抗不安・睡眠薬依存(4) ドーピングされた心

 ここ数年、精神科がある病院でよく出くわす光景がある。施設の一角で、改装や新築工事が行われているのだ。聞けば、児童・思春期の専門外来や専門病棟だという。

 こころの不調は子どもにもあるのだから、適切に対処できる場所が増えるとすれば好ましいことだ。だが、成長に伴う一時的な混乱と、精神疾患の兆候とを早期に見極めるのは難しい。「早期発見」のかけ声のもと、誤診や過剰投薬で人生を大きくねじ曲げられた人は多い。

 被害者の声は軽んじられ、大人たちが早々と「病気」「障害」「前駆症状」の烙印を押した子どもたちの受け入れ先が、この少子化の時代にせっせと増えていく。

◆         ◆

 ある若者の失われた10年。それは1本の教育相談電話から始まった。

「うちの子が引きこもりを続けて、高校を中退してしまった。カウンセリングを受けたいのですが」

 母親からの電話に、自治体の相談員は答えた。「精神科か心療内科を受診してください。お近くの医療機関を紹介します」

 こうして、カズアキさん(仮名)は16歳の時、母親とともに心療内科クリニックを受診した。期待したカウンセリングはなく、診断名が何だったのかも分からない。だが、薬だけは異様な存在感を示していた。



 デパス(チエノジアゼピン系抗不安薬・1日4錠)

 ホリゾン(ベンゾジアゼピン系抗不安薬1日4錠)

 アナフラニール(三環系抗うつ薬・1日2錠)

 レキソタン(ベンゾジアゼピン系抗不安薬・不安時1回1錠)


 デパスを含め、常用量依存を起こす抗不安薬がいきなり3種類も処方された。

 現在20代後半のカズアキさんは、もともとあがり症で、小学生のころからいじめられやすく、中学でそれがエスカレートした。それでも欠席はせず、部活も続けた。高校では新しい人間関係ができ、家族も安心していたが、2年生の時、急に登校できなくなった。不登校のきっかけは、自分の口臭を意識し過ぎる「口臭恐怖症」だった。対人恐怖症の一種で、精神療法の「森田療法」などの効果が期待できるが、心療内科医は原因を詳しく聞き取ろうともせず、山盛りの薬だけを提供した。

 カズアキさんは最初、服薬をためらったが、飲んでみると、気力がよみがえってくるのを感じた。「友達に遅れをとりたくない」と通信制高校に入学し、バイトでお金をためた。18歳の時、「自分を変えたい」と海外の高校に留学した。

 カズアキさんも両親も、こころの問題は克服できたと思っていた。しかしそれは、大量の薬で、まるでドーピングのように無理やり引き上げた偽りの気力だった。日本から持参した薬がなくなると、言い知れぬ不安感に押しつぶされそうになった。人前での緊張も、かつてないほど強まった。そんな時、手に入れたのが大麻だった。

「向精神薬で元気になれた経験があったので、同じ感覚で大麻に手を出してしまった」

 20歳で帰国し、大麻はやめたが、離脱症状と見られる睡眠障害に陥った。ある日、「手の先から電波が出ている」「地震が来る」などとつぶやき、以前の心療内科を受診した。留学先での大麻の吸引も正直に明かしたが、その影響は全く考慮されず、統合失調症と即断された。


医師の理解なく独自に減薬

 以後、典型的な誤診の泥沼にはまった。抗精神病薬などが増え、その影響で精神症状が強まり、病状悪化と判断されて精神科病院に入院、さらに薬が増えてめちゃくちゃになるパターンだ。

 カズアキさんは薬の副作用が表れやすく、ある抗精神病薬を多量に飲んだ時は、強迫性が極端に強まった。目に入る文字をすべて読んでからでないと、次の動作に進めない。ガスコンロを着ける前に、張ってあるシールの小さな文字をすべて読み、シャンプーやリンスも、容器に書かれたすべての文字を読み終えないと使えなくなった。床のつなぎ目などの線にもこだわり、線をまたいでは一歩下がる動作を繰り返した。また、別の抗精神病薬を初めて飲んだ時は、激しい興奮が数週間も治まらず、入院中の病院から飛び出して裸足で川の中を走り続けるなど、制御不能の状態に陥った。

 「これは統合失調症ではない。薬の影響だ」。そう断言する精神科医と巡り合い、抗精神病薬などを抜いていくうちに症状が安定した。そして最後に残ったのが、複数のベンゾジアゼピン系抗不安薬だった。

 誤診を指摘し、親身になって支えてくれた複数の優れた精神科医たちも、ベンゾの常用量依存の問題はそれほど重く受け止めていないようだった。だがカズアキさんは、ベンゾの長期服用で表れる様々な副作用や、薬の効果が切れかかると頭をもたげる強い不安感を、なんとかしたかった。「薬に頼っていては一歩も先に進めない」との思いが強まった。

 ベンゾの断薬は3度試みた。減薬や離脱症状に対応してくれる医師を捜したが見つからず、英語版のアシュトンマニュアルなどを参考に自分で行うしかなかった。減薬を始めると、室内の照明がまぶしく、耐えられないほどの重い光過敏が起こった。不安感が強まり眠れず、食欲がうせ、感情が高ぶり、ふすまをけるなどの行動を繰り返した。そのため2度は断薬をあきらめ、ベンゾの服薬を再開した。

 服薬期間があまりにも長かったため、離脱症状が重く、長く出てしまうのだ。2010年5月から試みた3度目の減薬では、アシュトンマニュアルが示す減薬ペースよりも、更にゆっくり行うことにした。飲んでいた2種類のベンゾの錠剤を細かく砕いて水に溶かし、一定濃度の水溶液を作った上で、飲む量をわずかずつ減らしていった。途中、ベンゾの種類を長時間作用型に替え、さらに減薬を進めた。

 それでも、苦しい離脱症状が襲いかかった。加えて、いじめられた時の体験などが脳裏によみがえるフラッシュバックが頻繁に起こり、長時間動けなくなった。母親が水を飲ませようと渡したコップを、握ったまま何時間も固まってしまう。居間の隅で2日間立ち続けたり、風呂に2日間閉じこもったりした。

「すぐに病院に連れて行きたいほど、壮絶な状態でした。でもここで行ったら、また薬が投与され、振り出しに戻ってしまう。とにかく、耐えるしかなかった」と母親は振り返る。

 減薬中、カズアキさんは興奮して物を壊すことはあっても、家族への暴力行為がないのは救いだった。「減薬中、ひどい暴力行為が現れたケースも聞きます。もし、うちもそうだったなら、支えきれなかったかもしれない」

 東日本大震災の直後、不安が募って一時的に服薬量を増やしたことはあったが、2011年12月、断薬にこぎつけた。それから7か月。軽くなったとはいえ光過敏が続き、不安の波が急に襲ってくる。疲れやすく、考えがまとまらない。だが、最近は家の周囲を散歩できるようになり、体調は上向いている。

「まだ頭が混乱して、うまく話せなくてすいません。あと1、2年したら、たくさん話せるようになると思います。その時、また来てもらえませんか」。別れ際に、カズアキさんはそう言って笑った。

 カズアキさんのベンゾ依存は、医師たちの不適切な処方でもたらされた。ところが、いざベンゾの減薬に挑もうとすると、困難さを理解して支えてくれる医師は誰もいなかった。

 この集団無責任体質が、現代の精神医療を象徴している。


 統合失調症の誤診やうつ病の過剰診断、尋常ではない多剤大量投薬、セカンドオピニオンを求めると怒り出す医師、患者の突然死や自殺の多発……。様々な問題が噴出する精神医療に、社会の厳しい目が向けられている。このコラムでは、紙面で取り上げ切れなかった話題により深く切り込み、精神医療の改善の道を探る。

 「精神医療ルネサンス」は、医療情報部の佐藤光展記者が担当しています。
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2012年7月3日 読売新聞)

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