破壊再生2
小生の所に来た支援対象者の一部に対して、逃げ場が無くなった所で性格的変更を迫る、と記した。そう書くと、何か小生がグルのように偉そうにしているように見えるかも知れない。しかしながら、これは支援対象者の性格的変更であると同時に、小生にとっても「破壊と再生」という点において類似の意味合いがある。小生にとっての「破壊と再生」とは、それまでに小生が経験していなかった生き方・考え方・価値観を一旦取り込んだ上での「破壊」及び「再生」ということ。
どのような考え方・価値観、それが資本主義であろうと絶対の真理であろうと、一旦形成されたものは破壊される運命にある。これが「空というプラットフォーム」における、創造と破壊、集中と拡散、緊張と弛緩、である。であるならば、「空」における創造と破壊をコントロールできるようになることが、生存(というか認識)をする上での自由度を増すことにつながる、自由に生きられるということ。
ホームレスその他困っている人達を見て、小生は常々このように考える。
「自分とこの人と、どういう違いがあるだろうか?」
「たまたま自分はそういう境遇にならなかっただけであり、一歩違っていれば自分の人生もそうなっていたのではないか?」
一歩違えば人生は…、というので思い出すのは、かつての同僚・12人のオウム死刑囚である(麻原は除く)。死刑囚と自分が何ら違いがないとするならば、ホームレスともどう違いがあるというのか?
いずれにせよ、目の前の支援対象が、どのような人生を送り、どのような生き方・考え方・価値観を有しているか。更には、大抵は苦しみを招き寄せているその価値観を破壊した上で再生するには、どうすべきか。これは小生にとって、「創造」「破壊」「再生」の練習問題となる。つまりある意味で、その支援対象は小生にとって練習問題を提供してくれる「教師」とも言える。カルマヨーガ的な考えから言えば、「本来的に悟っているが、わざわざ小生の内面の要素を映し出すために、苦しんでいるフリをしてくれている」役者。
但し、他人の生き方・価値観が、小生にとっての練習問題になるには、出来る限り詳細にその人の経験をこちら側に映し出して取り込む必要がある。その為には少なくとも心の打ち解けた関係になる必要がある。しかし通常人間は、プライドもあって、表面上キレイに装ったところしか見せない。まして過去の苦しかった経験など、自分でも思い出したくないし、人に触れてもらう事などもってのほか。
小生が、相手の「踏み込んでもらいたくない」立入禁止区域にずかずか入り込むような関係。ほとんどの人はそういう関係にはならない。よって前記事に書いた①②③の条件が満たされる場合、成立する関係である。
①本人が「今のままではダメだ」と考えていて、「何とかしたい」と思っていること
②「何とかする」為の具体的関わりが、小生との間に生じていること
③他に逃げ場がないこと
いずれにせよ、小生が支援の対象としているのは、通常なら世間一般の人が誰も相手したくないような、見て見ぬ振りをして避けて通るような人達である。そもそも世間に拠り所があるなら、わざわざ無差別大量殺人テロ団体元幹部のところになぞ、頼らないし来ない。それだけ経済的もしくは精神的に追い詰められているということになる。
幸い小生は経済的にも精神的にも相対的には余力がある。だがそこで何もしないと、その状態に安住する意識が生じ固定化される可能性がある。よって経済的・精神的余裕で相対的にプラスになっている認識を、相対的にマイナスの認識、つまり支援対象の困った状態と混ぜ合わせてリセットする。これが小生個人レベルにおける陰陽の転換。これが可能となるには、困っているその対象が、①②③の条件を満たして近づいてくることが必要になる。
何も知らずに書くのもいけないのですが、
御自身は長くストイシズムを旨として生きてこられたかも知れない野田さんが、
かくも豊かさを造り出すのが上手なことを、いつも感動して読ませて戴いています。
勿論、日々目的本意な不断の努力と覚悟あればこそですが、
どこか全てひっくるめた、魂の底からの明るさのようなものが本質になければ無理だと思うのです。
勝手な解釈で恐縮ですが、そこに元気付けられます。また楽しみにいたしております。
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