2013年06月21日
批判を通じて
数年前、匿名でネットで批判されている時期があって、その時のことがあって以来、知り合いの数多くとは一切関わりを持たなくなりました。
この場では詳らかにいたしませんが(過去ログ等ならネットですので、いくらでも残っていますが)、面白いことに自分自身が経験していることを外れ、皆が好き勝手に思いのままのワルめーら評を書いていたことが印象的でした。
実にいろいろと話しが広がっていったおり、情報の力とは面白いものだとも思いました。
私はそれらの批判の経緯を時折観察してきてはいましたが、これらの渦に入って丁々発止する気はありませんでしたし、しませんでした。
私がこれらの渦に入っていった、つまり私も反論するなりなんなりして書き込みをしていたということが、一部で定説になっているようですが、それはそれでいいと思います。
書き込みなんてしていないよといったところで、それを証明する術はありませんし、証明する必要もないと思っています。
勝手に解釈されるのがよろしいかと思います。
だいいち、書き込みをしていないことを証明したところでどうなるのだろうという思いも私にはあるんです。
というわけで、批判の渦のままに委ねてみればいいのではないかと思った次第です。
ところで、文体のクセや構成などで、誰がどの書き込みをしていたかという見当は付いておりました。これまた、だからどうしたのという話ですが。
別に誰が何を書こうと自由だと私は思っていますから。
ただし、文責が本人にあるというだけの話。
それにしても、匿名ということを担保にすると、ここまで書き綴ってしまわれるのだなという感想を得たものです。
匿名ではなく、昔使用されていたHNで批判している人もいらっしゃいますが、どうして実際にお会いしたこともないのに、情報を媒介に批判が展開できるのだろうという疑問もありました。
そしてその情報から派生して、私が思ってもいなかったような解釈をされてもおられる。匿名の方々の多数にもいえることですが。
さて、その方は礼節を重んじているようにお見受けされるけれども、一言メッセージであなたは誰ですかということを前触れ無しに書いてくるのはいかがなものでしょう。
短文であれ、前触れ無しに尋ねてきた理由を付すのが基本的なマナーではありますまいか。
覚えておられますか。人は想定外のことを気にしていたりするものです。
私は礼節の無さを感じて、メッセージを無視したのですよ。
そして、私はそのことを逐次論難するタイプではなく、そのままにしておくタイプなのです。黙していれば理解いただけないのは承知ですが。
さて、こういったことを逐次述べていくとキリがないので、もうやめます。
むろん、実際に対面していたとしても、人間関係には誤解や齟齬があることがあるでしょう。そしてそこから学べる点もたくさんあると思います。
成長のために必要なプロセスだったのかもしれないと素直に思えます。
なぜにいまさらこのようなことを書いてみたか。
自分の中にあるいろいろな観念を一度検討してみたいと思っているんです。
批判に対する私の態度や感情といったものが湧き上がる奥底を見つめることで浮き彫りにされてくる潜在意識があると思うのです。
こうして浮かび上がってきた意識に対する解釈を変更していけば、私が抱いている観念も変わっていくでしょう。
そういう具合に考えています。
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Posted at 2013/06/21 11:49:40
イイね!