場で、日々直面するデパスやベンゾ系の乱用に危機感を抱いた戸田さんは、これらの薬の副作用や離脱症状などを、世界中の研究論文を引用しながら原稿にまとめた。日本では、「常用量依存になっても、薬を飲み続ける限り離脱症状は起こらないので問題ない」と開き直る医師もいるが、戸田さんはこの原稿で、服薬が長引くと抑うつ症状、認知機能低下、骨粗しょう症、せん妄、死亡率上昇などの忌まわしい副作用が起こりやすいことを強調している。ちなみにアシュトンマニュアルでは、服薬継続中も薬の耐性が生じて離脱症状が表れることがあると書かれており、医療経済的に見ても、生涯服薬は好ましくない。

 戸田さんは、書き上げた原稿の今年中の出版を目指し、医療系の出版社数社に声をかけたが、採用されなかった。ある出版社はボツの理由をこう述べた。「当社は精神科の先生方の著作出版も多く、(このような内容の本は)仁義的に荷が重い」

 この出版社は、仁義を重んじる方向を間違っている。戸田さんの原稿は2012年秋、「抗不安薬による常用量依存――恐ろしすぎる副作用と医師の無関心、日本医学の闇」のタイトル(仮)で電子書籍として販売される予定だ。


 精神科医の問診のレベルの低さが学会でも問題視されています。そこで、精神科医から浴びせられた「暴言」の数々を募集します。どのような言葉か、それによってどのように傷ついたか、簡潔に教えてください。このコラム、および新聞紙面で取り上げる予定です。また逆に「言われてよかった言葉」もあれば教えてください。情報は こちら( t-yomidr2@yomiuri.com )へ。



 統合失調症の誤診やうつ病の過剰診断、尋常ではない多剤大量投薬、セカンドオピニオンを求めると怒り出す医師、患者の突然死や自殺の多発……。様々な問題が噴出する精神医療に、社会の厳しい目が向けられている。このコラムでは、紙面で取り上げ切れなかった話題により深く切り込み、精神医療の改善の道を探る。

 「精神医療ルネサンス」は、医療情報部の佐藤光展記者が担当しています。
 ご意見・情報は こちら( t-yomidr2@yomiuri.com )へ。 お寄せいただいたメールは、記事で紹介させていただく場合があります。

2012年7月23日 読売新聞)

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