どうして、はっきり幸福の科学となのれないのでしょう??
仲村覚という方について、、
『幸福の科学』撲滅対策本部 したらば営業所 より
http://jbbs.livedoor.jp/study/10817/#1
948 名前:アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY 投稿日: 2012/04/02(月) 22:20:10
この「したらば営業所」の「KK・KJ党の活動情報Part3」の>126に
昨日の2ちゃんねる幸福の科学総合スレからのひとつの書き込みが転載されていますが
こちらでも取り上げたい件でしたので、まずその一部分を持ってきます。
442 名前: 神も仏も名無しさん 投稿日: 2012/04/01(日) 22:05:26.69 ID:2SOwUcZ1
ところでWILL誌5月号っていうとさ、巻頭に2大スクープってふれ込みで
○中国の「沖縄占領憲法」 仲村覚ってのが写真付きで出てるけど
ttp://web-wac.co.jp/magazine/
こ の 「 仲 村 覚 」 っ て ア ホ カ ル ト 幸 福 の 科 学 の ガ チ 信 者 な の な 。
退会して20年になりますが久しぶりにこの名前を見て驚きました。
狂団から足を洗って新たな人生を歩んでくれていたら良いなと思っていましたが
まだ足枷が取れないままでいるようですね。とても残念です。
JSN(沖縄と共に『自立国家日本』を再建する草の根ネットワーク)の中心で
「自称:沖縄対策本部長」を名乗るこの仲村覚が幸福の科学の20年来の信者であることは
どうやら既に自他ともに周知のことのようですが、実際は決して一信者とは言えないと思います。
草の根運動の市民団体を名乗り現に公的な活動を展開しているのですから
信用調査に寄与すべく、その思想的背景にあるものは正確に理解される必要があると考えます。
確かに今は一信者の「立場」なのかも知れません。しかし正確には職員歴のある信者です。
フライデー事件のあった当時、ほんの3ヵ月だけ存在し
楔伝道でのバブル崩壊から職員リストラのための掃き溜めとして立ち上げられた「会員サービス部」の発足と同時に解散した
「総合本部事務局秘書部警護課」の7名のメンバーのうちの1人でした。
949 :アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2012/04/02(月) 22:21:46
>>948続
当時は警護課にいたもうひとりの「中村幸樹」(主任)と区別する必要もあり、皆からは「覚さん」と呼ばれていました。
元自衛官ですが、物腰は穏やかであまり自己主張のない人だったという印象があります。
「覚さん」については警護課解散前夜のATガーデン(関町の秘書詰所)での出来事が記憶に残っています。
ベイNKでの務めを終えて、翌日のサービス部結成式と同時に解散となることから
マスコミを避けるつもりで急遽賃貸した早稲田のマンション方面に詰めているYU主任を除いた警護課長以下6名と
秘書の須呂、斎藤を含めた詰所メンバーで最後のミーティングをしていました。
ミーティングといっても、全員サービス部がどういうものか分かっていたので
個々への挨拶やこの先の身の振り方を話していたようなものです。
フライデー事件もあって警護課の日々は滅茶苦茶でしたから
正直なところ多くがふっきれた心境でいたものの、覚さんだけには涙がありました。
覚さんには主宰、補佐、子供含めて身辺警護の機会が与えられず
その理由を自分なりに気付いて内心で苦しんでいたことを初めて打ち明けました。
覚さんが身辺警護から外されていたのは単に「見かけ(好み)」という理由です。
当時、関町では動物好きの宏洋のために犬を飼い始め(実際の世話は警護課がATで行っていた)
犬種はカタログから選び最終的にシェルティになりましたが
その過程で宏洋がシベリアンハスキーの目が怖いからダメと言ったことから
犬の霊格はシェルティが上でハスキーは下位などという馬鹿げたことが実しやかに秘書部の中で囁かれたりしているような環境でした。
長男の宏洋は、邸宅近所の関町公園に家付きの女性秘書に手を引かれて散歩に行くのが日課でしたが
この時は必ず警護課員が一名不自然にならない程度に遠巻きに同行することになっていました。
そんなお散歩警護の、ある覚さん当番日以降に、急に散歩警護からも他の周辺警護からも外されるようになり
ATの留守番担当が増えて行ったのです。
思い当たるようなミスもなかったことから、彼自身どこかでそういった理由に辿りついたのでしょう。
真相は宏洋が覚さんの目が怖いと言ったことが発端でした。
宏洋が母の恭子に泣きつき、恭子がそのことを大川に言い
結果それが秘書課長の村田を通じて警護課長に配置の調整を行って欲しいという要請になっていたのです。
3歳程度の幼児の犬の好みと同程度の戯言に、大のオトナが振り回されているのです。
私はこの事は理事長であった小澤利夫氏と警護課長から別々に聞いていました。
警護課長は覚さんの人間性は知っていたし、本人が傷つかないように
「波動に荒い面があるらしいから」と言うに留めて余り気にするなと労っていましたが
実際を知るだけにさすがの課長もこの最後のミーティングの時は思いが余ってか
補佐や秘書課長の村田、そして教団組織を公然と批判し
そんなことをなぜ主宰が正せないのかという自身の悩み(葛藤)も口にしました。
すると黙って聞いていた斎藤が急に豹変して大声でそれを遮り
「それ以上言ってはいけない。あなたが彼ら(警護課員)残すものは大きい。」と
いわゆるいつもの『深いお考え』説で信仰論を語っていました。
私にはその演技がかった態度が逆にシラけたので殆ど右から左に流していましたが
いい加減なもので、この時に斎藤は補佐を全面擁護していたのは記憶しています。
それが今ではK女史で悪魔呼ばわりですから『深いお考え』説なんて都合のいいものです。
結局、そのままミーティングは後味の悪い終わりとなりましたが
覚さんには斎藤のそうした「フォロー」が効いてしまっていたのでしょうか。
警護課長自身ですら、その後は自分の疑問に蓋をしていきましたから無理もないのかも知れません。
警護課解散後、覚さんはサービス部員として確か関東本部内の茨城のほうに赴任し
その後早い時期に退職したと聞いてから20年が過ぎました。
>>949続
さて、この仲村が行う活動、当事者らが標榜するような
あくまで一信者の幸福の科学とは関係ない超党派の保守大同団結へ向けた取り組みと果たして信じられるでしょうか。
講談社への威力業務妨害が大川発であることも
無承諾伝道による会内混乱で逼迫した財務の立て直しを動機として植福や貸付が推進されたことも
会員数の公式発表を偽っていたことも、その他幸福の科学の数々の虚業の実態を職員として知っていて
なお信者であり続ける人物の活動が狂団と無縁の活動などということが受け入れられるはずがありません。
色々な集会の席で同席している狂団関係者らは少なからず元職員として旧知の仲なのですから。
そもそも幸福の科学が保守なのでしょうか。
そうでないことは先の選挙の折の幸福実現党が出した憲法草案を見れば明らかでしょう。
このカルトが目指すことは、およそ常識的に看過できないサイコパスの狂祖大川の妄想への狂信を土台とし
反対者を邪魔者の悪魔として徹底的に排除しての独善的な世造りでしかありません。
こんなものに蹂躙されては沖縄はもちろん社会は余計にややこしくなるだけでしょう。
幸福の科学が「保守」の仮面を被っても、その中身はあくまで「カルト」なのです。