【奥村智司】遺族らが高齢化し、「無縁化」が懸念される沖縄戦の慰霊碑。死んだ戦友の碑を自ら建て、23日の「慰霊の日」などにあわせて20年以上、毎年訪れてきた元日本兵の男性も、今年初めて断念した。「戦友の命と引きかえに生かされた身。現地で弔えないのは残念で仕方ない」。遠く海を隔てた自宅から、手をあわせる。
22日昼、糸満市摩文仁の平和祈念公園の一角。旧日本陸軍第62師団の「第十三大隊慰霊碑」の前には、供物もなく、セミ時雨が降り注ぐばかりだった。
三重県桑名市の近藤一(はじめ)さん(93)が1991年、遺族らに呼びかけて建てた。だが、近年は訪れる戦友や遺族はほとんどいなくなった。近藤さんも今年は足の痛みがひかず、かなわなかった。「本当に心残り。死ぬ前に必ず、もう一度沖縄に行く」
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朝日新聞社会部