13/06/17 13:06

鳴りを潜めていた柔道選手へのハラスメント報道

柔道選手へのハラスメント報道は、鳴りを潜めていました。六月に三件の報道を知りました。
●「2013年5月24日朝日 全柔連理事、わいせつ行為認める 近く辞表提出へ」に続く記事です
●「2013年6月08日内閣府の公益認定等委員会、全柔連に暴力問題など再報告要求」です。
●「2013年06月10日 「上村氏続投を100%支持」 国際柔道連盟会長が会見」
●「2013年6月12日上村会長が続投表明 全柔連理事会、責任問う声わずか」
 一月の間に何があったのか、耳を疑うような展開であります。
僅か三ヶ月前には、「暴力問題の第三者委員会から
「不健全な組織」「一般常識を体現できる人材が不足している」と断じられた」との報道がありました。

 このブログでは、ハラスメントを受けた選手が、どのように痛手から癒されるか、
柔道連盟との関係が修復されるか、ここに注目して来ました。
しかし、期待はずれの様です。きたいした方が、「浅はか」と、言われそうです。
 いずれの組織も組織防衛を最優先としている、これにつきるといえます。
そして、組織の方からは、「問題を世の中に発表した女子選手が原因である」との声が聞こえてきます。

 本題のハラスメントを起こし続けている
日本キリスト教団 長野県町教会、小出牧師と堀内役員たちは、どうなっているかと言いますと、
全く同じ構図であります。多数派は、組織と役職防衛に躍起となっています。
押さえても押さえても、不振の芽は摘み取れないでいます。
 今後は、具体的に何を行っているか、お伝えいたします。

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13/04/12 09:45

口を閉ざした柔道連盟

 口を閉ざした柔道連盟

 43日の朝日新聞は、「立ち上がる力を見たい、サブタイトルは、誇りはどこかに置き忘れてきてしまったようだ」を掲載しましたその記事は、「全日本柔道連盟には自浄能力がないようだ」などと、期待や注文などの記述はありましたが、女子選手の気持ちや心情、苦悩に寄り添う思いやりは無かったと思います。

 日本キリスト教団長野県町教会の小出牧師や堀内役員たちは、高戸佐和子へのハラスメントへの反省を見せること無く、高戸佐和子に寄り添う人々を排除しております。

 柔道連盟の指導者との共通点が伺えます。すなわち、自分たちと同質の仲間を集め、異なる人々は排除する。問題は、女子柔道家の告発である、あなたが問題なのだ。これは、日本キリスト教団長野県町教会という仲良しサロン、日本柔道連盟という仲良しサロンであるように見えます。 

 ハワード・ゼアの文章に戻ります。

 シャロームは、ヘブライ語だそうです。この言葉は、キリスト教の核心となっており、神の意志や考え方を要約したものと、とらえています。

 これは、イエスキリストの新しい教えから来たと、私は想像します。

 ゼアによれば、シャロームは、物質的、肉体的な状況や環境に関するものである。神の意志は、人間が肉体的に健康で生きることである。物質的な繁栄はもちろん、病気や貧困や戦争といった肉体への脅威をなくすことも含まれる、と、言い切っています。

 教会の牧師や役員は、神の言葉を聞く、最も近い場所にいるのです。柔道家の指導者もまた、技術だけでなく、精神的にも極めていたはずです。それが、いつ真逆の場所に立つことになったか、それは興味深いことであります。

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13/04/04 18:53

シャロームと長野県町教会のありさま

 「シャローム」。日本キリスト教団長野県町教会、付属幼稚園の門にはシャロームという言葉が社会に向けて掲示されています。しかし、その中では、真逆の出来事がありました。そして、今も続いています。教会がキリストイエスの体であります。この幼稚園もまた、キリストイエスの体であります。また、礼拝も献げられています。ところが、長野県町教会の建物の中と同様に、ハラスメントが繰り返されているのであります。
 しばらく、ハワード・ゼアの第8章契約のジャスティスを辿りたいと思います。
 Wikipediaでは、日本語の「こんにちは」に相当する、との書き出しで始まりますが、ゼアは、たちまち核心に迫ります。シャロームは、神の意志や考え方を人間のために要約するものと記述し、ただちに、救い、贖罪、赦し、およびジャスティスはシャロームに根ざすものと理解しなければならない。、と、読者に宣言しています。
神の意志は、人間が肉体的に健康で生きることである、と延べ、具体的には、健康や物的繁栄はもちろん、病気や貧困や戦争など身体への脅威を含むと説いています。
神が人に望むものは、経済、政治において、敵なしで平和に生きること、と述べる。具体的には、圧政や不正はシャロームに反する、と。幸福が欠ければ、シャロームはあり得ないとも。
道徳、倫理では、人に対して正直で虚偽のないこと、潔白であることと述べています。
これでは、キリスト教会での宣教(説教)または、ゼアの信仰を表す書物かと思いましたが、ゼア自身もこれ以上踏み込むことを避けています。しかし、現実の生活に対しても、信仰生活に対しても、キリスト教徒であっても、なくても、基本であると、思いました。空想の世界、夢の中のことではないこと、今日にも実現されることが.
それにしても、何に対してかは、お任せいたしますが、柔道連盟は、口を閉ざし、他人任せ、新聞もJOCに声援を送っているようです。護身、集団は守りに入ると、腐敗から逃れられません。常に新鮮でなければ。

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13/03/19 13:07

目には目を と、復讐してはならない 共に聖書の言葉です

今日3月19日の新聞に女子柔道告発に対し、柔道連盟に動きは見られない、旨の記事が出ていました。

  今私は、ハワード・ゼアの「修復的司法とは何か」を読んでいます。この書物は、司法解説書ではなく、サブタイトルの「応報から関係回復へ」の方が内容を表しているように思います。各章とも興味深い内容です。
   特に、8章の契約のジャスティスは、宗教書かと思われるほど信仰に満ちていました。  聖書の記述が用されています。
 「人に傷害を加えた者は、それと同一の傷害を受けねばならない。骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない。」  

 ◎「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。あなたたちはわたしの掟を守りなさい。・・・・」  

聖書は、仕返しを認めているか、それとも、復讐を禁止いているのでしょうか。
ゼアは、二千年前に書かれた書であること、二十世紀の人間とは異質な世界であると、断っている。そして、イエスキリストは、法の単なる字句ではなく、その精神を理解しなければならない、ことを示したことが、理解の第一歩と言っている。

  日本キリスト教団 長野県町教会では、高戸佐和子へのハラスメントが益々エスカレートしているように見えます。小出牧師に対し、きつい言葉で批判したことへの仕返し、しっぺ返しが横行しているように見えます。よく言えば、聖書に書いてある「骨折には骨折を、目には目を、歯には歯を」を実行している、正しい行いを実践しているのでしょうか。

  ゼアは、「旧約聖書と新約聖書の両方に表れている聖書のことばの重要なテーマは、ヘブライ語の「シヤローム」である。周りを多くの重要な信念が取り囲んでいる基本的な「所信の核」であり、神の意志や考え方を人間のために要約するものである。それゆえ、救い、頗罪、赦し、およびジャステイスはシヤロームに根ざすものと理解しなければならない。」。ここが、出発点と言っている。

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13/03/15 10:58

JOCは修復の隣人となってください

JOCは修復の隣人となってください
今日の朝日新聞に女子柔道の記事がありました。JOCからの提言案です。そこには、
▼全日本柔道連盟に対し、暴力、暴言をただちにやめることや、選手の意見を反映する仕組みを作ること 
▼選手は全柔連による聞き取りを拒否している、
と記述されていました。

 このブログは、全柔連を対象としていませんが、組織内部で事の重大性に気がついていないことが伺えます。全柔連は、告発した選手に見切り、すなわち、強化選手から切り捨てを念頭に置いているかのようです。しかし、JOCからは、選手に寄り添おうとの動きが表明されたことは、私たちにとっても暗闇に光と感じました。

  ところで、高戸佐和子はその属する日本キリスト教団長野県町教会の小出牧師や役員から、ハラスメントを受け続けているのですが、此の女子選手と柔道連盟との関係と同じ縮図となっています。

教会とは、どんなところでしょうか。この世の教会は、神様の正義を実現するところ、人間が精神と肉体ともに健康に生きることを実現する所です。いまや、高戸たちを擁護する人々にまでハラスメントが平然と実行されています。この日本キリスト教団長野県町教会には何が欠けているのでしょうか、今日の朝日新聞が良い手がかりを示しています。

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