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夜。
人は夜眠り、朝目覚め、昼間を生き、また夜に眠る動物である。
人に限らずあらゆる動物に言える事柄に、当てはまらない者たちも、稀にいる。
丑三つ時を少し過ぎ、虫も蜥蜴も寝静まる時間を駆ける者たちがいた。
手には銃。
片手で扱う物とは違い、長い銃身を両手で支え、安全装置は外されトリガーには指がかかっている。
防弾チョッキを着込んだ四人の追跡者は、速度を上げて標的を追う。
先頭を走る隊長格の男が、部下を振り返らずに声を発した。
「奴は、何を考えていると思う?」
あまり広くない研究所内をちょこまかと逃げまわる標的に対して疑問を抱く。
たった一人で侵入して来て、入り口付近で隊員に発見され逃げ出した男。
他の部隊とも連絡が取れない。
この区画まで侵入する技量があるならば、この四人など気付かれることなく容易く抜けた筈である。
「隊長。本社からの注意文書、読みましたか?」
質問に質問で返すとは無粋なものだ、と隊長格は嘆息して部下に返事をする。
「あれが噂の亡霊だとでも?」
「信じたくありませんが……恐らく」
数ヶ月前から、本社から連絡が届いていた。
非合法の施設を潰してまわる『亡霊』の存在。
場所、時間、警備人数、何処の企業が保有する施設など全く関係無しに現れ、侵入方法も脱出方法も全くの不明。
ただ目撃した人間の話や、監視カメラの映像から、足元までの長さのマントを羽織った全身黒の男だと言うことが明らかになっている。
それで、それぞれの企業の裏方たちからつけられたあだ名が『亡霊』。
存在が確認されたのも突発的で、出現から消失までも突然。
まさに幽霊、亡霊の名が相応しいだろう。
そんな不審人物ではあるが、ただ言えることは『亡霊』が現れたあとには必ずネルガル所属のシークレット・サービスが現れること。
同社を襲うのはカモフラージュで、実はネルガルの新たな工作員ではないかと囁かれている。
「何にせよ、我々は我々の仕事をするだけだ。上層部からの通達は?」
「出来るなら捕縛、最悪顔を確認できる状態で捕殺、だそうです。何が何でも確保というやつですよ」
「……奴の足の速さは認めるが、そんなに気迫というものを感じない。価値があるのか?」
「それこそ、疑問を抱くことなどは我々の仕事ではありませんよ。我々はただ命令を実行するだけです」
部下に言われ、隊長格も無言で頷いた。
最近では、この部隊の所属会社でもあるクリムゾンの施設が狙われ始めている。
ネルガルの汚点が社会には出ないものの暗部で晒されていき、欲を集るからだと高笑いしていたクリムゾン上層部は今回を含めターゲットが移りだし泣きを見ていた。
『亡霊』だけに、全てが非常識。
情報収集も、移動手段も、目的も。
上が身元を求めている以上、殺害も辞さない覚悟でここを守り抜かなければならない。
この部隊は精鋭部隊。
発覚を最も恐れるものを守る部隊。
ネルガルのように誤魔化しが効くとは限らない以上、奥の『人形』に到達される訳にはいかない。
思考を切った次の瞬間、隊長格は角を曲がる黒い男を目にした。
「見たか? あの奥は……」
「行き止まり。我々の首も何とか繋がりそうですね」
勢いづいた部下が先行すると、隊長格は咎めることなく通路を他の部下と共に固める。
人には得手不得手がある。
ポジションもまた同じ。
軽口を叩いていた部下を先頭にゆっくりと進む。
通路の先には無人の研究室があるだけだ。
逃げ込むならそこしかない。
部下が先行して扉を開いて、チャッと武器を構えると部屋の入り口から飛び込んだ。
「うごく……な……」
追走して中に入ると、研究室内には誰一人人間はいなかった。
空っぽの研究室を隅から隅までライトで照らしてみるも動く存在は確認できない。
「本当にここに入ったのか?」
「自分は……確かにここだと」
勘違いにしろ、見間違いにしろ、見失った事実には違いない。
しかし、一方通行の袋小路。
終点であるこの部屋に居ない筈がないのだ。
くまなく調べるように他の三名に指示を出して、入り口付近で部屋全体を眺めている時だった。
違いない。
「目当ての人物は……見つかったか?」
とても小さな、それでいてゾッとする程に冷たい声だった。
有り得ない後ろからの声に、隊長格が振り向こうとした時には既に遅く、後頭部を硬い何かで殴りつけられる。
よろけたところに背中から蹴りをいれられると、脚をもつれさせて部屋の中に倒れてしまう。
意識を失った隊長格に気が付いた隊員が、扉に銃を構える頃には扉は固く閉ざされていた。
電子制御された扉は内側からの応答には応じることなく、してやられた隊員たちは落胆する。
このところ毎晩、似たような手口で出し抜かれる者たちの光景。
企業同士、施設間の派閥同士で情報を惜しみ合うからこそ、『亡霊』が消え失せる事実を誰一人として分からない。
『亡霊』が人を殺さない事実もまた、誰も知らない。
今晩の光景も、そんな愚者の極一部。
この施設は、明日には閉鎖されるだろう。
夜は、更に闇を増していく。
無数の試験管が順番に並べられている研究室で、一人作業する幽霊がいた。
真っ黒なマント。
前でとめていると、暗さも手伝ってローブかボロ切れを被ったお化けに見える。
最近企業の警戒が強くなってきた現状に溜め息を吐いて羊水の排出作業を行う『亡霊』ことアキは、次いで閉じ込めて置いた警備隊員と研究者の部屋の位置をピックアップし、ダッシュに知らせる。
『マスター、ボソンジャンプの多用はいけませんよ。後頭部ひっぱたくくらいなら、撃ってしまった方が……』
「まともにやりあって勝てない以上、俺にはああするしかない……それに、あまり銃に自信がなくなってな」
ネルガルSSもそうだが、暗部を取り仕切る人間たちを複数人相手に戦える程、アキは強くない。
弱くもないが、あくまで1対1。
木連式柔の射程に入る前に撃たれてしまうような状態で、勝ちは拾えない。
先程警備員を陥れた時のように、意表を突くか、適当な罠で武力を奪う他にアキに戦う術はない。
例え、どんなにセコくても。
確実に時間を稼げる手段で、相手側をかき乱すしかないのだ。
羊水が抜け、へたり込んだ少年少女に布を被せながら、アキはダッシュに話しかける。
「……ここも、はずれか」
『警備が変に厳重だから、当たりだと思ったのですけど……別な意味で当たりでしたね』
マシンチャイルドはネルガル傘下の施設で打ち止めかと思ったが、クリムゾンでもやっていることは同じだった。
クリムゾン本社を脅迫する訳にもいかないので、ネルガルのアカツキにまた匿名で連絡することにしたアキは、不思議そうな瞳をした名も無い少女の頭を撫でると再び立ち上がる。
いい加減、アキの存在が『裏側』に広まり始めているのも事実。
そろそろ、決定的な手応えが欲しい。
少年少女たちの視線に耐えられなくなってきたアキは、自分の思考を無理に難しい方に歪めるとCCを取り出した。
さっき撫でた少女の気配が何やらゆっくりと近くなっているような気がして、思わず冷や汗が流れる。
『また、攫ってっちゃいましょうか?』
ダッシュが本気とも冗談とも分からない発言をする。
ダッシュには前科があるため、一概にアキは冗談とは言い切れない。
仮にとは言え、一児の父親紛いなことをして疲労困憊しているアキ。
それが二児になるとなれば、アキには間違いなく倒れる自信があった。
主に良心とか精神的な面で。
「……ダッシュ」
『じょ、冗談ですとも。私はラピスと、マスターが居てさえくれれば幸せです。だから、その、お顔恐いですよ?』
「やっぱり……お前はオモイカネだな」
悟りきったアキは説教を諦めて、今にもマントの端を掴まれそうな位置から一度距離を取る。
オモイカネもダッシュも、アキをからかうことに余念がないから困ったもの。
結局、二人は誰に似て成長したのか。
アキは近頃それについて考えることを避けるようになった。
二人の成長に携わった人物は、恐らくアキが鏡を見た時明らかになるのだろうから。
『あ、あんなのと一緒にしないでください! 私の方が、私だって、マスターとラピスの動画くらいいっぱい……』
強い否定を口にした後、何やらぶつぶつ呟いているダッシュ。
動画とは何のことだろうと首を捻るも、『指きり』や『膝枕』、『お姫様だっこ』等の動画データがナンバー毎にオモイカネ内に保存されていることアキは知らない。
精々ルリが寝てしまった時の物が保存されているだけだと考えているアキは、オモイカネからすればルリ程脅威ではなかっただろう。
張り合い始めたダッシュをよそに、アキは「跳ぶぞ」と声をかける。
『え、あ、了解しました。早く帰って来てくださいね? 最近、ラピス夢見が悪いのですから』
ダッシュの言うことに、アキは覚えがあった。
ラピスが寝起きで泣き出したのが4ヶ月程前。
それからたまにラピスは眠れない等の理由から、アキに助けを求めたり、朝に泣いたりすることがあった。
理由は不明だが、ダッシュが言うには『一任して欲しい』とのこと。
身体は健康そのものなので、全く心配はいらないらしいが、アキも安心させてやれるならそうさせてやりたい。
「わかった。すぐに戻る」
アキの返事に合わせて、頭の負荷が楽になる感覚。
長距離の移動になると、ダッシュはアキの補助に入る。
安定しないのは事実なので、アキも純粋に有り難いと思う。
『跳躍準備完了。いつでもどうぞ』
「……ジャンプ」
淡い光の中に、アキは消えていく。
今日もまた、夜は更ける。
夜が続けばいつかは、また朝になる。
偽善的行為を幾ら続けても、本人がそれを偽善と言う限り、罪は癒されない。
罪滅ぼしとは、口ばかり。
この行為には、何の意味があるのだろう。
未来のため。
A級ジャンパーのため。
ナデシコのため。
言葉で飾っても、結局はアキの自己満足。
『わがまま』なのである。
アキもまた未来を決めかねる、独りの人間に過ぎないのだった。
秘匿艦ユーチャリス。
ナデシコCの試験艦としてデータのみが舞台に立ち、そのまますぐに舞台を退いた高性能機動戦艦。
しかし、それはあくまで表舞台。
裏舞台では黒衣の王子ことアキと共に火星の後継者やコロニー防衛部隊と派手に攻防を繰り返したり、幽霊ロボットに幽霊戦艦と呼称され一部の勢力を震え上がらせたりしたのだが、今は『昔の事』。
この世界で、そんな事実は存在しない。
説明したところで、ボソンジャンプの表層面ですら解釈できていない技術力では、妄言、妄想、狂言以外の何物でもないだろう。
これまで、アキとダッシュが歩んで来た道のりも歴史も、夢と同じ。
二人の『想い』と『記憶』だけが、それを証明し、分かち合える唯一の物である。
結論で言うと、復讐の鬼と称された男も、ユーチャリスを単独制御する化け物級AIも、少女から見れば自慢の父親と母親でしかないのだ。
アキが帰って来る前に目が覚めてしまったラピス・ラズリは、ユーチャリスのブリッジに座り込んで、くりくりした瞳で目の前の物体を見つめる。
「…………」
『…………』
硝子玉が付いた黄色楕円に、六本の節足の付いたラピスと同じくらいの大きさの物体。
ぎこちない動きで前足を持ち上げて振り、『やぁ』とでもいいたげにラピスに挨拶する。
困惑するラピスに気が付いたのか、ダッシュもウィンドウでラピスの前に現れた。
『バッタ、と言います』
「ばった?」
『正確にはコバッタです。はい、ラピス、こんにちは』
「……こんにちは」
さすがに上手に前足を屈折させて、ぺこりと頭を下げるコバッタを前に、ラピスも挨拶しない訳にはいかない。
挨拶を返されたコバッタは、どことなく嬉しそうに体を揺らすと、またラピスに向かい合う。
ラピスが珍しく自分から起きて初めに目についたのは、ラピスの衣服を器用に背中に乗っけて部屋を出て行こうとするコバッタの姿だった。
当然、迎撃した。
背中に乗ってひっぱたいて、思いのほか堅くて手を痛くして涙目になったラピスを、ダッシュが説得して今に至る。
『そう言えば見せたことありませんでしたか』と納得げなダッシュに連れられて来たブリッジで説明を受けているラピス。
此処に来て早四ヶ月前後。
色々なところに連れて行ってもらったラピスではあるが、灯台下暗し。
ユーチャリスについてあまり詳しく知っている訳ではなかったのだ。
雑学、一般常識は元より、IFSやナノマシン工学もダッシュから習っていて、更に最近ハッキング技術まで覚えた少女は、多くを知りたいお年頃。
ちなみにハッキングやクラッキングについては『お父さんには内緒だぞ♪』の条件付きで教えて貰っているため、アキに褒めてもらえないことがラピスには残念であった。
ギチギチ、と機械音。
どこから鳴らしているのが、コバッタがまた何やらラピスの方に前足を伸ばしてきた。
何気なく、理解する。
『よろしく』と声がついてきそうなくらい、コバッタの握手の求め方は紳士的だった。
「・・・・・・よろしく」
前足を握って上下する。
背中の部分と違って、コバッタの足はゴム質で割と柔らかい。
『たくさんいるコバッタ君たちのお仕事は、ユーチャリス内の修理、整備、点検。その他にもお掃除にお洗濯、テレビの録画まで出来る凄いコたちなんですよ』
「……おー」
『しかも飛べます』
ダッシュの声に反応したように、コバッタ君の身体がふわりと宙に浮く。
脚を畳んで浮遊する姿からは、とてもテレビの録画まで出来るとは思えない。
ラピスは目を見開く。
「とんだっ!」
『ふふふ、わかりますかラピス、この凄さが! コバッタ君はただの凄い家政婦さんとは違うのです!』
自信満々に話すダッシュと、ダッシュの言葉に興味津々純粋無垢なラピス。
やがてダッシュが続きを発する。
『貴女を乗せて飛ぶことも出来るのですよ!』
「――――っ!?」
衝撃を受けるラピスを前に、ゆっくりと着地したコバッタ君は、六本足全てを曲げて姿勢を低くする。
ラピスは驚きと興奮から、少し躊躇い気味にコバッタの背に手を乗せた。
既にラピスの中では、前にダッシュに聴かせてもらった『浦島太郎』の亀ばりに、コバッタに跨って艦内を飛び回るラピスの姿がイメージされているあたり、ラピスが如何にこの数ヶ月ダッシュに毒されて来たかが分かるだろう。
「こばった……いいの?」
律儀にラピスがコバッタに声をかけると、コバッタはこれ以上ない程地面スレスレに頷いて見せた。
ダッシュも『ごーごー♪』と書かれたプラカードをウィンドウ内で持って回している。
いざ発進と、コバッタに跨ったところで、ラピスの体は比喩無く宙に浮いたのだった。
「……危ないから、また今度な」
自らの父の両手によって。
いつの間にか帰って来たアキに抱えられて、ブリッジに最近設置されたラピス専用の小さい椅子に座らせられる。
椅子は他にあるにはあるのだが、アキ用の物と誰の物か分からないラピスには少し大きい椅子の二つしかない。
小さい椅子。
思えば、これもコバッタが作ってくれたのかも知れない。
『お、おかえりなさい、マスター』
「ちょっと前からラピスの後ろで聴いていれば……お前と言うやつは」
『い、いやですねぇ、私はコバッタ君と一緒にラピスに歴史のお勉強を……あ、あれ、コバッタ君!?』
いつの間にか帰って来たアキとは対照的に、コバッタは危険を察知し既にブリッジを去っていた。
地球の歴史なら、ある程度ダッシュに習っている。
火星と地球の関係性から、現在は木星蜥蜴と言う無人兵器群と戦争していることまで教えられると、何故かダッシュが申し訳なさそうに授業を終わらせたのをラピスは覚えていた。
そう言えば、コバッタは無人機械じゃないのだろうか。
地球には機械を縮小無人化する技術もなければ、敵の技術力に対抗する手段が無いから劣勢だと習ったけれども、ユーチャリスにいるのは何なのだろう。
ユーチャリスは戦艦だとダッシュが言うのだから、戦うのだろうか。
そもそも、アキは何をしている人なのだろう。
疑問符がたくさん出て来たところで、自分の椅子に座りダッシュに説教を始めたアキが目に入り、思い出す。
ラピスは椅子から降りると、アキの横でアキの服を引く。
「ラピスに変なことを教えるなとあれほど…………ん?」
「……おかえり」
久しぶりに、言えた気がした。
いつも「おはよう」で始まる挨拶だから、ラピスから言えるのは久しぶりだ。
もしかしたら、初めてかも知れない。
アキを見ると、ラピスの方を向いたまま、何やら動きを止めていた。
「ああ……そうか。ここにも……」
複雑そうな表情をして、何か呟いているアキに、ラピスは首を傾げる。
ダッシュはダッシュで事情を知っているため、照れてるのか、本来ならオモイカネとルリに言われる筈の台詞をラピスに言われて困っているアキを見て『えへへー』と笑っていた。
ラピスには、訳が分からないこと。
折角座らせてもらった専用椅子に目もくれず、特等席であるアキの膝の上によじ登りちょこんと座る。
アキも慣れてしまったのか、登るのを手伝ってくれた。
ほふぅ、と一安心したように背中を預けて一息吐くと、ラピスは上を向いて口を開く。
「……なつかしい」
何も、考えずに呟いた。
何故、そう思ったのか分からない。
毎日毎日、暇になればアキの膝の上にいる筈なのに。
「懐かしい?」
「うん……へん?」
「いや、君がそう思うなら、間違いじゃないんだろう。このところ忙しくて構ってやれなかった」
アキに頭を撫でられながら、仲良くぼんやりと座る二人。
ぼんやりしながら、取り立てて意味の無い話をしながら、アキと一緒に過ごす時間。
こういう時間がラピスは大好きだけれども、必ずと言って良いほどの確率で邪魔が入る。
『……いいもん、いいもん。私なんか……幸せになってほしいけど……マスターは私の……私だって頑張ってるのに……』
グチグチと何やらわざとらしく聴こえる声に、ラピスはぷぅっ、と頬を膨らませて応戦する。
アキはアキで気付いていないのか、不思議そうに首を傾げていた。
仲の良いダッシュとラピスではあるものの、水面下ではある一点で仲良くなることは出来ないのだった。
「おとうさん」
「ん、何だ?」
ダッシュを気にしていても仕方がない。
ダッシュは四六時中アキと一緒にいるけれど、ラピスはそうは行かないのだ。
アキの膝の上で膝立ちして、丁度顔同士が同じくらいになるように向かい合う。
前から気になっていたことを、言おう。
おずおずと、口に出して見る。
「それ……とってもいい?」
瞬間、足場がガクンと揺れた。
ラピスが指指した『それ』とは、アキの顔を隠す黒い板。
何の意味があるか知らないラピスは、純粋に素顔を見てみたくて言ったのだが、アキはまるで死活問題のように慌ててバイザーを押さえ、ラピスから顔を反らした。
心なしか、動揺を隠しきれずに青い顔をしているように見える。
「だ、駄目だ」
声は上擦って、明らかに動揺していた。
ラピスは相手の言うことを素直に受け止め、ダメなことはダメ、良いことは良いを自分で判断できる今時珍しい少女である。
それとは別にダッシュに『わがまま』の使い時をしっかりと教わっていた。
「…………んー」
唸りながら、手を伸ばす。
ラピスの行動に驚き、アキは顔を更に遠ざけるも、人体の限界かそれ以上は遠ざかることはできない。
「ラ、ラピス、見ても何も面白くないから。だからな……」
「や……みたいの」
『ああ、ラピス。立派に成長して……素敵な女の子になりましたね』
素敵の在り方がずれているダッシュの応援を受けて、ラピスは遂にひしっとバイザーを掴んだ。
アキもラピスをひっぺがすことは出来ないのか、バイザーを中央からヤケクソ気味に押さえている。
「ダッシュ……あとで覚えていろ」
『それではまるで悪役みたいですよ。いいじゃないですか、ラピスになら見せてあげても』
「しかし……あ」
アキがダッシュとの会話に意識が逸れた隙を突いて、ラピスばバイザーを引っ張っるベクトルを下にずらして剥ぎ取った。
「…………」
「…………」
『……あー、本当にやっちゃいましたか』
二人が沈黙してしまう中、ダッシュだけは言葉と裏腹に明るい声を発していた。
現れたのは、あまりに普通の顔。
想像に容易い、『アキ』と言う人間の顔だった。
不要な目を瞑った、不揃いでも無く、完璧な二枚目でもない、整った顔立ち。
顔の端に冷や汗をかいて、ラピスと向かい合うアキの紛れもない素顔。
突拍子もない、思いつき。
顔を見たい。
そう、思っただけだ。
「う……あ……」
なら、何故自分はまた涙を流しているのだろう。
アキの顔を見て、喜びこそすれでも、涙する理由はない。
アキの瞑ったままの目が、とても痛々しくて、悲しくて。
目は、ラピスがアキに会った時から見えなかったのだ。
何故、今更になって悲しむのか。
アキの顔を見ていると、何か思い出せそうで、何も思い出せなくて、益々悲しい。
「……ラピス?」
『あ、あれ? ラピス?』
予想外の出来事に、疑問符を浮かべるアキどダッシュに言葉を返すことができなくて、ラピスはアキの胸に飛びついた。
懐かしいと、思った時と同じ、訳が分からない突然の感情。
アキを知る度に、アキに接する度に、何か分からない物が、ラピスの内側から湧き出してくる。
不快じゃない、変な物。
異物であるのに、異物じゃない物。
『マスター……また泣かせましたね。ちょっとくらい笑ってあげても』
「……そんなに恐いか?」
恐怖とは別の、安堵や、それに近い何かだった気がする。
たまに夢を見れなくて、『少女』に会えなくて、アキに飛びつくのと同じ。
言い寄れない寂しさから、誰かがいる安堵を感じた時の想い。
ラピスはいつものようにアキに背中をぽんぽんとされてあやされながら、二人の言葉を否定しようと首を振るのだった。
寝かされて、ベッドに横たわるラピスに布団をかけると、アキはダッシュに声をかける。
「やっぱり……不安なんじゃないのか?」
『いえ、マスターといる分には安心してるのですよ、ラピスは』
ラピスは、感受性が高くなってきている。
感動しやすいと言うか、感嘆を口に出すことが多い。
それも、初めてアキに泣きついたあの日からの出来事だ。
本質がそうだったのかも知れないが、感情の成長が、アキには早すぎるような気がしてならなかった。
「俺は、何をしてやればいい?」
『側にいて、手を握ってあげてください。今貴方がラピスから離れるのは、このコにとってば自分を見失いかねません』
ダッシュは、ラピスの底をしるようにアキに話すと、アキは嘆息吐いてラピスの横に座り、手を握った。
「ラピスに、なにか起こっているのか?」
アキが言うと、ウィンドウのダッシュは小さく微笑んで応えた。
『マスターが考えるような、悪いことではありません。そうですね……折り合い付いてない、が一番近いですか。言葉にはできませんよ』
「……そうか」
そう言うと、アキは言葉を続けなかった。
ダッシュは、恐る恐るアキに言葉をかける。
『詳しく……聞かないのですか?』
ダッシュの言葉は、全て曖昧だった。
理由を聞かないアキを怪訝に思うのは、当然の事。
アキは苦笑すると、ダッシュに応える。
「今更、信用や信頼が必要か?」
『マスター……』
「俺では力不足なんだろう。元より信じている……頼んだぞ、相棒」
『は、はいっ! もちろんです!』
感極まったダッシュの声に、アキは笑みを濃くすると、二人はラピスが目覚めるまでの間、ラピスを見つめていた。
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