「情熱大陸」プロデューサー 福岡元啓 氏

分野を問わず、第一線で活躍するさまざまな人たちの素顔に迫ってきたドキュメンタリー番組「情熱大陸」。この4月で番組は15年目を迎え、5月6日の放送をもって700回を数えます。記念すべき節目ということで、新たな試みも考えているという福岡元啓プロデューサーに、番組の現在形と将来像を語っていただきました。

“こうあるべき”と硬直することなく、今後も意欲的に“人”を追い掛けたい

福岡元啓

テレコ!:福岡さんが5代目の「情熱大陸」プロデューサーに就任して1年以上が経ちましたが、すでにブランドイメージが出来上がっている番組を担当すると聞いた時、どんな思いを抱いたのでしょうか?

福岡:率直に思ったのは、「僕に任せて、本当にいいんですね?」ということです。番組がどうなるかわかりませんよ、と(笑)。とはいえ、MBS(毎日放送)を代表する番組ですから、とにかくキチッとつくらなければいけないなとは思いました。当座の命題は、固定ファンの方々に納得してもらいつつ、新しい視聴者層を開拓するためにはどう工夫すればいいのか、ということでした。洋服の老舗ブランドのごとく、築き上げられたものをコンサバティブに守りつつ、今の時代に受け入れられるようなデザインを打ち出していく必要に迫られていたと言いますか…。現状を維持するだけだと飽きられていく状況にあり、新しい要素を少し足さなければいけないけれど、積み重ねてきた部分も大事にしていかなければならない。実際に番組を引き継いでみて、そういうミックスの難しさは実感しましたね。

テレコ!:テレビを取り巻く環境も番組スタート時と比べると大きく変わっています。その辺りも考慮する必要があった、と…?

福岡:15年前はまだインターネットが普及し始めたころで、HDDレコーダーもなかったですし、テレビが娯楽の中心にあったと言えた時代でした。今も確かに王道ではありますけれど、メディアの細分化によって絶対的とは言えない状況です。では、ネットやパソコンに負けないようにするには、どうすればいいのか? 自分が思うに、タイムリー性ではないかと。初代プロデューサーも2代目もそうですが、自分も報道の出身なんですね。自ずと、日々タイムリーなことと向き合うのが習慣となっている部分がありまして、そこは今も意識しています。例えば、ボクシングの世界戦が大晦日に行われたら、そのまま1月1日に井岡一翔選手の密着を放送する、といった具合ですね。「この人はまさに今オンタイムで見るべきなんじゃないか」と思わせるようなラインナップを常に目標としてはいますが…すべて思い描いたように行えるわけではありません。やはり簡単ではないですね。

テレコ!:速報性に長けるネットとどう勝負するかは、“テレビのこれから”を占う意味でも大きな意味があるように思います。

福岡:決断力や瞬発力、フットワークの軽さに関してはネット周りの方が明らかに速くて、その点でもテレビは他の媒体より遅れがちになっているように感じます。やっぱり守りに入っている部分があって、どことなくお役所的になってきている気がするんですね。なので、このところ盛んになりつつある番組のオンデマンド配信は、個人的には歓迎すべきことだと思っています。もちろん、「情熱大陸」でも始めたいと検討していますが、いろいろと権利の問題があって、正直、クリアしなければならないことが多いわけですね(笑)。でも、そこで諦めたら今までと何も変わらない。それこそ瞬発力やフットワークを求められていることだと思いますし、このあたりで流れを変えないと、テレビ業界そのものが衰退していきかねない、とも感じています。まあ、言うのは簡単であって、当事者となると実際大変なんですけれど…。

テレコ!:そんな中、番組が700回という節目を迎えるわけですが、今までにない試みを企画されているとか?

福岡元啓

福岡:一つ考えているのは、俳優さんやタレントさん、アーティストといった方々のディレクション(演出)によって、第一線の人を追い掛けていくという企画です。ただ、この手法はドキュメンタリストからすれば、明らかに禁じ手なんですよ。なぜなら、ある意味で相当な“ハレーション”を起こす可能性があるからです。たとえば、女優さんがディレクターをするにしても、やはり補佐的役割をする専任ディレクターが別に必要となるわけですが、その専任ディレクターからすれば「自分ならこんなふうに撮るのに」というフラストレーションを多かれ少なかれ感じるでしょう。それに、撮っていく過程で予期せぬハプニングがあるだろうな、ということも想像に難くない。でも、そこを敢えてチャレンジしてみてはどうか、と。もちろんメリットもあって、女優さんならではの感性や独自の視点を通じて我々が全く想像しなかった新しい世界観が見られるかもしれない。それに「この人に撮られるのであれば、密着されてもいい」と出演を快諾される方もいらっしゃいます。一見のディレクターには築きがたい深い関係性が最初からできあがっているという点でも、大きなアドバンテージがありますしね。守りに入っていては番組の進化が望めないことを考えると、新たな一歩を踏み出すにふさわしい企画ではないかな、と。現場のスタッフも「何か面白そうだ」という手応えを感じていて、かなり前向きに動いています。

テレコ!:撮っている人にも当然カメラが向けられるとして、構成的に多重構造になるということでしょうか?

福岡:そうですね。もちろん主従関係としては取材対象の方がメインになります。あまり多重構造にしてしまうと、見づらくもなってしまうので、そこのサジ加減は考慮する必要があると思っています。ただ、撮る側の方も時間とともにディレクターとして成長していくはずですので、そういう部分はうまく見せていければと。主従の関係をはっきりとさせていれば、これまで見たことのないようなものになりそうな予感もあります。これが新しい「情熱大陸」のカタチのヒントになっていったら面白いのではないかという期待も、実は抱いていたりもします(笑)。

テレコ!:この企画は、どのくらいのスパンで放送する予定でしょうか?

福岡:1カ月に1本くらいは放送したい、と考えてはいますが、撮影の進行状況にもよりますね。現在、鋭意ブッキング中です。ありがたいことに「情熱大陸」に対しては良質なドキュメンタリー番組というイメージを抱いてくださっている方も多いと思いますが、「え、こんなこともやっているんだ!?」といった、刺激を感じてもらえるような番組を作りたいですね。

テレコ!:そのあたりを踏まえまして、「こんな『情熱大陸』をつくってみたい」という展望を、最後にお聞かせください。

福岡:東日本大震災から半年(2011年9月11日)と1年(2012年3月11日)の節目にあたる放送で、番組スタート以来初の「生放送」に挑戦しました。その日、その場所の空気感をタイムリーに伝えたいという思いからの試みでしたが、お蔭様でギャラクシー月間賞を戴くなどの反響もあり、ドキュメンタリー番組の新たな可能性を感じました。是非また挑戦したいと思っています。 あとは、以前にも何度か放送したことがありますが「2人情熱大陸」もまたやってみたいです。夫婦や師弟など、完全に“2人”という部分を押し出していくような。まず、5月27日にバレーボール女子の木村沙織選手と竹下佳江選手を取り上げてみようと思っています。トスとアタックという関係性にフォーカスを当ててみると、より深く掘り下げられるのではないだろうかと。それと、先日放送した「プリンセス・プリンセス」のような群像もまた撮ってみたいですね。とにかく「『情熱大陸』はこうあるべき」と硬直することなく、今後も意欲的に“人”を追い掛けていこうと考えています。

Photo=蓮尾美智子
Interview=中越春樹

匠のハードディスクを拝見

福岡プロデューサーが、どんな番組を見ているのか、録画しているのか、その気になる頭の中(ハードディスク)を拝見します!

匠の仕事

第一線を走り続ける人物たちにクローズアップ。
普段見ることのできない素顔にも注目です!

テレビ自分史

小学生時代から番組制作に携わるまで、福岡プロデューサーがこれまで歩んできた「テレビの歴史」を伺いました。バラエティやスポーツ、報道など、さまざまなジャンルの番組を紹介してくれました!

~福岡元啓プロデューサーの場合~

年代 見ていたテレビ番組 その頃、私は… 時代背景
1974年   福岡元啓、誕生
  • 長嶋茂雄が巨人軍を引退
小学生時代 8時だョ!全員集合
(1969~1985年)
福岡元啓ドリフを見ながら、裏番組の「オレたちひょうきん族」の「タケちゃんマン」もしっかりチェックしていました(笑)。
  • 寺尾聰の「ルビーの指輪」が大ヒット(1981年)
  • グレース・ケリー王妃が交通事故で死去(1982年)
  • 東京ディズニーランドが開園(1983年)
  • ロサンゼルスオリンピック開催(1984年)
  • 女優・夏目雅子が死去(1985年)
  • NASA スペースシャトル・チャレンジャーが上空で爆発(1986年)
  • マイケル・ジャクソンが後楽園球場で来日コンサートを実施(1987年)
天才・たけしの元気が出るテレビ!!
(1985~1996年)
僕らの世代は、たけしさんの影響ってすごく大きいと思います。「元テレ」ではないんですが、たけしさんが企画した「マラソン野球」という、ずっと野球をし続けるという番組がありました。年末の寒い時期に見に行った記憶がありますね。
プロ野球 ナイター中継(巨人戦) 季節が春から夏へと移ろうとともに網戸にして、涼みながら巨人戦を見るというのが風物詩でした。中学に入るとラジオばかり聴くようになっていくんですが、その大きな理由として当時のテレビ中継は最大に延長しても午後9時24分くらいまでで、試合終了までライブを味わうにはラジオで聞くしかなかったんですね。それがきっかけで、ラジオっ子になりました(笑)。
教育テレビの子供番組 春休みには、午前9時から始まる教育テレビの子供番組を見ていました。道徳の番組だったり、実験の番組だったり、あるいは「中学生日記」だったり。僕は勝手に“9時番組”と呼んでいて。番組名は忘れましたけど、歌は覚えているんですよ。「♪遊ばないかと笑っていった~」って(笑)。
中学~
高校生時代
平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国
(1989~1990年)
「イカ天」は週末、夜更かししながら見ていた印象があります。比較的、深夜番組はよく見ていた…というか、ついていましたね。友達の家で実験的なバラエティをBGM的につけながら、マンガや本を読んで夜更かしするという、よくわからない遊びをしていました。
  • 「東京ドーム」が開場(1988年)
  • ベルリンの壁崩壊(1989年)
  • ジュリアナ東京がオープン(1991年)
大学生時代 スーパーテレビ情報最前線
(1991~2005年)
僕にとっては憧れの番組でした。制作スタッフにドキュメンタリー畑出身の方が多いんです。特に好きだったのは「歌舞伎町」シリーズ。常にタイムリー性がありましたし、何となくザラついた感触がたまらなかった。今も不夜城的な街を見ると、ドキドキします(笑)。
  • 向井千秋が日本人女性初の宇宙飛行へ(1994年)
  • 阪神・淡路大震災が発生(1995年)
  • たまごっちが発売(1996年)
  • マザー・テレサが死去(1997年)
NONFIX
(1989年~)
いつだったか、正月早々の深夜、スーパー銭湯でボーっと見ていたんです。その時に放送されたのが、森達也さんの手掛けた「放送禁止歌」でした。偶然とはいえ、強烈でしたね。
入局~
作り手として
MBSヤングタウン
(1967年~)
入社してすぐに手掛けたラジオ番組です。数々のタレントが羽ばたいていきました。“ヤンタン”の枠のなかで、森三中の初めてのレギュラー番組は実は僕が作ったんですよ。当時、彼女たちは全く売れない芸人だったのですが、他の番組でイジられ、クタクタになった状態でラジオのスタジオに来てくれていた思い出があります。でも今や、僕よりはるか彼方に行ってしまいましたね…(笑)。
  • 長野冬季オリンピック開催(1998年)
  • 嵐が「A・RA・SHI」でCDデビュー(1999年)
  • プレイステーション2発売、大ヒットに(2000年)
  • 9・11米同時多発テロが発生(2001年)
  • サッカー・ワールドカップ、日本と韓国で共同開催(2002年)
  • 宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」がアカデミー賞長編アニメーション賞を獲得(2003年)
  • NHK総合で韓国ドラマ「冬のソナタ」を放送、爆発的な人気に(2004年)
  • つくばエクスプレス線が開通(2005年)
  • 第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)開幕(2006年)
報道特集
(1980年~)
福岡元啓「北海道物産展のニセ業者を暴く」と「ニセ募金集団を追う」というシリーズで、ギャラクシー賞をいただきました。「北海道物産展~」はニセ蟹を追っているうちに、物産展で売られているものは本当に北海道産なのか? と疑問に思うようになり、調べてみたら、ほとんど海外のものだったという(笑)。売っていたお弁当のラベルの住所に行ってみたら、そこには何もなかったんですよ。一室だけ事務所としてあるんですが、電話の転送先は関西なんです。この番組がきっかけで、百貨店の物産展のルールが明文化されました。一方、「ニセ募金~」を追うきっかけとなったのは、明らかに募金活動するようには見えない人たちが街角に立っているんです。で、後をつけていくとボスに集まったお金を持って行っている。募金シリーズは3回くらい手掛け、大阪府警の二課にも事件として扱ってもらいました。被害者が名乗り出ない状態で詐欺罪を摘発するのは難しいんですが、不特定多数の方が被害に遭った詐欺ということで立件され、最高裁まで争いました。結果、最高裁でニセ募金は詐欺罪が適用され、新たな判例になりました。
ランキンの楽園
(2006~2008年)
東京に来てバラエティを担当しまして、トラと一緒に寝たりしました。タイに有名なトラのお寺があって、体当たり取材をしまして。放し飼いのトラの近くまで行かされて、腕枕で寝たという(笑)。あとは、ワニがいるプールに入れられましたね。文字にすると、ちょっと過激に思われてしまうかもしれませんが、あくまでバラエティですので…(笑)。
福岡元啓

福岡元啓(ふくおかもとひろ)プロフィール

1974年東京都出身。早稲田大学卒業。1998年毎日放送入社。ラジオ局に配属された後、ディレクターとして「MBSヤングタウン」を制作。2002年には報道局に異動、ニュース番組「VOICE」を担当する。そこで制作した2004年放送の「憤懣本舗・北海道物産展の偽業者を暴く」が2005年の第42回ギャラクシー賞「報道活動部門」の選奨に。また、「闇の正体・善意の募金に重大疑惑」では同賞の奨励賞を受賞。2006年東京支社テレビ制作部に転勤となり、「ランキンの楽園」や「久米宏のテレビってヤツは!?」などのバラエティ番組の演出や、「ビートたけしのガチバトル」をプロデュース。2011年1月より「情熱大陸」5代目プロデューサーを務める。2011年4月「情熱大陸・小島慶子篇」、同年9月「情熱大陸・石巻日日新聞篇」がそれぞれギャラクシー賞の月間賞を受賞。

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