森下麻衣子

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TICAD V:モザンビークの人々から安倍首相に手渡された驚くべき公開書簡

投稿日: 2013年06月02日 18時06分

TICAD V(第5回アフリカ開発会議)に特段興味がなくとも、大豆食品を食べる全ての人に知ってほしい話がある。第5回を迎えるアフリカ開発会議の開幕前夜の5月31日、安倍首相主催のレセプションにおいて、モザンビークから来日した一人の男性が同国の十数万の人々より託された公開書簡を首相に手渡すという任務を全うした。その内容は、日本に対して大きな問いを突きつけるものだった。

「援助から投資へ」――6月1日から3日にかけて横浜で開催されるTICAD Vの打ち出しは、明確だ。「最後のフロンティア」と目されたアフリカの豊かな天然資源を獲得するため、オールジャパンで日本企業による対アフリカ投資を後押しし、中国や韓国に対する出遅れを挽回する。海外投資を呼び込むことでアフリカ経済を成長へと導く。これこそ理想的な「ウィン・ウィン」だと。

果たして本当にそうなのか。

公開書簡に話を戻そう。モザンビークの農民組織やNGO団体により起草された「公開書簡」を安倍首相に渡すという重任を託され来日したのは3人。

1人目は、2000以上の加盟団体をから構成されるモザンビーク最大かつ全国規模の農民組織、「モザンビーク全国農民連盟(UNAC)」のアウグスト・マフィゴ代表。2人目は、同じくUNACのアドボカシー(政策提言)を担うヴィンセント・アドリアーノ事務局長。3人目は、モザンビーク北部のナンプーラ州の100以上のNGO/CSOが傘下する「ナンプーラ市民社会プラットフォーム」のアントニオ・ムジェネレ代表。ムジェネレ氏は、モザンビークの首都マプトで開催された市民社会会合でモザンビークの市民社会の代表として選出された。彼らは、モザンビークの十数万人の人々の声を代表している。

「公開書簡」の内容は深刻だ。日本政府並びにJICAが力を入れる大型農業開発ODA「プロサバンナ(ProSAVANA)」事業の即時停止の要求だ。支援の対象とされる小規模農家との協議や情報共有が2009年の事業合意から現在までほぼ不在だったこと、リークされたマスタープランのドラフトともとれる報告書の内容が小規模農家の置かれた状況や彼らの望む開発のあり方にまったく立脚しないことに基づき、事業の即時停止と見直しを行い、小規模農家ならびに市民社会との協議や合意に基づいて事業を進めるためのインクルーシブなメカニズムの設置を求めている。それは、日本のODA(政府開発援助)のあり方のみならず、日本の農業投資政策、そして日本に住む私たちの食のあり方を根本的に問い直すものだ。

プロサバンナ事業とは、日本・ブラジル・モザンビークの三角協力による大型農業開発事業で、日本がブラジルに対して行った農業支援「プロデセール(PRODECER)」をモザンビークで再現するという触れ込みだ。プロデセールは、70年代、日本の大豆輸入先であった米国が輸出禁止措置を敷いたことから大豆輸入先の多角化を念頭に行われたもので、ブラジルを世界屈指の大豆輸出国へと変貌させた成功物語として語られている。

プロサバンナ事業は、モザンビーク北部のニアサ州、ザンベジア州、ナンプーラ州にまたがる巨大な農業開発プロジェクトだ。対象となる農地はなんと1400万ヘクタール。日本の耕作面積の実に3倍という途方もない規模だ。事業は、農産物の輸出を担う港としてナカラ港の改修計画に始まり、モザンビーク内陸部と港をつなぐ鉄道や幹線道路の整備改修など、「ナカラ回廊」全体の開発を目指す。

事業は、PPP(public-private partnerships:官民連携)として、早くから企業との協力体制が敷かれ、2012年4月には官民合同ミッションも実施。伊藤忠をはじめとした企業が大豆や胡麻などの生産輸出事業の展開を念頭に準備を進める。日本政府JICAはODA事業として日本向けに適した大豆品種の開発や安定した収量確保のための農業支援を行い、こうした大豆を商社などが買い受け、日本の食卓へと届ける。日本は、大豆や胡麻といった、私たちの生活に欠かせない作物の安定供給を達成し、日本の食料安全保障にも貢献するというストーリーだ。ちなみに、これはODA案件なので、モザンビークの貧困削減と小規模農家支援にも資するという。

しかし、そうした喧伝とは異なり、プロサバンナ事業は、モザンビークの小規模農家支援にも貧困削減にもつながらないという批判が各国の市民社会、国際NGOから寄せられている。

モザンビークは非常に貧しい国だ。過去10年にわたって7%の経済成長率を続けていることが注目されるが、最新の人間開発指数(HDI)では、世界ワースト3位。2015年までに貧困を半減することを目標に設定されたミレニアム開発目標の達成の見込みも低く、貧困線以下で生活する人は未だ58%、栄養不良人口も多く、人々の食料へのアクセスが確保されているとはいえない状態だ。

プロサバンナ事業の予定地である北部は、モザンビークの中でも気候が温暖で土壌も豊かなことで知られる。この地域に住む人々の多くは自給自足を基本とする小規模農家だが、自らの食料を生産し、南部もこの地域の食料生産に頼っている構図だ。こうした土地が、輸出向けの換金作物を中心とした大規模農業に取って代わったときに何が起きるのか。

決して豊かとは言えずとも自給自足型の農業に従事していれば、食べることには困らない。しかし、農地を明け渡し、農業経営者に雇われる賃金労働者となると、食べ物はお金を出して買うものになる。そして、受け取る賃金が低く、充分に買うお金がなければ(そして多くの場合そうなのだが)、充分に食べられない事態に陥ってしまう。実際に、アグリビジネスの参入などによって大規模農業を展開した結果、国としての生産量や輸出量、そして経済成長率が上がったにも関わらず、貧困率は改善せず、小規模農家の生活が苦しくなったケースは、世界中で報告されている。2007/8年の食糧価格高騰以来、高水準で推移する食糧価格は、アグリビジネスにとっては収益増をもたらしたが、固定された安い賃金で雇用される小規模農家の家計はさらに圧迫されることとなった。

今回の来日は、こうした問題を日本政府に直接訴えるために行われた。
モザンビークからの3人に同行して、ある国会議員を訪ねた。

「では本当に必要な支援はどんなものか。」

議員に聞かれた質問に、彼らは明快な答えを持っていた。

「モザンビークの小規模農業にはインフラが足りていない。だが、今必要なのは、自分たちの食料を奪い、海外に作物を輸出するための港や幹線道路の整備改修じゃない。必要なのは、小さな村と村の市場をつなぐ道路や、持続可能な形で環境負荷の低い農業を行うための、小規模な灌漑設備だ。種子についても、毎年種を買うことを強いられる遺伝子組み換え種子ではなく、小規模農家自身が選び守ってきた伝統品種や固定種の優良な種子をきちんと保存し、共有するためのシステムだ。技術指導も必要には違いない。しかし、それは土壌を急速に劣化させる大規模な単一栽培を進めるための技術指導ではなく、自分たちが食べる作物をいかに環境負荷の低い持続可能な形で生産し、収量や品質を改善できるかという指導だ。」

投資を呼び込む形で経済成長を促しても、それが貧困削減に必ずしもつながらないことは、急成長を遂げる新興国が、一方で格差拡大と深刻な貧困問題に直面している例を見るまでもなく明白だ。加えて、「支援」とは、当事者の自発的な取組みや意向を支え、後押しするのがあるべき姿だ。援助業界で枕詞のように使われる「オーナーシップ」が本来意味するのは、まさにそういうことだ。そしてモザンビークの彼らには明確な知恵とビジョンがあるのだ。

「援助から投資へ」「戦略的なODAの活用」こうした言葉の持つ意味と実際にもたらすことになる影響を今一度考え、支援のあり方を再考する必要がある。プロサバンナ事業は、モザンビークの小規模農家にとって、「ウィン」の実現からはほど遠い。

一方で、食料の1/3を捨てている日本。生産調整を行い、休耕地を抱えながらも、大豆、トウモロコシ、小麦、胡麻の大部分を海外からの輸入に頼る日本。日本の食料安全保障の追求が、世界の最も貧しい国の一つであるモザンビークの最も肥沃な土地を、「援助」の名の下に食料生産地として獲得することでいいのか。日本政府の描く「ウィン」の姿は、本当に私たち市民が望むものなのか。

明確な知恵と開発のビジョンを持ち合わせる彼らの取組みを支える支援のあり方をなぜ実現できないのか。

日本のODAのあり方、日本という国の農業のあり方、そして私たちの食への向き合い方が今問われている。

【訂正】公開書簡を安倍首相に手渡した日付が3月31日となっていましたが、正確には5月31日でした。

 
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23分前 (16時20分)
モザンビークの人々が安倍首相に公式書簡を渡した後、プロサバンナ計画の改善は行われているのでしょうか?
このときにこの問題が少し取り上げられて以降、全く耳にしなくなりました。
遠く離れた日本人はこの計画の恩恵に与りますが、害が及ぶことはありません。
しかし、現地の人々にとってこの計画は自分たちの生活を左右する極めて重大なものです。
そんな計画を主導していることに私たち日本人も注意するべきではないでしょうか。
2013年06月12日 01時44分
森下さんの記事ではじめて知りました。

同じようなことが、ブラジルのアマゾン農家であったことを思い出しました。大規模農業の主な企業は米国であり、土地なし農民が溢れたのです。その詳細をブラジル人で日系移民の有能な方から聞いていました(国連でも働いていたと思います)。

「みんなが豊かになる」と夢を吹聴し、実際は大型機械の大規模農業ですから、雇う現地の人はわずかで多くが失業の「流浪の土地なし農民」となったのです。

こういう「資本の論理」が世界で横行しているのが、現実ではないのか。

日本が高度成長の時でも、アジアへのODAの使い道と、両国の政治家や企業の「儲ける」構造が問題化されました。やり方は一層「ずる賢く、悪賢く」なっているように見られます。
2013年06月06日 01時34分
すいません。私の理解が浅いためか、どこが「驚くべき」か
分かりませんでした。
国家間とは、そういうものでは?
2013年06月06日 00時30分
日本の支援は日本型の組織運用支援であって現地の人々が安心できる支援ではないってことだね。
参院選を控えた今の時期にこうした公開書簡を渡したことは大変意義のあることだとおもう。

「小さな村と村の市場をつなぐ道路や、持続可能な形で環境負荷の低い農業を行うための、小規模な灌漑設備」

に支援をしてもらいたいね。
そしてどなたかがコメントしていたけど、日本の農業をもっと自給自足できるような強化をしてほしいね。
米国が製造業の強化を行うのなら、日本も1次産業をもっと見直しても良いのではないだろうか?
ものが溢れる世界が豊かなのではなくて生き方の豊かさを実現させるのが先進国の役割なんじゃないかとつくづく思う。
2013年06月05日 13時13分
現在のODAが援助から投資へと転換していく、これも仕方のないことだと思います。
もちろん、裕福な国が貧困国を支援するのは当然の責務ではありますが、実は先進諸国の経済状態もそれほど良いわけではない。
みんないろんな問題を抱えています。その中で、人間性として習慣、考え方、など根本が全く違う人たちがいます。このあたりが非常に難しい問題です。

日本人ならば、「人間働かざるもの食うべからず」などとずっと言われ続けて育ってきました。
ところが、世界ではこれが共通の意識としてあるかというと疑問です。
勤労意欲などない人々もいます。貯金の概念のない人もいます。まして、金融商品って何?みたいな人だってたくさんいます。
モザンビークでは、自給自足で暮らせれば良いと思っていても、この時代否応なくグルーバル化の渦に飛び込まなければいけない社会となっています。
先日、ナイジェリアの状況をテレビでみましたが、多くの若い人達が携帯電話をもっていました。
それも、仕事を探すためのサイトをみるためにです。
今までは、知人や友人を頼ってしか、仕事を探すことができなかったものが、携帯のサイトで数多くの会社などを調べることが出来るようになったと。

モザンビークもただいつまでも小規模農家のほぼ自給自足生活を支援していても、大きな流れを見ていけば無駄金になりかねません。
彼らの意識も変わらず、確かに今までの生活は確保出来るかもしれませんが、それだけで良いのでしょうか?
意識改革が行われない限り、いつまでたっても世界から置いて行かれるだけの貧しい田舎の国になるだけでしょう。
当然、世界は肥沃なモザンビークの土地を放おっては置かないはずです。
誰もが手を出さないはずもない、力のあるものが必ず取りにきます。またもし放かっておかれたら世界から置いてけぼりになるだけで、進歩の止まった国になるだけです。当然、国民の意識も前時代的なまま。これでどうして国が成り立ちますか?

100年先を見据えた政策を考える時期なのではないでしょうか?
ただ、自分の足元を見るだけではなくね。
2013年06月05日 10時59分
モザンビークについて   モザンビークの小規模農家のいうことが当たり前  日本は余った土地で自給自足するべし  うちはとうもろこしを今日 植えた・・・・・
2013年06月05日 03時14分
最近あまり使われなくなったけど、いわゆる南北問題ですね。

日本のお金で日本の企業が発展途上国に空港を建設する。
誰が利益を得て誰が幸せになりますか。現地のほとんどの人は飛行機には乗りません。海外旅行なんてできるわけがないでしょ。
結局、たくさんの貧しい人たちのおかげで、豊かな人の生活が成り立ってるんですよね。国と国の関係もそうです。
だからと言ってこの便利な生活を捨てられないしね。

貧しい農家は国の発展過程で労働力の供給先となり、国がさらに発展すれば富の分配を少しは受けられるようになるかもわかりませんが、まだまだ先の話ですね。
2013年06月04日 18時17分
ODAをどう捉えるかによるが、果たしてODAとは彼女のいうようにただ単なる「援助」のことを言うのであろうか?
1962年に農林水産省と経済産業省がJICAの前身組織を設立の経緯のことを考えると、日本政府が食料主権の確保及び日本の経済圏の確立のために、こうした組織を設立したことは明確である。
JICAが青年海外協力隊のような純粋なる無償の「援助」だけをアピールし過ぎる余り、ODAがあたかも発展途上国のために無償で行う援助であると勘違いさせていることは、JICAの墓穴とも言うべきことであろう。
ODAが日本の外交戦略及び、食料や資源の確保のための道具であることは紛れも無い事実であり、援助、援助とお花畑のように言うNGO職員もどうかと思う。
かつて、アメリカのピースコー(日本でいう青年海外協力隊員)にいて、その後、開発コンサルタントとしてアメリカのODA事業に関わって来たジョン・パーキンスという人物が「エコノミック・ヒットマン」という著書にも書いているが、ODAがアメリカの国益のためにやるのは当たり前で、その上、ピースコーのようなボランティアにすらCIAまがいのスパイ行為をさせているのが欧米のODAの実態である。
ODAにも色々と種類があり、インフラ整備などを含む大型案件のODAは国民の血税を何百億と使う以上は、日本の国益に適うものでなくてはならないのは当然のことである。
私には、彼女がODAが日本の国益のためにやらなくてはなくてはいけないことを承知の上で、やり方が間違っていると言いたいのか、それともODAを日本の国益のためにやるべきではないと言いたいのか、どちらなのか分からない。
多くの人が誤解しているようであるが、今までも日本や各国のODAは、採算がの取れる投資として行われてきたし、事実、日本は有償資金協力などの利子収入で十分な利益を上げているし、紐付き援助で日本に金が落ちるようにはなっている。
ODAとNGOがやる仕事は全く違う。NGOは純粋な援助を仕事としてすれば良い。
ついでに言うと、ODAの小型の技術支援案件などは純粋な「支援」として行われていることが多い。小額なので、日本への還元だとかそういう話にはならない。
しかしながら、ODAの枠組みの中で行うことができることは非常に限られているため、基本的には単発で一時的な支援で終わることが多い。数年経てば、何も残らないっていう事の方が圧倒的に多いのである。
寄付や支援に頼った一時的な慈善事業が何の役にも立たないという例が後がたたないために、ビジネスとして成立する持続的支援という形でPPPやBOPビジネスのように官民連携のODAプロジェクトが日本に限らず、世界的にも評価されていることくらいオックスファムの方が知らないとは思わないが、
ODAのどこを批判したいのか良く分からない批判をすれば、ODA予算からBOPビジネスやソーシャルベンチャーをやろうという人々への支援すら削られる。
この方の杞憂も分かるが、何か違和感を感じられずにはいられない。
2013年06月06日 11時35分
確かに、筆者の論理には違和感を覚えます。
見方が一方的とすら思えますね。

小規模農業の問題にしても、人口が増えなければ成り立つ論理ですが、
豊かに成って人口が増えれば直ぐに破城すると思いますし。

何れにしろ、内政問題なので、ODAと絡めてとやかく言う問題でも無いですね。
2013年06月07日 10時25分
また、非常に違和感があるのが、現地の農民組織がこうした行動を自主的に起こすとは、到底思えないのです。
誰かが入れ知恵をして、誰かが勝手に煽っているとしか思えない。
現地の農家がそこまで意識が高いとは思えない。
おそらく、農村開発手法として参加型開発がすべてにおいて正しく、ODAもそれに準拠して開発を行わなくてはならないと勘違いしている日本のNGO職員がいるに違いない。
2013年06月04日 16時15分
モザンビークの小規模農業が目指す方向は、日本の小規模農家への指針を示していると思いました。
一生懸命おいしいお米を作り、それを売って自分たちは安いお米を買って食べている農家の人たちが居る。
TPPは、そういうことを推進しようとしています。
モザンビークの農家が作った作物が、モザンビークの飢えを満たし、
日本の農家が心をこめて作った作物を、感謝して、日本人が食べられるのが幸せだと思います。
日本の田んぼは、雪解け水のためのダム、
大豆を作れば土中に窒素などの栄養が蓄えられます。
若者が自然を愛し、農業を愛するようになると良いですね。

「情けは人の為ならず」という言葉のとおり、
日本の為でなく、その国の為になることを考えて援助をすることが、
「信頼される日本、信頼される日本人」を作ることにつながると思います。

世界中の人々が、互いに信頼し、助け合えるようになることを、願っています。
2013年06月04日 11時35分
公開書簡に従って、日本政府がこのODA計画から降りたとしても、モザンビーク政府に計画続行の意志があれば、ODA計画のパートナーが日本から中国など他の国に代わるだけだろう。モザンビーク政府に現地住民より国家収益を優先する考えがあるかぎり、この計画を中止しても、別の開発計画が立てられるだけではないだろうか。
2013年06月04日 11時16分
腐敗した政治が行われている国への投資は、必ず民衆に対する収奪になるものだ。
これは、常識として全人類が知っておくべきことだ。
2013年06月04日 09時32分
なぜ自給自足の農業で食糧生産が足りていて、開発をする必要があるのか?

悪意なく世界の貧困を増大させている日本社会は自覚を持つべきだ。
2013年06月04日 09時10分
ノーベル経済学者のJ・スティグリッツが書いた「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」という本を思い出しました。彼曰く、世界の後進国を支援するために作られたIMF(国際通貨基金)は、一部の支援したアメリカの金融機関を富ませるだけで、支援する国を救うどころかその国の主権をおびやかし、貧困を助長しむしろ破綻させているというものでした。日本が必ずしもIMFのような悪名高き存在と同じではないでしょうが、基本的には投資というのは自分の利益にならなければ行いませんから、100%相手の希望にかなった投資などあり得ないでしょう。たとえば、森下さんの記事にもありますが、種を支給するにしても、毎年買わなければならないF1種を支給することによって継続的な利益を得たりするのは本当にいやらしいやり方ですが、そういうことが訴えられているということは日常的な搾取の一環として行われていると思われます。

彼らの望んでいる自力での経済成長を本当に援けることができたら、中国みたいに嫌われずに本当のパートナーとしてやっていけるのでしょうが、あまりにも時間と人手のかかる地味なことなので、日本政府は見向きもしないのでしょう。だから、今まで地道に支援をしていた日本人のボランティアの人は阿部総理のアフリカ支援の話を聞いて相当複雑な思いなのかもしれません。
2013年06月04日 08時43分
典型的なモノカルチャですね。
2013年06月04日 08時24分
まるで何処かの国がやっていることと同じですね、これは。表面的にはODAでも、実際は搾取と呼んでもいいくらいだ。それに引き換え、UNACの方々の言葉は実に明快。まったくその通りだと思います。求められるODAの在り方が、だんだん変わっています。まさに方向転換すべき時だと思います。