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北方人のお荷物
第三話  アンスヘイムの村
 船が進むにつれて視界が晴れ、そこが西に湾口を向けた小さなフィヨルドの入り口であることが見てとれた。ヴァイキングたちは再び甲板にマストを立てはじめていた。

 アルノルに促されて、ほかに四人の男たちとともにロープについた。船尾方向から声を掛け合いながらロープを引き、帆桁ヤードをマストの途中まで上げる。そこでロープを巧妙に操作して、帆にかかる風圧を受け流すようにヤードを船体の軸に対して斜めに(マスト横の支索に触れないぎりぎりまで)回す。初めての作業に掌の皮がもっていかれそうになる。

 アルノルが帆をまとめるロープを一気に引いて解くと、帆脚を船に固定するための各種ロープとともに、帆はすさまじい音を立てて甲板へ向かって落ちた。そこへ後方からの風を受けて帆が膨らむと同時に、一気にヤードをマスト上部の定位置まで引き上げる。
 まるで大砲のような破裂音とともに、その手織りの重く巨大な布は、後世の板金鎧の胸当てのようなカーブを描いて固く張り詰め、船に推進力を与えた。いまやオールは役目を終えて甲板に引き上げられ、船は順風に乗って湾の奥へと優雅に進んでいくところだった。

 海岸が近づくにつれ男たちの表情から緊張が取れ、船上を軽口や哄笑、鼻歌が飛び交っている。おそらくこの場所が彼らの本拠地、我が家のあるところなのだろう。
 その推測を裏付けるように、やがて船が水路に沿って大きく進路を変え、風を岩山がさえぎる形になるにつれ、あたりの空気には潮風と針葉樹のヤニの香りに混ざって、木を燃やす煙の匂いと雑多な食べ物の匂いが漂い始めた。

「Ansheim!」
マストに上った男がそう叫んだようだった。またどっと歓声が上がる。進路にはフィヨルドを囲む急峻な山のすそに、張り付くように広がる集落が見えた。


 太古に氷河が削り取った地形らしく、彼らの「港」は遠浅で、ごく喫水の浅い船でなければ接岸することが出来ないものだ。船はそこへ軽やかに乗り上げ、男たちは帆をたたむ役目の者を数人残して、待ちわびたように船べりを越え、ひざ下までの水の中にためらいも見せずに降り立っていった。
 集落からは大勢の人間が歓声を上げながら港へ小走りでやってくる。老人と子供、女、それに何人かの、何らかの理由でこの航海に参加しなかった男たち。

 船の甲板となって船倉を覆っていた板が何枚か取り外され、そこに収められていた積荷が陸揚げされた。穀物らしい布袋や太い柱のように巻かれた色鮮やかな布、装飾された刀剣、貴重品を納めたものらしい重そうな箱などが見て取れる。集まった住民たちは手に手にそれらの財物を携えて、集落へ向かい始めた。
 分配はもっぱらホルガーが指図して行っているようだ。彼はまだ年若く見えるが、おそらくはこの村における実力者であり族長なのだろう。

(どうやら掠奪の帰りらしいな)
俺はそこで自分の身の上について不安を覚えた。ヴァイキングの掠奪においては捕虜を奴隷として連れ帰る事例が多い。俺は捕虜ではないはずだが、扱いとしては難船者や漂流者に近い物になるに違いない。彼らはいったい、そういう不慮の事態で自分の保護下に入った人間に対してどういう扱いをするのだろうか。


 あまり明るくない見通しにひとしきり頭を煩わせていると、船を桟橋に舫い終えたホルガーが、野太い声で俺を呼んだ。
「トール!」

 手首や腰に縄をつけられないだけ、まだ希望的観測がもてるかもしれないが、言葉が通じないのはなんとも微妙な気分だった。彼は手招きや背後に回っての小突きで俺をどこか特定の方向へ向かわせようとしている。

 その方向を見やると、まだ子供っぽさを残した顔立ちの娘が一人、各々の住居へと戦利品を持って戻る人の流れからやや離れて立っていた。

「フリーダ!」
ホルガーがその娘に呼びかけた。親しげな様子から見るに、血族の一人なのだろう。
「Hver er mathurinn?」
フリーダはなにやら咎めるようないぶかしげな様子で、ホルガーに話しかけた。尻上がりのイントネーションから考えると、何か問いただしているようだ。不機嫌な甲高いトーンでフリーダがひとしきりまくし立てると、ホルガーは決然とした表情でフリーダに告げた。
「E'g to'k upp Dhetta stra'kur methan a' ferth.Dhessi mathur er ekki Dhraell」

 それを聞いたフリーダの表情には明らかな落胆が浮かんだが、続けてホルガーが何事かしばらく優しげな口調で諭すといくらか気を取り直したようだ。

 フリーダを先頭に、なにやら大きな荷物――おそらくフリーダの力では運べない物――を肩に担いだホルガー、そして俺、という列になって、半割りにされた丸太で舗装された通りを、やや奥まった場所にある古びた家へと向かう。
「インゴルフ!」
ホルガーが戸口から家の中へ呼びかけるとすぐに応答があった。
「ホルガー?」

 頭のつっかえそうな低い戸口をくぐって屋内に入ると、広々とした長方形の土間の中央にむき出しの囲炉裏のような平炉があり、その前はにいずれも木製の、簡素なテーブルと精緻な彫刻の施されたずっしりとした椅子がすえられていた。

 椅子に腰掛けていたのは見たところ盛りを過ぎた年齢の、しかし岩のような印象を与える長身の男だった。彼がインゴルフなのだろう。膝の上に据えた黒光りのする硬材の塊に、手にしたノミのような刃物で丹念に加工を施している。

 テーブルに作りかけの作品と道具を置くと、静かに立ち上がって訪問者へ近づくと、感極まった様子でホルガーと抱擁を交わした。二人のよく似た声が悦ばしげな会話を笑い声で彩る様子に、自然と俺も口元に笑みを浮かべたが――おそらく7時間近く飲まず食わずで放置された俺の腹が、空腹を訴えて盛大に鳴り響いた。



 幸いなことにインゴルフもフリーダも、同じ屋根の下にいる人間を絶食のまま放っておくほど無情な人間ではなかったようだ。土間から一段高くなった床に席を与えられ、しばらくするとフリーダが何かの肉の入ったスープと麦の粥のようなものを俺の膝の前に運んできた。

(食っても?)
そんなニュアンスを目に浮かべて――意図どおりの表情になっていることを祈りながら、膝の前の食物を指差し、ホルガーとインゴルフの顔色を伺うと、二人は鷹揚な笑みを浮かべてうなずいて見せた。

 どうも羊肉らしい。独特のにおいがやや鼻についたが、喉に通らないほどのことではない。何より、この数ヶ月しだいに乏しくなる貯えに戦々恐々としながら、切り詰めた食生活を営んできた身としては――
(美味い!)
カップラーメンでさえ定価では贅沢に感じる、そんな生活を想像してみて欲しい。だが俺の目の前には今、子供の握りこぶしほどもある骨付き肉の塊がいくつも、氷山よろしく水面からごく一部を覗かせている。
 若い娘の目の前であることもほとんど念頭になく、俺はその食事を貪り食った。舌の上で溶けた獣脂がねっとりと転がり、香草と塩で程よく味付けられたスープが喉を滑り落ちる快感に身をゆだねた。粥には何か乳製品が加えられているらしく濃厚な味だが、繊維質の多い穀物でそれほどしつこさが無い。

(これは幾らでも食えるなあ……幸せーッ!)
空になった木椀を差出しお代わりのリクエストを身振りで伝えると、フリーダがあきれた顔で俺を凝視したが、肩をすくめるともう一杯持ってきてくれた。


 どうやら俺の立場は奴隷ではなさそうだが、この家には男手が足りないようだし、十分な食事がこうやって出るようなら家事労働に精を出してもいいなと思う。
(あとは……言葉を覚える機会があればいいんだが)
そんなことを考えているうちに、疲れと満腹感で俺はそのままその場に体を投げ出し、平炉の熱を心地よく感じながら眠りに落ちていた。
 資料のリサーチで少し間が開いてしまいました。また出来るだけ速く投稿したいと思います。
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