◆「不易と流行」考え開発
東南アジアモデルと部品を共通化して開発したスーパーカブの2012年モデル
|
|
「ホンダのカブ」。この愛称は世界的に広がった。世界百六十カ国以上で累計七千六百万台を販売してきたスーパーカブ。今年発表された二〇一二年モデルのテーマは、「丸みのある四角」。カブと言えば、丸めのヘッドライトや樹脂製のフロントフェンダーのデザインが特徴だが、新モデルには、角張ったヘッドライトが採用された。
二年前に発売した国内モデルは、売り上げは好調だったものの、価格は二十万円を超えて、高めだった。グローバル化が進めば、安いバイクは海外からいくらでも入ってくる可能性が高い。カブの原点にある「安さ」を再び追究するために、二輪需要が伸びている東南アジアで販売するモデルと部品やデザインを共通化した。
開発段階では困難も多かった。「設計担当者が、カブらしさのある丸めのデザインのスケッチを東南アジア諸国に持って行くと、現地から『古くさい』と猛反対された」。ホンダ広報部の高山正之さん(57)は明かす。
カンボジアでは日本国内の二倍以上の年間六万台を販売、タイでも国内販売台数を上回っている。グローバルモデルの設計に新興国の視点は欠かせない。一方で、日本国内のファンから「こんなものはカブじゃない」と思われてもいけない。今の設計担当者らは、経済成長の渦中にある新興国での販売を見据えて、カブの「不易と流行」を考え抜いて開発に取り組んでいる。
1964年に発売された輸出モデルの「ハンターカブ」=いずれも東京都港区のホンダ本社で
|
|
初代モデルの「スーパーカブC100」は一九五八年に誕生。ロングセラーの秘密は、「初代モデルの設計思想が中途半端でなかったこと」(高山さん)という。
量産が困難だった五〇cc4ストロークエンジンを開発し、当時一リットルで九十キロと圧倒的な燃費性能を実現した。片手で運転ができる「自動遠心クラッチ」や、砂利道にも強い十七インチのタイヤなど、徹底的にこだわった。
老若男女を問わず誰にでも簡単に操作できるカブは、「カブを加えて八つ道具」「逞(たくま)しいね。よく働くね」といった宣伝文句とともに、仕事や生活のシーンに溶け込んでいった。
社員たちの共通認識は、「カブの開発責任者は本田宗一郎」だという。スーパーカブで稼いだ利益をモータースポーツに投じて、ホンダの知名度を上げるとともに、開発力・技術力を育ててきた。「小さく生んで大きく育てる」ことを得意とするホンダの歴史は、まさにスーパーカブとともに始まったといえる。
この記事を印刷する