山形浩生 の「経済のトリセツ」

2013-06-26 イタリアファッション:縫い手がいない!

[]イタリアファッション:縫い手がいない! あるいは機械との競争で勝つにはみんな大学に行かせろ、というのは本当なのか?


The Economist で見つけた記事。

イタリアファッション:縫い手がいない! (2013/6/22号)


全部訳すのはあまりに煩雑なんだけれど、つまるところ現在、イタリアの縫製業界が人手不足で困っているという話。イタリアのファッション業界がきわめて高い評価を得ているのは周知のことだけれど、それはデザインだけじゃない。当然ながら、その高度なデザインを支える高い縫製技術があるから。ところが、そうした人々はどんどん高齢化する一方で、若者はそういう職につきたがらない。するともうイタリアファッションがいずれ支えられなくなるのでは、というお話。

イタリアは一方では高失業率で悩んでいる。でも一方ではこういうところで、人手不足がたくさん生じている。でも肉体労働や手作業、工業の現場に対する蔑視があって、みんなホワイトカラーのオフィスワークで楽な高給取りになるのを夢見ている。だから給料はどうあれ、そういう職場に人は行こうとしない。

これに対する標準的なお答えの一つは、規制緩和しろ、労働力の流動性を高めろ、というものだ。でももちろんいまの話ですぐにわかるのは、それがたぶんまともな答えにはならないということ。だれも縫製職人になるのを止めたりしていない。解雇規制のせいで、古い職にしがみつく人が多くなって、必要なところに労働力がいかない、というのが規制緩和の議論となる。でもすでに失業者が多いのなら、彼らが新規参入するのに規制はない。ただ、こうした職人や技能の高い労働はそれなりの修行も必要で、すぐにはできない。そして職業的な偏見もすぐには消えない。これは、規制緩和だの労働力の流動化ではどうにもならない。

実はこの問題は、イタリアだけじゃない。目につくところでは、チュニジアとかエジプト、アラブ圏の国々もこれに直面している。チュニジアはベンアリ時代は独裁で、失業率が高くてそれでアラブの春が起きて、というのを聞いて、多くの人たちはチュニジアの人々が学校もいけず貧困のどん底になって不満が爆発したように思っている。でも実はちがう。チュニジアは高等教育に力を入れて、大学生がやたらにいて、職を見つけられないのもかれらだ。アラブの春の発端となった屋台売りの自殺は、低学歴ではなかった。大卒だった。大卒なのにそんな職しかない、というのが彼の不満だったのだ。でも逆にいえば、そんな職はあったわけだ。実は、単純労働目当ての工場がほしければ、チュニジアの立地からしてすぐに投資がきたはずだけれど、チュニジアはそういうのは蹴っぽっていたのだ。アラブの春の一年ほど前にぼくがチュニジアを調べたときには、大卒者の職をどう造るか、というのが国としての大きな課題だった。そこが失業の最も深刻なところだったから。そしてチュニジアのデモを起こしたのは、そういう失業大卒連中たちだった。

エジプトも同じ。労働力を高度化しようとして、エジプトも大学の新設を奨励した。かれらは当時エジプトに増えつつあった工業投資とかに対応する人材供給――つまり工業大学や理系大学――ができることを期待していた。ところが、できたのは文系大学ばっか。文系の学校は、教室と机と黒板さえあればすぐにできる。理系の学校は、真面目にやろうとしたら実験設備もいるし工房もいるしあれやこれや。生徒だって、工場勤めなんか恥ずかしいと思っている。(アラブ圏はこれがすさまじく顕著)。文系大学でホワイトカラーになりたいと思っていて、需要と供給がマッチした――けど文系大学生の仕事はない。エジプトはチュニジアよりは通常の貧困層も多いから、これも程度の差はあれ、タフリール広場にいた人々はそういう階層の人がかなり多い。

アラブの他の国もそうで、サウジとか、その対策としてサウダイゼーションという悪名高い制度がある。外資が進出したら、かならずサウジアラビア人(大卒でプライドだけ高いけど経験なし=能力もなし)を一定数雇わされる。インドもそういう問題に直面している。中国もそうだ。インドはこれについて、がんばって意識改革しないと、と言ってはいるが……

で、しばらく前に採り上げたぶにょぶにょそん『機械との競争』で、提言として出ていたのが「大卒を増やせ」というものだったことにぼくが非常に懐疑的なのも、こんなところが原因。大卒増やすだけで機械との競争に勝てますって、たぶんありえないんじゃないか。そしてむしろそうした誤解と偏見が、いろんなミスマッチの原因になっている。繊維産業の縫製とかいうと、最も低技能職の代名詞になっている。だからこそイタリアでもそこに行こうとする人はいなくて、結果として縫製の中でも高度技能を担う人材も育たない。

たぶんこれがどうにかなるためには、どこかで大卒の価値が下がらないといけないと思うし、また『機械との競争』に露骨に出ていたような高技能=高学歴=大卒みたいな偏見は排除しないと、と思うのだ。大卒だからって技能なんかあるわけない、というのはみんな我が身を省みれば知っているはずなんだが。それをまさにホワイトカラーのぼくが言うのはいささかアレではあるんだけれど。そして、大学受験くらいしかまともに集中的な勉強をする機会がないので、その分の基礎学力を評価するというのは、まあ考え方としては完全にまちがっているとはいえないのかもしれないけれど……

この冒頭のイタリアのケースでも他の分野でも、いずれ市場原理でそれが実現することにはなると思うんだが、それはその前に業界まるごと消えてしまわなければの話。もちろん日本では数年前に、高卒を募集していた公務員職に大卒者が(大卒であることを隠して)応募して、それが発覚してクビになったりしていて(あれは不当な話だとは思う)すでに大卒の価値低下は起こっているのかもしれない。それがだんだん広がると、いつか高度縫製職人はものすごい高給取りになり、あれやこれや、いま見下されている職がかなり稼げるようになって、といったことが起きて、機械と競争なんて考えなくてもよくなるようなことが……

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その意味で、このDirty Jobs はすばらしいシリーズで、終わってしまったのがとても残念ではある。


ちなみにZARAは、縫製を地元スペイン(そしてヨーロッパ各地)の業者にやらせて、遠い中国に発注するより小回りのきく生産体制をつくることで成功しているけれど、そういうやり方での対応というのはどうなんだろう。

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