ワタミとパナソニックを例に考える、ブラック企業とは何なのか【連載:村上福之】
2013/06/19公開
業務内容や創業者や経営哲学にすごい魅力があって、社員の人たちは好きで好きでサービス残業してでも働きたくなるような会社って、実はけっこうある。
で、それ以外の人は、好きで働く社員と同じペースで働かなきゃいけなくて、「やりにくい」と感じてる会社もけっこう多いんじゃないかと。幹部全員が経営トップを盲信している会社とか。
そういう会社の多くは、ネットでの評価がブラック企業になるんだろうなと思う。でも、一部の社員は意外と労働満足度が高く、幸せだったりする。
そういう企業って何なんだろうと考えると、つまり“宗教的”な会社なんじゃないかと。
以下2つのエントリーを見ると、そう思えて仕方がない(匿名ダイアリーなので、信ぴょう性は保証できないけど)。
・ 社員さんに渡邉美樹を恨んでる人批判してる人居なかったな みんな信望してたし本読んで社員になったって人も多かった
From koishikawagirl
「ブラック企業」の話題で取り上げられることの多いワタミだが、何をもって「ブラック」とするかで見方は変わる
ワタミヒストリーを読んでみると、急成長するネット系ベンチャーとは違って、長い時間を掛けて、いろいろ回り道して、大きくなった会社なんだなぁと思う。
本当にダメでブラックな会社だと、あれだけ大きくなる前に、社員が辞めてしまうと思う。
今の世の中、社員にずっと働いてもらうことは、意外と難しい。何らかの魅力と、それについていく社員がいないと続かない。
もちろん、創業者の本を給料天引きで買わせた上に、業務時間外に感想文を書かせたり、業務時間外で、強制的にボランティアや寄付活動に従事させたりするのはどうかと思うけど、経営理念を見る限り、渡邉美樹さんの理念にすごい感銘を受けている“信者”みたいな社員は多くいるんじゃないかと思う。
こういう、いわゆる“宗教的企業”について、僕は良いとも、悪いとも、思わない。経営理念が素晴らしければ、そこで学ぶことはかなり多いだろうし、経営理念がクソなら人生を無駄にする上に多くの悲劇を生むだけだ。
パナソニックという“宗教”
From chobo
パナソニック創業者の松下幸之助のカリスマ性は、社員だけでなく多くのビジネスパーソンに影響を与えている
“宗教的企業”について考えてみると、僕が前に勤めていたパナソニックを思い出す。創業者が神格化されていて有名な会社で、個人的にパナソニックの理念は好きな方だし、思うところは多い。
先に言っておくと、パナソニックは、コンプライアンスでガチガチの上に、組合も存在するので、正社員においてブラックな労働条件はない。
ただ、パナソニックの公式サイトに掲載されている有名な創業期の逸話を読むと、つくづく“宗教的”だよなぁと感じる。
ある宗教団体に赴いた時に、不況の真っ只中であるにもかかわらず、信者の方々が献木し、さらにはボランティアで宗教施設の建設作業をしている風景を見て、松下幸之助さんは感銘を受け、事業の使命を知ったという。
非常に美しい逸話だけど、一人のビジネスパーソンとして見ると、「経営が宗教化していくと、社員は賃金と関係なく働く」 という一面も幸之助さんの脳内にあったんじゃないかと思ってしまう。
以下、パナソニックの公式コーポレートサイトからの引用を記すと、経営理念の宗教化が労働意欲の向上をうながすことを発見したプロセスに見えなくもない。
昭和7年春、幸之助は某氏に連れられて、とある宗教団体の本部を訪れていた。広大な敷地を順に案内されるうち、二人は製材所にたどり着いた。不況のど真ん中というのに、信者から献木が山のようにやってくる。奉仕によって作業は進められているというのに、作業をする信者の人たちの顔は喜びに満ちている。この様子を見て、幸之助は心を打たれた
宗教団体の見学を終え、ひとり電車に揺られながら幸之助は物思いにふけっていた。宗教は精神の安定をもたらすことで人を幸せにしている。(中略)これは、なんとすぐれた経営ではないか。 昭和7年5月5日のことである。幸之助は、宗教団体の見学で、その繁栄ぶりに感嘆し、宗教の使命の聖なるを痛感したこと、ひるがえって自分たち生産人の使命について深く考えたことを順を追って話した。
…これは、なんとすぐれた経営ではないか
…これは、なんとすぐれた経営ではないか
…これは、なんとすぐれた経営ではないか
要するに「ウチでは給料を払わなくても、信者が勝手に働いてくれるんですわー」という話を聞いて、当時、半日操業制度を導入して不況で苦労していた松下幸之助さんからすれば「それなんてメシウマ!?」と思ったんじゃないかと。
宗教的な理念が行き着く先は……
“宗教的企業”の最たる例として、かつての激安PCメーカー、マハーポーシャを思い出してみる。その昔、オウム真理教(※編集部注:現Aleph)と呼ばれた新興宗教団体の関連企業が経営していたPCメーカーで、文字通り「宗教と企業活動」が完全にリンクすると、利益率が上がるのかもしれないと思わされる。
これも先に言っておくと、オウム真理教そのものは倫理的にダメ過ぎるため言語道断だったけど、マハーポーシャをいわゆる“宗教的企業”の究極形として見ると、考えさせられることも多いと思う。
マハーポーシャのパソコンが激安だった秘密は、以下のとおりだ(Wikipediaより引用)。
信者が修行の名目で無報酬で組み立てていたので人件費が極端に安かった(このスタイルはラーメン店でも行われていた)。そのため、他店よりも割安であるにもかかわらず営業利益は大きく、これらがオウムの資金源の1つになったと言われる。
つまり、信者たちの「修行」と称して人件費ゼロで作られたPCなので、価格が安かった。その上、購入初期状態から、クロックアップなどを施される上に、麻原尊師のスクリーンセーバーがデフォルトで設定されていた。DOS/Vが流行り始めでPCそのものに問題が多い時期だったのにもかかわらず、サポートが悪かったけど。
当時のオウムは関連会社を経由して激安パソコンから不動産まで幅広く事業を行っていて、売上は年70億円以上あったという。人件費が「修行」なので、その辺の中途半端な上場企業よりも、売上も利益率も高かった。数字だけ見れば、経営成績はいい。そうでなければ、たくさんの工場を建設したりできなかったと思う。
宗教的企業の是非、あなたはどう思う?
宗教的企業で働くことが良いのか悪いのかは、冒頭でも書いたように「人による」としか言えない。ただ、経営理念がまっとうで、キチン機能している会社ならば、露骨な金儲け主義の会社に入るよりは、人として、「お金以外で働く理由とは何か」という哲学に対して、真摯に考えさせてくれるので、良い経験になると思うし、社会にも良い影響を与えると思う。
キチンと機能してさえいればね。