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集う/「18歳以上ママ未満」声を上げないと/日塔マキさん=福島県猪苗代町
 | 研究所が初めて開いたイベントカフェで参加者と談笑する日塔さん。放射能、健康、就活、お菓子と話題は尽きない=9日、福島市 |
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自主避難先での初仕事は原発メーカーとの打ち合わせだった。 「何かポップでキャッチーな復興イベントやりたいんだよね」 メーカーの担当者が軽口をたたく。 「そんなお金があるなら、福島の子どもたちを県外で保養させるとかに使ってよ」 心の中で突っ込んだ。 2011年暮れ。福島第1原発事故で首都圏に避難し、東京のイベント制作会社に職を求めた。 別の仕事で経済産業省に出向く。寒空の下、庁舎前にテントを張り、原発反対を叫ぶ人たちの前を通り過ぎた。 「何してるんだろう、私」 自己嫌悪になり、辞表を出した。 避難前は郡山市のコミュニティーFMのパーソナリティーを務めた。原発事故後はしばらく、おしゃべりと音楽に代わって避難所や給油、給水の情報を伝え続けた。 放射能が怖い。 東京のFM局を通じてアンパンマンから「みんな頑張って」とメッセージが届いた。局の被災地支援企画の一つだ。 「お願い。早く助けに来て」 本気で思った。 「気にしすぎても仕方ないよ」 そう言われると返す言葉がない。福島で暮らすことと不安を押し隠すことがイコールになった。 避難を決意したのは原発事故の9カ月後。番組内で明かすと、ブログに「行くなら黙って行け」とコメントが来た。 「被ばくした体に身ごもって大丈夫かな」「放射能が不安な私はおかしくないよね」 周囲の女子と話すと本音が出る。 原発事故に伴う母子への支援は医療費無料化や無料の各種検査があって手厚い。自分のような「18歳以上ママ未満」の独身は取り残されている。 「声を上げないと忘れられる」 12年秋、避難先を引き払って放射線量の低い猪苗代町に移り住み、12月に「女子の暮らしの研究所」を設立した。福島県在住、出身者の10代〜20代の女子約20人が集まる。 毎週火曜夜8時に始まる古巣のFM局の番組に出演して思いを語り、研究所のイベントをPRする。平たく言うと女子会トークだ。 5日のテーマはフェアトレード。途上国の農産物や製品を適正価格で買って支援する。 「カカオってどこで誰が作ってるか知ってる?」「うーん、南の方?」 メンバー2人がバレンタインデーのチョコレートの話題で、重いテーマをふわっと切り出す。 「農園で働く子の人身売買もあるんだよ」 最年長として話を締めた。 「福島の避難児童も寂しい思いをしてるが、この子たちは一生、家族に会えないかもしれない」 原発事故前は夜遊びに忙しく、興味がなかった。今は沖縄や広島、水俣のことも考える。 「そこには平和な暮らしがあったのに、と思うようになった」 結婚する気でいた彼がいたが、研究所の設立を機に別れた。「そういうのは金と心に余裕がある人がやるべきだ」と言われて踏ん切りがついた。 バレンタインチョコは大事な1人に送りたい。 多くの男性が裏方で研究所の運営を支える。 「大事な人が多すぎて選べない」 ことしは女子だけで食べよう。(若林雅人)
2013年02月14日木曜日
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