港への集合は昼前。
俺もインゴルフに借りた装備を身につけ、海へのなだらかなスロープを下る。辺りにはまだ雪が深く積もっていて、木材で舗装された港までの道は形ばかり除雪されている。
踏み固められた部分はすこし溶けて滑りやすいので、俺は一度家に戻り、21世紀から持ってきた革靴を、底に毛皮を張ったサーミ風の靴に履き替えてきていた。ホッキョクグマの足の裏と同じ原理で滑りにくく、歩きやすい。一歩ごとに斧の重みが腰にずっしりと感じられるが、その代わりになんともいえない心強さがある。
港には、セイウチ狩りに参加するメンバーが、三々五々と集まってきていた。いつぞやの船上でのメンバーとは若干顔ぶれが違う。そのうちの一人、オーラブと言う名の男がひときわ目を引いた。ヴァイキングたちは押しなべて巨漢ぞろいだが、この男はその中でも頭ひとつは確実にぬきんでている。目測で2m近いだろう。腕が長く指先が膝のすれすれまで届いているのが見えた。
(劉備かよ)
思わず、絶対に自分にしか通じない突込みを脳内で入れる。あのリーチなら何を振り回しても常人を圧倒できそうだ。
(村の投槍チャンピオンと言った所かな)
他にもざっと7人ほど、似たような長身でリーチのある男たちが最前列に並んでいる。
「全員そろったか。いずれ劣らぬ長い手の男たちよ」
ホルガーが良く通る声で朗々と呼びかけた。
「季節外れの狩だが、商人オウッタルは気前のいい男だ。雄セイウチの長い牙は別として、雌の短い牙は半分を我らの取り分と定め、さらに良質の帆布一枚を譲ると約束してくれたのは知っての通り」
オウッタルは言葉を切って、港のほうへ頭をめぐらせた。波打ち際の浅瀬に、ロングシップがこともなげな風に乗り上げ、黒いシルエットになって見える。
「見ての通り、今俺たちの村にはクナルが無い!昨夏の航海で突風にやられ、暗礁に突っ込んで木っ端微塵になったのは忘れもせん。エギル神のお恵みで死人は出さずに済んだが、おかげで秋の終わりまでこせこせと、鎖蛇号一隻で掠奪に出る羽目になった」
「仕方あるまい、あの腐れニシンときたら村を拓いて以来の婆さん船だったじゃないか」
アルノルが聞こえよがしの声で軽口を叩き、一同がどっと沸いた。
「……まあそれはいい。とにかく、セイウチを一頭でも多く仕留めるのだ。クナルを新調すればこの夏はヘーゼビューで大きな商いが出来る。準備が出来たものから乗り込め!」
いやあ、ポジティブだなあ。高度成長期の経営者ってあんな感じだったのかね。
陽気なざわめきの中、荒いつくりの桟橋の上を、彼らはそれぞれ同じ大きさの箱を抱えて船へと歩いていく。ロングシップで櫂走する時に彼らの座席となるチェスト(船箪笥)で、私物はこの中に入れるのだ。後から食料や飲料水代わりのエールなどを運んで、留守を守るメンバーが列を成してついていく。
俺はホルガーに手短に挨拶を済ませると、すこし沖合いに停泊したクナルへ向かう、手漕ぎボートのところへ移動した。
ボートには先客がいた。両手持ちの長い戦闘用斧を携えた若い男だ。確かヨルグとか言ったか。髭がまだ薄くまばらなところを見ると10代ぐらいの若者のようだ。
「トール、来たか」
「ヨルグ、だったかな。あんたもオウッタルの船に乗るのか」
ヨルグはじろりとこちらを睨みつけた。
「あんたの監視だ」
なんだと?どういう意味だ。
(フリーダと同じ屋根の下でこいつが……)そうつぶやいているのが聞こえる。
うわ、大体分かった。分かったけど面倒くせえ。年齢も近いし、彼女の美貌は見まがうべくも無いので恋慕するのは分かる。だが、あの家で力仕事を手伝わされている俺に、何かちょっかいを出そうというならフリーダにはむしろ嫌われるし、そのいざこざにはホルガーも巻き込むことになる。
その重大さが分からない程度には、こいつは子供なのだ。
「お待たせしました。おや、こちらの若き戦士も川獺号へ?」
豪奢なマントが雪道に濡れるのを気にする風でもなく、オウッタルが鹿のように優雅な足取りでボートへやってきた。さすがにヨルグとのにらみ合いは中断する。いいタイミングで来てくれたものだ。
「俺は荒事が得意ではないので、危険があるときは彼が守ってくれるそうです」
わざとでたらめを言う。まさか仮想恋敵の監視に来ているとは、ヨルグも自分からはいえまい。
「なるほど。両手斧は手練れの武器ですからね。私の随員はすでに乗り込み終わってます、参りましょうか」
4人漕ぎのボートはフィヨルドの静かな水面を、ゆったりと進んだ。クナルはロングシップに比べてぷっくりと膨らんだ船体をしていて、乾舷が高い。そのふくよかな曲線をもつ姿が三隻並ぶ様は、商人の持つ富の一端を鮮やかなまでに誇示していた。
「手前の、舷側に巻いて輪にした魚網をつけているのが川獺号。奥の一回り大きな、船べりを赤く塗った船が女傑号、その隣のややほっそりした船が、海燕号です」
どれも見事な船だ。クナルの曲線はしばしば女人の豊満な胸になぞらえられる。今なら納得できた。
「たいした船団だ。だが、はぐれたりしないのか?」
「そうならないためにこの村へ立ち寄ったのです。一昨日は風が南から強く吹いて難儀しましたからね」
「なるほど」
静まり返った水面に風が吹き渡り、皺立った水面に雪が舞う。どこか風上の高所から吹き寄せられてきたその結晶は、帆影の落ちた水面の黒さにひときわ白く輝いて見えた。
ゴツン、と舳先がクナルの腹をこすり、船上からオウッタルの船員たちが手を伸ばして、俺たち三人を川獺号の上に引き上げた。
「ご苦労、ではボートを村に返して、お前たちは残り二隻に戻るのだ。もし二週間たっても我らが戻らぬときは、先にヘーゼビューに向かうように」
「かしこまりました」
オウッタルがてきぱきと指示を与え、漕ぎ手たちはまた港へと取って返していく。
初めて見るクナルの船上は、ロングシップとは大いに異なっていた。マストを中心にした中央部には甲板が無く、大きくくぼんだ船倉になっていて、肋材と外板が見えている。目下その船倉は大きく空けられていて、船首から船尾へは三本ほどの渡り板で連絡しているのだった。
こちらへどうぞ、とオウッタルが俺たちを船尾へ招いた。そこには小ぢんまりとして暖かそうなキャビンが木材と毛織物で丁寧に設えられており、若い女が二人控えていた。
驚くことにその女たちは男同様に武装しており、目の細かい鎖鎧となめした革の具足をつけていた。髪を長く伸ばし、磨いた銅の髪留めで肩の後ろにまとめている。
二人とも思わず見る者が理性を失うほどの美女だ。現にヨルグは顔を真っ赤に染め、喉を詰まらせたようにモゴモゴとなにか呟いているが、まるで言葉になっていない。
「ご遠慮なく、くつろいでください。彼女たちは奴隷です。度の過ぎた乱暴は困りますが言いつければ何でもお望みのままですよ」
ヨルグはもう卒倒しそうだった。
さすがに船員たちの目も気になるので、俺たちは過度のサービスについては辞退したが、蜂蜜酒や遠く南国のワインなどを、角杯の乾くまもなく振舞われてずいぶんといい気持ちになった。黒髪で顔立ちが幼く見えるほうがアストリッド、鮮やかな赤毛で落ち着いた雰囲気の娘がマチルダと言うらしい。
半袖の鎖鎧から突き出した彼女たちの腕、その革に覆われていないむき出しの前腕部は、それぞれの髪色に合わせた毛皮で縁取られた鹿革のミトンに、手首から先をすっぽりと飲み込まれていた。その腕の白さが恐ろしいほど官能的で、エロティックな連想を掻きたてた。
船のほうはその間にも帆を上げ、曲がりくねったフィヨルドを通り抜けて北西へ向かっていた。所々に差し渡し50cmから大きなものでは数mに及ぶ流氷が漂い、マストの上から見張りの船員が時折警告の声を上げる。その都度、舵取りの男が舵柄を動かして、右舷についた幅の広いオール状の舵板を操り、進路を微調整していた。
俺は請われるまま、オウッタルに即興のサガを聞かせていた。
「それでそれで、その二人の戦いはどうなったのかね」
「二人の持つ力帯に飾られた宝玉の力は、もとより互角でした。戦士リョースは魔神の奸計により、兄弟同然に育った戦士マウニュズを、攻撃することが出来なくなるような幻を見せられたのです。ですが――
まさにその時 リョースは面を上げ
己の「跳ね回るもの」が マウニュズの手綱執る手を
荒々しく振りほどいて 逃れるのを見たり
リョースは力帯に命じた まやかしを断ち切る清めの光を――」
不意にマストの高みからオウッタルを呼ぶ声がした。
「おっと、待った!失礼、見張りのものが呼んでいるようだ」
いやむしろほっとした。子供のときに見た番組でうろ覚えだし。
俺もおぼつかない足取りで甲板に出た。ヨルグはといえばすっかり酔いつぶれ、朦朧としたままマチルダに介抱されていた。時折思い出したように彼女の身体をまさぐっている。放っておこう。
見張りの男が前方を指差したまま、甲板を振り返って叫ぶ。
「オウッタル様ーッ、この先は危険でーす!」
「どうした!」
「流氷の塊でーす、海流に乗ってこっちへ来るようでーす!」
舵柄についた年配の男がオウッタルに耳打ちする。
「まずいです、周りの海面にも浮氷が目立ってきた。下手すると囲まれますよ」
「仕方が無い、大きく迂回していったん南西へ進路をとれ。鎖蛇号はどこだ?向こうの船にも知らせてやらねば」
ぐるりと周囲を見回し鎖蛇号を探すと、それはちょうど右舷の400mほど後方を帆走していた。
「叫んでも届くかわからんな。角笛で合図を送れ」オウッタルが指示すると、ひときわ肩幅の大きな男が、見事な彫刻の施された巨大な角笛を唇に当てた。
蒸気船の霧笛よろしく、くぐもった低い音が独特のリズムで短く吹き鳴らされた。短く二度、長く一度。続いてまた短く二度。そうすると鎖蛇号からも短かく一回、長く一回そしてもう一度短く、合図が返ってくる。
「通じるんですか?」
「このあたりの船乗りの間での取り決めではね。もっと広い範囲で共通の合図が使えれば便利なんだろうが」
「俺の国では旗を何種類か、組み合わせて揚げてましたよ」
「ほう、面白い着想だな。だがこう視界が悪くては実用的とは思えないね」
言われて気がつくと、晴れ上がっていた空はいつの間にやら暗く曇り、吹き付ける風には次第に粉雪が混ざって来ていた。
「本来なら日没までには、一時上陸できる島が視認できるはずだったのだが……まずいな」
オウッタルの横顔には焦燥がにじんでいた。さすがのヴァイキングも夜間の航行は避けるのが定石らしい。
日没は近い。鎖蛇号はこの雪と風の中、川獺号についてこられるのだろうか。
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