抗不安・睡眠薬依存(3) 奇妙奇天烈な主治医の見解

 アシュトンマニュアルを翻訳した田中涼さん(40)は、ベンゾジアゼピンの離脱症状の激しさに加え、離脱症状にあまりにも無知な主治医の対応に苦しめられた。

 田中さんが、人前で過度に緊張したり、汗を多くかいたりする症状に悩み、精神科クリニックを受診したのは2004年夏。社交不安障害と診断され、2005年初めごろから抗不安薬のソラナックスを飲み始めた。1日2・4mgの最大用量が処方され、同年秋には別のクリニックに移ったが、そこでもソラナックスの最大用量の処方が続いた。田中さんは副作用を心配したが、2つめのクリニックの主治医が「何年も服用していい安全な薬」と話したため、計4年半飲み続けた。

 だが、効果はあまり実感できず、「お守りみたいな感覚で飲んでいた」と振り返る。日中、ひどい睡魔に襲われるなどの不調が続き、日常生活にも支障が出たため、2009年4月、主治医に薬をやめる相談をした。「抗うつ薬はやめ方に気を使うが、これは大丈夫。半分に割って服用量を減らし、その後にやめたらいい」とのことだった。

 田中さんは主治医の助言に従い、服用量を半分にした。「激しいイライラ感」などの症状が表れたが、それが離脱症状とは気づかず、7月に断薬した。この急激な減薬と断薬が、重い離脱症状を引き起こすとは考えもしなかった。断薬開始の2日後、外出中に日光がひどくまぶしくなり、目を開けていられなくなった。眼痛も起こり、帰宅後に意識がもうろうとして、救急車で病院に運ばれた。

 主治医に相談すると「離脱症状の可能性があるが、3、4週間で消える」と言われた。田中さんはその時、初めて離脱症状という言葉を知った。以後、主治医の言葉を信じてひたすら耐えた。まぶしさや眼痛でテレビやパソコンがほとんど見られない。音に過敏になり、風鈴の音がガラスの割れる音に聞こえた。深夜には、虫や小動物が近くをはうようなゴソゴソとした音が聞こえ、部屋中に殺虫剤をまいたが何もいなかった。

 4週間後。体調不良はますます進み、新たな症状も表れた。布団の中でうとうとし始めると、頭部が必ずカクカクと左右に動き、目覚めてしまう。「入眠時ミオクローヌス」という不随意運動の一種だった。飛蚊症が著しく悪化し、眼圧も次第に上昇した。もともとの症状だった発汗過多も、さらにひどくなった。

 そこで、免疫関係に詳しい別の医師に相談すると「ベンゾの依存性がついていると思う。眼圧は再服薬すると下がる」とアドバイスを受け、残っていたソラナックスを少量飲んでみた。すると、緑内障を発症しかねないほど上がっていた眼圧が低下した。ソラナックスはそれ以来やめた。

 このような経過を主治医に電子メールで伝えたが、回答は「症状再燃と思われる」だった。主治医はなぜか、ベンゾの離脱症状は短期間で消えると信じており、田中さんの症状は、服薬前の症状が断薬によって再び表れたと解釈した。さらに3日後、ベンゾの減薬で一時的に強まる不安感によって生じる「偽性離脱症状」の可能性もあるとメールが来た。要するに、田中さんが訴える症状は離脱症状ではなく、田中さんが勝手にそう信じ込んでいるだけ、と決めつけたのだ。光過敏などはベンゾの典型的な離脱症状であるにもかかわらず。

 断薬から10か月、田中さんはNPO法人の仲介で、主治医と3時間の話し合いをした。すると主治医は「離脱を契機に顕在化した潜伏していた疾患」と、またまた別の解釈を持ち出した。これは症状再燃とは違い、服薬前ではなく服薬中の4年半の間に発症し、ベンゾの影響でたまたま気づかず、断薬によってようやく表面化した疾患だという。精神科医はしばしば、こうした根拠のない奇妙奇天烈な解釈を次々と繰り出し、不適切な治療の影響を患者の問題にすり替える傾向があるので要注意だ。

 田中さんは、主治医の無理解とひどい体調不良に苦しみながらも断薬を続け、国内外のベンゾ関連の論文を読破した。欧米ではベンゾの害は広く認知され、多くの国が処方を4週間以内に抑えるガイドラインを設けていることや、「ベンゾジアゼピンはヘロインよりも離脱しにくい」と指摘する医師がいることも知った。

 離脱症状を抑えながら断薬するための手引書として、世界中で使われているアシュトンマニュアルも知った。アシュトンさんにメールで症状を伝えると「ソラナックスの最大用量を4年半も続ければ、離脱症状が長期化しても驚くべきことではない。飛蚊症もよくある症状」と回答があった。

 そのメールを主治医に見せると、やっと離脱症状だと認めた。症状に苦しみ始めてから、2年がたっていた。2011年11月、主治医が田中さんの症状とその原因について書いた文章の一部を引用してみよう。


 田中さんは現在も、ベンゾジアゼピンの離脱症状が持続しており、それはベンゾジアゼピン受容体の数的減少および構造変化に基づく可能性が高いと考えられます。

 現在見られる症状としては、光過敏および角膜乾燥症、眼圧亢進、光視症、霧視、筋攣縮、睡眠時の歯ぎしり、入眠時ミオクローヌス、触痛覚異常、耳鳴りが挙げられます。また、眼精疲労、視力低下、飛蚊症、不随意運動は、ほかの離脱症状発現前には存在しなかったとのことであり、これらも離脱症状である可能性が考えられます。


 海外の医学的常識が、日本では通じない例は少なくない。「日本の精神科医は薬物依存に無知な人が多く、あてにできない。海外の重要な情報を、患者や薬物依存の被害者が共有できるようにしたい」と、田中さんは2011年、アシュトンマニュアル日本語版の作成を決意した。アシュトンさんらと連絡を取り合いながら翻訳を進め、「正しい治療と薬の情報」誌編集長の別府宏圀さん(神経内科医)と、東北文化学園大教授の田中勵作さん(神経生理学)が医学監修を行った。

 田中涼さんは「日本ではベンゾジアゼピンの離脱症状が軽んじられてきたが、数か月や数年、場合によっては永続する人がいることを、医療関係者は正しく認識して欲しい」と話す。

 国連の国際麻薬統制委員会は、2010年の報告で、ベンゾジアゼピン系睡眠薬の消費量が突出して多い日本を問題視し、「日本の消費量の高さは、不適切な処方とそれに関連する乱用に基づくものではないか」と指摘した。日本でも、処方期間を限定する公的ガイドラインの早急な作成が求められている。


 統合失調症の誤診やうつ病の過剰診断、尋常ではない多剤大量投薬、セカンドオピニオンを求めると怒り出す医師、患者の突然死や自殺の多発……。様々な問題が噴出する精神医療に、社会の厳しい目が向けられている。このコラムでは、紙面で取り上げ切れなかった話題により深く切り込み、精神医療の改善の道を探る。

 「精神医療ルネサンス」は、医療情報部の佐藤光展記者が担当しています。
 ご意見・情報は こちら( t-yomidr2@yomiuri.com )へ。 お寄せいただいたメールは、記事で紹介させていただく場合があります。

2012年6月26日 読売新聞)

本文ここまで
このサイトの使い方

ニュースなどはどなたでもご覧になれますが、医療大全や病院の実力、マークのついたコーナーは有料会員対象です。

読売デジタルサービス

読売新聞では、ヨミドクターに加え、様々なデジタルサービスを用意しています。ご利用には読売IDが必要です。

頼れる病院検索

地域や診療科目、病名など気になる言葉で検索。あなたの街の頼れる病院や関連情報の特集を調べられます。

プレゼント&アンケート


報道写真記録「読売新聞記者が見つめた~東日本大震災300日の記録」5名様にプレゼントします


YOMIURI ONLINE新着情報
yomiDr.記事アーカイブ

過去のコラムやブログなどの記事が一覧できます。

読売新聞からのお知らせ

イベントや読売新聞の本の情報などをご紹介します。

子育て応援団
ヨミドクター Facebook
お役立ちリンク集

すぐに使えるリンクを集めました。医療、健康、シニアの各ジャンルに分けて紹介しています。

発言小町「心や体の悩み」

人気の女性向け掲示板「発言小町」の中で、心や体の悩みなど健康について語り合うコーナー。話題のトピは?


 ・生理前のイライラについて

 ・食欲が落ちない中年女性(悲)

薬の検索Powered by QLifeお薬検索

お薬の製品名やメーカー名、疾患名、薬剤自体に記載されている記号等から探す事が出来ます。
⇒検索のヒント

yomiDr.法人サービスのご案内

企業や病院内でも「yomiDr.(ヨミドクター)」をご利用いただけます。

yomiDr.広告ガイド

患者さんから医療従事者、介護施設関係者まで情報を発信する「yomiDr.」に広告を出稿しませんか。

PR
共通コンテンツここまで