Sociology I-5
 
(3)方法的相対主義(方法的関係主義)
   G ・ ジンメルは、個人も社会もそれ自体で存在する固定的実体ではなく、どちらも絶えざる相互作用と変化によって存在するものと考える。
  個人から社会を見るのでもなく、社会から個人を見るのでもない。個人と個人との 関係に社会の本質を見る。

*社会の中で最も「社会的」であるもの=個人と個人の心的相互作用
→社会は、個人と個人との間にある。

ジンメルの基本的意図 : 独立した特殊科学としての社会学を確立する。

ジンメルの第1世代への批判 : 総合社会学の無内容さ、個性の無視、など。

ジンメルの社会学=「形式社会学」
 人間関係の「内容」と「形式」を区別する。

  内容 : 相互作用する各人の意図や目的
  形式 : 相互作用のありかた。
(例) 経済競争・受験競争・恋愛での競争 → 競争には違いない。

幾何学の比喩 : 幾何学は、素材が何であれ純粋な形を測定する。

相互作用による社会の形成 : 社会化(Vergesellschaftung, sociation)
   社会化の形式(支配や闘争など)は狭い意味での社会(狭義の社会)と考えられる。
社会学は、この狭義の社会を扱うことで、他の社会科学(経済学や政治学など)と 区別される。

内容を扱う | 経済学、政治学など
形式を扱う | 形式(純粋)社会学
(純粋科学の試みの一例。他には、ケルゼンの純粋法学、シュンペーターの純粋経済学。
[居安正による。])

ジンメルの晩年の社会学体系(の計画)
1)一般社会学 --- 方法的社会主義に近いもの
2)純粋社会学(形式社会学)-- ジンメル独自の立場
3)哲学的社会学 ----- 社会・文化の本質論と変動論

*ジンメル社会学の意義
1)個人と社会との関係についての深い洞察
2)ミクロ社会学の祖
3)文化と歴史への洞察

社会学者としてのジンメルは、もっぱら1)と2)に関連して注目されてきた。

1)個人の個性と社会との関係
    =社会学の3つア・プリオリ(a pri-ori 先験性)(『社会学』1908)

【ア・プリオリ:先験性または先天性と訳される。 I ・ カントの言葉。人間が経験に先だって所有している認識の枠組。時間・空間など。】

*3つのア・プリオリ : 個人が他者と相互作用する際に、前もって所有している枠組
(1)一般的なもの
(2)社会外的なもの
(3)特殊的なもの →個人は社会に決定されない。また、社会は個人に決定されない。

(1)一般的なもの
  人間は、他者を或る一般的なカテゴリーにあてはめて認識する。 (exm. 教師、上司、父親など)
(2)社会外的なもの
   社会的役割から外れる部分が人間には必ずある。
「A氏は医者であるが、それだけではない」と人は考えることができる。
(3)特殊的なもの
  社会的現実は、各々「特殊な(独自な)」ものである。
「Bさんは、妻であるが妻一般ではなく、他ならないA氏の妻である」と人は考えることができる。

ウェーバーとの違い
   ウェーバー は思念された意味にもっぱら注目(社会的「行為」)
   ジンメルは客観的に妥当する意味も扱う(「相互」作用)

  ジンメルは、方法的個人主義者ではなく、方法的相対主義者である。(阿閉吉男)
そのうえで、彼は「個性」について洞察している。

2)ミクロ社会学の始祖

   後の20世紀の社会学(特にアメリカの)相互作用論やコミュニケーション論、 社会心理学に大きな影響を与えた。
   興味深いのは、人数や範囲の大きさによって相互作用の質が異なるという見解。
(例)「集団の量的被規定性」(『社会学』1908)
2人の相互作用と3人の相互作用とは違ってくる。 単に人数が一人増えることではない。
「全体」を意識。

3)独特の文化哲学(「生の哲学」 Lebensphilosophie)

生(Leben)と形式の弁証法
   =生は、常に自分を超えるものを自分のなかから産み出し、その自分を超えるものによってしか生たりえない。生は、形式を産み出し、形式によって拘束される。

生理的生=「より以上の生」(mehr Leben)
精神・文化=「生より以上」(mehr als Leben)=形式

生の自己疎外=生の産み出したものが生を左右する。(文化の悲劇)


ゲオルク・ジンメル(Georg Simmel) 1858〜1918 ドイツ

哲学者、社会学者。ユダヤ人であることと宗教的に自由かつ相対主義的な思想を持っていたことでベルリン大学の正教授になれず、永く「私講師」にとどまった。フランスのアンリ・ベルグソンとともに「生の哲学」(Lebensphilosophie)の代表とされる。彼の「形式社会学」は、アメリカなどのミクロ社会学に大きな影響を与えた。体系的な著作は少なく、存命中は豊かな経験的事例を縦横に駆使した魅力的な講義と多彩な評論活動で知られた。晩年になって(当時の)国境近くにあるフライブルク大学教授に迎えられるが、第一次大戦の砲声を聞きながら永眠。

著書:『貨幣の哲学』(唯一の書き下ろし)、『社会学』(論集)、『社会学の根本問題』(晩年の小著)、『カントとゲーテ』、『芸術哲学』(論集)、など。

 


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