なぜ失言・暴言が多発するのか。そのメカニズムを解明する!

新井克弥

2013年06月19日 23:36

政治家やタレントといったセレブたちの失言・暴言が多発している。水野靖久復興庁参事、川越達也シェフ、高市早苗衆議院議員、乙武洋匡、橋下徹大阪市長など、ここ数週間だけでもメディアの多くが「失言・暴言ネタ」を中心に賑わっているという状態だ。なぜ、こんなに失言・暴言が多発するのだろう?メディアを賑わすこういったセレブな人間たちは礼節を失ったのか……いや、必ずしもそんなふうに決めつけることはできないだろう。

僕はこれを「重層決定的なメディア・イベント」と捉えている。二つともメディア論で使われることばゆえ、ちょっとややこしいのだが、この二つの概念を紐解くかたちで、今回はこの「失言・暴言多発」の原因について考えてみよう。

マスコミが事件を起こす

「犬が人に噛みついても事件にはならないが、人が犬に噛みつくと事件になる」という有名なことばがある。事件というのは、それを「事件」として取り上げるから事件になるということのたとえだ。もう少しはっきりいってしまえば「マスコミが取り上げない事件は事件でない」(たとえば、一般人が万引きをして捕まったとしても、それはただの「万引き」。だからほとんど報道されることはないゆえ、事件ではない。だが芸能人が万引きすれば、それは事件だ)。言い換えれば「マスコミが事件を作る」「ねつ造する」ということになる。これがメディア・イベントだ(これをやたらにやって「ウジテレビ」と嫌われたのがフジテレビだった)。

マスコミの報道姿勢は、名目上は「公共に益する」ことにある。つまり、大衆に「知る権利」を共有させようとする。ただし、実質的には業績原理、つまり「カネ儲け」が最優先事項になっている。言い換えれば、視聴率や発行部数が稼げれば、それでよいいという立場だ。ただし、この立場がマスコミでは無意識のうちに展開されてしまっている(自覚していたら、こんなこと、おおっぴらにはやれないだろう。つまりマスコミは「無知の知」を知らない)。だから怖いし、だからこそ「マスゴミ」と呼ばれてしまうのだけれども。

で、こういった報道姿勢=伝える身体に基づけば、注目すべきは原則、興味本位のスキャンダラスなものになる。だからこそ「人が犬に噛みつく」といった通常とは逆の事態が、そのキャッチーさで興味関心を惹きつけやすいゆえ、これをおおっぴらに報道されてしまうということになる。そして、その際、受け手にとってネタが、自分より優位に立つ者に対するジェラシーをルサンチマン的に晴らすものであれば、いっそう魅力的ということにもなる。

で、無意識のうちに業績原理が最優先されるので、それが事実であるとか報道する必要があるのかということは二の次になる。マスコミの人間の身体が業績原理に向かって勝手に作動してしまうのだ。つまり「セレブが犬を噛んだ事件」を報道しようとする。

様々な要因が折り重なる

そして近年、マスコミはこの身体化された業績原理至上主義のメカニズムにさらに拍車がかかっている。インターネットの普及による視聴率の低下、発行部数の減少という事態がマスコミに危機感を抱かせるようになり、なりふり構わぬ行動に出始めているからだ。ということは、こういったニーズに応えるものならなんでも取り上げてしまえ!ということになる。しかも、マスコミはジリ貧なためカネがない。だから、この思いはより強い。

そんなとき実にお手軽なメディアが現れた。それは何か?なんと、それは自らの足場を揺るがせているインターネットだ。とりわけブログやSNSはその格好のターゲット。関連事項をちょっとググればネタになりそうな情報=データが次々と引っかかってくる。しかも興味本位でスキャンダラスなそれが。しかも、オイシイことにセレブのそれが。

Twitterはその典型だ。SNSはものすごい勢いで広がりを見せているといっても、まだまだその利用方法については勃興期の域を出てはいない。つまり、その使い方がよくわかっていない。それは、たとえば若年層がTwitterの公共性とプライベート性を勘違いしてTwitterの「バカ発見器」機能に引っかかってしまうというのが典型だ。いやいや、大人の側とて、この使い方がよくわかっているとは言いがたい。つまりTwitterリテラシーは全般的にきわめて低い。で、ジェラシーの対象となるセレブたちがTwitterで、本来ならプライベートな空間でしかすることのない発言をつい書き込んでしまう。すると「カネのない」「溺れる者は藁をも掴む」マスコミがこれに飛びつく。そして、これを一気に魔女狩りのごとく糾弾するように報道してしまうのだ。しかも、その文脈を斟酌することなく、言葉尻だけを取り上げて、あたかもそれがセレブたちのとんでもない発言のように演出してしまう。これで失言・暴言の一丁上がりというわけだ。

ブログも同様だ。たとえば、ほしのあきが自らのブログのなかでペニーオークションを使って格安商品を落札したという「偽情報」を流した事件。これはペニオク主催者がほしのの知り合いで、たまたまこれに協力したために起こったこと。これまた、ほしのあきが公共空間とプライベート空間の区別がつかなかったこと(つまり友達の仕事に協力するというプライベートな行為をブログというパブリックな空間に持ち込んでしまった)、そしてセレブがブログを使う際の注意事項を怠ったがゆえに(まあ常識がないということでもあるのだけれど)やってしまったこと。だが、これもマスコミはメディア・イベントとして取り上げるには格好のネタ。つまり「人が犬を噛む。しかもその人物が有名人である」ゆえ、鬼の首を取ったかのようにこれを取り上げる。そして同様のバッシングが次々と続いた。マスコミは報道のやり方としても、経費の面としても、実にお手軽なビジネス・モデルをインターネットの中に見いだしたのだ。だから、こういった失言・暴言はことさらに取り上げられるようになった。そう、これが重層決定、つまり様々な要因が結びついて起きた「セレブにおける失言・暴言」の多発といった事態に他ならない。

で、実際のところ、かつての人間に比べれば、こういったメディアで取り上げられる人物たちの失言・暴言は本当に増加したのか?と問われれば、それは「否」だろう。増えてもいないし、減ってもいない。だが、様々な要因によって「多発」といったメディア・イベントが作られたのだ。あるいは「多発するもの」として演出されたのだ。要するに、業績原理に基づいて、どんどんと失言・暴言が量産されていったのだ。セレブ本人の意図とは関わりなく。

失言・暴言を批判したり同情したりしている場合ではない 僕らとしてはこういった失言・暴言問題は、そろそろ相対化すべき、つまりこういったマスコミ報道へのメディア・リテラシーを上昇させてもよい頃なのではないだろうかと考える。これら「失言・暴言」に怒ったり、同情したりするのではなく(これじゃあ、いずれにしても、マスコミというお釈迦様の手のひらで舞っているだけだ)、これらがいわばメディア上で演出された「重層決定によるメディア・イベント」でしかないと悟ること、言い換えれば「マスゴミによるマッチポンプ」と諒解し、そこから報道されている情報それ自体よりも、その伝達形式を冷静に抜き取ること。そしてこの形式を飼い慣らしてしまうこと。こういったスタンスを多くの人間が共有したとき、マスコミはマスゴミであることをやめなければならないとろこにまで追い詰められるはずだ。そういった公共空間を作る役割を担うのは、ひょっとしたらインターネット空間なのかもしれないが……。

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メディア論、記号論を武器に、政治経済から風俗まで分析。

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