第8部「生物 「個体」の強み」
個体は強い。
特にそれは人間のような複雑な精神構造をもった生物において顕著になるはずである。
個体が強い理由。それは個体が精神面において強いからである。
集団が強いのは認めざるを得ない。しかしそれはあくまで問題解決能力などの点だけである。
集団に属してしまった個体は他の個体を頼るようになる。
一方いつまでも個体で存在する人間は自分を頼り続ける。
ここに決定的な精神強度の差が生まれる。
確かに、悩ましい問題に直面した時、誰かに相談するのは合理的である。
しかしそれは同時に、自分自身で努力する形での問題解決に対する気力の低さを意味している。
このような相談という行為によって、自身が持つ問題解決能力を伸ばすことできない。
一方個体の人間はどんな悩ましい問題でも、自分一人で解決せざるを得ない。
一人で人一倍悩むから、そういう問題に関して向き合う力は、相談に頼ってばかりの人間より上昇するのは明白である。
多くの場合において人間は集合的に生活することができる。だから、そういう時は相談に頼ってきた人間も問題を解決することができる。
だが、本当に大事な時、つまり地震などによって自分が孤立してしまったり、といった状況では周囲との相談を望むことはできない。
大事な時、人はいつも一人なのである。
昔から先生によく言われてきた言葉で、「普段からやってないといざという時にできないだろ? 勉強でも、普段からまじめにやってない人間がテストでいきなりできる、なんてありえないんだよ」と。
だから、普段から備えてぼっちしている人間のほうが正しいではないか。
明らかに家の耐震対策なんてしてるより、平素からぼっちやってるほうが精神の耐震性アップして安全である。
ちなみにお得なぼっち特典をさらに伝えておくと、地震などで津波が来たとき、大切な友達とかが心配で逃げ遅れる心配がない。
大切な友達なんていないからである。何なら大切じゃない友達もいないまである。
そう、明らかにぼっちのほうが精神面でも行動面でも、足枷がなくて自由なのである。
結論を言おう。
集団より明らかにぼっちの方が強い。ただし精神的な意味で。
調子乗ってるから集団リンチとかやめてください、物理的には弱いんで。
なんだかんだでそろそろ自分、世界ドクシング(独身ぐ)選手権で金メダルとっちゃってもいい頃だと思うんですけど、どうなんでしょう?
異論異議反論口答え全て受け付けます。
どうでもいいことですが、後書きって基本的に何を書いてもいいんですよね? 多分。
なので、「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」のアピールでもしましょう。
ちなみに、べ、べつに題名の最後に付けた。は句点じゃないんだからね! ただの伏字なんだからね!
アマゾンの4~7巻のあたりの書評を舐めまわすように読めば、絶対欲しくなるのは間違いない。
ていうか、書評の時点ですでに芸術的過ぎて、舐めまわすように読まざるを得ないですよ。
自分から特に言うことはありません。だって、書評があまりにもすごすぎて、何を書いても自分のは見劣りしてしまうのは間違いないので。
ただ、それでも言いたい。
この作品は面白い。何がって、まずギャグがいい。これが前提としてあります。そして、このギャグの上に時々ある哲学。これ最高。何だかんだでギャグやらハーレムやらが持て囃されてしまう時代の風潮ですが、そんな中にあって、この作品が追求したのはギャグと哲学。あとちょっとラブコメ。
特に自分はこの中でも、哲学が好きで好きでたまらないんですよね~。この作品を通じて、人生だとか、人だとかについて真面目に考えることの面白さとか、重要さだとかを思い知らされました。いつだって人生とか、人間のこととかについて真面目に考えた人間の方が強いんだって、この作品を見てよくわかりました。もうね、考え方マジ半端ないですよ。
ふむ、ちょっと語りすぎてしまいましたが、自分が言いたいのは哲学云々ではないんですよ。
この作品は面白い。大事なことなので二度言いますよ?この作品は面白い。はい、二回言いました。え? 今のでさりげなく三回目だって? 大事なことは何回言ったっていいんですよ。
この作品は面白い。今高校生の人とかはこの作品を見て、ちょっとぼっちに対する考え方とかかわるんじゃないかなと思います。一人でいる人間の強さみたいなものがわかって、普段憐れんで見ていた自分が少しだけ、恥ずかしくなったりするかもしれません。でも、こんな立派なぼっちばかりじゃないので、相変わらず憐れんで見てあげてください。ソースは俺。
この作品は面白い。今社会人やってる人は、昔の学校生活を懐かしみながら見てくれてもかまいません。社会はいつだって移り変わってしまって、昔の学校はこんなんじゃなかったぞ! って思う人もいるかもしれませんが、今の学校の現実はこんな感じです。一つのクラスに一人ぐらいぼっちがいるんです。クラスには明文化されないカーストみたいなものがあって、皆それに縛られて生きている。そういう「今の学校」を見つめることができて、なかなか面白いんじゃないかなと思います。
この作品は面白い。いまだ高校生になっていない人。そういう君が、時々抱えるかもしれない不安を背負って生きている女の子が、4巻には出てきます。登場キャラたちを見て、自分も将来はこうなってしまうのかと、不安になってしまうかもしれません。具体的にどのキャラのポジションに君が入るかはわからないですが。だからこそ、この作品から比企谷八幡であったり、雪ノ下雪乃であったり、由比ヶ浜結衣であったり、雪ノ下陽乃であったり、平塚静であったり、様々な人間の哲学に触れてください。基本的に一人称視点なので、八幡以外の人間の哲学にはあまり触れる機会はありませんが、でも時折発せられる言葉の中に、その人間なりの哲学が浸み込んでいます。そういうのを味わい、自分のものとし、やがて自分で新たに考える。そんな精神をこの本は楽しみながら身に付けることができます。何か参考書みたいな文句になってしまいましたが、事実です。ぜひ読んでください。
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」絶賛発売中。全日本人が読んでほしいライトノベルです。素晴らしい本は正しく世に広められて、正当な評価を下されるべきです。この本はまだまだその真価が広く伝わっていない気がします。ぜひ皆さんも、面白いと感じたら周りの人に勧めてあげてくださいね?
ちなみに、自分は勧める友達がいないのでその義務免除で。何なら勧めない友達もいないまである。
あ、さんざん語ってますけど、これこそ自分がこの作文のもとに敷いている本なので、時折折り込まれたギャグっぽいものにクスッときたなら、間違いなくその本を読んでも笑えます。この本で「何なら~まである」、という新種の副詞の呼応のことを自分は知りました。実例を見るとかなりうけますよ。
ふぅ、後書きの方が長くなってしまいましたね。
まぁはっきり言って、自分の書いている作文なんて読んでる時間があったら、さっさと書店に行って紹介した本を買ってきなさい、って話ですからね。自分の作文よりよほど重要です。
まぁこんな形で、もうものすごく紹介したくてしょうがない本ができたら、また後書きで紹介するかもしれません。ではまた。
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