知事選立候補者の横顔

(2013/6/2 4:14)
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(左から)広瀬一郎氏島津幸広氏川勝平太氏
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>広瀬一郎氏 無新、57歳(自民支持)

 「決断と実行」胸に
 「勇気ある決断と実行力」。スポーツビジネスで世界を飛び回っていたころから信条にしている。これこそ“県のリーダーに必要な資質”と自らに言い聞かせ、出馬を決断した。県政課題それぞれに戦略を描く理論派だ。
 スポーツとの関わりは小学生のころから。藤枝東高で当時黄金期を築いていたサッカー部に入部し、精鋭と朝から晩までボールを蹴る日々を送った。
 けがを繰り返し2年生で退部したが、「すぐに東大進学という次の目標を立てた」。2002年の日韓ワールドカップ(W杯)招致に尽力し、好きなスポーツを裏方として支える立場になった。
 教育や防災対策など県が抱えるさまざまな課題に対し、自身が提唱する「スポーツマンシップ論」を基軸に解決策を探る。「単なる競技ではなく、産業振興やリーダー育成法にもなる」と持論を展開する。
 自民党県連から出馬要請を受け、政治という未知の世界に飛び込んだ。「国政とともに、県政のねじれを解消させることが重要」と強調する。壁に突き当たっても、何事も前向きにこなしてきた。
 分刻みのスケジュールで県内各地を飛び回り「体重が落ちた」と笑う。大学生の長女から贈られた赤いネクタイを締めて選挙戦に臨む。スポーツのほか、映画鑑賞や落語を楽しむ。妻、長男、長女の4人家族。


>島津幸広氏 共新、56歳

 「貧富」に疑問原点
 弱者切り捨ての政策に真っ向勝負を挑む。共産党県委員会で“政策通”を自認する。9年ぶりの選挙への出馬。「今の政治はあまりにも、県民の暮らしや安全を脅かしている」。熱っぽく語る端々に決意がにじむ。
 政治を志した原点は、幼少期に抱いた「なぜ貧富の差が生まれるのか」という素朴な疑問。約10年間赤旗の記者を務め、取材で県内の生活の現場を駆け回った。1995年以降、参院選などに5度出馬した。いずれも落選したが、県内をくまなく回ったことで「地域の事情をよく理解し、地に足のついた議論ができる」と党関係者は評価する。
 「県民の安全を守るのが知事の仕事」と、中部電力浜岡原発(御前崎市)の廃炉や憲法改正反対などを粘り強く訴える。党県委員会では政策委員長として、県議団らと住宅耐震化の助成制度創設を実現させるために奮闘した。「当時は見向きもされなかったが、今では当たり前の制度になった」と胸を張る。
 県内で党勢衰退が進んでいる現状については、「われわれの力不足が原因」と率直に認める。「単なる政治離れではなく、(県民には)政治を変えてほしいという思いがある。その思いに応えたい」と意気込む。
 就寝前に発泡酒を飲みながら、録画した時代劇を見てリラックス。池波正太郎の本を愛読する。妻と長男、長女の4人家族。


>川勝平太氏 無現、64歳

 地域に研究"還元"
 「総合計画は県民の県民による県民のためのマニフェスト。必ずやり抜く」。経済学者から転身して4年。自らが始めた「ふじのくにづくり」はまだ道半ばとして、官民一体で練り上げた総合計画の達成に情熱を注ぐ。
 本県初の学者知事として注目された1期目はスピード感を重視し、強いリーダーシップで県政をけん引した。「それまでの手続きを経なかったかもしれないが、学問の世界で一匹おおかみ的にやってきたことがいい形で現れた面もあった」。前例にとらわれない手法は伝統を重んじる県議会との対立をたびたび生んだが、「ねじれではない。緊張感のある関係だ」と意に介す様子はない。
 世界文化遺産登録が確実になったことを印象深い出来事に挙げるなど富士山に特別な思い入れがある。就任後に富士登山に挑み、山頂で目の当たりにした御来光の風景を今も忘れない。2期目へ挑戦の意志も「最後は富士山を見ながら固めた」と笑顔で明かす。
 健康管理の秘訣(ひけつ)は「規則正しい生活」。3時に起きて著書の執筆に励むことも多い。大切にしているのは「自分のやってきた研究を地域のためにどう役立てるか」の視点で、「身も心も静岡にささげた」との自負心をのぞかせる。
 静岡市内の公舎で夫人と2人暮らし。「尊敬し、克服すべき相手だった」という経済学者シュンペーターの名を与えた愛犬をかわいがる。
 

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