憲法と、
岐路に立つ憲法。その60年余を見つめ直します
【社会】何も進まぬ1年 政府に怒り 方針出して2013年6月22日 07時46分
東京電力福島第一原発事故の被災者を救うはずの「子ども・被災者支援法」が無力のまま、二十一日で成立してちょうど一年を迎えた。超党派の議員提出で、衆院、参院とも全会一致で可決したのに、政府は具体化のための基本方針さえ作らない。今月には復興庁担当者のツイッターでの暴言も明らかになった。同日、東京・永田町の参院議員会館に集まった被災者や支援者は、怒りと落胆の声を上げた。 (柏崎智子) 「成立した日は、革命が起きたかと思うほどうれしかった。これで私たちの生活が少しでも楽になる、苦しみがなくなると期待したが、変わらなかった」。福島県郡山市から札幌市へ自主避難している宍戸慈(ちか)さんは振り返った。 災害救助法の住宅支援があるだけで、生活は苦しい。その支援さえ、来年三月には打ち切られるかもしれない。 福島市から東京都練馬区へ母子避難している二瓶和子さんは、二人の子どもを別々の保育所へ預け、高い保育料を払いながら日中働き、夜も子どもたちが寝静まると内職する。支援法に期待し、国会議員や担当職員のいる集会で発言してきた。「何が大変ですかと聞かれ続けたが、大変さは改善しなかった」 浴びた放射線が将来どう影響するのか、未知の部分が多い。だからこそ、子ども・被災者支援法は、被災地にとどまることも、避難することも、避難先から再び帰ることも、すべて被災者自身の決定を尊重し、必要な支援をすると決めた。特に、経済的な苦しさの上、古里を捨てるような後ろめたさを抱えがちな自主避難者に希望を与えたが、一年かけて落胆に変わった。 宍戸さんは「もう期待していない、という声を聞く。とても気持ちは分かる。事故から二年たつ間に被災者の状況はどんどん変わる」と話す。 この日の集会には復興庁の担当者も出席したが、基本方針の決め方の見通しが語られることはなかった。 それでも「前に進むしかないと思っている」。郡山市から静岡県掛川市へ自主避難した長谷川克己さん(46)は、声を絞り出すように話した。身ごもった妻や子どもを守るために、仕事も地域の役員もやめて避難した。「被災当事者を交え、基本方針を協議する場を、定例でつくってほしい。今更だが、話を進めてほしい。それが私たちの希望であり、復興庁の誠意だ」 (東京新聞) PR情報
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