進化論と無神論
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性器から脳への低周波刺激の管理をされては
常に苛付を誘導されている諸星あたる=古川正樹です。
他の箇所が爽快であっても
絶対に苛付を誘導する、こそこそとした刺激は止みません。
おかげで最近は心からの爽快感を感じる事も殆どありませんし
呼吸法なども相変わらず封じ込められています。
この実態は工作員のお仲間達も皆知っているのでしょうか?
今は再び脳の機能をいじられそうな気配です。
性器から脳へかけての抑圧が続いています。
要するに私を常に嫌なやつに仕立て上げておきたい人間達が
身近には居るのだということです。
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月が人間に与える影響は
どうやら其の人間の想念を増幅するような効果、
もしくは魂の資質を増幅するような効果だと
最近は気がつくようになりました。
誰もが心地良くなり頭が冴えるわけではないらしいと言うことです。
ルナティックなどとも言いますし
月は人間の本能的な意識を呼び覚ます象徴としても
表現される事が多いかと思います。
人によっては其の持っている悪意を増幅する期間となると思います。
負の想念をです。
一方、覚醒者や同様の資質のある人間にとってこの時期は
頭が冴えて、閃きや印象を受け止めやすい時期でもあります。
そして私もこの人間達に脳への電磁波を受けなければ
一番清々しい気分で居られる時期でもあります。
これが月に関わる何らかの自然の効果なのか
それとも天使達の送ってくれる波動と関係あるのかは不明ですが
人間の資質がはっきりと見極めやすい時期でもありそうです。
私などはこの貴重な時間を何時も
封じ込められたり妨害されることになりがちですが
そんなところからも身近な工作員の中の悪意の存在を
ひしひしと感じる事になります。
一方被害者には満月のサバトには警戒を促しておきます。
オカルトではなくてこの時期に
悪意を増幅させては攻撃強化をしてくる人間達が居るのです。
意識としては私達と対極にあることになります。
6月23日満月
6月24日カバラ”9”の日
詳細に触れるまでもありません。
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今日は”創造”について私の”浅い”理解の中から兄弟姉妹と理解者に
何かヒントにしてもらえる事があればと思って記事にしました。
謙遜ではなくて本当に創造に関しては
私は理解が未だ浅いと認識しています。
それでも自分の理解を深める機会にもなりますし
”何となくそれを書きたいと言う意識”もあったので
進化論との関わりで記事にしてみました。
ただ、私が表現したくない箇所(加害者組織に理解されたくない)もあり
一部ぼかして触れていますが、其の点に関しては兄弟姉妹は是非自ら思考して頂き
理解を深めるきっかけにして頂ければと思います。
本当はこれこそ深い理解者に教えを請いたいところですが
工作員に読まれるのでそれは期待しないことにします。
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まず、本題とは無関係なのですが、
ある知り合いを意識して触れたいことがあります。
私達が持つ事になる”拘り”というものは
ある意味進化の妨げになると思います。
それがどんな意識でもです。
拘り自体が私達の判断の障害となるからです。
私達が拘りを持つのは得てして心にトラウマを感じた時だと思います。
其のトラウマが私達の進化の妨害となりうる事
時には転生の障害になりうる事を私は記事で触れました。
無自覚なトラウマでも障害となるようですが、
それが日常自覚しているような物なら尚更だと思います。
コンプレックスもこれと似たような効果があると思います。
コンプレックスは他人と自分との比較を止めた時に
解消する事が出来るような気がします。
其の原因は、他人と比較して
自分の至らなさを身にしみて感じる事でありますし
一方ではそれを解消したいと願う
私達の心のエゴの現われでもあるからです。
もしも私が他人と自分をまじまじと比較したら
私などは劣等感でつぶされてしまうことになります。
学歴・経歴は勿論、社会的立場や
その他あらゆる側面で私はコンプレックスを持つに至るはずです。
ただ、自分の全ては自分の本質である魂の現われであるという事を自覚し、
この社会の中で私達が心を持って作り上げている価値観が
得てしてコンプレックスの原因となっている事に気がつけば
私達はそれから解放される事にもなると思います。
それは私達の心が作り上げた価値観でもあると言う事を
理解する事によってです。
後は他人を自分と切り離した状態で見つめて、
他人を正しく理解できれば良いのだと思います。
私達が自分に備わっている多様な能力の内の一つを意識した時でも
自分よりも優れている人間は山ほど居ます。
そんな人間の其の能力に対して
いちいち劣等感を持って居たのでは私達は自分を表現できません。
まして、若い頃にありがちだと思いますが
そんな他人との比較で自らを大きく見せようとすると
今度は私達が心に新たな拘りをもつことにもなります。
それは素直さや謙虚さとは対極にある意識のようです。
進化に必要な意識は、良くも悪くも自分を正しく認識すること。
そして其の自分と切り離した状態で
他人を見つめ冷静に理解する事だと思います。
コンプレックスなど作る気になれば
いくらでも作り上げることが出来ます。
私などは身長も大きくありませんし
背の高い人間が羨ましくもあります。
がに股ですし、不器用ですし、ずぼらですし、
この社会の中での多くの人間が重要視しているような価値観で
他人に羨ましがられるような資質や肩書きは持っても居ません。
おまけに受験にしても何一つ
自分が合格したいと願ったものに合格出来たこともありません。
かといって足が長い人間や、器用な人間、几帳面な人間、
更には社会的地位の高い人間を片っ端から心底羨んではきりがないのです。
羨んでも自分がそうなる事が出来ないことも理解していますし、
まして人間の作り上げた価値観に関しては
それを価値と認めて居ないからだと思います。
と言っても、其の人間が本当に強い出たものがあれば
それが運動であっても知能であっても認めるべきだと思います。
格闘技の選手でチャンピオンとなれば
其の人間を肉体的に強いと認めますし、
オリンピック選手であれば其の運動機能をすばらしいと思いますし
東大医学部の人間とあれば其の左脳の極め方を認めます。
いずれも能力の一部が人よりも遥かに優れている事は間違いないからです。
そして私はそれには適わないわけです。
そんな資質の強い出た人間を見て
まるで羨ましくないといえば嘘になりますが、
私達は其の時にコンプレックスを持ってはいけないのだと思います。
そして出来るものなら、そんな人間から何かを学べば良いとも思います。
ただし、それが価値観に至り思想となれば、
自分が真理と認めている事に関連しては一切他人に譲歩する事はない。
これが今の私の姿勢です。
私や兄弟姉妹や理解者はこれからも永遠の時間の中において
ありとあらゆる進化を果たす事が出来ます。
今持っていない能力を高めようとすれば
次の生でもそれを果たす事が出来るのです。
大体が他人と自分を比較すること自体が
本当は私達にとっては間違いかも知れないわけです。
以前の記事で触れたように、私達が羨んでいる人間の魂が
もしかしたら1万年生きているかも知れないわけですし
例えば私達が生まれたての魂かも知れないわけです。
そう思えば自分よりも進化している人間を見て
羨んでも仕方がないことに気がつくと思います。
自分だってあと一万年生きればそんな人間になるかもしれません。
もしかしたら5000年や1000年でそれを果たすかもしれません。
今の自分の魂が自分の過去からの生においての進化の結果だと認識して
それを進化させ続けることこそを意識する
これが私達、宇宙の法則の覚醒者のあるべき姿だと思います。
トラウマに関してですが、
其の体験が自分にトラウマを与えたと言うのであれば
それが恋愛であれば新しい恋愛をするとか
何らかの形でそれを解消しなければ私達は進化が出来ないと思います。
それは過去の特定時点の意識に自分を縛り付ける行為ですし
それに拘った時から自分の意識は止まるのだと想像しています。
私にあるきっかけをくれた人間が
未だに過去を引きずって苦しんでいる姿、
そして不要なトラウマを持って苦しんでいるように見えたので
其の人間が見ているとは思いませんが触れずに居られませんでした。
不要なトラウマは
自分の能力や魅力を半減させる事になると思います。
私と同じような資質の人間だと思っている方なのですが
私がその心を癒すことが出来ない事が寂しくもあります。
兄弟姉妹と理解者はもう一度この記事を読んでみてください。
結構分かりやすく表現することが出来たと思っている記事です。
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11406551929.html
創造主の意識 平等と謙虚と奉仕
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無神論の方にありがちなのは
進化論を真理として受け止めている事だと思います。
偶然生物が発生してそれが進化して人間が出来たと信じれば
そこには生命の創造という神の奇跡は必要なくなります。
しかし進化論が現実には証明されていない事を
私達は認めるべきだと思います。
これこそ”実証性のない仮定”に過ぎないものです。
勿論、固体の微妙な変化や個体レベルでの進化は
すべての生命体が地道に体験し続ける事になるのだと思います。
ガラパゴス諸島の爬虫類の様にです。
しかしそれは固体が環境や必要に応じてその形態を地道に変化させる、
固体がその固体としての能力を高める、そんな意味での進化です。
私達人間であれば、それが脳の発達と言う形で
現れている”かも”しれません。
(本当の脳の進化は私達の真の進化とフィードバックです)
身長が高くなると言うのも、
もしかしたらそんな進化の一部かもしれません。
私達の体感しうる進化の一つの側面を、宇宙の法則的に思考すれば、
例えば同じ人間を構成する元素であっても
その元素は長い進化の機会を経て存在しています。
多くの元素は地球社会に人間が存在していなかった時期から
存在し続け今に至るからです。
そして過去から今に至るまでの期間、
元素はありとあらゆるフォーム(形態)の構成する一部となっては
再び元素へと戻る。
そんな過程を繰り返してきたはずです。
私達の肉体は、その元素を身にまとっているのです。
例え固体としての人間本体(魂)が成長していなくとも
その元素の進化がそのまま私達の肉体の変化として
表現される事になるはずです。
アダムスキーも私達人間は2000年前から
何も進化してはいないと触れていました。
更には、私達が辛うじて進化しているのは私達の手柄ではなくて、
それを構成してくれている元素の進化こそが
反映されているのだと言う話でもありました。
現に2000年間の間にもテレパシーなど発達してもいませんし
未だに人間同士が殺し合いをしているのが
この社会の実態でもあります。
この社会の人間は、いくら科学力を誇ろうが
実は精神的な進化、真の意味での脳の進化は
果たせなかった事になります。
一方この社会の元素は常に進化の過程にあります。
その間も延々とあらゆる創造物を構成してはその想いを受け止めながら
その創造物の一部として体験を続けてきたからです。
私達の理解では、この社会の中で半ば半永久的に
進化を続ける事が出来るのは元素でした。
私達人間が死んでその肉体が朽ち果てようが、植物が枯れようが
その構成している元素が消えてなくなる事はありません。
そして元素はこの社会の中であらゆるフォームに形態を変えながら
進化し続けている唯一のものでもあります(DNAを除いて)。
私達の理解では、私達は各々が独自の魂を
元素を持って表現している存在です。
(この社会の人間は自分の魂を
十分に表現することが出来ないのだと思いますが)
元素は、神が贈ってくれた
私達の魂と言う想念を表現するための素材なのです。
その素材は勿論、私達の思念波の影響をも受けますし
過去において他の生命体であったならば、その時の思念波の影響も受けます。
つまりは物質の素材である元素は、
そのフォームと共に体験して想いを受け止め続け
常に進化の過程にある存在だと言うことです。
私達の進化はおそらくは元素を使用しての進化と
その固体としての進化の複合だと思います。
そして私達人間に関していえばその固体の進化は進んではいない。
これが現実なのだと思います。
勿論私達が猿人から進化したとか
猿人はサルから進化したと言う事実もないはずです。
有り得るとしたら、昔の神々でもあった”人格神達”が
地球社会の生命体に対して遺伝子実験でもして作り損ねたのが
猿人の様な存在だった可能性はあります。
少なくとも私達の祖先は人間です。
しかも今では高度な文明と精神を誇っている
私達が尊敬すべき人間達なのです。
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進化論を信じるのは、それが無神論状態での創造を考えた時に
一番有り得そうな説明だからではないでしょうか。
私達にはフォーム(形態)としての形を整え
そこに息を吹き込む、生命を与えると言う行為が
理解できないからです。
創造主は元素の使い手でもあるとマスターは語っていました。
私達が元素を集めてそこに何かを作り上げると言う行為と異なり、
創造主は自分の想いをそのまま、この三次元で表現したと認識する方が
私達には想像しやすいのかもしれません。
私も正直言って創造に関しては
その実態を正しく理解して説明することは出来ません。
例えば人間の創造は母体の中の赤ん坊を見てもわかるような
過程を得たのかそれともいきなり肉体を表現されたのかと言う事も
想像つきません。(おそらくは後者だとおもいますが)
ただ、私達は”想い”を
そのまま具現化する体験をすることも出来ます。
言うまでもなく、
一昔は超能力といわれた”念写”と言われる技術を
思い出せば良いのです。
先日は私達人間は平面の創造主になる事が出来ると説明しましたが
私達はその想いを”念写”と言う形で
フィルムに再現することが出来ます。
勿論、誰もが可能な能力ではありませんが、強い想いを持っていて
独自のテレパシーを使用できれば出来ると想像しています。
あれは私達が思ったとおりの物を平面に再現する技術だといえます。
私達の想いは二次元平面で具現化されることになります。
となれば私達よりも上の空間(次元?)に存在している創造主の想いが
そっくりそのまま三次元で元素を持って再現されることは
不思議でも何でもないのです。
そこで必要なのは思念波でありそれを再現する元素です。
そして四次元の想いが三次元で具現化した時に
そこに生命が生まれると言う法則が存在していると理解すれば
創造主は自分が思ったとおりの創造物を
この社会に表現する事が出来ると想像がつきます。
しかし”想い”がそのまま具現化されるという
事を私達は理解できません。
もう一つ、創造を理解するためのヒントとして
サイコキネシスと言われる能力を上げておきます。
ヒントだけで申し訳ありませんが兄弟姉妹と理解者は
自ら思考してみてください。
勿論、私は使えない能力ですが、
簡単な例であればスプーン曲げを想像してもらえば良いと思います。
あれは私達が独自のハンドパワーで
鉄を曲げるわけではないのです。
そしてここにこそ私達が創造を理解する鍵があると思います。
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私達の教科書の中の理解では、進化は進化論として存在しています。
そして私達人間はその延長の
一番進化した形態と理解されています。
元々は単細胞生物が進化して魚類となり
それが進化して両生類となり
さらには鳥類、爬虫類と進化してそれが哺乳類となった。
そんな過程を得て生物が進化したと理解すれば、
それは有り得そうな地道な変化の過程にみえますし、
それを全て偶然の過程として説明すれば、
そこには創造主の存在は不要にも見えます。
全ては偶然の賜物で、その中で生命体が勝手に生まれて進化した。
そんな説明にも繋がって行くかもしれません。
ただ、進化論を信じる人間に何時も質問したくなるのが、
「では進化の過程の中間となる生物は現に存在しているのか?」
と言うことです。
進化論が正しいのであれば今現在だって
進化の中間過程の生命体が存在しているはずです。
例えば魚に進化の最中の微生物が存在し、
人間に進化の最中のサルが存在する事になります。
しかし現にそんなものは存在してはいません。
そんな反論に対抗するように
今度は”突然変異”で説明しようとする人間も出てきます。
(特定のエネルギー場に置かれた時に進化すると言う嘘もあります)
ではその突然変異は私達の文明の続いているこの期間に
一度も発生する事はなかったのかと質問したくなります。
私達は爬虫類が哺乳類になる様子を見た事はありませんし
魚類が陸に上がってきた過程を見た事もないのです。
もっと言えば、陸上に存在していた哺乳類が
海に戻って行った過程も見た事はありません。
人間になりかかっているサルは存在しませんし、
足が生えて歩き出しそうな魚はハゼの一種を除けば存在しない。
海に戻ったけれども
足がまだ残っている鯨など存在してはいません。
つまりはそれぞれの生命体は、元々固体として与えられた
独自のフォーム(形態)を引き続き持ち続けていて
その形態の中での洗練を続けている存在だと考えるのが正しいと思います。
(ただ、一部の生命体が遺伝子操作で作り上げられたものである可能性は
決して否定しませんがその時にそれを作り上げたのも人間です)
カモノハシのような卵生の哺乳類を持ち出しては
それが進化の証拠であるかのように説明する人間もいます。
しかしシーラカンスを古代の魚と認識した後に
その形が数万年経ったとされる現在でも
少しも変貌していない事を私達は今では認識しているのです。
進化論は無理があると言うよりは
根底から誤りだと思います。
そして私達は人間こそが長い進化の過程を得て
特別な能力を持った表現だと認識しています。
魂を入れる器としては私達人間は最高の形態であり
複雑な機能を持った存在でしょうが、
しかし遺伝子情報では、見た目が単純な生命体であっても
実は複雑な遺伝情報を持っていることを
今では科学者は気がついているはずです。
全ての生命体はこの社会の中での独自の奉仕と調和のために作り上げられた
独自の形態であると認識するべきです。
その生命体の中では、その与えられた役目と目的含めて
自らを表現していないものはない。。
全ての生命体はその存在が何らかの役目をもって存在しているはずです。
私達にしてみれば、存在価値のない生命体であっても
それは必要だからそこに存在している。
もちろんその役目が
単なる他の生命体の餌となる事だったとしてもです。
見た目が気持ち悪いだけの存在のミミズだって
しっかりと土地の肥沃に役立っていることを私達は知っています。
勿論、鳥などの餌にもなります。
もしもミツバチが壊滅すれば多くの植物が受粉が進むことなく
その実を結ばなくなる可能性を科学者は指摘しています。
その辺を飛んで歩いている小さな虫だって
鳥の餌になるかもしれませんし、
私達にとって忌まわしいゴキブリだって
時にはそれを食料にするような生き物が居るのかも知れませんし
ゴキブリ自体がバクテリアを自分の体に付着させては
浄化している可能性だってあります。
この社会に存在している創造物には
おそらくは無駄なものは存在しないのだと思います。
蚊やゴキブリや蜘蛛や蟻などを害虫扱いしては、
他の生物と区別しているのは私達人間ですが
それは私達の心を持っての主観であって
その害悪を認めているのは私達の心の不快感です。
彼らもおそらくはこの社会のバランスを満たすための
一要員として存在しているのだと思います。
つまり全ての生命体は、調和を満たすための一角としての
其々の役割を与えられている存在で、
私達人間にとっては不要なもの忌まわしいものであっても
全てはこの社会の調和を実現し自然のバランスをとるために
そこに存在していることになります。
万物は創造主の意志に従って存在し
独自の奉仕をしていると言うことです。
そんなバランス含めて
創造主は万物を”創造”という過程を持って作り上げ、
勿論今ではそれは全てが法則に置き換えられていると思います。
進化と調和の過程を想定したときに
創造主はその空間で必要な進化を進めるために
必要な素材の全てを想定していたはずです。
勿論それは元素ばかりではなくて
ありとあらゆる法則含めてです。
個々の惑星にだってその影響は及んでいるのですし
それは太陽系に関しても同様です。
惑星は全てがその内部において生命体を維持できる空間になるような
進化の過程を送る事になるはずですし
生命体が進化し始めると
それに併せるように今度は元素の進化が
惑星内で起こっていると思います。
元素は単純なものから順に複雑なものへと
発達しているように思えますが
それだってまるで人間がそれを使用するための進化に併せて
生じているようにも思えます。
そんな元素をも利用して十分に進化を遂げた人間は、
今度は宇宙空間にもその行動を伸ばす事にもなります。
そしてそんな人間達が他の太陽系へも移動するようになった頃に
いずれは太陽系と惑星自体が崩壊の時期へと入る事になり、
その頃には別の太陽系が出来上がっていて
人間はそこへの移動も可能となっている。。。
少なくとも創造物の中で人間だけは惑星の崩壊とも無関係に
新天地へ肉体ごと移っていくことも可能です。
しかも宇宙は膨張し続けているのですから
私達が居住空間に困る事もないはずです。
これらの全てが当初から法則として用意されていた。。
パウロは、コリント人への手紙Ⅰの中で
神は世界の始まる前から知恵として持っていたものを与えてくれて、
パウロはそれを知恵として語っていると触れています。
アダムスキーは、創造主はこの社会を天国にするために
必要な材料は全て与えてくれているのだと語っていました。
私達この社会の人間はそんな創造主の法則を理解できないからこそ
そしてそれを感じようとしないからこそ
未だに真の進化もおぼつかず、
創造主の法則の波に乗ることも出来ず、他の太陽系の人間達に
置いてきぼりを食らってしまったような存在なのだと思います。
どうも私が記事を書いているときにリアルタイムで
脳の使用箇所を確認しては
其の箇所を特定の効果と理解して狙い撃ちするような行為も続いているようです。
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彼ら天使達はこの太陽系の歴史と共に進化しました。
創造主の法を理解した一方で、
宇宙空間へと飛び出していくことの出来る
科学力も同時に備えてです。
そしてそれに踏襲することを
私達の社会にも示してくれたはずです。
私達を真の進化へと導くきっかけとなりうるのは、
私達が宇宙意識に目覚めることであり
それを実現するために手っ取り早いのは
実は私達が宇宙空間に出ることです。
無重力でしかも地球の低い波動から逃れた私達は
そこで魂が開放されるからです。
宇宙飛行士が宇宙空間で体験する不思議な感覚は
言うまでもなくテレパシーです。
以心伝心で言葉にしなくても伝わるその意識。
彼らはその空間で意識を共有しているのです。
彼らは自分達の実態に気がついたはずです。
私達がそんな体験をするためにも、
更には私達の意識を地球社会の内部から
宇宙へと向けるためにも
私達は宇宙体験を持つことが重要かもしれません。
そしてそれを可能とするためには?
権力者達に宇宙船の製造技術を提示させて
そっくりそれを製造することかもしれません。
天使達が印を与えてくれないのであれば
私達が自らの手で宇宙船を作り上げて宇宙空間へと乗り込んでいく。
この社会を根底から変えるもう一つの手段があるとすれば
これだと思いますが兄弟姉妹と理解者はどのように感じていますか?。
この社会は悪い意味で安定しようとしています。
安定して見えても流れが止まり淀んだ水は腐るのです。
其の淀みを避けて新しい流れを作り上げてこそ
意識の改善は起こるのではないでしょうか。
私達だけは常に其の事を意識していきましょう。
【貴方に無限なる力の祝福がありますように】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
P。S.
満月が近いので兄弟姉妹と理解者は
この期間に一気に進化を果たしてください。
私達の魂の真価が表現される時期でもあります。
勿論私のように抑圧や妨害を受けることがなければです。
いずれは個々の人間に其々の審判の日がやってきて、
変わりたくない人間と進化した人間は
嫌でも住み分けを体験する事になります。
これも私達の過去からの生き方の清算でしょうし
今の魂の資質が決めることでもあると思います。
しかし今のままでは卒業へと進む人間はまだ僅かだと思います。
人口過剰だと言っている位なのですから
三分の一くらいの人間を卒業させてくれても
罰が当たらないと思いますが
闇政府の人間達は何を考えているのでしょうね。
広報が出来ない環境を強いられることで
この社会の多くの魂が淀んでしまう。
やるせない気分にもなります。
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