2011年06月19日

方程式と学問

manatsunohoteishiki.jpeg■ ミステリは、ある種の“方程式”かもしれません。一方に謎があり、他方に解決があり、2つは等号で結ばれていなければならない。謎の側には、xやyといったいくもの変数が埋め込まれている。そして、この変数に代入すべき事柄(証拠)は、すべて物語のなかに隠されていなければなりません。それが“伏線”と呼ばれるものであり、“伏線”がなかったり、回収されない“伏線”があれば、方程式の等号は成立せず、ミステリは破綻する。これを徹底するのが“パズラー”系のミステリーです。もちろん、物語にドラマとしての深みを与えるためには、“伏線”とは別のエピソードが必要だし、読後に余韻を残すためには、解決されない“謎”もなければなりません。

東野圭吾さんの作家生活25周年記念作品第2弾は、“方程式”という言葉をタイトルに入れた、その意味では彼の“自信作”ともいえるミステリではないでしょうか。タイトルは、『真夏の方程式』(文藝春秋・2011年)です。

■ “ガリレオ”湯川は、海底金属鉱物資源について調査・開発する会社の依頼を受けて、玻璃ヶ浦という名を持つ美しい海辺にやってきます。そこで、両親の都合で夏休みを1人で過ごすことになった1人の少年に出会い、「博士」と呼ばれるようになる。2人は、玻璃ヶ浦の海を守るために海底資源の開発に反対する若い女性の実家である旅館に滞在します。そして、海底資源の調査・開発を行うデスメックという会社の現地説明会の日に、その説明会に参加するために東京から来ていた初老の男性が、海に転落死するという事件が起こります。

町に不案内な人間が暗いなか酔っ払って散歩していて、何かの拍子に海に落ちた“事故”として、地元の警察は事件を処理しようとします。しかし、転落死した元警察官に世話になった警視庁の管理官が現場に乗り込んできて、東京で遺体を司法解剖する手続をとったところから、事故は、にわかに事件性を帯びてきます。死因は一酸化炭素中毒。そして、死亡した後に遺体が海に捨てられた。元警察官は、なぜ玻璃ヶ浦までわざわざやってきて、デスメックの現地説明会に参加したのか。彼は、説明会の前に、15年ほど前、自分が犯人逮捕に関わった殺人事件の犯人がかつて住んでいた別荘にも足を運んでいたことがわかる。この15年前の殺人と彼の転落死とは、何か関連性があるのか。

■ 湯川は、死んだ元警官もまた、自分が滞在する“緑岩荘”に宿泊していたことから、徐々に事件捜査にかかわっていくことになります。やがて、湯川は、“この事件の解決を誤れば、1人の人間の人生を大きく変えることになる”と確信し、玻璃ヶ浦から警視庁の友人・草薙と薫に指示を与えながら、方程式の変数に適切な数字を一つ一つ代入していきます。

湯川が最後にたどり着いた“真実”は、湯川を大いに苦悩させます。前作の『聖女の救済』〔〕で湯川は、“今回は負けるかもしれない”と呟きましたが、今回でも、“負け”を覚悟します。彼には、“勝ってはいけない理由”があったからです。むしろ、今回は、“誰も負けない”ように事件を解決するのが、むしろ湯川は仕事だったといっていいでしょう。もっといえば、将来に“勝ち”を残した結末を、湯川は用意したかったのです。

■ 湯川は、すこし生意気な少年を相手に、科学の意味や学問の大切さをかなりストレートに語ります。科学が何の役に立つのさ、とうそぶく少年に湯川はこう言います。「理科嫌いは結構だ。でも覚えておくことだな。わかんないものはどうしょうもない、などといっていては、いつか大きな過ちを犯すことになる」〔63頁〕。本書を読み終えたとき、この言葉の“本当の意味”がわかる仕掛けになっています。これは、事件解決のための“伏線”ではなく、物語全体の理解のための“伏線”と言っていい言葉です。そして、少年との別れ際に、もう1つ大切なことを彼に伝える。
「どんな問題にも答えは必ずある」「だけどそれをすぐに導き出せるとはかぎらない。人生においてもそうだ。今すぐには答えは出せない問題なんて、これから先、いくつも現れるだろう。そのたびに悩むことには価値がある。しかし焦る必要はない。答えを出すためには、自分自身の成長が求められる場合も少なくない。だから人間は学び、努力し、自分を磨かなければならないんだ」〔412頁〕。

高校生の半分以上が、自宅でまったく学習しない、いまの日本。私の娘の言葉で言えば、“無勉”の時代。そして、“無勉”でテストを受けて、赤点(死語か?)とらないのが格好いい、点数なんて関係ねぇ、という意識の彼ら。しかし、勉強しないのに、“答え”だけはすぐもらいたがる。湯川の言葉は、そんな彼らに届くのだろうか。湯川の言葉に大きく肯くのが、湯川と同じような大学関係者だけだとすれば寂しいかぎりです。

■ 本書は、ミステリ的な意味では、最後に真相が明らかになり、事件は解決されます。しかし、この事件の関係者がそれぞれに抱える苦悩は、事件の解決によってはけっして消えません。その人生の問いにどう答えを出すか、それは、その人の人生を賭けて取り組まなければならない問題として残されます。“伏線”をすべて拾った後で、残る読後の余韻は、前作の『麒麟の翼』〔※※〕同様に味わい深い。“湯川vs天才犯罪者”という、これまでの枠を外したがゆえに書けた、ガリレオ・シリーズの傑作といっていい1冊でした。



Posted by 憲文録 at 11:36  |Comments(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
 
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