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海に出るつもりは無かった
第12話  恋と侠気と遺失物
「これで最後か?」
「ああ、落とすなよトール。貴重な商品らしいからな」
セイウチの脂を収めた甕を両手で抱え、船まで運ぶ簡単なお仕事。相変わらずここの生活は労働がハードだ。
 蓋をして割れないように木枠に収め、羊毛屑を詰め込んだ袋で隙間を埋める。さすがにロングシップにこれは載らないのでクナルに積むのだが、乾舷の高さが災いしてひどく骨が折れる。甕一つ20kgはあるだろうか。

 船団は午前やや遅くに、雪と氷の上に前日の殺戮の痕跡をわずかに残して、島を後にした。船倉にはセイウチの牙と皮や肉、甕に収めた脂が限度まで積み込まれ、船は水中に足を深く入れて、動きが鈍重になっている。風は北東から穏やかに吹き、船団は帆を左舷開きにして帰路をたどった。
「行きとはうって変わった、楽な航海だな」
舷縁にもたれて海を見ていた俺の隣に、ヨルグが歩いてきてそう言った。
「違いない。村までこの調子で願いたいね」
俺はヨルグのほうを向かないまま答えた。まだちょっと、視線を合わせて話すのは抵抗がある。
 それに、この変化にとんだ雲の表情と、次々に現れては消える名もない小島の姿は見ていて飽きない。俺は新幹線に乗っていても、窓の外をずっと眺めていたいタイプだ。

 ヨルグがふうっ、と長く息を吐いた。

 その響きに、俺はケイコと一緒にいて話題が途切れたときのことを思い出した。あの時は何回目かのデートの途中だった。俺は彼女をさらに次のステップへ誘おうとして、きっかけがつかめずにいた。それでつい胸のうちの言葉にならない言葉と、やり場のない衝動を、吐息とともに吐き出していたのだ。

 そうか。なるほどこいつも何か、切り出しづらいことを抱えているらしい。

「ヨルグ、俺がフリーダと一緒に一冬暮らして、何かなかったか気になるのか?」
隣でヨルグが息を呑むのを感じた。視界の端に、右腰の何かに触れようとして固まった手も見えた。刃物沙汰は勘弁してくれよ。
「落ち着け。いいか、俺は30歳だ。俺の国じゃ18歳以下の女に手を触れれば牢に繋がれるし、年が半分以下の女に手出しをすれば、親類縁者や仲間から犯罪者呼ばわりされる。
……フリーダは今いくつだ?」
「お、俺は別にその」
「ヨルグ」
苦労しつつ、語気に有無を言わせぬ感じを込める。

「……フリーダは14歳だ」

 うむ、アウト。だがそれはあくまで21世紀の常識と法律に照らしての話だ。彼らにとっては性的に成熟したら、さっさと収まるところに収まるのが自然なのだろう。

「安心しろ。俺は子供には手を出さない。それに俺は今のところホルガーの客でインゴルフの居候だ。土地もないし家産もない。嫁を取るような立場じゃない」
「そ、そうか」
なにやらひどくほっとした表情になるヨルグを見て、俺は意地悪く付けたしたくなった。「ああ、だがフリーダは実際、可愛いし頭もいい。働き者だ。あの子が18にもなったら名乗りを上げてもいいな」
「何だと!」
顔を真っ赤にするヨルグをみて、俺は噴出しそうになるのをこらえた。

「俺にはまだぼんやりとだが、ここでやりたい事ができた。それを実現するときにはきっと、自分の家や土地を手にしてるだろう」
ヨルグはきょとんとして俺を見ていた。
「お前も戦士として、ひとかどの男になるんだろう?お互いなりたい自分になれたら、どちらがフリーダを迎えられるか、堂々と競い合おうじゃないか」

 だからそれまでは、サカリの時期の猫やカラスがするように、意中の女に近づく男に見境なく敵意を向ける、そんな安いまねはするな。異邦人に囲まれて戸惑っている、俺のような浮き草の境涯にいる男に、余計な重荷を負わせないでくれ。そんな思いが喉まで出掛かるが、それは言葉にせずに飲み込んだ。

「いいだろう。だがフリーダは渡さないぜ」
率直過ぎる物言いに、少年らしさがにじむ。
「まあ、抜け駆けはあり、闇討ちはなし、といこうじゃないか」
俺たちは敵愾心と老婆心というちぐはぐな剣を携えて、荒っぽい握手を交わした。

 OK、こんなものでいいだろう。よそ者への排他的感情とフリーダへの幼く乱暴な恋情を、ヨルグが自分を磨いていくためのモチベーションに摩り替えてやれたなら、言うことなしだ。

 まあ、俺はそれ程フリーダに焦がれてるわけじゃない。あの娘は今のところ俺から見れば、近くにいるとちょっとドキドキする妹ってところだ。アストリッドみたいなタイプのほうが寧ろストライクゾーンぴったりだと思う。
 昨晩の夢の中に出てきたあの黒髪の娘が、磨き上げられたセイウチの牙をどんな風に扱ったか。思い出しただけで――いや、待て待て。本人が5mかそこらの場所にいるのに。



 不埒な妄想は、伴走する鎖蛇号からあがったざわめきに中断された。何人かが立ち上がって左舷後方を指差し、口々に何事か叫んでいる。

「船だ!」
「どこだ? あれか?」
「何だあれは?」「船だろ」
「どこの」
「クナルじゃないぞ」

 いったい何だろう。どうやら船が見えるらしい。

 舷縁ごしに目を凝らすと、ようやく俺にもそれが目に入った。テーブル状に海から突き出た岩と周囲に堆積した砂利からなる、伏せた山高帽のような小島。その浜に乗り上げて黒い船体をさらしている、マストの折れたロングシップ。

――難破船だ。

「こんなところで難破船とは、よもや誰も予測すまいな」
 オウッタルはこの意外な事態に、少なからず戸惑っているようだった。

「ノースの慣習には詳しくないが、ああいうものを見つけたらどうするんだ?」

「その時次第です。これが往路なら、不吉とみなして引き返しても、船長は臆病とはされない。拠点の近くに流れ着いたものなら、当然、迷い鯨と同様に扱う。利用できる限りの船材や備品は回収されるでしょう。しかし……これはなんとも」
船員たちも不安げにしていた。彼らの中にある迷信的な心情を刺激されるのだろう。出来るならば速やかにこの場所を離れてしまいたい。そんな様子だ。
 鎖蛇号のほうも同様の雰囲気だが、何がしかの遺留物があるのではないかと期待する声もあるようだった。切れ切れにそんな単語が聞こえてくる。

「トールの国ではこういう場合、どうするのです?」
オウッタルはあろう事か俺に振ってきた。なんとなく、山道に放置された不気味な廃自動車を思い浮かべる。その一方で、時々報道されていた「竹やぶから一億円!」というようなニュースも思い出された。

「俺のじだ……国では」言い間違えかけて、あわてて訂正する。
「誰のものかわからない荷物が道に落ちていたら、役人に届ける。立会いの下で持ち主の手がかりを探し、記録をつけて、探しにくる者を待つ。届けたものが望めば、謝礼として一割前後が譲られる掟がある」
「ほうほう、ずいぶんと治安がいいのですな」
そりゃまあ、世界でも類を見ない治安と民度を誇る国家ですし。

「……山の中や海岸に、持ち主の分からない船や荷車があれば、まず犯罪を疑う。襲撃や謀殺だ。遺体の、あるいはその痕跡の有無が調べられ、目撃者が探される。何か遺留物があれば証拠としての扱いが優先だ。状況や物品が示す事件の全体像をつじつまの合うように組み立てたら、犯人を捜して捕らえ、裁判にかける」

「……なるほど」
「基本的に、所有権を原状に回復し、行われるべき正義を明らかにして遂行するのが、俺の国のやり方だったな」
「いや、なかなか参考になります。商人の私としてもね」
オウッタルは少し考えた後、船員たちに件の難破船を検分すると告げた。


 後世の大型帆船なら、ボートを吊りだし上陸隊を派遣する心細い段取りになったことだろう。だがヴァイキングの船はこういうときに機動力があるのが強みだ。喫水の浅いロングシップが先導して、難破船へ近づいていく。最短距離で向かうには逆風になるため、特に川獺号はまず大きく下手したてに廻したあと帆の下端をベイタスと呼ばれる円材で突っ張り、風上方向への斜め走行を行った。

 近づくにつれて、船がつい最近打ち上げられたであろう事が、誰の目にも明らかになってきた。形はロングシップ、というよりオウッタルの意見では、ふた昔ほど前に試されたロングシップと交易船両方に使えるタイプのものらしい。
 結局普及せず、特に名前はないのだそうだがクナルに比べるとオールがやや多目のものだ。船内はすべて板で覆われ、船倉をじかに見ることは出来ない。他にも、帆が失われていること、オールが流失もしくはもともと装備されていない状態で漂流したことが推測された。

 上陸して近づいていくと、船首部の舷縁からロープが一本たれているのが目に付いた。
「もやい綱が切られているな」
先頭に立っていたホルガーが眉をしかめてそういった。何か厄介ごとの気配が漂ってきたと言いたげに、部下たちを振り返る。

「船を調べろ。何一つ見落とすな。銅貨一枚でも無断で懐に入れたやつは、見つけ次第首をはねる」

 鎖蛇号からアルノルとロルフ、それに他7名ほどと、川獺号からは俺とヨルグ、オウッタル本人、それにマチルダが船に上がった。
「このメンバーではホルガーも首をはねるわけには行かんのじゃないか」
と、アルノルが相変わらずの調子でつぶやく。
「私は難破船で銅貨を懐に入れたりしませんよ」
「そりゃオウッタルさんはなあ。サラセンの金貨を落としても気づかないんじゃないか、多すぎて」
「気づきますよ。何枚だろうと落とせばチャリンと鳴る」

「シッ」
不意にマチルダが唇に指を当て、沈黙を促した。首をかしげてかすかな音を逃すまいと集中している様子だ。
「何か音がした。甲板の下みたい」
一同が顔を見合わせる
「板をはがせ!」
はじけたように全員が甲板を駆け回り始めた。

 船倉入り口が特定され、板がはがされる。松明では船を燃やしてしまうので、脂を入れた半球形の皿に取っ手を付けた、小ぶりなランプが持ち込まれた。大人の膝ほどの高さの船倉の奥、ランプの明かりによって照らし出され、一層おどろおどろしく強調された影の中に確かに何かが存在していた。

「誰かいるのか!」
 瞬間、そいつと俺の目が合う。白く細い腕。擦り傷だらけの足と栗色の長い髪を持つそれは、包まった古い毛皮の山の中から絶望の悲鳴を上げたのだ。


「いやあああああ! 来ないで! 人殺し!」


  
新キャラ登場……そろそろ物語が本格的に動き始めます。
難破船の中にいたどうやら少女らしき人物は何者なのか、なぜこんなところに流れ着いているのか。

次回もご期待ください。
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