村上さんの記事が面白いです。
ワタミとパナソニックを例に考える、ブラック企業とは何なのか【連載:村上福之】 – エンジニアtype
ブラック企業という宗教
ある宗教団体に赴いた時に、不況の真っ只中であるにもかかわらず、信者の方々が献木し、さらにはボランティアで宗教施設の建設作業をしている風景を見て、松下幸之助さんは感銘を受け、事業の使命を知ったという。
非常に美しい逸話だけど、一人のビジネスパーソンとして見ると、「経営が宗教化していくと、社員は賃金と関係なく働く」 という一面も幸之助さんの脳内にあったんじゃないかと思ってしまう。
記事中では、オウム真理教の関連会社が運営していた「マハーポーシャ」についての言及もあります。
信者が修行の名目で無報酬で組み立てていたので人件費が極端に安かった(このスタイルはラーメン店でも行われていた)。そのため、他店よりも割安であるにもかかわらず営業利益は大きく、これらがオウムの資金源の1つになったと言われる。
つまり、経営を宗教化することで、労働を「修行」、ないし「神に仕える行為」にすることができるわけです。村上さんが指摘するように、たしかにこれは、賃金と関係なく人を働かせる結果をもたらします。それこそ365日24時間働けますよね。だって修行ですし。その上お金までいただけるなんて、教祖さまはなんという人徳者なのでしょう。
ブラック企業に救われる人たち
いわゆるブラック企業のオーナーたちが、「搾取するために」企業を宗教化しているのかは、ぼくにはよくわかりません。おそらくですが、彼らは悪気があってそうしているのではなく、純粋に「人を救いたいから」、ある種の宗教性を演出しているのでしょう。
たとえば、ワタミの渡邉会長なんかは、本気で世の中にいいことをしていると思い込んでいると思うんですよね。正義を帯びているといってもいい。あれで腹の中が実は真っ黒だったら、逆に尊敬します。
事実、彼らはたしかに人を救っている側面もあります。
ぼくの高校時代の友人、T君は学生時代にワタミで働いていたのですが、それはもう楽しそうに、やりがいを全力で感じながら、たっぷりサービス残業しておりました。同僚との関係性も良好で、麻雀、サーフィン、旅行なんかを楽しんでいたそうです。
事実、彼は自分が勤める店舗を愛しており、会うたびに「ワタミサイコー」と語っていました。これ、ネタじゃないですよ。その言葉は、どこか自虐的ではありましたが、彼はワタミに居場所を見つけることができ、その意味で「救われて」いたのでしょう。
T君は卒業後、一般企業に就職し、営業としてタフな仕事をしています。ワタミでの経験は、彼の仕事に間違いなく生きているのでしょう。
ここがブラック企業を語る上での難しさです。彼らは搾取しながらも、たしかに人を救っている。ワタミによって居場所を与えられ、低賃金でも、長時間労働でも、喜びを感じて働いている人は、たしかに存在するのです。みなさんの周りでも、幸せそうにサービス残業をしている人がいやしませんか?
ブラック企業はなぜ悪いか
ブラック企業を否定するということは、彼ら「救われている人たち」の存在をも否定することです。みなさんは、彼らのことも否定できますか。どうですか。
ぼくは傲慢にも、働く人を否定することになろうとも、ブラック企業に対しては否定的な態度を取ります。ブラック企業は、悪いものです。
たしかに彼らは人を救っている。そこで幸せに働いている人もいる。けれども、その裏では、健康を害している人がおり、命を自ら断った人すらもいるのです。そのことは、断じて肯定されるべきではありません。そのシステムは、明らかに狂っています。なんで仕事ごときで人が命を断つんですか。
ブラック企業によって救われている人は、同じ企業で苦しむ仲間の存在を、どう捉えるのでしょう。そのシステムの上では、あなたは幸せになれるかもしれないが、苦しむ人もいる。そんなシステムに乗っている責任を、あなたは負うことはないのか。
ブラック企業はなぜ悪いか。それは、過労や重責によって人の健康を害し、ときに命を奪うものだからです。どれだけ人を救っていようが、そんな仕組みは肯定すべきではありません。
仕事に救いを見いだすことを、ぼくは否定しません。ぼく自身も、色んなものに救われていますから。
ただし、その救いが、他人や自分の命を収奪することによって成り立っているのなら、それは肯定すべきではありません。
「そんなこと言っても、仕事というものはある程度辛いものだ。誰もが幸せに働ける会社なんてないじゃないか」という反論もありえるでしょう。
それはその通りです。ぼくも会社員やってましたが、結局幸せに働くことができませんでした。性格的に、どの会社に行っても、多分ぼくは幸せになれません。
ただ、「仕事によって、健康を害することなく働ける会社」は、存在可能です。世の中の企業の大半は、むしろそういう会社でしょう。ブラック企業が問題なのは、健康を害するまで、仕事をさせることです。
ブラック企業によって救われている人は、そのシステムが、誰かを不幸にするものであることを自覚すべきです。あなたはたまたま運が良かった。何かのズレがあれば、あなたが被害を受けていてもおかしくはなかった。それを認識した上で、システムを是正するかどうか、判断をすればいいのです。あなたの立っている大地を、一度疑って掛からないといけません。
ブラック企業はたしかに人を救っている。居場所と幸せを与えている。しかし、それでも、NOを突きつけないといけない。なぜならブラック企業は、人の健康を害するほどの重責・労働をメンバーに課すからです。
これがぼくの考えです。さて、読者のみなさんは「ブラック企業によって救われる人がいる」ことをどう考えますか。ぜひ教えてください。
関連本はこちら。ブラック企業問題について詳しくまとまっています。