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『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』が出版されました |
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『赤毛のアン』がアメリカで出版されてから今年は100年目にあたり、各地で『赤毛のアン』に関するイベントが開かれています。そうした中で、東洋英和の卒業生で『赤毛のアン』を日本に紹介した村岡花子の生涯を綴った『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』(マガジンハウス)が出版されました。執筆したのは村岡花子のお孫さんにあたる村岡恵理さんです。恵理さんご自身も東洋英和女学院高等部を卒業されています。
この本では、村岡花子が過ごした東洋英和の寄宿舎での生活や宣教師ブラックモア先生とのエピソード、文学者としての足跡、宣教師のミス・ショーから託された『赤毛のアン』を戦時下に命がけで翻訳し、戦後は婦人参政権を得るために活動したことなど、貴重な写真を交えて村岡花子の生涯が書かれています。是非ともお手にとってご一読ください。 |
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村岡花子 1903(明治36)年から1913(大正2)年の間、東洋英和女学校で学んでいました |
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〈解説〉
戦争中、命がけで「アン」を翻訳した村岡花子(1893〜1968)、初めて明かされる情熱の人生。柳原白蓮、吉屋信子、林芙美子、宇野千代、市川房枝、石井桃子、ヘレン・ケラー・・・・・・、時代を切り開いた人々との交流も胸を打つ。
アン・シリーズはじめ、モンゴメリ作品を訳し続けた理由とは? 孫だからこそ書けた、秘密のエピソードがいっぱい。エミリー・シリーズ、『少女パレアナ』『王子と乞食』『フランダースの犬』『クリスマス・カロル』、さまざまな名作を美しい日本語に織り成してきた村岡花子。明治、大正、昭和と激動の時代を、つまづきながら精一杯に生き抜く姿が感動を呼ぶ。戦前から婦人選挙権獲得や廃娼を目指す運動に関わり、戦後は自宅に日本初の子供図書館を開くなど、社会の改善にも尽くし続けた。
貧しいクリスチャンの娘は10歳で華族の学ぶミッション・スクールへ。英語を学び翻訳家になった花子は、「禁じられた恋」を貫く。長男を失った悲しみを超え、多くの子供に愛を注ぐ中で出会う運命の本、『アン・オブ・グリン・ゲイブルス』(1908年出版)。カナダ人宣教師から友情の証に贈られたモンゴメリの名作を第二次大戦中に訳したが、原書を得てから、1952年に『赤毛のアン』として刊行されるまでには13年の歳月がかかった。アン・ブックス10冊は、永遠のベストセラーとして世代を越えて読みつがれる。
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『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』
著者:村岡 恵理
マガジンハウス(1,900円)税別
ISBN978-4-8387-1872-6 C0095 |
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村岡恵理(むらおか えり)プロフィール:
東洋英和女学院高等部卒業。1991年より祖母、村岡花子の書斎を「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」として翻訳家の姉、村岡美枝と共に著作物、蔵書、資料を保存。月2〜3回、予約制で書斎を愛読者や研究者に公開。また『赤毛のアン』の著者、モンゴメリの子孫やプリンス・エドワード島州政府と交流を続け、日加友好促進につとめています。 |
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【インフォメーション】
■赤毛のアン記念館・村岡花子文庫HP, http://club.pep.ne.jp/~r.miki/
ただし、2008年は下記の展覧会に収蔵品を展示するため、記念館は休館します。
■「赤毛のアン展〜モンゴメリが愛したプリンス・エドワード島〜」は2008年6月10日から22日の日本橋三越本店をはじめ、日本各地を巡回。
問合せ・赤毛のアン展事務局 TEL 03-5640-4555
http://www.anne100th.com/anne_schedule.html
日本橋三越本店「赤毛のアン展」に関しては
http://www.mitsukoshi.co.jp/store/1010/anne/
■2008年6月21日から7月16日まで、銀座・教文館6階ナルニア国にて、アン誕生100周年のイベント「わたしたちの腹心の友、アン・シャーリー」が開催され、村岡花子に関する資料も展示されます。
★6月29日(日曜 14時〜15時)には、『アンのゆりかご』著者、村岡恵理のトークショーとサイン会も開かれます。
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問合せ・ナルニア国 TEL 03・3563・0730 |