第4研究室 創作に関するQ&A 18P | トップへ戻る |
深村さんからの質問  
 王道はダメなのでしょうか?

 どうも、深村です。
 時に、私の作品は、頂く評価があまりかんばしくありません。
 その主な理由として、「ありきたり」「面白いが、それまで」というものがあげられます。
 私は、いわゆる「王道」的な作品が好きなのですが、
 (例:ガラスの仮面、ジャッキ―・チェンの一連の作品、シスプリ、音楽で言えばガンマ・レイ)
 やはりこれではだめなのでしょうか?
 私の考える「王道」とは、「分かっていても、体が反応してしまう!!」
 という、「ツボ」を押さえて、「ツボ」から下手にはみ出さない作品のことだと思います。
 (ツボからはみ出す作品=最後にヒロインが死ぬ、など、
 カタルシスを昇華できないで終わってしまう作品)
 王道、とは、万人が好きだから王道と言う、という話を聞いたことがあります。
 それに、「24」のような大どんでん返し!と謳う作品でも、
 王道的カタルシスは一貫しています(バウアーの活躍など)。
 私の作品でも、「王道」のカタルシスを出しているつもりなのですが……
 どうすれば、もっと皆さんに楽しんで頂けるのでしょうか?
 教えていただければ、幸いです。


●答え●

 意外性があって、かつ読者に受け入れられる作品を作るためには、
 良い意味で読者を裏切る必要があります。


 王道とは数多くの創作者によって踏襲され研鑚され効率化した物語の黄金パターンです。
 ある意味では完成されたスタイルを指す言葉ですね。
 「こうなったら、こうなる」という掟。例えば、
 『強敵に破れた主人公が、新必殺技を編み出してリベンジする』
 『さらなる強敵が出現した際、かつて倒したライバルが主人公の救援に駆けつける』
 『不思議な力を手に入れてしまった主人公が、謎の組織に狙われる美少女のために戦う』
 『血の繋がっていない妹は、なぜかお兄ちゃんのことが大好き』などです(笑)。
 これらは安心して使える物語のパターンであり、読者に確実にウケることができます。 

 しかし、王道には『退屈』『ありきたり』というデメリットも潜んでいます。
 いわば行き慣れた通学路・通勤路みたいなものです。

 
 いつも通っている道を使えば、安全にゴールにたどり着けることができます。
 ただ、そこにはなんら新しい発見がなく、おや? という驚きが無いのです。
 
 そこで、ある程度意識して王道から外れる必要があります。

 行き慣れた道にある、入ったことのない路地へ足を踏み入れる感覚です。
 そこには新しい風景が広がっており、新鮮な驚きに満ちています。

 しかし、ここで気を付けねばならないのが、
 意外性を出そうとするあまり読者を悪い意味で裏切らないようにすることです。
 例えば主人公が途中で殺され、まったく違う人物が主人公の座に付くという物語があったら、
 「いままでの主人公はなんだったんだ!?」と抗議したくなるでしょう。
 単に王道から逸脱しただけでは「うわぁ、こんなのイヤだ!」と拒否反応が起る場合があるのです。
 
 では良い意味で読者を裏切るというのはどういことかというと、
 例えば、電撃文庫に『DADDYFACE』という作品があります。
 これは大学生の主人公・草刈鷲士の元に、
 十二歳の美少女が転がり込んでくるという王道的なストーリーです。
 でも、この女の子が実は主人公が8歳の時に作った実の娘なのです。
 親子だから一緒に住むのは当たり前という展開に、度肝を抜かれました。 
 
 これは王道を踏襲しつつ、微妙に王道を外した見事な設定です。

 良い意味で読者を裏切るには、
 このように王道に沿いながら、そこに捻りを加えることがコツです。
 もちろん実行する際には、読者にどう思われるのか? よく考えてから行う必要があります。
 
 深村さんは、おそらく王道を意識しすぎだと思うので、少し王道から外れてみてください。
 その際は、くれぐれも読者を悪い意味で裏切らないように注意しましょうね。
 

東琴傭兵さんからの意見 
 ええと、東琴傭兵です。どーも。
 自分がそういう”王道”である作品に個性をいれるため工夫する手段を言うと……

 設定とストーリーが両方とも王道であってはならない。

 ということです。この二つがダブってしまうと、それは単なる似た話になってしまいます。
 例えば勇者が魔王を倒す話があるとします。王道ですよね?
 勿論これだけの話なら相当の文章能力がなければ、ボロクソに言われるでしょう。
 どうすればいいか? 勇者やその仲間、もしくは魔王の設定を変えればいい。

 と、まぁこれは自分がギャグを書くときのやり方なんですが。(笑)
 まぁ、シリアスでも大して変わりませんね。
 王道という強力な武器があっても、それは誰でも知ってる武器です。
 普通に使ってしまえば当たらない、
 だから工夫しなければいけないんじゃないですかね?
 工夫しているからこそ、その武器の威力は目立つわけです。

 ……とまぁ偉そうなこと言ってみましたが、意味不明ですね(笑)
 お役に立てそうになくてすいません、東琴傭兵でした。


DoZunさんからの意見 
 どうも。DoZunという者です。

 王道とは、確かに誰もが惹き付けられる物です。
 王道と呼ばれるからには、そう呼ばれるだけの魅力がある訳ですから。
 
 ですが、それは同時に見覚えのある作品が、
 氾濫する危険性も孕んでいるということを忘れてはいけません。

 一応作品を読ませてはいただきましたが、
 どちらの作品も「王道ではあるが、それ以上にありきたり」な作品だという印象を受けました。
 東琴傭兵さんも仰っていますが、設定とストーリー両方が王道であってはいけません。
 例えば、設定を一工夫する。ラストで大どんでん返しが待っている。
 予想外のキャラが予想外の働きをする。

 そういった、「見覚えのある作品」に対して構えている読者の期待を、
 良い意味で裏切ることが出来て初めて、王道としての魅力が発揮されるのではないでしょうか。


 深村さんの作品は、予想通りの展開で終わってしまったり、
 何処かで見たことがある設定で終始してしまっている気がします。

 王道を行くことは、極端な話、誰でも出来てしまいますし、
 ストーリーや設定を考えることは容易くなります。
 ですから、より設定を工夫する必要があり、
 ストーリーに変化を付ける必要があるのではないでしょうか。

 偉そうなことを言ってしまって、すみません。
 雑文・乱文ではありますが、少しでもお役に立てれば幸いです。
 でわでわ。

ほうきんさんからの意見 
 こんにちわ。ほうきんです。

 私は『王道』絶対必要派です。
 『王道』とはすなわち『基本』。
 プロスポーツ選手と同じく、基本身につけずして発展はないと思いますので。
 ですから私も深村さんと同じく、王道的作品が大好きです。
 逆に基本だけの選手は、華々しい一流にはなれないのかもしれませんけど。

 手前味噌で恐縮ですが、私は「金太郎の打ち上げ花火」という短編で、
 皆様に高い評価をいただきました。
 義理人情にあつい主人公が自分を犠牲にして他人を救う、という王道的ストーリー。
 登場人物を人間ではなく金魚にしたことで、皆さんに楽しんでいただけたようです。
 
 すでに東琴傭兵さんが述べられておられます通り、
 ストーリーか設定、どちらか一方だけ王道を採用するのが、意外性を生み出す早道でしょう。


 私は深村さんの作品を読んで大ウケしたタチです。
 しかし評価は普通とさせていただきました。
 以下、私だったらどうするかを考えてみました。

 ”妹の愛”を”妹の復讐”に逆転させてみます。
 ・妹は兄を愛するのでなく、復讐しにやってきた
 ・プロの殺人術を身に付け、やたらと強い妹
 ・ボロボロになりながらも、幸運により何とか撃退
 ・兄の強さに惚れてしまう妹
 ・可愛い妹ができて喜ぶ兄
 ・まだ自分のような妹が百人いると告げられ、驚愕する兄
 ・和洋今昔、様々な格闘術を身に付けた妹たちが大挙襲来

 まあ、これが本当に面白いかどうかは、
 他者の評価を聞いてみないとわからないことではあります。
 なんだか個人的意見を押し付けだだけのようで恐縮ですが、何かの参考になれば幸いです。


オジンさんからの意見 
 こんにちは、深村さん。オジンと申します。

 「王道ではだめなのか」とお悩みのようですので、深村さんの作品を読ませていただきました。
 二作品とも掌編ですね。掌編には掌編の書き方があります。
 
 私見では、掌編の命はオチにあると思っています。
 オチのない掌編は、かなり良く作られていても評価できません。


 この基準(私家版ですが)から見ると深村さんの作品は二つともオチらしいオチががありません。
 これが低い評価になったと思います。

 深村さんの作品「思い出の中の想い」は、ただのラブ・ストーリーですね。
 おもしろさを感じさせるには、少なくとも70枚前後の短編くらいの分量は必要かと思いました。
 幼馴染が仲が良いだけでは、「あーそう」で終わるでしょう。
 私は恋愛物が嫌いであまり読まないのですが、読むとすれば、
 ヒーローとヒロインにはいろいろと苦難にあって欲しいし、
 それを切り抜ける過程で両者の良いところが発揮されて、
 両方ともより強く、美しくなって結ばれるという「王道」的展開を期待します。
 そういう立場からすると、酷な言い方ですが、
 深村さんの作品は王道にも到達していないと思いました。

 もう1つの作品「SISTER OF HUNDRED」は、
 タイトル通りに妹が百人いるというアイデアだけの作品ですね。
 こういう作品は、分量より見せ方に工夫が必要かと思います。
 最後の百人をどういう状況で出すかが、肝心だと思います。
 兄ちゃんのどういう反応を引き出したいかで見せ方は変わってくるでしょう。
 恐怖のどん底に突き落としたいか、諦めの境地に立たせるか、はたまた歓喜に打ち震えさせるか。
 どうも、こういう計算が作品には見られないように思いました。
 妹百人をたいした飾りもつけずに出してしまった為、
 「あー、百人もいるのか」というなんでもない反応に終わってしまった感があります。
 この大きな原因は、兄ちゃんが完全に観客の立場になってしまったのが大きいかと思いました。

 私の感想はこんなところです。私は王道ではだめとは思いません。
 小説には実にたくさんの要素があります。
 設定、ストーリー、キャラクター、言葉の選択、文章、
 描写の対象と内容、会話、題材、テーマ、エトセトラです。
 
 王道といわれるのはそのうち、設定・ストーリー・キャラに関してあるくらいです。
 この三つが同じでも、題材・描写・文章等の違いで出来上がる作品は、
 大きく肌触りが異なってきます。


 王道が良くないのではなく、
 あなたの作品の肌触りがよくないのだと考えたほうが良いかと思います。
 きつい言い方で失礼しました。では。


余韻さんからの意見 
 はじめまして、余韻と申します。
 私はよくミステリを読むのですが、結構王道が多いです。
 トリックとか、登場人物の刑事とか被害者とか。
 それでも「読んでよかった」と思える小説はあるんです。

 ★登場人物が魅力的
 ★会話にユーモアがあってテンポが良い
 ★文体が心地良い などです。


 最後の文体は、ある意味とても難しいですね。
 生まれ持ったセンスが必要かもしれません。

 オジン様も書かれていますが、掌編の場合オチがあって当たり前です。
 読後「だから何?」とならないためにも、工夫が必要だと思います。


みつきさんからの意見 
 深村さん、はじめまして。
 王道についてですが、これはぜんぜんダメではないでしょう。
 私も王道的ストーリーでカタルシスの感じられるものは大好きですよ。

 ちなみに、カタルシスの定義は次の通りです。
(1)悲劇を見ることによって日頃鬱積(うつせき)している情緒を解放し,精神を浄化すること。
(2)精神分析で,抑圧された感情や体験を言葉や行動として外部に表出して,
  心の緊張を解消すること。
 ――goo辞書より――

 (2)のほうを小説などに置き換えると、エピソードを連ねてストーリーに抑圧を作り出し、
 ラストでハッピーエンド展開に持っていくことで読者に開放感を味わわせる、
 といった感じになるでしょうか。

 つまり、王道的ストーリーでカタルシスを感じられるものというのは、
 読者が悲劇に浸ってわーわー泣けて、すっきりできるセカチュー的なものか、
 主人公たちが波乱万丈のエピソードを次々とくぐり抜けていく、
 その中でどんな窮地に陥っても、
 結局はハッピーエンドに至るという『お約束もの』って感じでしょうか。

 ということを踏まえたうえで、
 深村さんの投稿作品を読ませていただきましたが、
 二作品のどちらにも、ハラハラドキドキ、主人公はこの先どうなるの?
 というような手に汗握る感覚もなければ、
 内容にどっぷり浸って、ジーンとできるような要素も特になかったと思います。

 というか、掌編で『王道』をやるのは難しいのではないでしょうか。
 掌編はどちらかというと『トリック命』、『オチ命』なものだと思うのですが……。


雨杜 潤さんからの意見 
 王道はダメだと思いませんよ。
 竜が出たり、勇者がいたり、天使が出てきたり……
 王道ファンタジー大好き派です(王道恋愛はダメなんですが/ぉぃ;)
 でも、やっぱり他の皆さんがおっしゃってるように王道には王道の良さと見せ方があるんですよね。

 
 仮にハリポタ的魔法学園物やヘルシング的吸血鬼物など、王道中の王道物を書くとしましょう。
 読者が簡単に予想できる展開でも、おもしろいと思いますか?
 普通に魔法学校に入って、勉強して、ハロウィンやクリスマスがあって、一年が終わって……。

 『魔法』って要素が入ってるだけで、
 普通の学校生活(外国風にしろ)と何も変わらないことを主人公がやっていてもつまらないでしょう。


 ライバルいたり、先生が嫌味だったり、トロールに襲われたり、賢者の石見つけたり。
 結局、無事に学校を卒業することになっていても、何かしら山がないとおもしろくくないでしょう?
 山場も、常人がすぐに思いつくような内容ではダメだと思います。
『えぇ?! こ、こんなことまでやっちゃうの!?』
『マジかよ! 危ないって絶対! 子供は大人しく寝てろってばぁ!』
 みたいな展開があるから面白いと思うんです。

 展開が王道のハッピーエンドであっても、
 途中経過まで王道(ありきたり)では、全く意味が無いと思います。
 世界が王道なら、王道だからこそ『え?』と思うような設定。
 『竜が闊歩している世界……でも、彼らは臆病な生き物で』とか(ちょっとナンセンスか;)
 どこかで、何かを捻るだけで物語の組み立てや展開がガラリとありきたりではなくなります。
 (この辺は、力量ですが)


虎助さんからの意見 
 こんにちは。いつもライトノベル作法研究所で、色々とお勉強させていただいている虎助です。

 結論から言いますと、私は王道はダメじゃないと思います!!
 
 私は王道的なストーリーやキャラクターが大好きです。
 やっぱり、王道ならではの読んでいて安心できる点が好きです。
 それと同時に、少し矛盾しますが……
 「王道=ありきたり・つまらない」といった面も、確実にあると思います。

 そこで、私が見つけた王道を使いながらも、
 全く新しいストーリーやキャラクターを作り出した作品を紹介したいと思います。
 (ちなみに、ライトノベルではなくて漫画です)

 それは赤松 健先生の『魔法先生ネギま! 』という作品です。
 赤松先生は、過去に大ヒットした『ラブひな』なども書いている、有名な漫画家さんですので、
 この方法を全くの素人が使ってうまく行くかはわかりませんが……

 この作品は、主人公のネギがイギリスにある魔法学校を主席で卒業した後に、
 立派な魔法使いになる修行の為に、日本で先生をする事になるという始まり方をします。
 ちなみにこの作品は「一人の主人公と大勢の美少女」という、よくあるハーレム漫画です。
 これはさまに王道ですね。
 しかし、この作品の凄い所は【登場する美少女の数】と【主人公の年齢】です。
 まず、この手の作品では十中八九、主人公はモテない男子中学生か高校生です。
 さらに言えば、運動神経も学力もないダメ男です(苦笑)
 しかし、この作品の主人公ネギは、顔は美少年、学力は魔法学校を主席で卒業、
 ついでに言うと、運動神経も年齢の割りには凄いです。
 それにこの手の作品に登場する美少女は、せいぜい5人か6人程度ですが……
 この作品では、主人公が学校の教師と言設定を活かして、
 31人=クラス1つ分という贅沢な作品です(少し多過ぎますが、インパクトは相当な物です)
 この段階でこの作品はありきたりなハーレム作品ではないと言っていいでしょう。

 それともう一つ、主人公のネギはイギリスの魔法学校を卒業する所から、物語が始まりますが……
 魔法学校に入学する以前に両親を亡くしています。
 それと、物語の途中で主人公のネギがまだ幼い頃に、
 悪魔たちに、自分の住んでいた街を襲われるというエピソードがあります。
 その悪魔に主人公のネギが殺されかけた時、何処からとも無く現れた謎の人物が彼を助けます。
 これでもかってぐらいにカッコイイ登場をする謎の人物の正体は、
 既に死んだはずのネギの実の父親なのです。
 このエピソードによってネギは、伝説の英雄(だったはず)の父親を自身の目標とするのです。
 田舎から出て来た少年が偉大なる父親を目標に頑張る……
 これまた、RPGでよくあるパターンですね(苦笑)
 しかし、ここがこの作品が他のハーレム漫画と決定的に違っている点ですね。
 ネギは、まだ10歳の少年なので、憧れの父親の影を追いかけるという所が、
 より一層盛り上がるのです。
 それにネギが、ハーレム系の主人公のわりに幼いというのは、
 他のハーレム系作品との大きな違い=この作品のオリジナリティです。

 これらのことから、私は王道的なストーリーやキャラクターを使った物語に、
 全く別の王道を取り入れることにより、新感覚の作品を作り出せるのではないかと考えました。


 王道的なストーリーやキャラクターをそのまま使うのではなく、もう一工夫、
 (複数の王道を混ぜたり、ストーリーとは全く別の王道的なキャラクターを登場させる)すると、
 王道的なおもしろささを残しつつも、オリジナリティが出せると思います。


峰しずくさんからの意見 
 王道、大変よろしいかと思います。
 しかし、王道を踏襲した作品が「似たり寄ったり」かというと、決してそうではありませんよね。

 例えば、スポーツでも喧嘩でも、あるいは、
 ありとあらゆる勝負物において、ひとつの王道があります。

(1)ライバル出現
(2)負ける または 負けないまでも、快勝できない
(3)トレーニングをする
(4)ライバルに勝つ
(5)ライバルとの友情が芽生える
(6)ライバルが修練を積み、また自分が負ける
 といった繰り返しや、さらに
(1)新たな強敵が現れる
(2)新たな強敵は卑劣なやつ
(3)かつてのライバル(今は友情も芽生えている)と協調して、卑劣なヤツを倒す
(4)卑劣なヤツが改心して、真のライバルとなる。友情が芽生える
 なんてのもありますよね。

 こういったありきたりの展開の中で、どうしてたくさんの作品が実際に成立しているのか。
 それは、「常に自分より強いやつが出現する」というパターンが同じなだけであって、
 物語が同じなわけではないからです。
 「巨人の星」と「ひかるの碁」と「ガラスの仮面」を読めばお分かりいただけるのではないかと……。


鏡さんからの意見
 「王道」である事にそれほど問題はないと思います。
 問題はその王道ストーリーをどのように読ませるか、だと思いますので。

 小説の例としてはやや不適当かもしれませんが、
 アメリカのプロレスのWWEを例とします。
 設定されているストーリーは、はっきりいってベタです。
 試合も展開を見ていればどっちが勝つか大体わかります。
 日本の団体と違って「ヤラセだよ」と公言しているWWEですが、
 面白い試合もあればつまらない試合もあるのです。
 同じようにヤラセ&ベタなストーリーなのに何が違うのでしょうか。

 そこには表現力の違いがあります。

 アメリカで優れたレスラーを言い表す時に
 「箒とでも試合が出来る」という表現があります。
 いかに必死さを演出するか、いかに凄みを演出するか。
 血糊や衝撃音などあらゆる手段を使い、彼らは試合を演出します。
 それを極限まで突き詰めた試合があれば、私はそれを「面白い」と思います。
 逆にストーリーが面白くとも、そこに表現力がなければ台無しです。

 話を小説に戻しますと、
 一番大切なのは、王道ストーリーを描く上での
 主人公の内面描写や葛藤の表現だと思います。
 王道作品は全て同じ文章で同じ作品でしょうか?
 違いますよね。
 表現者が異なる以上、同じ王道的展開でも表現の仕方は千差万別です。
 酷いことをいってしまうとですね、

 今回の場合、ストーリーを王道から外れたものにしたところで、
 作品としての劇的な向上は見込めないと思います。


 良い作品と悪い作品の差は、そうした展開がどうこうの違いではないからです。
 いかに文章表現で読者を引き込むか、これが面白さだと思います。

 再び例示ですが、オペラやクラシック音楽の上演を思い浮かべて下さい。
 王道作品を上演してもそれだけでは評価は下せません。
 その王道作品をいかにして表現するかが重要になります。
 逆に、原作に下手に手を加えてしまった事で元の作品の良さを殺してしまい、
 何がしたいのかよくわからない上演もありますよね。

 目指すべきは王道路線からの脱却ではなく、
 思わず「これぞ王道!」と読者を唸らせるような表現力を身につける事だと思います。
 ……まぁ、王道以外もかけるようになれば作品の幅が広がるので、
 それはそれでオススメしたいところではあるんですけどね。



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RforRさんからの意見  
 読者に配慮しよう

 はじめまして。 RforRと申します。
 
 ライトノベル作法研究所、コンテンツをすべて拝読しました。
 僕もプロを目指しているので、ある程度は分かっているつもりでしたが、
 それでもいくつか気づかされる点がありました。
 特に新人賞への投稿などについては知らなかった点が多く、
 とても勉強になりました。

 僕はある創作サークルに所属していたのですが、
 そこでのレベルはお世辞にも高いとは言いがたく、
 典型的な自己満足の作品ばかりでした。
 そのサークルで感じたことなどを反面教師として、
 こちらのライトノベル作法研究所とかなり近しい考えに至っています。

 そのサークルで特に多かったのが、
・ダラダラと長い世界観記述
・視点移動
・似たり寄ったりのキャラクター


 そして何より多く、読む気が起こらないのが、
・未完結(しかも長編)

 ライトノベル作法研究所では未完のものは初めから作品として扱わない、
 といったスタンスを持っているようにお見受けし、とても感激しました。


 さて、僕もこれまでにいくらかの考えを培ってきたので、
 ライトノベル作法研究所と被らない(と思われる)いくつかを、
 ここに記してみたいと思います。
 
キャラクターバランス
 先に書いた某創作サークルで時折あったのが、
 出てくるキャラクターがことごとく似ているというものです。
 おそらく、作者の好みのキャラクターだけを入れてあるのでしょう。
 しかし、読んでいる方にとっては区別が付きづらく、
 しかもお互いに足を引っ張り合ってキャラが立ってませんでした。

 正多角形の角に位置するようにキャラクターを作り、
 それぞれが引き立てあう関係というのが基本だと思います。


 もちろん、多少のずれがあるからこそ作品に雰囲気や味が付いてくる、とも思います。


受け手第一主義
 小説の場合、受け手は読者に他ならないです。
 ところが小説という表現形態は、
「ただ字を連ねていけば形になる」
 という勘違いを起こしやすいと思ってます。
 それは音楽に置き換えると、
「ただ音を出していけば形になる」
 と言っているようなもので、それはつまり「騒音」に他なりません。

 小説という形態は、そもそも読者の読解力に依存するところがありましょう。
 しかしながらそれは、言い換えると「甘え」ですよね。


 そこで僕は、物書きは小説以外の表現形態もやってみたほうがいい、と考えます。
 僕にとってそれはゲームと漫画なのですが、
 どちらも受け手のことを第一に考えなければならない、と思わされました。
 特に、それはゲームを作っているとき顕著に感じました。

 例えば、僕はアスキーのRPGツクールシリーズを子供の頃から楽しんでいました。
 (RPGツクールは、自分でRPGゲームを作って楽しむことができるソフトです)
 そして、ゲーム製作の基本がだんだんと分かってきました。

 ゲームの基本は「さまざまなプレイヤーの思考・行動」を
 すべて想定しておかなくてはならない、ということです。


「自分ならこの場面でこうするのがあたりまえだから」などという考え方では、
 思わぬバグが発生します。
「ひねくれ者ならばここでこんなことしてもおかしくない」と先読みし、
 その対処をあらかじめ作っておかなければなりません。

 他にも、絵を描いたら、裏から透かしてみろとか、
 左右反転させて見てみろ、とよく言います。
 これは「作り手」と「受け手」の観方が違うことを非常に簡単に教えてくれます。

 さすがに、小説を左右反転させたり後から読んだところで意味はありませんが、
 書いた作品を寝かせることで似たような効果は得られます。
 (というのは研究所にも書いてありましたけれど)
 しかしいつまでもそんなことばかりはしてられないし、
 最初から「受け手」のことを考えて書くのがいちばん手っ取り早いですよね。

 ながながと書きましたが、要は、
「小説という形態は、受け手のことをないがしろにしがちなので、
 読者のことをもっと考慮しなければならない」

 ということです。

 所長のブログのほうに、

>これで果たして読者は楽しんでくれるのか?
>という自問自答を絶えず繰り返す必要があるのですね。

>自分だけが楽しんで、後は知らないよ、という態度では、絶対におもしろい小説は作れません。
>常に読者の目を意識するのが、上達のコツです。

 と書かれてましたが、まさにそういうことだと思います。

 それでは、失礼します。

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柳田ライブさんからの質問  
 設定資料はどれくらい作った方が良い?
(研究所の掲示板に書き込まれた文章を修正して転載しました)

 みなさんは小説を書くに当たって、プロットとは別で、設定資料をどれくらい作るものでしょうか?

 僕は川上稔氏や吉田直氏の影響からか、
 長編1つ書くのにも、平気で大学ノート3・4冊ぎっしり使ってしまうのです。
 異世界物なら+2・3冊、超常要素一切無しなら−1・2冊です。
 友人に設定の齟齬を指摘され、川上氏のサイトを発見してからは、
 設定というものを異常に重要視し、ほとんど強迫観念のように設定を作ってしまいます。
 友人にそのことを伝えると「お前4クールアニメ作るんじゃないんだから」と呆れられてしまう始末。

 僕は設定資料の量は、平均的なのか多いのか少ないのか教えて下さい。


●答え●
 
 設定資料を細部まで作ることは、その世界にリアリティを与えるために必要な作業です。

 有名なライトノベル作家では「トリニティ・ブラッド」の吉田直さんや、
 「フルメタル・パニック」の賀東 招二さんなども、膨大な設定を書き連ねているそうです。
 事実、彼らの作品は、矛盾など一切感じさせない、完成度の高いモノに仕上がっています。
 設定を作り込むことは、大切なことです。

 ただし、設定はあくまでストーリーを引き立てるための要素に過ぎません。
 
 設定がいくら作り込まれていても、話がおもしろくなければ駄作の烙印を押されて終わりです。 
 柳田さんは、現在、小説家として、どれくらいの実力をお持ちなのでしょうか?
 もし、文章力や構成力がまだ未熟だと感じているなら、設定資料を作ることに熱中するよりも、
 小説家に必要な能力を鍛えることに力を入れた方が良いです。

 大学ノート3・4冊もの設定を作るとなると、かなりの時間がかかるハズです。
 その時間を、読書や執筆に当ててください。
 

 小説を描くのは、非常に難しい作業です。
 設定をどれだけ練っても、それを生かす力がなければ徒労になります。
 実際に小説を描くと、実力不足から読者に意図が正しく伝わらない箇所や、
 矛盾点、つじつまが合わない部分が出てくるのです。

 特に、アマチュアに多い失敗が、せっかく作った設定を披露したくて、
 設定の説明に紙面を費やしてしまうことです。
 歴史がどうたらこうたら、この宗教の神がどうたらこうたら、この建築様式がどうたらこうたら、と、
 ストーリーに関係してこない不必要な情報をいくら載せても、無駄なだけです。
 それどころか、話の流れを悪くして、ストーリーを掴みづらくさせてしまいます。
 作者に実力が無いと、設定を大量に作ったことが、逆効果になってしまうことがあるのです。
 設定は膨大、中身はスカスカという小説は、プロの作品にも多々見られます。
 
 まずは小説家に必要な基礎力を付けることに力を入れてください。

 膨大な設定を用意するのは、その次のステップです。


草葉光輝さんからの意見 
 ども、川上稔好きの草葉光輝と申します。
 設定はそれほど詳細を決めているわけではありませんね。せいぜい2〜30KBぐらいです。

 まぁ、だからといって少なけりゃいいのかと申しますと、
 個人的には設定はあればあるほど後々の役に立つと思いますです。
 もちろん、大前提として矛盾や設定の積み込みすぎなどに注意して、とゆーことですが。
 設定の時点で世界観がしっかりとしていれば、
 物語内で設定関係で矛盾が発生することはやはり少なくなりますしね。

 注意すべきことは、書き連ねた設定群を無理矢理、物語で全て使おうとしないこと。
 楽しむべき物語で設定が大量に掲載されていては読者が離れていく可能性もありますしね。


 まぁ、創るだけならば損は無いと思いますですよ?


Triple-Iさんからの意見 
 これは、設定を作りすぎです。
 僕の場合、資料だけは大量に集めますが、設定はそれほど詳しく書いたりしません。
 大体Wordのデフォルト設定で、3〜4ページくらいびっしり埋まる、と言ったところでしょうか。

 ライトノベル系の新人賞に応募する、という前提で言いますと、明らかに設定量が多すぎます。
 そんなに設定を練ったところで、ムダになるもののほうが多いでしょうし、
 何より、設定に縛られて自分の書きたいものが書けない、という事になってしまいます。


ひろやさんからの意見 
 多大な設定はいつかあなたを助けます。

【設定が作るリアリティについて】 
 設定は世界観であり、その一つ一つがキャラクターや背景、ストーリーなどに密接にかかわります。
 それらに自然な動きを与えるでしょう。


 よく考えてみて。バックグランドの無い薄っぺらい世界に人や国が存在できると思う?
 これが後々矛盾を生みます。
 それらが自然で、そして、ちゃんとしたリアリティを持って存在するためには設定が必要なんですよ。

 よくあるじゃん。突然現れたような歴史もへったくれもないような国。
 雰囲気もなく、キャラクターがその国に馴染めず、
 キャラとそういうバックグラウンドで矛盾があるアマの小説。
 あ、俺だ、と思ったらちゃんと書いてみよう。

 まぁ、設定というのは見える部分だけじゃないんだよ。
 活かされるのは見えない部分。歴史や国家をちゃんと作ればキャラの背景はずっと奥深くなる。
 宗教をちゃんと作ればその国のモラルなどが反映される。
 そうすれば人々や国の考えかたがより鮮明になる。
 これらは書かなくともキャラの思考、行動理念などに引っかかるんだ。大切な事さ。
 あと、ちょっと風習とか入れてみると何気ないコマが世界観に引き込むスパイスになる。

【続編を考えるならば……】
 設定は第二話などのストーリー構成にも関わってきます。
 よく考えてみて。本当にプロになって、それで連載できるのかな。
 何話も話を作れる設定なのかね。
 それが一話っきりの話であり、あまり設定を必要としないものならばいいけど。
 多くの設定を作り、自然な配置をすませれば、
 ただねちょっとテーマやキャラを放り込んだだけでストーリーができます。これ、本当。

 設定が少ないのは問題です。はっきり言います。めっちゃ問題。
 ここで少ないのが無駄、という人が多くてビックリした。

 無駄なものなど設定にはありません。全てが世界を構築するのに必要ですよ。
 ただ、小説に出てこないだけでその世界では生きています。
 何かが、何かに少しずつ関係して出来上がるのが世界です。本当に生きてきます。マジで。
 こればっかりは信じていいよ。

 詳細な設定はあなたを必ず救います。
 そして、本当にリアルなものを作りたいならば設定をしっかりと組み立てる事をお勧めします。


 ただ、設定があんまり必要じゃない話も存在するのも事実。
 今回は異世界ものを作るという視点で書きました。
 現実だと、その変わった小説の部分をどう現実に当てはめるか、
 で設定が必要になるからどっちも大変。
 もちろん、本格的なものならば。ギャグとかだとあんまし必要ないけどさ。


春瀬 まゆらさんからの意見 
 設定だったらそれくらい作りますよね……? 人それぞれなのでしょうか。

 自分でオリジナルの世界を作るのなら土台となる設定は必要不可欠なはずです。
 土台がしっかりしないものに家などは立ちません。それと同じです。


 欠陥です、後に気付いても直せない事が多々あるものです。
 だって、無から有を作り出すのって、すごく難しい事ですから。
 自分に自信がもてないのであれば、準備を万全にし様々な事態に適応できるようにしてこそ、
 物語が書けるのだと思います。

 あ、でも。熱中しすぎには注意です。


みつきさんからの意見 
 柳田ライブさま、初めまして。
 設定資料についてですが、柳田さんの三・四冊というのはかなり多いのでは。
 それを書くだけでもかなりの労力ですよね。でも、楽しく書けるのならそれもいいと思います。

 私の場合は、その物語にどうしても必要で重要な部分(主人公の必殺技(?)についてとか、その世界における決まりごととか)をきちんと書き出すと、現代物で大体B5ノート、2枚〜4枚くらいになるでしょうか。
 異世界物だと、大体その倍くらいです。
 あとは、主要な登場人物ごとにノート見開き(つまり2ページ)で、身長・体重、現在の所属、容姿や普段の服装などを簡単に書き、必要に応じて学歴、家族構成などを書き込みます。
 これで書き始める前の設定資料作りは終わりです。

 見開きで作った登場人物設定の頁にたくさんの空白部分が残りますが、
 ここには小説を書いていくうちに出てきた事柄を忘れないようにメモするための余白になります。

 私の場合、とにかく小説を書き始めないとストーリーもキャラも動き出さないので、
 このやり方が一番いいみたいなんですよね。
 四百字詰め原稿用紙で三百枚くらいの作品だとすると、
 設定資料の量は(余白込みで)大体ノート二十枚弱くらいです。

 確かに、千枚以上に及ぶような作品を書くときには、それに従って設定資料も増えていくものと思いますし、詳細な設定がどうしても必要になってくるでしょうね。

 ですが、作品内の齟齬や矛盾を無くすために一番大事なことは、設定資料を作ることではなく、
 作品を書いている最中に何度も何度も読み直しをして、
 自分の小説に何が書かれているのかをきちんと把握することなのではないでしょうか。

 齟齬や矛盾が生まれる一番の原因は、
 読み直しと推敲の回数の少なさなのではないかと私は思います。



峰しずくさんからの意見 
 設定は、現実世界を舞台にするものほど適当でよく、
 異世界を舞台にするものほど詳細なものが必要、と言うことになると思います。

 
 資料など、現実世界を舞台にするものなど、インターネットでほとんど検索できますから、
 あらかじめ集める必要すらないのでは、と思います。
 ただし、急場しのぎでネット検索するにしても、
 「ここはきちんとおさえておくべきだ」と自分で判断するだけの力量は必要でしょう。

 個人的な話になりますが、現実にある土地を使って旅を舞台にして書いたときは、
 航空会社の国際線時刻を調べたり、
 英語表記に苦しみながらヨーロッパの鉄道会社のHPを見たり、「地球の歩き方」を買ってきたり、
 あげくに「旅行記」を掲載した個人HPからその土地の雰囲気をつかもうとまでしました。
 架空の土地を舞台にした旅のお話では、頭の中で何度も何度も地図を書き直したり、
 などということをしました。

 宇宙もののSFや、ファンタジーの場合は、設定を作りながら書き進めることも多いですね。
 そのせいか、僕の作品は世界観がしっかりしていると言われることがありますが、
 実は別にノートを作って世界を構築しているのではなく、書きながら決めているので、
 物語の中にもそのまま出てくるのです。
 なぜなら、物語中に記述しておかないと、作者が設定を忘れてしまうからです。

 なので、原則はともかく、世界観を作っていくことを楽しみながら書く、
 ぐらいでよいのではないでしょうか? 
 
 しかしこれも、ここはきちんと作っておかなくては、
 という部分を自分で判断して押えておく力量が必要でしょう。

 でもまあ、商業作品の中にはすごいものもありますよ。
 松本零士さんの「銀河鉄道999」の同じ話の中に、「1001」番線が出てくるのに、
 銀河鉄道には1000号までしかない、という設定になっていたり、
 本社は地球にあるはずなのに、いつのまにか違うところになっていたり……。
 銀河鉄道999の再出発は1年後、ヤマトの再出発は1000年後なのに、
 宇宙空間で出会っていたり。(時の輪がねじれているのだろうと思うけれど)。
 作品がすばらしいので、これを時空を越えた壮大な物語と言い切ってしまうことが出来るわけで、
 ならばアマチュア作家は細かいことにとらわれずに、
 壮大に書いてしまうのもひとつの手かなと思いますが。

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