富士山【まるっと富士山】
(三合目)山頂 県境が消えた
■所有の本宮浅間大社、確定求める
山梨、静岡にまたがる富士山。その山頂に県境はない。
国土地理院の地図でも山頂を挟んで東西5キロ余りの間は、県境ラインが消えている。
どうしてなのか。東京・九段の国土地理院で調べた。最も古い1887(明治20)年測量の2万分の1の地図では、火口の北側に県境のラインが走っていた。3776メートルと最も高い剣が峰も静岡県内に入っていた。
9年後の1896(明治29)年の地図でも、県境は引かれていた。ただ、その次の1928(昭和3)年測量の修正版で、県境は消えた。
32年の間に何があったのか。
静岡県が1972年に作成した参考資料に「県境問題の変遷」が書かれた箇所があった。それによると、江戸時代から駿河と甲斐(かい)の国境争いは続いていたという。
資料には、明治29年の地図で示された県境ラインは「籠坂(かごさか)峠南方約400メートルの地点―小富士山北方約50メートルの地点―御胎内(おたいない)―富士山頂の線」と詳しく説明されていた。
そして、こんな文章が続いていた。「大正11(1922)年に疑義が出たため修正が加えられ、大正14(25)年7月、今日に及ぶ地図が発行された」
静岡県の担当者は「どこから疑義が出たかはわからない」と言う。
◇ ◇
富士山のように県境がない場所は国内に14カ所ある。最近では2008年、青森、秋田の間で十和田湖の県境が決まった。解決した理由は自治体の財政事情だ。湖面約61平方キロの所属が決まらないために、年間約6700万円の地方交付税がどちらにも入らず、宙に浮いていた。
富士山で県境を求める動きはないのか。「湖面と違って陸地は推計によって地方交付税は入っている。特に困る問題はない」。静岡、山梨両県の担当者はそう説明する。戦後の1951年、両県知事が話し合ったが、解決をみなかった。以来、表だった話し合いはない。
◇ ◇
そんな中、唯一境界の確定を求めているのが静岡県富士宮市にある富士山本宮浅間大社だ。全国に約1300ある浅間大社の総本宮。富士山の八合目より上の範囲の所有者でもある。
八合目以上は明治維新後、国有地に編入された。すると、大社は57年、古文書などの記載を根拠に無償譲渡を求めて国を提訴。74年の最高裁判決で所有権が認められた。
しかし、番地が定まらない。大社は2008年、静岡県知事に要望書を提出した。福井宏和・権禰宜(ごんねぎ)は「不便はないが、土地や建物の登記ができないというのもおかしな話」と言う。
古文書などによると、関ケ原の戦いを制した徳川家康は、戦勝を記念して現在の本殿や拝殿などを造営した。将軍職を秀忠に譲り、駿府城(静岡市)に入った後の1609年、八合目以上を境内として大社に寄進したという。山頂には今も大社の奥宮(おくみや)があり、火口は大内院(だいないいん)[幽宮(かくりのみや)]と呼ばれる。火口の底がちょうど八合目にあたる。
家康はなぜ、浅間大社を大切にしたのか。山麓(さんろく)にはこんな言い伝えが残る。
甲斐に攻め入った家康だったが、武田軍に攻められ、命からがら逃げ帰る。現在の富士宮市まで来た時、洞穴に逃げ込み、そこにいた修験者にかくまってもらって命を助けられる。
修験者は長谷川角行(かくぎょう)。富士山を信仰する集団・富士講の開祖だった。逃げ隠れた場所は「人穴(ひとあな)」と呼ばれている溶岩洞穴。世界文化遺産登録をめざす富士山の構成資産の一つだ。
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朝日新聞静岡総局
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