コラム:個人情報収集で露呈した米国「例外論」の限界
米国が自らまいた種でしっぺ返しにあっているのは、インターネット上だけではない。2008年の金融危機では、世界で最も優れた金融システムを備えているとする米国の主張に疑問符がついた。エンロン事件やリーマン・ショック、元ナスダック会長のバーナード・マドフ受刑者による巨額詐欺事件など数々の問題を引き起こしながら、自由市場経済は信頼できるなどと、どうして説くことができようか。
また米国は、他国に対し企業の腐敗根絶を呼びかけている。国内では、企業のロビイストたちに政策を誘導することを許しているにもかかわらずだ。もちろん米企業の腐敗は、発展途上国に比べれば断然低い。しかしそのことは、米国が世界に向けて崇高な目標を掲げたにもかかわらず、自らの行動が伴っていないという事実を帳消しにしてくれるわけではない。
そして忘れてはならないのが、人権問題だ。民主化や海外援助、国連決議など形はどうあれ、米国はさまざまな人権問題に関与している。そして、人権をめぐる米国の努力は、イラクのアブグレイブ刑務所やキューバのグアンタナモ米海軍基地、そして無人機攻撃といった問題がなければ、もっと容易に前進しているだろう。
これらはすべて、米国に根強い例外論がはらむ問題だ。冷戦が終結し世界で唯一の超大国となった時、例外論は有効だったかもしれないが、この15年で世界は様変わりした。その間、米国の例外論にほとんど変化はなかった。
それではいったいどうするべきなのか。まず米政府は、米国の価値観が唯一無二のものであるという考えを改めなくてはならない。外国の行動には、彼らなりの理由があって、金持ちばかりが豊かになるだけということもあり得るが、その国の発展レベルに見合った、われわれとは異なる仕組みや価値観がうまく作用するのかもしれないということを認めるべきだ。
さらに規範を逸脱したときには、それに対して真摯(しんし)に向き合わなくてはならない。透明性が高まることで国に変化が訪れるかもしれないが、それは問題ない。国民に情報がもたらされてこそ変革は起きるのだ。
米国は世界に自国の規範を求めれば、自ら逸脱したときにはひときわ目立つということを肝に銘じるべきだ。国民がより多くの情報に接すれば、米国の長所と短所についてより多様な解釈をするようになる。そして、政治家は米国の政策にそれを反映するようになるのではないだろうか。
(13日 ロイター)
*筆者は国際政治リスク分析を専門とするコンサルティング会社、ユーラシア・グループの社長。スタンフォード大学で博士号(政治学)取得後、フーバー研究所の研究員に最年少で就任。その後、コロンビア大学、東西研究所、ローレンス・リバモア国立研究所などを経て、現在に至る。全米でベストセラーとなった「The End of the Free Market」(邦訳は『自由市場の終焉 国家資本主義とどう闘うか』など著書多数。
*筆者はロイターのコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
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