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トマトラボラトリー

卒業の記憶

  • Posted by: さと
  • 2013-06-24 Mon 20:07:52
  • 日記
卒業式の記事がかきかけだったので、日の目に出そうと思い立ちました。
当時書いた部分はちょっと色を変えてみようと思います。



卒業してきました。
卒業式からしばらく経ちましたが、実感があったりなかったり、色々です。
卒業旅行が目白押しで、その関係で友人と話す機会も多く、また制服を着て彼らにおはようと言うのではと思ってしまいます。
学校に行っても、いつも通りだし。

卒業式の前日、友達に借りた漫画で泣いたのをきっかけに、思い出し泣きができるようになりました。
それまでは全く実感がなくて、普通の登校日のような気さえしていました。
いっぺん涙が出たら、急に別れが悲しくなって。
これからも仲良くする友達はいるんでしょうが、この髪の色で、紺色の服で、この距離感で騒ぐことはないんだなと思うともう。
これからも楽しいことが待っているんだと思います。
それでも、この高校生活の雑多な感じが終わってしまうのが悲しい。
高一の始め、とんでもないことになった、と思いました。
周りのレベルについていけず、ひいひい言いながら課題をやっつけた日々。
慢心して優勝を逃したコーラスコンクールや、時かけ鑑賞会なんてものもした。
みんな忘れてるんだろうな、と思うことまで思い出してみました。
みんなの表情とか動きとか、もはや私が勝手に作り上げた記憶かもしれないけれど、懐かしくてしょうがなかった。
別れるのがいやだ。ずっとこのままでいたい。
前日はそんな感じでした。
「ずっとこのまま」と言っても、私は未来を見据えて毎日を過ごしているみんなが好きだったわけです。
だから、もう一周できるよっていわれてやってみても、それほど楽しくはないのかもしれません。
で、枕を涙でぬらしながら眠りにつく、と。

当日。
放課後は打ち上げが控えているので、朝のうちに卒業アルバムのコメントを集めます。
仲良くしている人ほどコメントが思いつかない法則。
そして文末に全部!をつけてしまう。

私「びっくりマークの多さがコミュ障度を表してるよね」
友達「わかる。僕一人平均5個はつけてる」

オリジナルのサインを書いてる人や、変な言葉を書いてる人や、いたってまじめに書いてる人がいて、おもしろいなあと思って泣きそうになりました。
私の大好きな子の卒アルを巡ってちょっとした言い合いがありました。
友達「私、○○にさとよりおっきくコメント書かせてもらったもんね~!」
私「私は、○○ちゃんが大好きだけど、だからこそ大きなスペースを占領するなんてことはできるわけなくt……(ブワッ」
友達「……何泣いてんのm9(^Д^)」
ここで私は泣いた(一回目)
○○ちゃん関連は泣きやすいんです。
前日もそうですが、一回泣くとあとは簡単なもので、入場待機の列では常に涙目。周りに笑われてました。
「ああ、みんな笑ってるなあ」とか考えたらアウトです。泣く。
みんなそれどころじゃないので、あまり泣くのもどうかと思ってました。でもだめでした。
そして式が始まります。

入場~自分の呼名まではなんとかこらえました。コツは無心でいること。
私の後ろ三人目辺りから立ったまま泣いてましたけどね。
「はい!」っていう声がみんな凛々しくて……。泣くなっていう方が無理でした。
六年前の入学式と被ったりもしてしまった。
右も左もわからずに、新品の制服に着られながら、30分前に聞かされた校歌を歌ったっけ。
まだあのときは、男子はちっちゃくて声も高くて、女子はみんな髪を結んでいて…ってね。考え出すとやっぱり呼名は泣き所なんですよ。
後ろで鼻すすってた花粉症よりは静かに泣いてた自信があります。

総代は大好きで尊敬しまくっている子だったので泣きました。まあ、○○ちゃんです。
その子の親だって泣いてないと思うんですけどね。

校長の話はありきたりで、三年間の出来事を淡々と述べていく感じのものでした。とても退屈な話だったらしい。
しかし、このときの私には話の中身は関係なく、「文化祭」という単語一つに涙が出てきます。
勝手に想像して勝手に悲しくなってる。そんな感じ。
次にPTA会長のお言葉をいただきました。
こちらは良い話で。
ある塾の入塾面接で、「自分の人生の中で、運が良かったと思うことを述べてください」という質問があったという話。
正解(というべきかはわからないけれど)は、「自分が今ここにいられるのは多くの人に支えられてきた結果で、それを考えると自分はとても運がいい」といったものだったそうです。
私も、自分なりに質問の答えを考えていたら正解もその通りで。これは入塾できるんじゃないかな??
冗談抜きに、私は本当に運の良い人生だったといえます。
周りの友達はそれぞれにいいところがあって、その影響を受けることができた。
甘ちゃんな私を叱ってくれる友達もいた。
嫌なことがあっても奮い立たせてくれる先生たちもいた。
六年前、こんなに素晴らしい六年が待っているとは思っていませんでした。
こんなこと言ったら怒られるだろうけど、中学受験をしたのは、入試問題がおもしろそうだったからです。
受かるはずないと思っていたし、受かった先のことなんて何一つ想像していませんでした。
それが、うまいこと拾っていただいて、いろいろあっても最後にはいつも楽しい出来事ばかりがあって。
受験してよかった。
もう一度受験するかしないかの選択ができたとしても、受験しましたよ、もちろん。
私が入学したことによって受からなかった子が一人いるわけだけれど、私が過ごした六年はその子が焦がれた六年だったのかもしれないけれど、それでももう一度。
私の六年は誰にも渡したくありません。
そんな風に思える学校生活でした。
そして目玉の答辞。
無事フラグはへし折って、級友が読むことになりました。なんか申し訳ないです。
いや、申し訳ないなんていったら怒られますね。私はあんなにかっこいい答辞は書けないし、読めません。泣いてるから。
イギリス研修、私は行っていないのですが、答辞さんの言葉から想像しただけで「そりゃあ忘れがたい経験だろうなうんうん」と涙があふれてくる始末。他人の思い出にまで私の涙腺が進入しちゃってもう。
そして答辞さんとはお昼を一緒に食べる仲だったので、ちらっと私も登場して!!!
日々のお弁当風景を思い出して嗚咽が漏れそうに…。拳を握りしめて必死に堪えました。本当に泣いてばっかりです。
最後のお弁当は私がノロってて不参加だったのです。ちょっと悔やまれるけど、もしうつしていたらと思うと人生かけて償う(センターの週だったため)ことになっていたので良かったのでしょう。
「最後の、が付くにふさわしい毎日を送ってください」という後輩へのメッセージが、いまも頭に残っています。
この一年、何事にも「最後の」を付けて過ごしてきました。
終わってから後悔がないように、全力疾走してきたつもりでした。
うれしいのも悲しいのも、全部かみ砕いて飲み込んで忘れないでいようと思っていました。結局私は、いっぱい忘れてしまったけれど。
また戻りたいなあと思います。でもそれは、後悔ではなくて、あまりに楽しい日々だったからです。
全部かみ砕いて飲み込んだ後味が微妙に残ってて、もう一度食べたくなるからです。
きっと、私の高校生活で何かがひとつ欠けてたら、また違う風に思ったんじゃないかな。
周りの人たちへの感謝でいっぱいです。
「高校最後の」は無事、「高校最高の」になってくれました。

式が終わり、いよいよ退場という時がきました。
一組から順に立っていって、礼をする。
BGMは後輩オーケストラによる蛍の光。泣くぞわ。
途中、在校生と親からの拍手が始まって、堪えられなくなりました。
そんな私を見て、例の○○ちゃんは涙がひっこんだみたいです。なんか申し訳ない。
起立して、礼して、卒業生と在校生の間を抜け、左手に先生方が見えました。
見たら絶対に泣くから見なかったけど。



ここまで、高校生の私が書いてます。
これ、たぶん今の私には書けません。泣いてばっかりですけどね。
このあと、担任たちの挨拶があって、花束贈呈があって、用意してた色紙も渡して、それから写真撮影をしました。
あまりに長く続くフラッシュとシャッター音に「飽きた」「まだ撮ってるの??」という声が口角あがったままの口から飛び交いはじめたので、適当に撤収。
吹奏楽の後輩がカメラを渡されて撮影させられてました。後輩ってこうやって使うんだね!
それからなにしたっけ。担任に卒アルコメント書いてもらったり、友達と写真を撮ったり、のっぽ2人に肩車させてみたり。
まあ普段通りに過ごしました。
もう普段なんてないんだなあって思いながら。

それから部活の後輩が企画してくれたお祝い会で銅テルミットを実演してもらったり卒アルコメント書いてもらったり。
銅テルミットすごいね。天井までつきそうなほどの火花。酸化銅(Ⅰ)でこの威力だっていうんだからⅡでやったら新聞にのるわな…。

後輩の見送りの後は、クラスの打ち上げ。
食べ放題にいって男子が頼みすぎた分も女子で消化して、二次会のカラオケに。
途中アニソン大会になりかけて焦ったけど、最後には中夜祭かよと思うほどの盛り上がりに。これでこそこのクラス。大好き。
あー終わった、と思って20時。三次会にファミレスに行ったら、高三生の巣窟でした。
恒例の男子を交えたガールズトークをしてみちゃったりして、条例のために2時に解散。
つい、また明日ねなんて言ってしまいそうでした。
それどころかばいばいも言わずに別れた人たちもいるもんなあ。日常って恐ろしいです。


こんな感じの卒業でした。懐かしいなあ。

俯瞰視点の青春談義

  • Posted by: さと
  • 2013-06-09 Sun 23:24:33
  • 日記
先日、ついこの間まで通っていた高校の文化祭に行ってきました。
この文化祭に思い入れの強い人たちはわざわざ関西から帰ってきたりしていて、帰省組に仲のいい子が多かったのでわくわくしながら学校へ行きましたよ。
まだ無意識で校舎の中は歩けました。文化祭特有の上ずったテンションが非常に懐かしい。
クラスTシャツを着て、「ああ忙しい、忙しい」と嬉しそうに校舎を歩き回る中学生がかわいかった。忙しいのが楽しいのわかるよ。
どこからともなく漂う内輪臭が分かってしまって、ああ私はこの高校の一員ではないんだと。一周したスリッパの色や「先輩お久しぶりです!」という言葉からもそう感じました。

友人たちはやっぱり会えると安心しますね。気を抜いたままでしゃべれるのでHP回復しました。
次に会えるのは夏になりそうですが、正直待ちきれない!
ただの執着といえばそれまでですが、高校時代は今のところ一番濃い生活を送ってきたので。やっぱり印象も強いです。

お世話になった先生方にもたくさんあってきました。
ある先生には「さと、あんたよく6月まで学校に来ずにやってこれたね!」って褒められちゃいました。
毎日高校の前を通ってるから行きたくてしょうがないんですが、坂と眠い頭が勝ってくれたおかげで踏みとどまってたんだよなあ……。
先生は私の執着癖をよくわかっていらっしゃる。いまだに教室ひとつが懐かしくて泊まり込みたくなります。
化学の先生には「混成軌道がわからない」と愚痴ったり。
朝からずっと会いたい先生とは何度も何度もすれ違って悲しかったです。
最後に会えた時は思わず涙が出ましたよ。会っただけで涙が出てくるひとってたぶん二人しかいない。
君らのクラスの雰囲気が懐かしい、って言われて、私も懐かしいなあと。
小学生みたいに遊んだり、日向ぼっこしたり、物理談義したり、おしゃべりしたり、すごく楽しい物理の時間だったなあ。授業してないみたいだけど。ちゃんとしてましたよ。
あの真剣にほんわかしていたメンツとまた会いたいです。二十歳になったら飲み会誘ってーって先生に言われたので私は頑張ります。

先輩方にもお会いできました!
「先輩、お久しぶりです!」を私もここで発動。後輩モードに切り替わります。
遠くの先輩はこの文化祭くらいでしか会えないから、すごくすごくうれしかったです。
顔見られるだけで幸せですよね。
一番年が離れてる先輩とは、もう出会ってから六年になりました。学年一周しましたよびっくり。
いまでも交流が続いてるのってすごいですね。twitterさんの力や。

換気しているのにもかかわらず蒸し暑い校舎の中、体中で感じたのは、生徒たちが一番この祭りを楽しんでる! っていう確信。いやあ、おばさんも楽しかったけどさ、負けるよね。
あのめまぐるしく変わる景色を、去年までよりちょっと高い位置から見られたような気がします。見られた、っていうか「見なきゃいけなくなった」ですかね。
楽しみの渦中にいられなくなったのはやっぱり寂しいです。だから私も、後輩たちに負けないくらい楽しんでやります。
「永遠と 思いこんでた 『青春』の 二文字の中に 『月日』があった」
twitterでさっき流れてきた短歌です。うまい。
中にいたら永遠かと錯覚するような日々をちょっと抜けて、斜め上からのぞいてみると、月日の経過に気が付きました。
卒業して何か月経ったか…という感じですが、実感としてあまりなかったんですよね。ネットにつなげば当時の友達と他愛無い話がすぐにできるわけですし。
今日、母校訪問してみて、そんな当たり前のことを今更感じました。
時計ってぐるぐる回ってるだけだから、進んでるような気がしてこないんですよ。それは私だけか。

三年越しのプレゼント

  • Posted by: さと
  • 2013-05-22 Wed 23:35:25
  • 日記
七五調っていうんですか? このリズムって言いやすくていいですよね。
セブンイレブン、いい気分。

大学、というとイメージされるレポートの提出。
まだ一年なんでかなり少ないですが、最近ちょこちょこ書く機会があってですね。
なかなかテーマが決まらなくて焦っていたときに、ふと中三で書いた論文()の存在を思い出しました。
レポートを書かなきゃいけない講義では、匂いと味の関係というものにも触れていたので、その辺でテーマを寄せられないかな、と。
アンケートも取ったし、一応あの時の自分の考察もあるし。
それになによりトマト好きだし!
中三の時に削った睡眠時間が、大学生になって恩返ししてくれるとは思ってもいませんでした。
今は記事消しちゃってますけど、当時の記事を読むと忙しさが伝わってきます。大したことないんだろうけどね。
かつて、泣きながら拒もうとした全校発表が、今につながっていてなんだかとてもうれしいです。
あの発表がなかったら、今でも人前は全くダメだったと思います。今はちょっとマシになりました。

最近嬉しかったのは、私が発表した当時中一だった後輩が、いまだに私が発表した内容を覚えていてくれたことです。
私が中一のときの発表内容は覚えてないな……。中二のときは「国と色認識」みたいな何かでしたね、確か。
私の発表は、論文としては薄い内容でしたが、私にとって大事だったのは「眠くならない発表をすること」と「記憶に残る発表にすること」でしたからね。達成できたっぽくてほくほくしています。

ここまで、いかにもレポートを書き終えた体で書いていましたが、実は終わっていません。書いてきます。
原稿用紙40枚書ける私を、A4二枚のレポートなんかで止められるわけが!!! わけが……orz
ついったーのやりすぎで言葉が出てこなくなっています。これも危機感。
考えてみれば、長めの話は夏休み以降書いていません。これはいかんな。それ以降書いたのも二次創作が多い気がする。
次に書きたいのはロッカーの話です。学校の七不思議的な。書ききれるかなー。
その前にレポートです。レポートレポートレポート。

つくもがみシステム

  • Posted by: さと
  • 2013-05-12 Sun 15:26:29
  • 日記
いつだったか、Twitterで、「日本人はモノに心が宿る話が好きなんだと思う。これを『つくもがみシステム』と命名しよう」という呟きが回ってきました。
ちょこっと調べてみても、アメリカやヨーロッパの人たちは「モノはモノ」という考えの人が多いみたいで。
アメリカで電子書籍が普及している理由についての記事に「アメリカでは旅行先で一度読んで捨てられる本も多い。そのために、安い紙で作られているものも」と書いてありました。
日本だったら、まあ雑誌は別ですけど、そんなほいほい買った本を捨てませんよね。
私も、昔の本を大切にとっておきたいなー、と思うことが最近多いです。
「モノに愛着がわく」っていうのは日本人に強い性質なんじゃないかなと。
汚くなっても、壊れかけても、修理してきれいにして長く使い続けたいっていう気持ちって素敵ですよね。

パソコンを立ち上げて、壁紙を探してたら、はやぶさの最後の写真を見つけたんです。
前から好きな写真だったんですが、久しぶりに見ても胸が締め付けられました。
それからちょっと、はやぶさのすごいところや日本の科学者の変態力について調べてみたらほんとにすごいのなんのって。
科学者たちの期待に応えようと、はやぶさが一生懸命戻ってきたようにしか見えない。
モノとしてみれば「科学者たちが想定外の想定外まで考えて作ったんだ! 技術力すごい! すごいもの作った!!!」なんだろうけど、やっぱりそれだけじゃないんじゃないかと思ってしまうのが日本人の性。
これを打っている間も、ずっと喉が苦しいです。いやほんと。
大勢の人が一丸になって一つのものに向かう姿もすごくかっこよかった。それだけの気持ちがはやぶさに乗っかってて、どうして「ただのモノ」って言えるんだろう。
人間だって、分子の集合体です。別の構造をもった地球外生命体から見たら、よくできたモノだなあ、って思うかもしれない。…なんかおかしな話になってしまいましたね。
結局、人間が作ったものだからモノなんだ、と。そういうことなんだろうけど。
「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」なんて言葉があります。本当は、アイデアの大事さを伝える言葉らしいです。
そんな感じで、成功も99%の努力と、1%の何かよくわからない力でできてるんじゃないかなーと思ったり。
それは運だったり、誰かの協力だったり、いろいろあると思います。
はやぶさプロジェクトにおける、その何かよくわからない力、が例のつくもがみシステムのように思えてしょうがないんです。
見れば見るほど「はやぶさ生きてるだろうわあああ」ってなります。例のラストショットとか。
実際にカプセルを見に行ったときには、ドヤ顔してるはやぶさくんが見えたような気さえしましたよ。病気ではありません。
最後の写真だって、別に撮る必要はなかったと思います。あとは大気圏突入だけだったし。
それでも写真を撮ったのは、「はやぶさに地球を見せてあげよう」っていう気持ちからだったんじゃないかなと私は思っています。
母は、「科学者が、モノに心が宿るなんて感じるはずがない」と言っていましたが、案外そう思っちゃうんじゃないですかねえ。

ロマンを感じます。
今日の生活に困ってる人がいるのに何が宇宙だ、という人も多いんでしょうか。
わからないではないですが、削るなら宇宙より別の場所があるのでは。
ロマンじゃ生きていけないけど、ロマンがなくても生きていけない!
現実的で合理的なだけの世の中は楽しくありませんから。

いいですね、つくもがみシステム(投げやり)

ミニうんたら

  • Posted by: さと
  • 2013-05-06 Mon 00:45:16
  • 日記
まともに日記らしい日記を書いていないので、久しぶりに書いてみます。
GWは、だらだらする暇もないはずなのにだらだらしていました。
地元に残っているということで、ミニ同窓会の幹事をしつつ。
入学してまだひと月しか経ってないんですけどね。せっかくなので会えたらいいなあと。

今回はただごはん食べてひたすらしゃべるだけの会でした。
ひと月会ってなかったけれど、それこそ夏休み明けのような感じで、違和感もなく楽しめました。
明日学校があったら会えそうな感じ。会えないんだなあ、と思って一人悲しんでいたりします。
大学も楽しいけど、高校の友達はやっぱり安心しますね。
距離感が確立してるから、どこまでやっていいかわかってるし、どこまで受け入れてくれるかもわかってる。
時間が経ったら、大学の友達もかけがえのないものになるんだろう。そうなりたい。

私が幹事を引き受ける理由は、地元だからってのもありますが、一番の理由は「私がみんなと会いたい(遊びたい)から」です。
人にお願いだけして自分がひたすら楽しむのは悪い気がして……。
言っても、大した働きはできないんですけどね。

Twitterで毎日会話していても、たまにSkypeで状況報告をしていても、それでも顔を合わせるのは嬉しいなと感じました。
むしろ、SNSで連絡を取り合っている人ほど、会ったときの感慨は大きかったように思います。
自分の選択と強運さに感謝したりもしました。この仲間と出会えてよかったなあと。
本当に偶然の塊でここにいますから。幸せものです。
大声で音頭を取る元学級委員や、恋愛の話になると急に熱くなる女の子が、すぐ近くにいるっていうこと自体に癒されます。
大学の友達の高校時代の話を聞いて、母校がどれだけ真面目だったかを思い知ったのですが、まあこれでよかったなと。
許される範囲を目いっぱい走り回って、笑いあえるのが最高だなって思いました。
中学の頃から高校の楽しみを、高校の頃から大学の楽しみを知ってしまうのはもったいないです。
その時々のラインギリギリで楽しむのが青春ってやつだろ! と。22時を超えても帰らなくていい喜びを噛み締めながら思ったのです。
いつかおばさんになって、高校時代の600日どれかをもう一度体験できるよって言われたとします。
選んだのが、行事やテストもない、普通の一日だったとしても、30年後の私にはとても眩しく思えるんじゃないかな。
坂を上って席について、授業を受けてお弁当を食べる。それだけの一日を懐かしむ日がいつか来るんだろうな。


クラス会や打ち上げから帰ってお風呂に入っている間が一番悲しいです。なんでかわからないけど。
明日こそ勉強しなきゃなー!!

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