沖縄全戦没者追悼式:終わらない沖縄戦 「辺野古移設」の閣僚参列 「わだかまり」初の欠席−−米空襲経験・豊浜さん
毎日新聞 2013年06月24日 西部朝刊
戦後、教師となった豊浜さんは59年6月、戦後最大の米軍機事故に遭遇する。産休や病欠教員の代行教師として教育長事務所にいた時、近くの宮森小学校に米軍ジェット戦闘機が墜落。児童11人を含む17人が亡くなった。豊浜さんが炎と煙に包まれた学校に駆けつけると教頭が泣きながら児童を外へ連れ出していた。やけどを負いながら自力で逃げてきた子どもが「助けて……」と言ったきり、動かなくなった。地獄だった。
「基地があるから県民は危険にさらされる。沖縄戦はずっと続いている」。豊浜さんはそう考えている。だから、沖縄に新たな基地を造らせるわけにはいかないし、オスプレイの飛行も許せない。戦没者を悼む閣僚の気持ちは否定しないが、背後に普天間移設への思惑が見える気がした。豊浜さんは23日、沖縄市であった集会で、宮森小の墜落事故を語った。【井本義親】
◇首相らの出席「政治利用だ」 約40人が抗議
戦没者追悼式が営まれた平和祈念公園入り口周辺では式の前に、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対する市民グループなど約40人が抗議行動をした。安倍晋三首相、岸田文雄外相、小野寺五典防衛相の式典参列を「安倍内閣による追悼式の政治利用だ」と批判した。
沖縄県警の警察官たちが囲む中、「辺野古への基地建設やめろ」「オスプレイを撤去せよ」と書かれたのぼりなどを掲げ、安倍首相らの車列が公園に到着すると「新基地建設は許さない」「オスプレイ配備は認めない」「安倍首相は帰れ」などとシュプレヒコールを上げた。