コラム:戦前の米金融政策と黒田日銀の不吉な共通点=河野龍太郎氏
河野龍太郎 BNPパリバ証券 経済調査本部長(2013年6月24日)
異次元緩和の副作用で、国債市場の動揺が止まらない。黒田日銀は、2年以内の2%インフレ目標達成を目指し、ネットで年率50兆円、グロスで同90兆円の国債大量購入政策を開始した。ネットの購入額は2013年度当初予算における新規国債発行額の43兆円を上回り、事実上、日銀が財政赤字をファイナンスする格好となっている。紛れもないヘリコプター・ドロップ政策(マネタイゼーション)である。
日銀の大量購入で浮動玉が激減し、市場機能は大幅に低下、国債市場は日銀の日々の行動に影響される「官製マーケット」の色彩を強めていると言えよう。
官製マーケットと言えば、実は第二次世界大戦前後の米国でも似たようなことがあった。米連邦準備理事会(FRB)による国債価格支持政策(Pegging operation)である。
当時、国債管理政策に組み込まれたFRBは、金融抑圧政策の一環として、インフレ率が上昇しているにもかかわらず、低い長期金利を維持すべく、超低金利政策と国債大量購入政策を継続せざるを得なかった。いずれ日銀も、長期金利の急騰を避けるため、同じ道に追い込まれるのではないかと筆者は懸念している。
<最初は金融システムへの配慮だった>
では、当時の米国では何が起こったのか。大恐慌の後、1933年から経済が回復に向かうと金利上昇圧力が強まっていった。米財務省は金融部門の自己資本の劣化を懸念、金利上昇を回避するためFRBに市場介入を要請した。FRBは当初抵抗したが、結局、2年後に長期国債購入を開始し、国債管理政策への第一歩を踏み出した。
34―36年は2ケタ前後の高成長が続いたが、貸出は伸びず、FRBのバランスシートに超過準備が積み上がっていった。FRBはインフレにつながることを懸念し、その吸収を模索するが、長期国債を売却すると長期金利が跳ね上がる恐れがあるため、結局、準備率引き上げによって超過準備を吸収するしかなかった。 続く...