沖縄国際平和研究所理事長 大田昌秀
 
昨年は沖縄が日本に復帰して四十年目を迎えました。そのため昨年から今年にかけて沖縄では基地問題を中心にあらためて沖縄の問題が議論になっています。それとともにあらゆる意味で、ことしは沖縄の将来にとって最悪の年になるのでは、との懸念が強まっています。

そのような背景を受けて現在、沖縄の人々は、二つの疑問に取りつかれています。一つは、「日本への復帰とは何だったのか」という疑問です。もう一つは、「いったい日本にとって沖縄とは何なのか」という問い返しです。

最初の疑問は、沖縄の人々は、戦後二十七年間、米軍の軍政下にあって、日本国憲法の適用から除外されていました。そのため基本的人権はもちろん、他のもろもろの、当然憲法によって保障されるべき権利さえ享受できませんでした。憲法が適用されなければ、人間として人間らしく生きることは不可能となります。そのため沖縄の人々は、あらゆる困難をひとつひとつ克服して、日本国憲法に規定されている内実を自らの手で勝ち取ってきました。その過程で、「平和憲法の下へ帰る」をスローガンに掲げ、復帰運動に全精力を傾けてきました。ところが一九七二年五月十五日に復帰が実現すると、それは平和憲法の下に帰されたのではなく、逆に日米安保条約の下に帰されたのです。つまり、沖縄の人々が切実に望んだ復帰の内実とはあまりにもかけ離れ、軍事最優先の復帰となってしまったのです。
日本政府にとって沖縄の復帰は、たんに戦争で奪われた領土を取り返したという意味しかなく、沖縄の人々の平和的生存権といったものは、まるで考慮されなかったのです。
そのような背景からあらためて「復帰とは何だったのか」が問いかえされているのです。

二番目の「いったい日本にとって沖縄とは何なのか」が問われるようになったのは、次のような理由からです。
さる沖縄戦において、県都那覇市に隣接する小禄飛行場地区の守備にあたっていた旧日本海軍の沖縄方面根拠地隊司令官、大田実少将は、昭和二十年六月十三日に自決する直前に、官軍次官あてに電報を送って、「県知事に頼まれたわけではないけれども、県にはもはや通信施設もないので、知事に代わって報告します」と、沖縄県民が戦争の過程で持てるすべてを捧げて軍に協力したことを報告し、「沖縄県民かく戦えり。後世特別のご配慮を賜りたし」と訴えました。しかし日本政府は、敗戦直後、沖縄の人々のためになんら配慮することはしませんでした。それどころか、敗戦直後、日本政府はアメリカ政府に対し、要望書を提出していますが、その中で進駐軍や軍事基地は、できるだけ東京から離れた遠隔地においてくれ、とか、ソ連や中国など、国外の旧日本軍を、できるだけ早く帰国させてほしい、などと要望しながら、人口の三分の一近くの尊い人命を失ったうえ、先人が残してくれた数々の文化遺産までことごとく壊滅させられ、致命的打撃を受けた沖縄については一言もふれていませんでした。しかも昭和二十一年一月二十九日付けで、GHQが発した「若干の外部地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」によって、沖縄人は非日本人にされ、三月十八日までに在日朝鮮人、台湾人などとともに、登録すべく迫られたのです。そのため日本本土在住の沖縄人や戦地から本土に帰還した沖縄出身の兵士たちは、生きていくうえでひどい苦労をしました。そのあげく一九五二年四月二十八日に発効したサンフランシスコ条約第三条によって、沖縄は国際法上も日本から切り離され、本土が独立するのと引き換えに、アメリカ軍の直接軍政下に置かれました。

そのため沖縄は「四・二八」を「屈辱の日」と称して嫌悪しているのです。それを日本政府は、「主権を回復した日」として祝賀式典を催すなどして、沖縄の人々の古傷に塩を塗りこむしまつで、いたずらに怒りを買っているのです。要するに一六〇九年の薩摩の琉球侵略以来、沖縄の人々は同じ人間扱いされず、絶えず政府や政治権力者の目的を達成する手段、つまり物扱いされてきたのです。もしくは、政治的質草として取引の具に供されたのです。
言い方を変えますと、沖縄には百四十万人余の人間が住んでいるにもかかわらず、あたかも無人島ででもあるかのように権力者が勝手放題に使用してきたのです。沖縄戦の時は、日本本土を守るための「捨て石」もしくは、「防波堤」にされたのも一好例にすぎません。
そのため、「沖縄のガンジー」と称される伊江島 阿波根呂こう(二すいにエ、鳥)さんは、わざわざ「人間の住んでいる島」という本を書き、沖縄には日本本土やアメリカ本国の人間と全く同じ人間が住んでいることを強調しているほどです。

しかし、政府は依然として、国土面積の〇.六%しかない狭少な沖縄にアメリカ軍専用施設の七十四%を集中せしめて憚りません。一方、アメリカ軍は沖縄を「アジア太平洋の要石」と称して沖縄の二十九か所の水域、港湾をはじめ、空域の四十%を今もって、自らの管理下においているのです。そのため沖縄の人々は自分の土地も海も空も自由に使えない状態です。しかも政府は普天間基地を辺野古に移そうとして、あくまで当初計画に固執している有様です。このような背景から「一体、日本にとって沖縄とは何なのか」が真剣に問い返されています。

あげく沖縄の独立論がじわじわと浸透しつつあります。ゴザ市長を務めた大山朝常氏は「沖縄独立宣言」という本を刊行し、「ヤマトは帰るべき祖国ではなかった」と痛烈に批判しています。また、ハワイやアメリカ本国などで勉強した若い女性たちが国連に訴える行動をしたり、シンポジウムに登場するなどして注目を浴びています。つい最近、沖縄の学会においても「琉球民族独立総合研究学会」が設置され、シンポジウムを開催するなどしていて今後こうした運動がどういう展開をみせるか、大方の関心を呼んでいます。

最後に今年が最悪の年になりかねないと危惧をするのは、沖縄県知事が持っている海の埋め立て権限を、政府が法律を変えて基地の移設を強行することが懸念されています。そうなると、いかなる事態が発生するか、非常に危惧するところです。そうならないように政府にお願いしたいものです。