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意図性を論証しろ

1天才tinko:2013/04/09(火) 04:48:35
意図性を論証しろ。

2天才tinko:2013/04/09(火) 04:49:21
さて、どこから話しはじめたらいいか。
移植手術によって患者の性格が変わる事がある。
記憶転移というらしい。

記憶転移 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%98%E6%86%B6%E8%BB%A2%E7%A7%BB

これを元に、オレはまずこう考えた。


人間の思考や記憶は脳で司っているとされているが、必ずしもそうとは限らないのではないか。
例えば、昔懐かしい音楽を聞くと、懐かしい感情がよみがえる。
これは音楽に付随した記憶があり、音楽を引き金として、その記憶がよみがえるからだ。
それは音楽だけではなく「神経」や「細胞」に対しても言えるのではないか。

人間には、人それぞれの得意な五感がある。
人が記憶をする時、その五感を付随させて記憶している。
その中で、体の一部の筋肉運動を付随させている記憶があるとする。
その体の一部を移植した場合、その体の一部は今までどおりの活動をする。
つまり、脳が意図していない時に、体の一部が勝手に「リアクション」を返すのだ。

その事によって、懐かしい音楽を聞くことが引き金で懐かしさを感じるように、
体の一部が引き金となって、脳が影響を受けて、新しい反応を示す。

この理屈は「体の一部に記憶が入っている」わけではなくて、
脳と体の一部(神経)が相互作用によって保たれている、という事を前提としている。
だからこそ、記憶転移のような事が起こるのではないか、という事である。

しかし、そう考えると、人間は脳と肉体(神経)の相互作用によって記憶や人格が形成されているので、
人間の根源は機械のようなものと同じだという事になる。
ここで言う機械とは、プログラムされたものに対して「リアクション」を返す機械のように、
ある一定の条件で「リアクション」を返すだけの存在、という事だ。

となると問題になるのは、人間に「意図」はあるのかどうかだ。

3天才tinko:2013/04/09(火) 04:49:38
人間の意図性を証明する例えによく使われるのが、人工知能だ。

例えば、コンピューターが囲碁を打つとき、
コンピューターは自立して”思考”し”意図”を持っているのかどうか?
答えはノーだ。

コンピューターは、計算されたプログラムに対して「リアクション」を返すだけで、
囲碁で勝つため「こういう試合運びにしよう」という意図(めざすという事)はできない。
よって、コンピューター、人工知能には、意図性はないとされる。

しかし、記憶転移のロジックで言えば、人間は機械(コンピューター)と同じだ。
ただ人間は複雑なコンピューターであるだけ、という事になる。
ならば、もしかしたら人工知能研究が進めば、人間が人間の思考を作ることが可能になるかもしれない。
つまり、人工知能が意図性を持つかもしれない、という事だ。

4天才tinko:2013/04/09(火) 04:50:08
あるいは「クオリア」が人間の意図性を示すものとするロジックもある。

クオリア - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2

クオリアとは、簡単にいえば、視覚や聴覚などの質感のことだ。
「イチゴのあの赤い感じ」、「空のあの青々とした感じ」、「二日酔いで頭がズキズキ痛むあの感じ」
この「感じ」の本体が人間にはあるが、人工知能にはあるのか? という問いがある。
この「感じ」がない人間を、哲学的ゾンビと言う。

哲学的ゾンビ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93

このロジックでは、人工知能によって人間とまったく同じ思考を持つコンピューターを作ったとしても、
それは哲学的ゾンビだから、人間ではない。という事になる。
つまり、意図性は人間が感じる「この感じ」という感情を元に動いているのであって、
その感情を持ち合わせない人工知能は人間ではない、という事になる。

が、そもそも、哲学的ゾンビに「意図性がない」とは言えるのだろうか?
意図とは、そもそも「何かをしようと考えること。」 「こうしようと考えていること。めざしていること」らしい。
クオリアが無くても、「何かをしようと考えること。」ができたら、それは「意図性」になりえるのか?

5天才tinko:2013/04/09(火) 04:50:29
そもそも、クオリアがあるかどうかもわかっていない。
もしクオリアがあるとしたら、人間の質感を操作する事ができるかもしれない。

そしたら、精神病の人間は、感じているクオリアが違っているのが原因で、
クオリアを治す事で精神病を治す様な事がおこるかもしれない。

もしクオリアを変えることで精神を書き換える事が可能なら、それはやっぱり
「クオリア」という存在に対して脳と肉体が「リアクション」をしているに過ぎない、
それは人間は機械と同じだ、という事だ。

意図する哲学的ゾンビたる人工知能に「クオリア」を埋め込めば、それは「人間」という事になる。
となると、出産以外に人間が人間を作ることが可能になるどころか、
人間が人間を管理する事が可能になるかもしれない。

しかし、管理された「意図」は「意図」と呼べるのか?

6天才tinko:2013/04/09(火) 04:50:45
人間の存在を考えた時、2つの種類に大別できる。
それは、「肉体」と「精神」だ。

人間の存在とは精神であるという事は、人間は機械とは違うという事だ。
機械や物理法則では再現不可能な「意図」を持っている。「人格」を持っている、という事だ。
つまりそれは「精神をもっている」という事だ。

しかし、人間の存在とは肉体であるという事は、人間は機械と同じだという事だ。
一定の物理法則にしたがって人間が出来上がる。
その物理法則の延長線で、人間は環境に対して「リアクション」を返すだけの存在、という事だ。
その人間の「リアクション」を起こす、脳と肉体とクオリアを作ることが出来れば、人間は機械と同じだ。
今まで機械と人間の違いが「意図性があるかないか」で区別していたものが、区別できなくなる。

すると、そもそも「意図性」とは何を指し示すことなのか?
「めざす」という、未来を描く機能そのものに名付けられた言葉なのか。
「何かをしようと考えること。」という機能そのものに名付けられた言葉なのか。
ならば、機械にも意図性があるのか。
あるいは、意図性というのが、そもそも無かったのか。

どっちなんだね?

7名無しさん:2013/04/09(火) 04:51:04
また馬鹿なことを言って・・・
無知なくせに知った振りをするから理系大学の二回生にも鼻で笑われることを長文で滔々と垂れ流す
今からじゃ遅いだろうけど大学受験しな?

8天才tinko:2013/04/09(火) 04:51:23
その前に”滔々”の使い方間違ってるからな オマエ

滔々とは - Weblio辞書
http://www.weblio.jp/content/%E6%BB%94%E3%80%85

9便器:2013/04/09(火) 04:51:54
コピペ乙

10ZERODOLL:2013/04/09(火) 04:52:23
仮に人間がプログラミングされた機械のような存在であるというのならば
そこにはそれをプログラミングした存在というのがあるはずで
囲碁に勝つという意図を持って囲碁マシーンを製造した人間が居るように
何かしらの意図を持って人間を製造した何かが居るわけです
囲碁マシーンには囲碁に勝つという意図があるかのように見えますが
それなら人間も同じことで、実際人間が主体的に意図というものをこう持ってる?かどうかは別として
人間が作られた、プログラミングされたという段階に於いてはなんらかの意図があったはずなので
つまり、意図というものは存在するし、意図がありゃもちろん意図性もあります
ハイロンパ

11ZERODOLL:2013/04/09(火) 04:52:50
誰が意図を持っているのか
どこまで遡れば意図というものがあるのか
それの終に行き着いたところが本質であり真理であることはなんとなく感づいているんだが。

どうでもいいが「色即是空、空即是色。」というのは
天才釈迦が凡人たる我々に「お前らじゃ到底真理にはたどり着けないから諦めるのが正解だよ」って言っているようにしか聞こえない。

12:2013/04/09(火) 04:53:23
フリーターとか浪人生って暇なの?

13カス:2013/04/09(火) 04:53:56
ヽ(゚∀。)ノウェ

14天丼:2013/04/09(火) 04:54:35
機械に意図性はないと思いますよ
意図=何かをしようとすること+性=性質ですよね
多分貴方の思う意図性と私が思う意図性は違うと思いますが・・・
機械は人間からプログラミングされています ですが人間はプログラミングされていません ようするに私が言いたいのは意図性=精神からくる行動力じゃないかということです
貴方が書き込んだのも立派な意図性ですよね それはプログラミングされていますか?されてないでしょう
だから機械に意図性はないと思います・

15ひより:2013/04/09(火) 04:55:16
こんにちは、面白そうなので話しましょう!
とりあえずずらーっと読んでみたんですけどこんな感じであってますか?
過不足・訂正等あればお願いします。

【まとめ】
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜従来〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
機械→意図性なし
何故ならプログラムされた存在でありクオリアを持たないから。
人間→意図性あり
クオリアを持つから
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜tinko論〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
機械→従来の意図性の有無でいえば脳・肉体・クオリアを作ることで人間となる。
人間→記憶転移のロジックによると人間は機械と同じになってしまうのではないか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【問題提起】
・人間に意図はあるのか?
・クオリアがなくても意図性は生まれるのか?
・管理された「意図」は「意図」と呼べるのか?
・今までの区別がなくなったとき、意図性とは何を指し示す言葉なのか?
・提起した問題の答え次第では意図性というものがそもそも存在しないことになるのではないか?

16カス:2013/04/09(火) 04:55:41
内容読まなくても頭の良さそうな文章ってみると腹立つ
大学生だなおそらくこいつ
できるなこいつ
とおもわせられーたー

17カス:2013/04/09(火) 04:56:07
でもね ひよりん せっかくどるとてぃむこの古参対決見れるかもだから
じゃましないでね☆(ゝω・)vキャピ

18ひより:2013/04/09(火) 04:56:32
記憶転移については機械になるのではなく、
一部機械的になるという言い方のほうが適している気がします。
何故なら記憶転移によって起こる「リアクション」は【ある一定の環境】の場合のみ だからです。
つまりそれ以外の場合は「機械的リアクション」を返さないといえるでしょう。

そしてここで機械と人間の違いを明確化しておくと
機械とは決まった環境にのみ【リアクション】を返すようにプログラムされている存在であり
人間とは決まった環境にのみ【リアクション】を返すように作られているとはいえない存在である。
何故『〜とはいえない』という言い方をしたかというと天才tinkoさんの言ってるように
人間は機械的リアクションを返す場合も十二分に有り得るからです。

つまり、仮に人工知能が人間と比べ遜色がないレヴェル
もっと言えば「随時移り変わる環境に様々なリアクションを返すことができる」ようになれば
人間と機械は初めて同じになれたといえると思います。

19ひより:2013/04/09(火) 04:57:01
>>17
tinkoさんとぜろどるに邪魔といわれたら潔く退きます。
今のところはまだ言われていないし本当に楽しそうなので突っ込ませてください。

20ひより:2013/04/13(土) 20:07:35
すみません、考えてメモ帳にコピーしてから書き込めばよかったです・・・。
おゆるしを。

次に【人間と比べ遜色が無いレヴェル】を掘り下げていきたいと思います。

そもそもあたしには基本的に人間であることの条件は天才tinkoさんの使った言葉を借りると
【肉体・精神をもち、クオリアを持ち尚且つ意図性を持つ事】のように思えます。
(従来の前提はひっくり返して椅子にしてやってます。)
つまり、【意図が無ければ基本的に人間とは呼ばない】ことを前提とすれば
『人間に意図は有るのか?』の回答は「YES」となります。

次にクオリアとは「言葉に表現できないあの感じ」のことであることを念頭に置けば
意図性とはまた違ったものであると言えると思います。
つまり、哲学ゾンビとは「意図性がないorある 且つクオリアが無いモノ」であり
どちらにしろ哲学ゾンビには人間足りえるための要素が足りていないことが分かるので
人間ではないという結論になるというだけのことであると思う。

ゆえに『クオリアが無くても意図性は生まれるのか?』の回答は「YES」となります

21ひより:2013/04/13(土) 20:07:57
『人間が人間を管理する』がどのレヴェルで行われるのかは分かりませんが
もし、その意図がその意図する主体による主体的なモノであるとするならば
やはり意図は意図であるように思えます。

そして「人格」「精神」を形成しているのは「クオリア」ではなく「脳」であり
クオリアをも「脳」が作っているといえるモノであると思います。

つまりクオリアという存在に対して脳や肉体がリアクションしているのではなく
脳や肉体がリアクションすることによってクオリアが生まれるのです。

22ひより:2013/04/13(土) 20:08:16
人間の存在とはやはり大別するべきものではないように思えます。
何故なら要因すべてがそろわなければそれは一般的に「人間」とは呼べないからです。

問題に答えるとするならば
『今までの区別がなくなったとき意図性とは何を指し示す言葉なのか?』
回答は「今までどおりの意図性を指す、ただしそれにより区別をつけることは出来ない。」

『意図性というものはそもそも無かったのか?』
おそらくこれは人間と機械を区別するための要因に意図性というものが有ったのか?という質問だと思います(違ったらすみません)
であるならば回答は「有った、故にその区別が無くなった」
追記するならば【区別が無ければ区別は無くなることは無いから】である。

23ひより:2013/04/13(土) 20:08:34
まだまだ至らない点が多くあると思いますが、レスお願いします

24名無しさん:2013/04/13(土) 20:09:20
コンピューターはある一定の入力に対して一定のリアクションをとる
・・・っていう一面のみをあげつらって「人間と機械って同じじゃない?」とか飛躍も甚だしいぞ

じゃあアレか?エンジンは酸素を燃焼させて運動する、人間も酸素を吸気して活動するから同じだ!とか?
ソーラー発電と光合成する植物も同じだ!とか?
更に言えば、「加熱すると融解する氷」と「加熱すると融解する鉄」も同じなわけかぁぁぁ?
「ハイ、どちらも同じ加熱により融解する物質です」とでも答えるのであれば
それこそ人間もコンピューターも道端の石ころも同じだよなあ
部分的に一致する要素があるからといって、双方が同じであると結論付けることが必ずしも可能であるとは限らない
人間の「この部分」とコンピューターの「この部分」は同じだね、って言い方が至って妥当だ

要するに、ご大層な理屈の大前提となっている土台部分が単なるこじ付けにしか見えない

25RZ:2013/04/13(土) 20:09:48
こんにちは、みなさん。
とても楽しそうなお話、してますね^^
私も参加させてもらってもよろしいでしょうか。
*
*
>>ZERODOLLさん
*
>>10
貴方は単に"意図と意図性の存在の証明"をしたいのですか?
*
それとも
*
【"何かしらの意図を持って人間を製造した何か"によって製造された人間】の中に意図や意図性が存在することを証明したかったのでしょうか?
*
*
▲Case1 前者の場合
*
>人間が作られた、プログラミングされたという段階に於いてはなんらかの意図があったはずなので
*

この【なんらかの意図】の存在が証明されていないので成り立ちません。
再提出ですね^^
*
*
▲Case2 後者の場合
*
天才tinkoさんの言葉を借りると
【意図とは、そもそも「何かをしようと考えること。」 「こうしようと考えていること。めざしていること」】
だそうですね。
*
・・・となると
【何かしらの意図を持って人間を製造した何かが居るわけです】
とは言ってもその"製造された人間"自体に意図や意図性があるとは言い切れません。
この辺りは貴方も
>実際人間が主体的に意図というものをこう持ってる?かどうかは別として
この様に書いている辺り判っているのかもしれませんが・・・。
*

結局貴方何が言いたいんです?

26ZERODOLL:2013/04/13(土) 20:10:41
>>25
>貴方は単に"意図と意図性の存在の証明"をしたいのですか?
その通りですね

>>10>>6
>あるいは、意図性というのが、そもそも無かったのか。
この部分に対する指摘に過ぎません

27ZERODOLL:2013/04/13(土) 20:13:02
>>25
あーそれでなに?再提出だっけ?うーん、しねえよハゲ死んどけ

>この【なんらかの意図】の存在が証明されていないので成り立ちません。
天才tinko曰く、人間はプログラミングに対してリアクションを返す機械のような存在であり、機械との差は意図性の有無であると。
さらに言えば、クオリアの生成が可能になれば、人間を機械のように生産することができると。
その上で、そこに意図性はあるのかと。こういうことでしょう?
そこでさ、こういうわけだよ
クオリア+肉体のじゃあなんて名前にしようかな、仮に「哲学的人間」が居たとしようか
それと区別して我々を「純人間」と呼ぶことにしようか
ここに於いてさ、「哲学的人間」は意図を持たないのかもしれないけど
それを製造した「純人間」は意図有してるわけでしょ
有してないというのならば、自分を顧みて、自らは意図を以て行動していないのかどうか検証してみてほしいんだけどね
と、まあここまでが>>10において言語化されてない部分だったんだけどね
言語化されていないっていうのはつまり省略されたっていうことで

でさ、ここからは>>10にも、モロ書いてあることで
ちょっとロマンチックなことなんだけども
我々「純人間」もそれならば(プログラミングされた機械のような存在であるならば)
やはり、その根源には意図があるはずなのではないかと
つまり、囲碁コンピューターにも、「哲学的人間」にも、その上「純人間」にも、
森羅万象のすべての根源には、なんらかの意図があるんではねーのと
こういうことなんすよ

28ZERODOLL:2013/04/13(土) 20:16:56
>>27は「あーそれでなに?再提出だっけ?うーん、しねえよハゲ死んどけ」
 と言っておきながら、ちゃっかり補足を入れて再提出してしまう僕の因果と茶目っ気が多分に含まれているレスです
 どうか笑顔で見守ってやってください

29ZERODOLL:2013/04/13(土) 20:17:22
というか俺、読み間違えてるんじゃね?

人間はプログラミングに対してリアクションを返す機械のような存在であり、機械との差は意図性の有無であると。
さらに言えば、クオリアの生成が可能になれば、人間を機械のように生産することができると。
その上で、そこに意図性はあるのかと。

ではなく

人間はプログラミングに対してリアクションを返す機械のような存在であり、機械との差は意図性の有無であるが、
プログラミングに対してリアクションを返す機械のような存在に意図性があると言えるのか?
さらに言えば、クオリアの生成が可能になれば、
従来において意図と呼ばれたものを持った人間(哲学的ゾンビではない人間)を機械のように生産することができるが、
その点においても、人間に意図性がないことを示しているんじゃないのか?

だったんじゃね?

30天才tinko:2013/04/13(土) 20:18:59
>>22
間違ってる所は見受けられなかった。

>>25
記憶転移が起こるロジック、つまり「人間は脳と体のリアクションで作られている」という部分は人間の一部分(わずかな部分)でしかないと、そういう事だね。
その通り、記憶転移という事象は稀だと思われる。

オレが述べてるロジックは全て仮定のものでしかない。
わずかな実例から、わずかな可能性を見出している論理でしかない。
ゆえ、記憶転移を元に、人間と機械が同一である事とする論拠にはならない。
そういう事だね。この言い分は正しい。

ただ、そこはオレにとっては、あまり重要なポイントではない。
オレが人間の「意図性」について考えたキッカケが、たまたま記憶転移であっただけである。
元々、「脳みそも物理法則にしたがって動いているのだから、脳が作る”意識”も物理法則にしたがっている」という考え方がある。

随伴現象説 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8F%E4%BC%B4%E7%8F%BE%E8%B1%A1%E8%AA%AC

そういう考え方を説明する為に「記憶転移」を用いるか、あるいは「群集心理」を用いるか、
あるいは「特定の人に見られる行動パターンの共通性の原因は、人間が物理法則に支配されているから」と論じるか。
これらの例えの違いにすぎない。

掘り下げたいのは、
>「随時移り変わる環境に様々なリアクションを返すことができる」ようになれば人間と機械は初めて同じになれた
と言えた時の事だ。

これから>>27にレスを書く。

31名無しさん:2013/04/13(土) 20:37:38
人間と機械の区別の議論では、人間と動物の区別の議論も、その中に
含まれていると思います。
例えば、人間と動物が違うのは、知性があるかないかで、一般的に、
判別されています。
つまり人間には知性というものがあって、動物には、それがないから、
人間と動物は違うのだという考え方です。
知性というのは、ここではただ、物事を合理的に判断する能力、だけを指す
のではなく、人間の感情機能も含めて示されています。
もし仮に知性がただ合理的に判断する能力だけに限られるのなら、
動物は合理的に判断していないということになりますが、それは何を持って
「合理的」かという問題になりますし、
じゃあ人間は生きることに関係のない「衣服」のお洒落をすることは、動物より
合理的なことをしているのか?ということになります。

では具体的に動物と人間との違いはなんなんだ?と言いますと、
この話の流れから、人間には「喜ぶ、悲しむ、怒る」などなどの感情機能が存在するということから
区別が可能になります。
動物はただ「生きる」という本能に従って生きるだけですが、
それが合理的な選択であったとしても、「意義」のある選択だとは感じません。
ただトラのように、昼に寝て、夜には食事のために(生命維持のため)
シカや牛といった草食動物を捕えるのに行動する、という規則的な行動プロセスは
人間にとってあまり面白く感じるものではないという感性的な判断能力が人間には
存在するということをもって、動物と人間との違いを顕わにします。

従って機械と人間の違いとは、この「価値判断」を行う能力である感性的な機能を
前提にしか、明晰判明に区別することはできません。
しかしこれでも納得されない方がいると思います。

まず機械と動物の区別が行えていないのではないか?
という人です。
しかし機械であろうと動物であろうと、感性的な見方の成り立たない対象で
ある点で、一緒です。
ロボットダンスが「ロボット的」であることと、蜂のおしりのダンスが「ハチ的」であることと、
大した違いはありません。
何に類するかという違いに他ならないからです。
どちらにしても、人間にとっては、「意識」のある対象には見えません。
なぜなら人間の感性機能は、人間自身にしか働かないからです。

それから機械には人間とは別の感性的な機能が「ロボット的であること」において
存在するという人です。
しかしこれも前提が「ロボットの」感性機能であるため、人間の感性が
ロボットの感性を捉えきることができるのかといった、不可知的な論理に移行することになるでしょう。

32名無しさん:2013/04/13(土) 20:52:48
行動に「意図」があることと、行動に「意味」があることとは、同じ、なのだろうか・・・

33名無しさん:2013/04/13(土) 20:53:55
>「喜ぶ、悲しむ、怒る」
これらの感情は動物にだってあるでしょう。人間と違うのは話せるか話せないかじゃない?

動物に詳しい人ならもっと具体的に説明できるんだろうけど、動物に興味も大した知識がなくてもこの程度ならわかるよね。

人間だって生命維持のために睡眠とったり食事をするわけだし、生き物なんだから共通点は多いはずだよ。

34名無しさん:2013/04/13(土) 20:55:18
>>32

意図的って故意と同義語じゃないの? わざとってことでしょ。わかっていても敢えてやってしまえみたいな。

35名無しさん:2013/04/14(日) 19:37:30
>>33
自分の感情を私たち人間の用いる「言語」という記号で言い表せないのなら、
感情がないのとほぼ同じだと思われます。
もちろん動物にも、実は私たちには理解できない中で、感情表現をしているんだ、
という人もいると思いますが、それが私たち人間の記号でとらえられないものである以上、
動物でいうところの「感情」と、人間でいうところの「感情」とでは、
なにかしらの違いがあることになるでしょう。

>>34
「故意」があるとは、同時に「意識」がある、ということを意味していると思われます。
しかし誰かの行動がわざとであることは、因果関係によって説明されるのではなくて、
ある行為の結果から見たその印象的な理由、「意味」から、その行為の意図性が
伺われることになります。
従って、その人に意図的な行為があることと、その人に、「意図する」という実在的な
プロセスがあったこととは、別の問題になります。
意図的かどうかということは、すでに意識のある人間が対象に定まっていなければ
わかりえないことです。

36名無しさん:2013/04/15(月) 13:09:56
うんごぶりぶりんこ!!!!ドビュビュビュビュドバババババブッ!!!
ドリュルリュルウリュリィブブブブブブッッ!!!!あへあへうんこまん!!!ぶりっちょ!!!
ケツの穴からドババババババババッバwwwwwwwwwwwwWWWW
wwwwwwwwwwww
WWWwwwwwwwwwww??? ? ? ? ? ? ? ????? ????????wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
 
なお、まにあわんもよう

37名無しさん:2013/04/15(月) 17:39:45
>>36
その「?」と「w」の連続はなんだよ!

38名無しさん:2013/04/15(月) 20:32:27
私も忙しくてあまり書き込めないのですが、一応新しい視点を提示しておきます。

・哲学的ゾンビはどうして発生するのか?
・意識はどうして実在しないのか?

一点目は哲学的ゾンビが発生してしまう原因の究明と、その問題の解決の方法を考えます。
二点目は最終的に私たちが答えるべき「意識」の非実在(目に見えない)理由について、考えていきます。

39名無しさん:2013/04/15(月) 20:47:56
>>38
乞うご期待

40名無しさん:2013/04/18(木) 20:01:32
↑文を短くしろ

41名無しさん:2013/04/21(日) 11:53:30
哲学的ゾンビはどうして発生するのか。

哲学的ゾンビとは、要するに「私」が「他人」になれないということを意味しています。
問題の根幹はここにあって、結局みんな言ってることはおんなじ、
つまり、「あなたはどんなに人間らしく振舞っても、どんなに自分のことを人間らしく伝えても、
あなたは私が見る限り、この(らしく)という疑似からでしかその存在を説明することができない」
ということです。
みんな、「私」という枠から抜け出せないんですね。
でもその「私」がなんで「他人」ではなく、「私」なのかっていう問題は興味深いものではありますけど。

また意識はどうして実在しないのか?
まだこの問いにまでは自分的に至っていません。
これはまた別の機会に考えたいと思います。
とりあえず今は皆さんの堅苦しい脳みそを、徐々に解きほぐしていきたいなと思います。

42名無しさん:2013/04/21(日) 12:06:28
にしてもなんかこの手の問いは飽きたな…
どうせこれって毎度おなじみの「限界あります」つー回答に行きつくパターンだろ?
おもんね。
もっと他に、面白い視点とかないの?
最近お馴染みの憲法の話とか、多世界解釈の可能性とか。
多世界解釈はもともとの話題があれだからいいけど、
憲法の話つってもどうせ常識範囲内でしかされないからなあ・・・
歴史とか法律の常識とかはいいから、もっと根底的な問題について考えたいよね。
例えば「憲法の存在意義とはなにか」とか「憲法は純粋法か」とか、
色々あるよね。
多世界解釈はあんまよう知らんから、色々常識の範囲内でも教えてほしいんだけど。

43名無しさん:2013/04/21(日) 15:09:01
>>42
日本国憲法の三原則は国民主権・基本的人権の尊重・平和主義

日本国憲法が施行されたのは1947年5月3日

「人民の、人民による、人民のための政治」とのべたアメリカの大統領はリンカーン

44名無しさん:2013/04/21(日) 18:10:03
>>43
憲法は「純粋法」として成り立っていなければ、他の法律と区別のつかない
ため、国民の理念としての「憲法」としては成立しない。
従って、歴史を挙げて憲法を説明することには意味がない。

もういいわカス

45ひより:2013/04/22(月) 11:36:48
>オレがコンピューターと人間の「意識の違い」を述べるとしたら、こういった要素を考えるかな。

たしかに、その要素はとても大きいかと思います。

しかしここで質感による『対応の変化』を『経験則』と意味づけ言い換えてしまうとどうでしょうか。
すると機械にも起せてしまう現象であると錯覚させられます。

さらに仮にある機械Aがある物体Bに触れることでBを構成している物質を分析することで
Aは感覚的ではなく、まさしく機械的に『対応の変化』を起こすことは可能であり
またそれを知らない観測者からすれば、あたかもAが『質感による対応の変化(人間の行動)』をしているように見えます。

結果『意識の違い』を区別することが困難になるわけです。

別のアプローチを考えてみます
【意識】を天才tinkoさんの言った通りだとして考えると
コンピュータと人間の意識の一番の違いとはやはり【主体的】かどうかではないかと思います

コンピュータの評価関数とは評価関数を用いる【タイミング】がすでに決まっていて
その【タイミング】に必ず行われるはずです。

先ほどのべた【意図について考える際】では【意図について考えるタイミング】が決まっているのでしょうか?
あるいは『適するタイミング』が来たら必ず行われるのでしょうか?そんなことはないはずです。
人(少なくとも日本人の多く)には考える『自由』があるはずです。

ですがコンピュータとは人間により使われ、人間によって【タイミング】を決められます。
これを換言すればコンピュータは【主体的】に【タイミングを定める】ことができないということになります。

仮にこれが【自律し自立している人工知能】であれば【人間によって使われている】という概念は消えますが
現在のコンピュータとは結局誰かによってコンフィグされ、誰かによってブートされ
誰かによってオペレートされ、誰かによって【タイミング】を決められる

ゆえに【主体性】がないといい、ゆえにこれこそが現状一番の違いではないかと思うわけです。

46白鳥:2013/04/22(月) 11:37:45
天才tinkoくん。

一つ質問していいかい?

大脳皮質の一部が破損したりなどして、記憶生涯などを引き起こしたとき、神経組織や細胞が大脳皮質の代わりとして機能するという話を度々耳にするのだが…
そう考えると、神経組織や細胞もあくまで大脳皮質としての機能を有しているというだけで、それを以って人間は機械(コンピューター)と同じだとするには無理があるんじゃないか。

そりゃあ、人間が大脳皮質を作れるのであれば、人間も機械(コンピューター)も明確な違いはなくなるのかもしれない。
でも、仮に天才tinkoから脳を取り出して、その脳に肉体をつけてやればそれは天才tinkoになるのかといえば答えはノーだ。

そいつは天才tinkoではなく、ただの死体だろう。

死体と機械(コンピューター)に明確な区別がつかなくなることはあっても、人間と機械(コンピューター)の区別がつかなくなることなんてあり得ないわな。

47天才tinko:2013/04/22(月) 11:38:45
>●人間は脳と神経の相互作用により活動している(という事実)
この解釈が既に間違っている。読み込めていない。
事実は「移植転移」でしかない。
そこに対する仮説が「脳と神経の相互作用」でしかない。
「脳と神経の相互作用」には実証された科学的情報源はない。

仮定が正しいのであれば、結論も正しいというのは、前にも言った通り早計で浅はか。
オマエの言い分をなぞるのであれば、こんな”小難しい知的な装飾”がされてる説明はしないでいい。
>「もし仮に意図という言葉の語義を”人間の思考に現れる現象”と定義するなら、人間は意図性を持っている」
こう言い換えればいいんだ。
「仮に人間は意図を持っているとすれば、人間は意図を持っている」

オマエのいう「”人間の思考に現れる現象”と定義するなら」の部分は、立派な「論証」にあたるだろう。
問題は「”人間の思考に現れる現象”と定義する事ができるか?」を問う事にある。
仮定が正しければ、結論も正しいという演繹にこだわった論調は、このスレのどこにもない。
そこを読み違えてるのは、オマエただ1人だけだ。

「”人間の思考に現れる現象”と定義するなら」の部分が論証となる論理ではなく、
既に定められた、覆すことを許されない仮定だとするならば、
「”人間の思考に現れる現象”と定義するなら」の部分は「人間は意図性を持っている」と同じ意味しかもたない。
オマエが自分で述べた、小難しい知的な装飾”がされてる説明が「論証の一種」であると認めないのであれば、それはトートロジーでしかない。
もし認めるのであれば、オマエは仮定を元に論証を行なって、前提条件が正しいかどうかを問う余地のある議論をしている事になる、そうなればオマエの言うような”ガラクタ同然”ではなくなる。

というのを踏まえて
>俺は「俺なりの意図性の論証」を試みるまでもなく
について
俺はこの認識は誤りであり「”人間の思考に現れる現象”と定義するなら」という”とするなら”という仮定で論証を実践しているオマエは、オマエなりの「意図性の論証」を既に試みた後だし、
そこにおいてオレの論証と比較しても、やってる事は大差ない同等な事、間抜けである事の論証には到底程遠い。

48名無しさん:2013/04/27(土) 20:22:40
>>45
主体性がないことが人間と機械を区別する基準となるのなら、
ではどうして人間は「主体的」で機械は「主体的でない」のかの疑問が生じてくる、
と思うんですが。
>またそれを知らない観測者からすれば、あたかもAが『質感による対応の変化(人間の行動)』をしているように見えます。

と言われているように「のように」という表現から、私たちの考えは、すでに機械を「主体的に見ていない」
という前提を、機械に対して持ってしまっています。
ですが、機械であっても、パソコンを例に挙げるのなら、
パソコンという物体それ自体は「主体」にはなりえなくとも、「インターネット」という
バーチャル世界を、現実世界を「客体」と呼ぶのなら「主体的」と呼ぶことならできるでしょう。

そもそもなぜ皆さんは「機械」と言ったら=「人間と擬似的な姿をした人造体」
というものしか想像できないのか?
あまりにも人間の身体に近づけさせすぎても、違いが所々で目立ってくるだけですよ?
だって人間同士であってさえも、同じであり得ないんですから、まず「ロボット」と
「人間」がかみ合うわけないでしょ。
性格の問題にしかならないっしょ。

僕的には「人間に意図はあるか」という問いを考えるんだったら、
「人造体」と比較して考えるんではなくて、ネットワークのように、「ヂヂヂッ」とした
ものと、人間の意識とを、比較考察していった方が、よりわかりやすくなると思うんですけどどうっすか?
一回みなさん唯物論的な考え方から抜け出しましょうよ。

49名無しさん:2013/04/27(土) 20:30:17
また人間に「肉体」が存在しないと仮定した場合、機械的「現象」と
精神的「現象」に、どういう違いがあるのか?
といった視点のとり方も、いいんじゃないでしょうかね?

50片手:2013/04/27(土) 21:10:16
>>1
なんかwikipediaとか色々ひっぱって小難しい話で論客気取ってるみたいだけど
要するに結局のところ「もし科学が発展すれば」っていう都合の良すぎる前提を利用して
さも斬新で珍しい画期的な考え方をでっち上げてるだけだよね、あんたが言ってることってさ

人間は意図を持っており、機械は意図を持っていません
こんなの小学生でも分かるからね?
それで、もし仮に科学が発展すれば意図を持った人工知能が作れるかもって?
あのな、そんなの当たり前じゃん?「もし宝くじに当選したら金持ちになれるよね!」くらい当たり前のことしか言えてないからな?
そんなの小学生でも分かることだっつーの

「もし仮に意図を持つ人工知能を作れるまでに科学が発展したら、意図を持った人工知能を作ることができるはずだ!」
つまりこういうことだろ?あたかも凄いこと言ってますオーラ、その着飾ったメッキを剥がして軸だけ抽出したら
要するにこういうことだろ?小学生でも分かりまーす!

そんな都合のいい論調を使えば他にも色々言えるわけ
「もし4月8日の状態を完璧に再現できたら、実質それってタイムトラベルだよね」みたいな感じで?
そこに「ヒトの脳内の状態も再現すれば記憶も4月8日のものに戻るはず」だとか何とか
なんかちょっと小難しい理屈を添えて見栄え整えたらもう完成じゃん

じゃあ結論言いまーす!
人間は意図を持ってるけど機械は持ってません
もし意図を持つ機械を作れる技術が確立したら、そりゃ当然作れるでしょうね
どうやって作るのかぜひ聞かせてほしいもんです、おしまい

51ひより:2013/04/27(土) 21:10:45
意図と責任の問題はまた違ってくると思います。
つまりどういうことかといえば

【人間Aが「泥棒したほうがいい」と教唆した】というこの事実に対しては「意図を生む助長をした責任」があり

【人間Zが「泥棒をしたい」と思った】というこの事実に対しては「彼は泥棒することを意図していた」と言ってもよいということになる。

例えば 人間Zに罵られたことに激怒し殴った人間Aがいたとしよう。
人間Aが主体的に人間Zに対して殴るという行動をしたからといって
人間Aにのみ責任があり、人間Z(行動を起こさせた原因)に責任が無いということはありえない話である。

52天才tinko:2013/04/27(土) 21:11:43
これらの荒い例えで出した人間Zは、他者の存在を一切認識せず、自分の行動のみを遂行する存在だ。
はて、他者の存在を一切認識せず、自分の行動のみを遂行する存在を、ぼくは身近に知っている。

意図性とは、「めざしていたかどうか?」とは?
つまりこれは時間の因果性にまつわる話になってくるのだ。

「めざす」とは、そもそも「未来を描く」という意味だ。
「めざしていた」とは、「未来を描いていた」という事だ。
つまり、意図性とは「過去にさかのぼる事はできない」という事だ。

時間軸のどこかで、何か未来を描いていた時、それが意図になる。
では未来を描くとはなんだ?

未来を描くとは、過去の記憶を使って、次に起こる現象を想像する事だとオレは思う。

だとすると、現段階のコンピューターは、とても巧妙な意図を持っている、といえるかもしれない。
それは「シミュレーター」においてだ。

「シミュレーター」とは、物理演算を使って、物がどう動くかを想像する、「未来を描く」コンピューターだ。
シミュレーターのレベルではなくとも、数学や科学は「未来を描く」為に体系化されていった知識だ。
となれば、その数学や科学の産物であるコンピューターは、まるで「意図そのもの」だ。

今までのロジックを踏襲した結果、
機械が人間と同等のレベルに達した時、意図性の有無によって、人間と機械を区別できるか?という以前に、
そもそも、機械そのものが人間の創りだした「意図そのもの」と表現できるのではないか?

機械が行なっているプログラムこそが、人間Zのような、他者の存在を一切認識せず、自分の行動のみを遂行する存在ではないのか?

そうすると、質問の意味が真逆になる。
人間は元々意図性を持っていた。そして機械にはそれがない。ではなく、
人間は元々意図性を持っていなかった。そして機械にはそれがない。という結論になるんじゃなかろうか。

それは人間は意図性がない。という事になるんじゃなかろうか。

53ひより:2013/04/27(土) 21:13:25
ついでに、何かあたし的に読みづらい

>さも斬新で珍しい画期的な考え方をでっち上げてるだけだよね、あんたが言ってることってさ

→あんたがいってることって、さも斬新で珍しい画期的な考えであるかのようにでっち上げているだけだよね。

「さも」だけだと「確かにそれに違いないと思われるさま。いかにも。」であるわけだし
『如何にも・確かにそれに違いないと思われる画期的な考えをでっち上げる』ってなって、批判してるのか賞賛してるのかよく分からないぞ。

54天才tinko:2013/05/07(火) 14:22:41
オレはシステムの問題だと思ってるね。
「パレートの法則」(2割の人間が8割の人間を先導している)形は、2割に対する負担が大きい。
それがネットの世界になると、あるいは小規模であろうと緻密なメンテナンスが必要な世界になると、その2割は耐え切れなくなる。
時間的にも、物理的にもね。

オマエがヒエラルキー型の運営に疑問を抱かなければ、それをやればいい。
オレはそれには乗らない。

55天才tinko:2013/05/07(火) 14:23:26
>更にある物事(感覚)について【思考】のプロセスを踏んだものを【知覚】としているわけです。
つまり、根源は感覚にあり、そのきっかけを元に思考の連続が起こった時。それが「認知」であり「知覚」であると。そういう事だね。
だからこそ、リンゴを考える事によって、リンゴの感覚を考えとして意味づける事は不可能だと。
こういう解釈であってるかな?

こういった、感覚が先立ち、その後に言語や語義が規定される、という解釈は、実はオレも同意見だ。
しかし、哲学的には、これが逆だとされているらしい。それが、よく耳にする「純粋理性批判」だ。
純粋理性批判では、理性における言葉が先立ち、それによって感覚を抱くことができる、という順番を示している。
純粋理性批判について詳しくないので、なぜそうなっているのか?というのは、オレ自身答えることができないのだけれども…
うろ覚えの説明をするならば、人間は「名称」の無いものを認識する事ができない。
名称の無いものに対して感覚や直観を働かせることができない、とするような物だったと思う。

また、「ピアノのドの音」も、それ自体が意味を持つ物ではない。
それは、人間がある音の周波数をたまたま「ド」として規定した事から全てが始まっている。
「ド」という知識を知り得ない人が「ド」の音を聞いても「ド」だとは思考しない。それはただの「音」として過ぎ去っていく。

>【思考のプロセス】は『意味を理解しようとする意識(意図)』なくしてあるのですか?
ここは意識や思考の定義に遡らないといけない。
仮に、意識や思考を「自分自身を認識する事」とした場合、それがどういった機能を意味しているのか。
もしこれが、単に「自分の状態を評価する」という機能にとどまるのなら、現実のコンピューターで、すでにその機能は実現している。

つづく

56天才tinko:2013/05/07(火) 14:23:58
人工知能研究の一分野に将棋を指すコンピューターがある。
今までの将棋コンピューターは、膨大なデータに照らし合わせ、”妥当な”一手を打つことに終始していた。
しかし、最近のコンピューターには”評価関数”というものが組み込まれている。
評価関数とは、将棋において、今の局面が相手と自分、どちらが有利なのかを評価する機能だ。
これは、コンピューターが自分の立場を認識する機能の第一歩と言えなくもない。
となると、コンピューターは評価関数によって「自分の立ち位置を把握している」という事になる。

知覚や認識を「自分の立場を把握すること」という機能に留めるのであれば、
知覚する働き(思考のプロセスを踏む手順)はコンピューターは既に持っている。

それよりオレは、コンピューターに意識はなく、人間に意識はあるとする立場から言えば、
知覚(認知)や意識には、「自分の立場を把握する」以外の要素が加わっているんだと思う。
それは、あるいはクオリアや直観といった、言語化できない質感の事かもしれない。
コンピューターは質感を軸にして、自ら新たな対応を考えることはできいない。しかし、人間にはそれができる。

強いていうならば、人間には理性をはじめとして、感覚を認識できるようになる。
そして、その感覚を統合し、理性に還元する事ができる。
閃きという言葉は、まさにその意味で、自分ですら理解できない未知なる感覚を
模索し、たぐり寄せる事で理性に還元する行為だと思う。
オレがコンピューターと人間の「意識の違い」を述べるとしたら、こういった要素を考えるかな。

57蛍火:2013/05/07(火) 14:24:53
皆さん何を言ってらっしゃるんですか?

意図性を論証なんて出来る訳ないでしょう?何故なら人によって意図性の捉え方は違うからです

だから皆さんが今まで議論した事は立証不可能なのに立証しようとしてる・・・無意味だと思います

58天才tinko:2013/05/07(火) 14:25:28
>>57
それは”心理主義的”な、主観の違いという結論で思考停止してるにすぎない。
コミュニケーションの大前提は、誤解があるにせよ、ある種の共通認識を持つことを礎としている。
そのため、一定の共通認識を確認し合いながら話す事が、論証であり議論だろう。

「人それぞれ」で片付けるのならば、オマエにとっても諸刃の剣である。
なぜなら、「人それぞれ」 論証できるという人間が集まった場合、それは論証という事が機能するからだ。
ハイロンパ。

59名無しさん:2013/05/13(月) 00:16:41
支離滅裂な長文



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