あしたの国から 人口減社会を生きる 第6部・将来への手掛かり
賄えない人材を募る
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島根県の沖合約60キロにある隠岐諸島の海士町(あまちょう)。面積33平方キロの半農半漁の島に、全国から年間約千人が視察に訪れる。町独自の取り組みに関心を示す若者が日本中から集まっているためだ。人口減少が進む自治体の担当者が、ヒントを得ようと足を運ぶ。
1950年に6986人だった海士町の人口は5月1日現在、島根県19市町村で2番目に少ない2343人。15%に当たる361人が島外出身者で、20~40代が多い。夫婦や家族で移り住む人もいる。
移住促進の取り組みは、産業振興と併せて2004年度に本格化。町は外部目線で気付く資源発掘、商品開発を期待した。首都圏に販路を確保した岩ガキの養殖は、移住者が発案。設備投資に必要な資金は、最大で町長50%、町職員平均22%、町議40%の給与・報酬削減などで捻出した。
もう一つ目を引くのが、島にある県立隠岐島前(どうぜん)高校の魅力アップだ。同校は08年度入学生が28人になり、統廃合もささやかれた。島で唯一の高校がなくなれば、子どものいる家族が島を離れ、島の将来を担う世代が激減する恐れがあった。
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町は高校と共に、存続に動いた。島外からの「島留学」を後押しし、10年度には受験対策や補習の場として公営の「学習センター」を設けた。その結果、11年度以降の新入生は40人、59人、45人(うち県外19人)と推移。町は島外出身生徒用の寮を増築中だ。
秋元悠史(ゆうし)さん(26)=大仙市神宮寺出身=は、学習センターの指導スタッフ。秋田高―早稲田大を経て入った都内のIT企業を辞め、10年に島に来た。「いつか帰郷して地域に貢献したい。その前に、教育や人材育成が活性化にどれだけ重要か、他の場所で見てみたかった」のが動機だ。
町は移住を歓迎するが、「永住」は前提としていない。町は島では賄えない人材を募り、移住希望者は島で手掛けたいことを提案する。一定期間住めば奨励金を出したり、家屋を無償譲渡したりする本県一部自治体の定住対策とは異なる。
秋元さんは面接で「将来は地元に戻る」と明言し、採用された。「町は定住を条件に仕事を用意しているわけではない。これはフェアだと思う」。町は去る者も追わない。大江和彦・海士町産業創出課長(53)は「海士町で暮らした人が、次の活動拠点で島の話をしてくれる」と、交流人口増加の効果を期待する。
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秋元さんは島暮らしを通じ「人口が減れば幸福度が下がる、というわけではない」と感じている。町民が島の魅力を熱っぽく語る姿に「住む人が幸せな所に、外から人は来る」と認識した。
由利本荘市矢島総合支所の佐藤晃一支所長(58)は昨年10月、かつて海士町を訪ねて知り合った大江課長を招き、矢島地域住民を前に事例発表をしてもらった。佐藤支所長は「町全体で挑戦する姿勢を学び、問題意識の高さを知ったことは、大きな成果だった」と話す。
国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、10年から30年間で、海士町の人口は40・4%減少(島根県27・4%減、本県35・6%減)。現在の取り組みがこの数値をどう動かすか注目される。
山内道雄町長(75)は「これ一つで生きていける、という施策はない。行財政改革、産業振興、人材活用・育成をトータルで考えなければ」と述べ、言葉を続けた。「本土の中山間地域でも、知恵と個性があれば自立できる」。本県自治体へのアドバイスである。
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