沖縄全戦没者追悼式:終わらない沖縄戦 「辺野古移設」の閣僚参列 「わだかまり」初の欠席−−米空襲経験・豊浜さん

毎日新聞 2013年06月24日 西部朝刊

 沖縄慰霊の日の23日、沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)にある戦没者の名を刻む平和の礎(いしじ)には早朝から沖縄戦の体験者や遺族らが訪れて手を合わせ、沖縄は平和への祈りに包まれた。一方、礎がある平和祈念公園で営まれた「沖縄全戦没者追悼式」には、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設を推進する防衛、外務両相が初めて参列し、祈りの日に波紋を広げた。

 沖縄県うるま市の豊浜光輝さん(77)は戦没者追悼式に毎年参列してきたが、今年は行かなかった。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を進める防衛、外務両相がそろって参列することに「わだかまりがあり、気持ちの整理がつかなかった」からだ。「わだかまり」は、豊浜さんの戦中、戦後の体験に根ざしている。

 「敵機が来た。隠れろ」。1944年10月10日、日本兵の大声に、読谷村(よみたんそん)の小学校に登校中だった当時8歳の豊浜さんは馬車の下に隠れた。地面に伏せて顔を上げると、土ぼこりを上げる二つの列が伸びていった。旧日本軍が村に造った沖縄北飛行場に向かって米軍戦闘機が浴びせた機銃掃射。体の震えが止まらなかった。

 この日、米軍は沖縄本島や離島を空襲。北飛行場があった村上空には無数の米軍機が来襲し、同級生4人が犠牲になった。「自分たちも殺されるのか……」と思うと、再び体が震えた。

 翌年2月、豊浜さんは家族、親族6人とともに本島北部の国頭村(くにがみそん)に疎開。4月1日に本島中南部に上陸した米軍は、中旬には国頭村に迫った。豊浜さんら住民は山中に逃げ、さまよい歩いた。途中、放置された日本軍の兵隊の数多くの遺体を見た。7月中旬には食料が尽き、約30人で山を下りた。海岸近くで寝込み、朝目覚めると、米兵に囲まれていた。

 戦火を逃れても、死は身近だった。収容所では逃避行中のマラリア感染や栄養失調などで連日、住民が亡くなった。山中で腰に負傷した4歳の豊浜さんの弟も、7年後に負傷がもとになった病気で亡くなった。

最新写真特集

毎日新聞社のご案内

TAP-i

毎日スポニチTAP-i
ニュースを、さわろう。

毎日新聞Androidアプリ

毎日新聞Androidアプリ

MOTTAINAI

MOTTAINAIキャンペーン

まいまいクラブ

まいまいクラブ

毎日RT

毎日RT

毎日ウィークリー

毎日ウィークリー

Tポイントサービス

Tポイントサービス

毎日jp×Firefox

毎日jp×Firefox

毎日新聞のソーシャルアカウント

毎日新聞の
ソーシャルアカウント

毎日新聞社の本と雑誌

毎日新聞社の本と雑誌

サンデー毎日

サンデー毎日

週刊エコノミスト

週刊エコノミスト

毎日プレミアムモール(通販)

毎日プレミアムモール(通販)

毎日新聞のCM

毎日新聞のCM

環境の毎日

環境の毎日

毎日新聞を海外で読む

毎日新聞を海外で読む