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第11回全日本フットサル選手権決勝 DATE:2006年02月05日■ TOP▲

今日も国立代々木競技場第1体育館で行われた全日本フットサル選手権PUMA CUPの3位決勝戦と決勝を見に行って来た。この日は有料であったが1階席の7割方は観客で埋まっていた。

この日の試合は以下の2試合であった;
*3位決定戦:高槻松原FC(関西代表/大阪) vs arusa(北海道代表)
 『高槻松原FC』が前半2:0、後半3:2でトータル5:2で勝利した。

*決勝:PREDATOR FUTSUL CLUB(関東代表/千葉) vs Forca Verde/BANFF(関東代表/東京)
 『PREDATOR FUTSAL CLUB』が前半2:0、後半2:2でトータル4:2で勝利した。

前日に見た試合の感想から、今日の勝者は「arusa」と「BANFF」であろうと予想していた。ところが、ものの見事に二つともまったく逆の結果であった。「フットサルも結構、奥が深いものだな」というのが今日の感想である。いくつか感じたことをまとめてみる;
1)勝敗にはGKの能力が極めて大きな影響を与える
  サッカーよりもGKがシュートを浴びる回数が多いし、至近距離からのシュートも多いので、反射神経の優秀さが求
  められる。さらに5人目のフィールドプレーヤーとしても、足技の確かさも必須である。優秀なGKがいるチームは
  失点が極めて少ない。「PREDATOR」が優勝した要因の最大のものと言ってもよいだろう。
2)個人の力よりもチームとしてのコンビネーションが大切である
  前日感心した「BANFF」のブラジル人たちも相手のチームプレーには敵わなかった。コートが小さいからプレーす
  るスペースが余りない。従って、個人による突破よりもコンビプレーでスペースに走り込む方が有効である。そのた
  めにはチームプレーを組み立てる指揮者の存在が不可欠である。「PREDATOR」には藤田選手がいた。
3)チームのタイプによって相性の良し悪しが大きく影響する
  前日の第1試合が昨年よりもレベルが低く見えたのは、多分「高槻松原FC」と「PREDATOR」がタイプ的に似て
  いた為にガチガチ勝負になってしまったためだろう。厳しいプレスのおかげで自由なプレーがともに妨げられたよう
  だ。期待していた「arusa」も「高槻松原FC」の試合運びが苦手のようだった。

とにかく、決勝はタイプの異なる2チームががっぷり四つになった好ゲームであった。個人による突破もトリッキーで見ていて面白い。さらに、コンビ-プレーによる鮮やかなパスワークや得点シーンには思わずため息が出た。そして、見事なGKのファインセーブに大拍手。本当にフットサルを満喫した2日間であった。自分でプレーする機会があれば嬉しいのだけれど、最近の足の弱さを考えるともう無理かもしれない。もう一度、若くなりたい!


   お気に入りの「arusa」     決勝での試合前の挨拶      表彰式での「PREDATOR」
第11回全日本フットサル選手権準決勝 DATE:2006年02月04日■ TOP▲

国立代々木競技場第1体育館で全日本フットサル選手権PUMA CUPの準決勝2試合が行われた。昨年、この大会で初めてフットサルの代表レベルのプレーに魅了されて、決勝トーナメントが行われた神戸から東京に帰ってくるのを待っていた。

そして、この日から準決勝である。寒風が吹きすさぶなか、バイクで代々木までやって来た。多くの観客が予想される為か、会場は去年の駒沢から代々木に格上げされた。明日は有料試合だが、有難いことに今日までは無料である。

フットサルの普及が進んでいるせいだろうか、今年のベスト4の顔ぶれは去年とは一変していた。今までは聞き慣れた名前のチームがしっかりと準決勝まで上がって来ていたが様変わりである。どんなチームかとても楽しみであった。

試合開始15分前ほどに体育館に到着したが、残念ながら観客が続々と詰め掛けるという状態とはかけ離れていた。2階席は開放していなかったが、それでも1階座席の半分程度は埋まっていただろうか。フットサルを観戦すると言うことはまだまだマイナーなのだろう。それでも女性や子供の姿も結構見かけたし、フットサルは手軽にプレー出来るし、最高レベルの試合は見ていても楽しいから、徐々に普及していくのではないだろうか。

さて、肝心の試合のほうは以下のような組み合わせの2試合であった;

*第1試合:高槻松原FC(関西代表/大阪)         PREDATOR FUTSUL CLUB(関東代表/千葉)
      

『PREDATOR FUTSAL CLUB』が前半2:0、後半3:0でトータル5:0で勝利した。共によくプレスが効いて厳しい試合になったが、明らかに「PREDATOR」の方が格上で予想通りに勝利した。但し、フットサルが普及し始めたとの印象がある割には、昨年の決勝よりもこの試合のレベルはちょっと低いように感じた。意外であると同時にガッカリもした。「PREDATOR」の藤田選手(前列右から3番目)のプレーは気に入った。

*第2試合:arusa(北海道代表)               Forca Verde/BANFF(関東代表/東京)
      

『Forca Verde/BANFF』が前半3:1、後半2:3でトータル5:4で勝利した。この試合は試合展開もとても面白くわざわざ見に来た甲斐があった。「これぞフットサル!」と言う醍醐味を味わうことが出来た。明日の決勝も是非見たいという気にさせてくれた。写真でも分かるとおり「BANFF」には3〜4人(?)のブラジル選手が所属している。彼らがゲームを引っ掻き回す。どうして彼らはあんなに上手いのだろう。憎たらしいくらいであった。

しかし、日本人ばかりのチームへの判官びいきではないが、チームとしては「arusa」のほうが気に入った。とにかくスピ−ドがあるし、個々のプレーの切れが良いのである。終了間際に1点差まで追い上げ、最後まで諦めずに攻め抜いた姿勢に最後には観客から大きな拍手を貰っていた。明日の3位決定戦でもう一度彼等のプレーを是非見たいものだ。決勝は関東勢同士の試合になったが、多分「BANFF」のものだろう。


  入口のPUMA CUPの看板   入口から見たスコアボード    素晴らしかった第2試合の終了後
教え子の悩み&オイラの煩悩 DATE:2006年01月18日■ TOP▲

2006年1月のある日、彼自身のブログに以下のような書き込みを見つけた。まず読んでみて下さい;
サポーターの皆さん

一年間ご愛読ありがとうございました。
皆さんの沢山のコメント、トラックバック、もちろん全て目を通してきました。
感謝の気持ちで一杯です。
さらに僕の慰留にあたり読売ランドまで足を運んで頂いたようでありがとうございました。
皆さんの想いは大変うれしく、心揺れるものでした。
ですが
私、山田卓也はヴェルディを去ることを決めました。

僕がヴェルディを去るにあたりここに何かを書き残していくことは心苦しいのですが、9年間お世話になり、代表にも入れてもらい成長させてもらった仲間、サポーターに何も表現することなく去っていくことは出来ないと思い少し書かせてもらいます。

J2降格というショックを受けた後僕は考え、昨年のメンバープラス、レンタル組みを戻し、数人の補強で簡単なことではないが一年でJ1に戻せると思っていました。

しかし

その後のクラブの動き対応を見て感じて正直相当のショックを受けました。
残って闘おうと僕に話していた先輩、前シーズン怪我、不運な病で思うようにチームに貢献できず、それを悔やみもちろん残ると言っていた後輩、クラブの功労者でもある二人をバッサリ理不尽に解雇。 
僕も彼らも高校、大学を合わせるよりも沢山の年数をこのクラブで過ごして来ました、もちろん愛着はあります、ないわけがありません。
実際J2に落としたのは紛れもなく僕らですが
クラブの対応を見てると自分の自分達のやってきた9年間を否定されたように感じました。
そしてクラブに対しての怖さとグランドを離れた時の選手の無力さを
痛感しました。

ですが
はいそうですかと黙って出て行くわけにはいきません。
そこから一ヵ月半、何度もクラブと話し合い、前会長にも会い話し合い、現社長に会いお願いをし、ラモスさんと話し、仲間と話し、
悩みに悩みました。

そしていつまでも悩んでいてもしょうがないし、自分自身で決着をつけました。
僕の頭の中で悩み考え色々な要因で決めたことなので
誰かが悪いわけでもなんでもなく
ただ僕が心機一転チームを離れ頑張っていこうと決めました。

去って行く者が何を書いても納得のいくものにはならないとは思いますが
ヴェルディというチーム、サポーターには本当に感謝しています。
9年間もの長い間本当にありがとうございました。

実を言うと、いつかこんな日が来るのではと危惧していた。常々、余りにも彼の性格と所属チームのカラーが違いすぎると思っていたからだ。しかし、彼がチームを選択する時点では東京にはJリーグのチームは存在しなかった。さらに、彼が在籍した桐蔭学園や駒澤大学とこのチームには当時太いパイプが出来ていた。他の選択肢は残されていなかったのだろう。僕は大きな違和感を持ちながらも、彼の活躍を確認する為に等々力まで足を運んだこともあった。

彼はうちの次男坊と同じ学年で、小学校時代に一緒にサッカーをしていた。その学年の担当コーチが40代バリバリでニコニコしながらも(若気の至りで?)厳しい指導を心掛けていた僕だった。彼の運動能力は抜群であった。当時、いろいろな能力&技術検定を考案して実施していたが、何年間も彼の記録が後輩達の目標になるくらいそれが破られることはなかった。最終的に、20年間小学生を教えたが、その後、彼以上の素材に出会うことはなかった。

高性能マシンのような子供であったが、鼻にかけることもなく、どちらかと言えば控え目な行動が常であった。ちょっとヤンチャでお茶目だけれど、はにかみ屋さんでチームのメンバーからも愛される存在であった。自分からキャプテンなど志願せず、無理やりみんなからやらされるような子供であった。プロのサッカー選手を目指すほどの強烈な個性など微塵も感じさせなかった。但し、サッカーの練習だけは誰よりも好きであった。

そんな彼が町田の中学校で素晴らしい先生に出会い、中学卒業後も高校・大学ともサッカー名門校を渡り歩いた。全国高校選手権に出場した時は三ツ沢まで応援に出掛けた。スタンドから声を掛けた時、小学生時代と同じにようにはにかみながらニッコリした顔が忘れられない。大学卒業後にプロに進むと聞いた時は、やはりちょっと驚かされた。あの優しさでプロに耐えられるかと。それも選りにも選って「あの派手なチーム」であった。

プロ先駆者としての「読売クラブ」には敬意を払っていた。だが、Jリーグ発足当時はともかくとして、年々「ヴェルディ川崎」の存在はどんどん僕の視野から遠ざかっていった。Jリーグに逆らうナベツネ氏や氏家氏の発言が新聞をにぎわす頃には嫌悪感すら感じるようになった。そして、ついに「東京ヴェルディ」と名乗って東京に乗り込んできた時には憎悪に変った。そんなチームに教え子が9年間もお世話になった。

板ばさみで辛かったけれど、彼だけを応援しながら、その所属チームのことは憎んだ。今度の降格によるいざこざで、ついに彼はセレッソ大阪への移籍を決めた。FC東京に来ることはないと思っていたから、ショックは大きくはなかった。これからはもっと気楽に彼のことを応援出来ると喜んでいる。但し、大阪に引っ越さなければならなくなって、ご両親はさぞ寂しいことだろうと拝察するのみである。頑張れ、卓也!!!
全日本大学サッカー選手権決勝 DATE:2006年01月16日■ TOP▲

2006年1月15日 全日本大学サッカー選手権 決勝:国立霞ヶ丘競技場

駒澤大学 2 0 前半 0 1 順天堂大学
       2 後半 1
48分:原           55分:谷内(PK)
51分:田谷

 
           順天堂大学vs駒澤大学:試合開始前の両チーム選手の整列

赤嶺君が出場停止で出られないことは分かっていたが、インカレの決勝戦:駒澤大学vs順天堂大学の高みの見物をする為に国立に向かった。前日の雨も上がり、気温も高めな晴天の下での快適な観戦となった。年頭恒例の一連の大きなスポーツイベントが終了して、国立競技場はスタンドの大改修に取り掛かっていた。そのため観客はバックスタンド以外は立ち入り禁止であった。メインスタンドは瓦礫の山、ホームゴール裏の座席は取り払われた異様な雰囲気の中で行われた。

この決勝戦の前に、女子の大学選手権の決勝が行われていた。早稲田大学vs東京女子体育大学の試合であった。両チームともに小柄な選手が結構多いのにちょっと驚いた。女子の試合はアテネ五輪最終予選以来の観戦だが、必死にボールを追っている女の子達を見るのはとても微笑ましいものだ。「サッカーを愛してくれて有難う」と抱き締めたくなる。試合は延長戦の結果、早稲田大学が初優勝を飾った。本当に久し振りに生の「紺碧の空」を聞いた。

さて、肝心の決勝戦は7,100人強の観客の下で開始された。野洲高校の試合とは異なり、両チームとも前にボールを蹴るばかりでパスが3本と続かない。ボールが右に行ったり、左に行ったりするばかりで退屈なことこの上ない。僕の周りに座った何人かの人は居眠りを始める始末であった。個人個人の技術はそれほど低いとは感じられないのだが、チームとして機能していない感じである。多分、高校生達とは練習時間が違い過ぎるのだと思う。

現在の大学サッカーは「ニッチ(隙間」状態である。本当に優秀な一握りの高校生はJリーグに直行する。その他の高校生は、Jリーグのユースからトップへ昇格出来なかった子供達とともに、大学へ進学する。そこでのんびりとした大学生活をエンジョイしてしまうのだろうか。最近、大学サッカーの緩さに危機感を感じる選手が増加してきた。オランダに渡った平山しかり、休学してFC東京入りする伊野波しかりである。特別指定選手になるのも同様である。

サッカーだけが人生でないことは確かである。大学でのんびりと楽しいサッカーを堪能する選手がいても不思議はない。だが、プロを目指す選手ならば、今の大学サッカーで満足しては前途は開かれないだろう。その意味でも大学の指導者にはもう少し勉強して頂きたいものだ。野洲高校の山本監督はサッカー経験者ではないが目線の先に「世界」を置いた。最近、隆盛著しい流通経済大学の中野監督も選手と「密着」することで結果を出している。

もっと面白いサッカーを見せなければ、誰も大学サッカーを見に来てはくれない。先週行われたラグビーの大学選手権には多くの観客が国立に詰め掛けていた。大学ラグビーは「ニッチ」でないことも確かだが、面白い試合を見せていたことも事実である。ガラガラのスタンドでサッカーを見ることは悲しい。サッカーを愛する同志として、大学生自身も指導者も「野望」を捨てずに精進して欲しい、と心から願っている。


 バックスタンドだけの観客     工事中の瓦礫の中での戦い     順大の青赤のユニフォーム
第84回全国高校サッカー選手権大会 DATE:2006年01月10日■ TOP▲

★ やっぱり野洲はやった!:1月9日(月)

2006年1月9日 全国高校サッカー選手権 決勝:国立霞ヶ丘競技場
野洲 2 1 前半 0 1 鹿児島実業
     0 後半 1
     0 延前 0
     1 延後 0

23分:荒堀        79分:迫田
107分:瀧川




          ついに優勝旗を手にした野洲のイレブン→

「サッカー馬鹿」にとって、高校生達に感謝して余りある、実に見応えのある試合であった。試合が始まるまでは鹿実の早く厳しいプレスに対して野洲のパスワークがどこまで通用するかが僕の興味の的であった。結果は余裕を持った野洲のパス回しは鹿実のプレスの焦点を縛らせないだけの質を備えていることがハッキリと分かった。鹿実の選手がプレスに来た最終局面でも野洲の選手達は落ち着いて味方にパスを繋いでいた。

今年の高校選手権はいつもの年とはちょっと違った楽しみがあった。滋賀県代表の野洲高校が面白いサッカーを見せてくれたからである。結局、野洲の試合を3試合も観戦した。攻撃陣は勿論、守備陣でさえ個々の技術が高く、ひとりで局面を打開する力を持っていた。ボールを持てるという自信はとても大事な要素である。プレーに余裕を生むからである。指導者としては、普段どんな練習をしているのだろうかと凄く興味を惹かれた。

後半半ば過ぎの鹿実の猛攻には意地がこもっていた。追い付くのは時間の問題に思えた。案の定、同点弾を奪い取った。これで鹿実が追加点を挙げて逆転するかと覚悟したが、野洲は見事に踏ん張った。鹿実にも疲れが見え始めたのであった。「スタミナは鹿実が上だ」と読んでいたが、野洲の見事なパスワークが鹿実の疲労を招いたのかもしれない。最後はサイドを崩してからの見事なセンタリングにDF陣が付いていけなかった。


            満員に近い国立競技場で試合開始前の両チーム選手の整列

楽しかった今年の高校選手権も終わってしまった。最近とても残念なことは、教え子が本大会に出場する楽しみを味わえなくなったことだ。今年は茨城県大会決勝で涙を飲んだ子が本大会に一番近くまで行っただけだった。指導者としての現役を卒業してしまった以上、もうそんな楽しみは僕には味わえないのかもしれない。とても寂しいことではある。でも、来年も高校サッカー選手権には駆け付けるに違いない。頑張れ、サッカー少年達よ!

★ 鹿実を止めるのは野洲?:1月8日(日)

この日も性懲りもなく国立へバイクを走らせた。前日の大学生達の不甲斐ない戦いに嫌気がさし、高校生達のハツラツとした戦いを見たかったからだ。特に、何試合か見た野洲の試合ぶりに惚れた弱味もあった。国見のフィジカルに頼る試合運びに批判が集中し始めた昨今、その対極を為すが如き野洲の個人技術重視のパスサッカーはとても新鮮である。見ていてもそのプレーの意外性には楽しさを感じさせてくれる。プロでなくても楽しさは重要である。

第1試合の鹿児島実業vs遠野は予想通り鹿実の一方的な試合となった。今大会で好調の遠野にとっても鹿実を止めることは至難の業であった。3:0という結果は順当と言わざるを得なかった。第2試合の野洲vs多々良学園は予想以上に見応えのある好ゲームとなった。ともにパスを繋いでサイドを崩したり、中央突破を狙ったり、一進一退のシーソーゲームを繰り広げた。結果的には、試合運びに一日の長があった野洲が制した。


                     鹿児島実業vs遠野

野洲の山本監督は先日のテレビ放送でも「世界に通用する選手を育てたい」との主旨で、個人の創造的なプレーを優先させている旨を語っていた。見ていても野洲の選手のプレーには楽しさを感じた。高校生でもあれだけのことが出来るのだという意味で感服させられた。決勝戦の相手である鹿実はパワフルな強敵であることは間違いない。でも、高校サッカーの指導方針の流れを変えるという意味で、今回、僕は是非とも野洲に勝って貰いたいと思う。



                            野洲vs多々良学園

今年も鹿実が抜けてる?:1月3日(火)

本来ならばこの日は青森山田の試合が見たかったのだが、いかんせん市原は遠過ぎる。もし、この日も青森山田が勝っていたら5日は市原まで強行でも駆け付けるつもりでいた。しかし、残念ながら多々良学園に破れてしまった。高校選手権ではとうとう小澤のプレーを見ることが出来なかった。なにやらひとつ落し物をした気分である。この日は鹿児島実業の試合を見るために近場の駒沢競技場行きを選択した。天気は結構良かったが寒かった。

第1試合の作陽vs広島観音はともにパスが思ったように繋がらず退屈な試合であった。大型選手の揃う作陽が苦戦を強いられ、PK戦の末敗退した。特に目立つ選手はいなかった。第2試合の鹿児島実業vs徳島商業は鹿実の充実ぶりばかりが目立つ試合であった。栫と迫田の強力ツートップと司令塔赤尾の落ち着いたプレーが群を抜いていた。鹿実の選手の走りと強烈なプレスのお陰で、徳島商業も弱いチームではないのに何もさせて貰えなかった。



                    作陽vs広島観音


                     鹿児島実業vs徳島商業

★ 今年も東京勢、早々に敗退:1月2日(月)

昨年末の12月31日に東京勢の成立学園と修徳があっさりと1回戦で姿を消した。おまけに30日の開幕戦では山梨代表の甲府東も実力を発揮する間もなく敗退した。来季FC東京入りが決まっている青森山田の小澤君の試合ははるか彼方の市原での開催であった。仕方なくこの日は修徳との試合で見事なプレーを見せていた滋賀県代表・野洲と、静岡勢をあっさり退けた強豪高である兵庫県代表・滝川第二を見るために、雨が降っても屋根のある等々力競技場にバイクで向かった。

               上は野洲vs広四日市中央、下は中京大中京vs滝川第二

第1試合の野洲vs四日市中央は終了間際に野洲が決勝点を挙げて逃げ切った。第2試合の滝川第二vs中京大中京はがっぷり四つの見応えのある試合だったが、滝川第二が貫録勝ちした。特に僕に繋がりがあるチームではなかったが、両試合ともなかなか面白いゲームであった。勝敗を分けたのは、野洲と滝川第二ともに大型エース・ストライカー(青木と森島)を擁していたことであった。ふたりともこの年代では飛び抜けたプレーを見せていた。

試合観戦はあっちへ行ったり、こっちへ行ったりしていろいろな角度から等々力を楽しんだ。試合中はかなりの雨が降ったが、濡れることはなかった。但し、メインスタンドの屋根がほとんどないことは驚きだった。あれでよく高い金が取れるものだ。スタジアムへの行き帰りには雨にたたられることもなく、渋滞もない快適なツーリングであった。
全日本大学サッカー選手権準々決勝「赤嶺の復習」 DATE:2006年01月07日■ TOP▲

2006年1月6日 全日本大学サッカー選手権 準々決勝:西が丘サッカ-場

駒澤大学 3 0 前半 1 2 中京大学
       3 後半 1
49分:赤嶺          21分:高橋
88分:八角          84分:蒲谷
89分:赤嶺

駒澤大学の先発メンバー表:

先日、江戸川で見た赤嶺をもう一度至近距離から観察する為に西が丘に赴いた。ところが、このところ高校サッカーの気合の入った試合を見続けてきた身にとっては、試合内容もスタンドもとても寒い試合に見えた。正月休み明けの平日とあって観客も控え選手や選手の家族やサッカー関係者ばかりでなんとも寂しい限りであった。入場料が高校サッカーよりも安いのが当然と言える内容であった。もっと気合を入れて戦わなければますます落ち目になるばかりだ。

第1試合の筑波大学vs関西大学は延長戦まで行ったけれど、最後まで筑波大のエンジンが掛からないまま終わってしまった感じだった。第2試合の駒澤大学vs中京大学も試合内容はとても誉められたものではなかった。2度もリードされた駒大が最後は劇的な逆転勝利を収めて準決勝へ勝ち上がったが、最後はトップへ放り込むだけのパワープレーの連続だった。大学の指導者達の意識の低さが目に浮かぶようであった。


                     試合開始前の両チーム選手の整列

肝心の赤嶺君は駒大の逆転勝ちに大きく貢献した。先日は「動いている時の姿勢がマジョルカにいる大久保の大型版に見えた」と書いたが、この日はどちらかと言うと、現在横浜FCに在籍する城選手の動きに近かった。ほとんどトップに張っていてポストプレーを無難にこなしていたが、J1でも同じように出来るかはちょっと分からない。パワープレーになった時はトップ下にシフトしていたが、そこそこやっていたが司令塔タイプではなさそうだ。

8日に準決勝:駒澤大学vs関西大学が西が丘で行われる。バイクでの行き帰りも寒いけれど、大学生のこんな寒い試合は余り見たくないので次回は遠慮しようと思う。でも、駒大が決勝まで残ったら、今度は国立まで純粋に駒大を応援しに行こうと思っている。頑張れ赤嶺!、頑張れ駒大!



       赤嶺君を追い掛けて90分(中央の写真はロスタイムの逆転ゴール後:「駒スポ」より拝借)
全日本大学サッカー選手権「赤嶺はポストだ!」 DATE:2005年12月26日■ TOP▲

2005年12月25日 全日本大学サッカー選手権 一次リーグ:於:江戸川区陸上競技場
駒澤大学 2 1 前半 0 0 阪南大学
        1 後半 0
2分:赤嶺
53分:八角

*注目点:赤嶺真吾(22歳):FW 身長/体重 178cm/74kg→

アピールポイント:

シュート技術、決定力が高く、ゴール前での鋭い嗅覚で得点を奪う典型的なストライカー。ポストプレーも正確で、一瞬の隙を突いてディフェンスラインの裏へ飛び出し、ゴールを奪う。前線からのディフェンスも労を惜しまない。

この日は全日本大学サッカー選手権の一次リーグ最終戦が行われた。リーグ戦2戦全勝同士の駒澤大学vs阪南大学の試合が江戸川区陸上競技場で開催された。.この日の目的も、来季のFC東京入りが決まっている駒澤大学・赤嶺選手の上記アピールポイントがJリーグで通用するのかを確認することであった。この日もまた寒気の中、江戸川を目指した。西葛西駅前で昼食を済ませてから、第1試合のハーフタイムにスタジアムに到着した。

この日はさすがに地元なだけに駒澤大を応援する観客が圧倒的に多かった。だが、阪南大サッカー部の学生もかなり多く詰め掛けて、バルーンスティックを叩いていた。この日は近くに見知った顔は見つからなかった。風もなく冬の暖かい日差しが照りつけていたので、眩しいながらも快適な観戦であった。乱戦模様の高知大vs福井工大の試合を楽しんだ後、お目当ての赤嶺選手が入場してきた。

試合のほうは、地力が上と見られた駒澤大が危なげなく貫録勝ちをした。肝心の赤嶺選手は2トップの一角を張っていた。体格的にはしっかりとしたガタイが出来ているように見えた。ジャンプ力もかなりあり、アピールポイント通りの働きを見せていた。贅沢を言えば、クサビに入ったハイボールをヘッドで左右前後に振るだけでなく、自分のものにも出来ると完璧だろう。動いている時の姿勢はマジョルカにいる大久保の大型版に見えた。

総合的な印象から判断すれば、阿部ちゃんと競わせれば面白いだろう。フィジカル的にもプロ向きだし、実戦で使えばまだまだ伸びる可能性を感じる。阪南大ではやはりJリーグ入りを決めている伊野波が目立っていた。ポジションが右MFに偏っているのが勿体無いくらいだった。プレーしている姿勢が梶山そっくりだった。勿論、あんな「変態プレー」はしていなかったけれど、パワフルなプレーはなかなかのものであった。


 試合開始前の両チーム選手の整列     駒澤大の記念撮影       江戸陸のメインスタンド
全日本大学サッカー選手権「池上を捜せ!」 DATE:2005年12月24日■ TOP▲

2005年12月23日 全日本大学サッカー選手権 一次リーグ:
於:江戸川区陸上競技場


仙台大学 0 0 前半 0 0 福岡大学

        0 後半 0

*注目点:池上礼一(22歳):MF 身長/体重 177cm/72kg→

アピールポイント:
緻密なポジションニング・カバーリングに加え、的確なコーチングで未然に相手の攻撃の芽を摘み、両足からの正確なフィードでゲームをコントロールするMF。高い戦術眼を持ち、GK以外のポジションならどこでもそつなくこなすユーティリティさも兼ね備えている。

年の瀬を控え、今年も恒例の全日本大学サッカー選手権が始まった。Jリーグのシーズンが終わった後の僕にとっての暇つぶしにはもってこいのイベントである。この日は第2日目で、仙台大vs福岡大&筑波大学vs国士舘大学の2試合が江戸川区陸上競技場で開催された。この日の目的は、来季のFC東京入りが決まっている仙台大学・池上選手の上記アピールポイントがJリーグで通用するのかを確認することであった。寒気の中、江戸川を目指した。

スタジアム近くのコンビニでサンドイッチを調達してから、第1試合開始ギリギリにスタジアムに到着した。座った途端に、同じベンチの端にいつもよく出会うFC東京の母娘サポが座っているのに気が付いた。僕のような「サッカー馬鹿」ならともかく、「よくもこんな所まで!」とビックリしながら挨拶をした。ひょっとすると息子が出ているのかな?。その直後に、今度は彼女らとは反対側の隣のベンチに鳥栖の松本育夫監督が座ってきた。

試合のほうはともにビッグチャンスはあったが、ゴールネットを揺らすことは出来ずに引き分けであった。肝心の池上選手はボランチを務めていたが、それほど多くの場面に顔を出すタイプではなかった。まだ身体の線が細くて、プレーの姿勢も余り良くはなかった。自分でゴリゴリ行くタイプでもないし、技術が飛び抜けているわけでもなかった。フィードにしてもビックリさせられるほどではなかった。どこでもやれそうなユーティリティーはありそうだ。

総合的な評価をすれば、現在の東京のレギュラー陣に割り込むにはかなり時間が掛かるだろう。まずはもっと逞しい身体を作ること、そして、もっともっと走り回って自分のプレーをアピールすることから始めなければ使って貰えないだろう。実際に、仙台大学のキャプテン10番・大橋君のほうが頑張っており、池上君より目立っていた。しかし、第2試合に出場した筑波大学の藤本選手も含めて、J1で即、通用しそうな選手は見られなかった。


       いつもながら江戸川区陸上競技場の芝が荒れており、選手には気の毒であった
Jユースサハラカップ2005 準々決勝 DATE:2005年12月18日■ TOP▲

2005年12月17日 Jユースサハラカップ2005 準々決勝:
於:フクダ電子アリーナ


FC東京U-18 0 0 前半 0 1 清水エスパルスユース

         0 後半 1

                    フクダ電子アリーナ正面→

通称「フクアリ」は、観客動員に悩むジェフ市原が千葉を本拠地に改める為の切り札として建設したサッカー専用スタジアムである。スタジアム周りに植栽がなされてはいるが、公園のなかではなく殺伐として工業地帯の真ん中に建っている。専用球技場だがラグビーにも使用しているようで、この日のピッチにもラグビー用のラインが残っていた。

この大会は、ユース年代の最高峰であるプリンスリーグ復活を決めた彼らの最後の晴れの舞台であった。それだけにU-15に在籍していた教え子がU-18に昇格出来なかったのが未だに残念でならない。それでも今年のユース(高校3年生)からは誰ひとりとしてトップチームに上がることが出来なかったほどプロへの道は本当に厳しいものだ。まだ体格的にも未完成なのだから、それぞれ大学チームへ進学して、ひと回り大きく成長して欲しいものである。

そんな選手達を応援するのと、新装開店したフクアリを見学する為にバイクにまたがった。ところが、今冬初襲来の第一級寒波のせいで大変な遠征であった。寒さだけなら何とでもなるが、おまけに午前中はかなりの強風が吹き荒れた。途中で引き返そうかと思ったほどであったが、思い込んだらあとには引かないのが年寄りの頑固さである。スタジアムも風通しがよく出来過ぎていて、寒風が吹き抜けるなか、日陰のメインスタンドで震えるようにしての観戦であった。

スタジアム自体の規模(18,500席)や屋根がスタンドを覆い尽くす様は仙台スタジアムに似通っている。ジェフにはもってこいの立地条件と大きさであろう。このスタジアムをいつも満員に出来るようになれば、この移転策は大成功と言えるだろう。東京にも満員に出来る3、4万人規模の専用スタジアムがあると最高だが、僕にとっては味スタが交通の便が良いのだから贅沢を言わない方が賢いかもしれない。

さて、肝心の試合のほうは、試合開始から全くの東京優勢で進むのであった。ゴールが生れるのは時間の問題で、僕の中では楽勝ムードが高まった。ここで点が取れていたらスンナリ終わっていたのだろうが、チャンスの形は作るものの最後を決めきれない時間がずっと流れてしまった。結局、前半を双方無得点のまま終わった。ついに、後半は全く互角の展開に落ち着いてしまった。こうなると、どちらが勝つか分からなくなってしまった。

J2シーズン終盤に見せた僕の「運気」の強さが残っていれば勝てるだろうと思った。ロスタイムに入り、引き分けなら即行われるPK戦を覚悟した。ところが、PA外からのFKをヘッドで繋がれて、ヘディング・シュートをゴールに押し込まれてしまった。万事休した。試合終了の笛に泣き崩れる選手の姿に後ろ髪を引かれながらスタジアムを後にした。どうやら強烈だった僕の「運気」は入れ替え戦第2戦の行われた日立台で使い尽くしていたようである。



                 フクダ電子アリーナのスタンド全景
追記:
後日行われたJユースサハラカップの結果は、準決勝が清水ユース6−2ガンバユース、決勝が清水ユース4−1神戸ユースと、清水の圧勝であった。つまり、準々決勝の試合を見た限りでは、実に「逃がした魚は大きかった!」と言える。あそこでしっかりと点を取っていたら、東京の優勝の目が限りなく大きかった、と言うことである。あとの祭りだ。
「スイス、歓喜!!!」ドイツW杯出場決定 DATE:2005年11月17日■ TOP▲

ドイツW杯欧州予選の残り3枚の切符を争うプレーオフは、11月12日に第1戦、16日に第2戦が行われた。

僕は定年までの30年以上をスイス企業で働いて生計をたててきた。また、長期に亘り工業都市バーゼルに滞在し、セントヤコブ・スタジアムを始めとする彼の地のサッカー場に通った経験もある。パブで酔っ払いのおっちゃん達と一緒にテレビでヨーロッパ選手権を眺めたこともあった。そんな僕にとっては、オーバーな表現かもしれないが、スイスは「もうひとつの母国」でもある。そんな国がW杯出場を争う場面を見逃す訳にはいかなかった。

首都ベルンで行われたトルコとの第1戦のホームゲームは、スイス国旗が無数に打ち振られる感動のシーンから始まった。スイス人があんなことをするのを初めて目にしたが、アメリカW杯以来のW杯出場を祈るスイス国民の期待の現れだったのだろう。この試合でのスイスチームの出来は完璧であった。結果は2:0の完封勝利であった。逆に言えば、FIFAランキングも実績も上回るトルコの戦い方が余りにも無様であったと言えるのかもしれない。

そして、第2戦はトルコの首都イスタンブールで行われた。先日の試合においてトルコ国歌斉唱の際にスイスサポーターがブーイングをかましたことで、トルコ国民は激怒し、スイスチームはイスタンブールの空港に到着した時から強烈なアウェイの洗礼を受けた。空港ではスイスチームの荷物を出さずに3時間も足止めを食らわせたのだ。何とか母国のチームをW杯に送り込みたい一心であったのだろう。既に戦いは始まっていた。

第2戦は日本時間夜中の3時過ぎから始まった。今度はお返しとばかりにトルコ国旗がスタジアムを埋めた、と思ったら急に画像が届かなくなった。トルコサポーターの声が凄くて通信に支障が出たとのこと。音声を国内中継に切り替えたことで映像が届くようになった。試合は開始早々に思わぬ展開を見せた。PA内で浦和にいたアルパイがハンドを犯し、スイスがPKで先制したのである(1分)。トルコは4点取らなければならなくなった。「これは勝った!」と思った。

ところが、トルコのホームゲームのスタジアムの凄さは想像を絶していた。前半のうちに2点を取り返された(22分、36分)。僕もちょっとビビリ出した。そして、後半しばらくして3点目を取られた(52分)。これで2試合通算で3:3になった。アウェイでのゴールが効いて、まだスイスが一歩リードするものの、次を決められれば逆転である。ついに尻に火が点いた。僕の心臓はパクパクしてきた。トルコも疲れが見え始めて、かなり攻撃を凌げるようになってきた。

残り6分でスイスに追加点がころがり込んだ(84分)。「これで決まった!」と思った。諦めて帰り出すトルコサポーターも出てきた。ところが、トルコの選手はまだ諦めない。そして、終了間際にまた4:4に追い付かれた(89分)。ロスタイムは4分。その時間の長かったこと。トルコの猛攻に耐えながらも、ついに終了の笛が吹かれた。スイスの選手達の歓喜は一瞬だけだった。余韻に浸る暇もなく、選手達はダッシュしてグランドから姿を消した。暴動を恐れてのことだ。

それにしてもトルコサポーターは凄かった。スイスがボールを持つとブーイングがスタンドを揺るがす。応援歌を唄うのではなく、威嚇するような掛け声がひとつになってグランドに突き刺さる。劣勢がハッキリするとグランドには物が投げ込まれる。サッカー専用グランドだから怖いこと、この上もない。試合終了と同時にスイスの選手達がグランドから逃げ出したのも理解出来る。きっと、更衣室に戻って飛び跳ねていることだろう。


後半38分にスイスの2点目が決まり喜ぶ

Valon Behrami





試合終了後、出口にダッシュするスイス選手に蹴りが入る
         →
TFA T1リーグ U-18 2005 第8節 DATE:2005年07月17日■ TOP▲

2005年7月16日 TFA T1リーグ U-18 2005 第8節:アミノバイタル・フィールド

FC東京U-18 4 4 前半 0 1 三菱養和ユース
          0 後半 1
17分:大竹洋平
29分:金森洋充
36分:村田翔
37分:永露大輔

ユースに詳しくない僕でもプリンスリーグがユース年代の最高峰であることは承知している。来年のプリンスリーグ入りを目指して、クラブチームが2、高校チームが10の計12チームでリーグ戦を戦っている。その中で1位のチームのみ来期の東京代表として出場する権利を得ることになっている。
詳しくは右記のホームページをご参照下さい;http://www.tleague-u18.com/

これまでの7節を終わった時点で、三菱養和が勝点18で首位、FC東京が勝点17で2位につけている。3位は勝点16の駒場高校である。FC東京の残り3試合が8位の久留米高校、11位の東海大学菅生高校、9位の実践学園高校ということは、この三菱養和に勝利することが極めて重要であると、ここまで書いてきたが、恥ずかしながらすべて後から調べた結果である。実を言えば、大事な試合だから応援に来てくれ、という2ちゃんねるの誘いに乗っただけである。

何故ならば、U-15深川のレギュラーに残っていた僕の教え子は、残念ながらU-18へ昇級することは出来なかったので、一気にFC東京のU-18に興味を失ったせいもある。久し振りに見るジュニアユースの選手は大きな成長を見せてくれた。いろいろな階段を上がっていく選手達が、最終的にJ1の舞台に立つことの難しさを痛感させられた。身体の大きさ、身体的な運動能力、精神的な強さ、いろいろな要素の掛け算が最高値を示すものだけに許される難関なのだ。

試合は東京にとって理想的な形で進んだ。サイドからの美しいクロスに合わせたヘディング・シュート、ひとりで持ち込んでしっかり狭いサイドを破る正確なシュート等々、トップ・チームに見本として見せたいくらいのゴール・オンパレードであった。実力差とはかけ離れたゴール・ラッシュは何に起因するのだろうか。答えはモチベーションの違いと言えるのではないだろうか。東京の応援にたくさんのサポーターと横断幕が取り巻いていた。太鼓がなくとも張り切らざるを得ないだろう。


        アメリカン・フットボール場の様な人工芝のアミノバイタル・フィールド


この夜のJ2:山形vs.徳島戦をスカパーで放送していた。本当に久し振りに小峯の生プレーを楽しんだ。なんと、小峯がリベロをやっていた。信じられますか? 彼らしいハード・タックルでイエロー・カードまで貰っていた。さらに体重が多めになっており、コロコロ感は健在だった。アマラオといい、小峯といい、いくつになってもグランドで勝負がしたい、本当にサッカーが好きなんだなあ、と羨ましくもあり、嬉しくもあった。頑張れよ〜お!
総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント DATE:2005年07月11日■ TOP▲

2005年7月10日 
第29回総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント決勝戦:長居競技場

早稲田大学 2 0 前半 2 3 関西大学
         2 後半 1
51分:松橋           4分:阪本
63分:兵藤           44分:吉村
                 71分:オウンゴール

卒業生である元エスパルスの大榎監督率いる早稲田大ア式蹴球部は、僕にとっては特別な思い入れのあるチームである。現在、関東大学サッカー2部リーグにおいて首位をひた走り、来季には念願の1部返り咲きを果たすべく強化を図っている。そして、この大会では関東1部に属する駒大・流経大を破って決勝まで勝ち上がってきた。

その活躍を見に行くべく日程表をチェックしたところ、残念ながら大阪での開催であった。仕方なく、テレビ中継の有無を調べたら、なんとGAORAで生中継があるではないか。今までサッカー中継でこのテレビ局にお世話になったことはないが、この日は感謝の念を持ちながら、画面を食い入るように見詰めた。勿論、早稲田の勝利を祈りながら・・・。


現在の早稲田は他校からやっかみ半分だろうが「タレント集団」と言われているらしい。確かにアテネ五輪出場の徳永、世界ユース出場の兵頭など国見高出身者を多く集めていた。スポーツ選手の推薦入学制度の基準が部外者には分かりにくいので何ともコメントの仕様がないが、このメンバーならかなりの力は持っていることは想像に難くない。

試合は極めて面白い展開を見せた。押しまくられていた関大が先制点を上げ、さらに前半ロスタイムに追加点を拾った。後半は0:2からの早大の大反攻が期待された。そして、期待通り後半半ばまでに同点に追い付いた。この時点までにイケイケ状態だったので、逆転は時間の問題だと思われた。ところが、サッカーとは思い通りには行かないものだ。

CK一発が早大のオウンゴールを演出したのである。その後の20分間は関大の必死のディフェンスが功を奏して、関大に初優勝をもたらした。応援した早稲田が敗れた試合ではあったが、たっぷり2時間サッカーの楽しさを味あわせて貰った。ハード・スケジュールを戦い抜いた両チームの選手達に賛辞を送りたい。ありがとう、そして、ゆっくりお休みなさい。
世界ユース & 山形vs.仙台 DATE:2005年06月25日■ TOP▲

ドイツ遠征から帰って、まだ時差ボケに悩まされている。年は取りたくないものだが、昼間も時々眠くて仕方ない。それなのにサッカー中継の番組を見ると、見たくなってしまう「サッカー馬鹿」である。今日は世界ユースの準々決勝:ドイツvs.ブラジルの再放送と、J2:山形vs.仙台の生中継にチャンネルを合わせてしまった。

ユースのブラジル代表には驚かされた。体格面では劣るドイツに対しても見事なパスワークを見せ付けてゲームを完全にコントロールしていた。ドイツの組織的な守備に苦労はしたが順当に勝利をものにした。大型であるドイツの若者でさえブラジルの個人技には手を焼いている。小型な日本はスピードと組織プレーで勝負するしかないことを痛感した。

       

山形vs.仙台戦はいわゆる「東北ダービー」で盛り上がっていた。満員のスタジアムとにぎやかな応援合戦を見ていて涙が流れた。2万人に届くほどの今日の観客の入りも過去の最高には及ばないとのことである。認識不足ではあったが、東北であれほど激しいダービーが定着しつつあることがとても嬉しかった。やっぱり仙台のJ1経験が生きている。

逆に、東京ダービーの盛り上がらなさが悲しくもあった。
世界ユース選手権:ベナン戦 DATE:2005年06月16日■ TOP▲

世界ユース選手権 2005年6月15日 
パルクスタッド・リンブルク 観衆 12500人
 U-20日本代表 1 0 前半 1 1 U-20ベナン代表
           1 後半 0
 後20分:水野           前37分:マイガ

初戦のオランダ戦を惜しくも失った日本にとっては、出来るだけ上位で決勝トーナメント進出を決めるには絶対に勝点3をもぎ取っておきたい試合であった。FIFAランキングは100位以下とは言いながら、やはり相手はアフリカのチームであった。マイ・ボールにしたと思ったのに、どこからか長〜い足が出てきて絡め取られてしまう。選手としたらやり難いこと、この上ないし、こんな相手との戦いは慣れるしか術がない。若者達には本当に良い勉強である。

水野の見事なFKで同点!

そして、オランダの怪速男:オウス・アベイエに続いて、このチームにも世界標準の「怪物の卵」が存在した。それが背番号15をつけたオーモトヨシ(?)であった。身長175cm、体重82kgのがっちりした体躯で、ボールを取られないでスピードに乗って突破してくる。そして、PA直前になってエースFWのマイガにパスされてあっさりと先制弾を決められた。オランダ戦での経験を生かして、それまでは無難なゲーム運びが出来ていただけにとても残念だった。

後半半ばに水野の見事なPA外からのFKで同点としたが、オランダ戦の終了間際のようなワクワクする素晴らしい攻撃をこの日は見ることが出来なかった。結局、最後まで流れの中からの得点は奪えなかった。いろいろとFW陣の組み合わせを変えていたが、僕の好みではスピードのある前田の起用を試して欲しかった。この引き分けで次のオーストラリア戦では勝利が必須となってしまった。オランダに0:3で負けたくらいだから何とかなりそうではあるが・・・。
世界ユース選手権、開幕! DATE:2005年06月14日■ TOP▲

世界ユース選手権 2005年6月10日 
パルクスタッド・リンブルク 観衆 19500人
 U-20日本代表 1 0 前半 2 2 U-20オランダ代表
           1 後半 0
 後23分:平山           前7分:アフェレイ
                   18分:バベル

若者達のワールド・カップがオランダで始まった。日本代表の活躍を期待するのは勿論、いつも世界中からどんな「怪物の卵」が登場するかが楽しみな大会である。さらに今回は東京から増嶋と梶山が選出されているし、監督も大熊監督である。そんな期待を胸に、夜中にベッドから抜け出した。

ああ、同点機を逃す!

ところが、開始早々から度肝を抜かれてしまった。テレビを通して見ていた我々がそう感じたのだから、選手のほうはパニックに陥ったのだろう。特に、オウス・アベイエの対面に当たった北斗君には気の毒な気がした。前半の半ばまでケチョンケチョンにやられた。オランダはまさにアフリカのチームであった。若年層のアフリカ系選手の早熟な身体能力は不公平とさえ思えるほどである。オランダチームには、白人選手は4-5人しかいなかったように見えた。

前半の半ば過ぎから、やっと対応に慣れてきた様子が見て取れひと安心であった。後半戦は一進一退でゲームが動いたが、後半半ばの水野のFKから平山がヘッドで決めた辺りから日本のイケイケになった。終了間際にはカレン・森本ともにGKと1対1の場面まで攻め込んだ。このチャンスに決められなかった時は、さすがに大声で叫んでしまった。その時は、僕も上の写真と同じポーズであった。悔しかった〜あ! ここで失った勝点1があとで響かないことを切に望む。
W杯南米予選:至福の時に感謝! DATE:2005年06月10日■ TOP▲

2005年6月8日 Club Atletico River Plate(アルゼンチン)
アルゼンチン代表 3 3 前半 0 1 ブラジル代表
           0 後半 1
4分:クレスポ           後27分:ロベルト・カルロス
18分:リケルメ
40分:クレスポ

前回のブラジルとアルゼンチンの激突をテレビで生観戦して絶対に見逃せない試合があると確信していた。だから、わざわざこの日を指折り数えてきた「サッカーばか」である。ところが、放送が始まると、W杯南米枠の5つを争う予選ではあるが、現時点で1位と2位を占める両巨頭にとって、この試合は史上最大の親善試合であると噂されていた、とのコメントに大いに気勢をそがれた。

勝利の立役者:クレスポ

凡戦になるかもしれないという不安を感じながら、テレビ画面を食い入るように見詰めた。開始早々にその心配は吹き飛んだ。ホームのアルゼンチンは前回のリベンジに燃えていた。前回の前半がのんびりとスタートしたのとは大違いに、アルゼンチンのプレスがガツガツと決まっていく。その攻勢からあっという間にクレスポの思い切りのいいシュートがブラジルゴールを揺らした。

ブラジルが無反応のまま、アルゼンチンは前半にあと2点を追加した。最低限の戦う気持ちが不可欠という精神力の大切さを痛感させてくれた前半であった。遅まきながら、後半に入ってブラジルがやる気を出してきた。だが、アルゼンチンも実力のあるチームである。あのブラジルに攻めさせながらも、最後の一線はしっかり守り抜く。結局、度肝を抜かれるようなロベ・カルのFKによる1点だけに押さえ込んだ。

前回の両巨頭の戦いで「猛獣同士のヘビー級タイトルマッチ」と表したが、今回もその評価は変らなかった。今回強く感じたのは高さだけでなく、胸板の厚さに象徴されるフィジカル面の強さであった。数年前には華奢だと思っていたサビオラでさえ、上半身も下半身もがっちりとした逞しい青年に育っていた。そして、相手と当たっても簡単には倒れないのである。もう、立派な「南米の戦士」であった。

日本代表がドイツW杯の出場を決めた。だが、こんな連中と対等に戦えなければ、トーナメント進出は叶わない。北朝鮮に勝って日本に帰ってきたこの日、凱旋記者会見での中田の「正直なところ、今このチームでは本大会を勝ち抜く力はない。」との発言はまさに的を射ていると思う。今から鍛えてもあんな身体にはなりようがない。日本に出来ることは、組織防衛を図ることしかない。ジーコ監督にそれが出来るのか、僕には分からない。彼を100%信じられる人が羨ましい。
応援三昧:三態」 DATE:2005年03月15日■ TOP▲

サッカーの応援には、ヒトにより、いろいろなスタイルがある。さらに、同じヒトであっても、応援するチームが違えばスタイルも異なる。そして、その温度も違ってくるのはもちろんである。現在の僕は、日本代表、東京、甲府で明らかに応援のスタイルを使い分けている。

まず、一番テンションが低いのが、日本代表の応援である。それはフランスW杯最終予選の頃から大きく変化した。チケットが極めて取れにくくなっているように、現在の代表は、僕のような年寄りの声出しを必要としてはいない。好きか、嫌いかは別にして、応援歌を一緒に唄うことはもうほとんど無い。何とかチケットを確保して現場に赴き、皆と一緒にブルーシートをかざすことは厭わないが、試合中はせいぜい手拍子で応援歌に合わせる位である。

一方、東京の応援には、もう少し真面目に取り組んでいる。YNWAは大声で唄うし、応援歌も手拍子と共に一緒に合わせて唄うようにしている。但し、立ちっ放しで跳ねながら唄うことはほとんどない。老体に鞭打って立つのは、アウェイゲームでヒトが極端に少ない時ぐらいである。ホームゲームのゴール裏は「もう若者達に任せた!」と言う状態になっている。

ところが、甲府はまだそうは行かない。J1を経験したチームが小瀬に来ると、アウェイ・サポーターの応援に圧倒されてしまうのだ。これは極めて屈辱的で、堪らないほど悔しくてしかたがない。だから、跳ねることは出来ないけれど、僕の応援歌のボリュームは、東京でのそれとは比較にならないくらい高い。根本的に甲府はまだ僕の声でさえ必要としていると感じるからである。

さてさて、今、悩んでいることがひとつある。今月末の日本代表のイランでの恐怖のアウェイ戦で、どんな応援スタイルを選択するかである。声出しはもちろんだが、サラリーマン生活も終えた自由な身分だから、思い切り派手なパーフォーマンスも面白いかな、と思っている。

いくつになっても、「サッカーばか」な僕である


 
第10回全日本フットサル選手権 DATE:2005年02月06日■ TOP▲

PUMA CUP 2005 第10回全日本フットサル選手権最終日が駒澤体育館で行われた。
日本最高レベルのフットサルを初体験すべく、「サッカーばか」は,、例によってのこのこと出掛けてきた。
今日は最終日とあって、大会唯一の有料試合であったが、11時半にはチケットが売り切れてしまった。
そして、決勝戦の観客は1,800人を超えた



      駒澤体育館の入口        大会の概要を示すパネル     コートのスコアボード

この日は下記の2ゲームを観戦した;

3位決定戦:10:00〜
Daiwa Sports Nanshin Futsal Club(北海道代表) vs P.S.T.C.LONDRINA(関東代表/神奈川県)


追い込まれたLONDRINAが終盤に仕掛けた総攻撃態勢で、GKまでフィールド・プレーヤーが務めた場面(ゴレイロに仕立てる、と言うらしい)がとても興味深かった。但し、守備に入った時に、交代に失敗すると大変なことになるのも知った。試合は一時緊迫した状況になったが、最後はDaiwaが7:4で逃げ切った。


                   駒澤体育館内部の雰囲気

決勝戦:12:00〜
FIRE FOX(関東代表/東京都)
vs EMERSON F・C(東海代表/静岡県)

FIRE FOXが実力的に明らかに上で、7:1で余裕を持って優勝した。素人が見ても、FIRE FOXの11番小暮選手のプレーは凄かった。スピードとプレーのキレが抜きん出ていた。



            決勝戦前の高円宮妃殿下と川渕キャプテンによる選手激励

初めてフットサルの試合を観戦したが、なかなか面白かったヨ。但し、体育館という密室なだけに、鳴り物入りの応援は凄くうるさくて、ちょっと閉口した。
第83回全国高校サッカー選手権大会 DATE:2005年01月10日■ TOP▲

高校サッカーも終わった:1月10日(月)

今日の国立は、鹿実応援団以外は余り燃えていなかったように感じた。
特に、前半は眠くなるような展開だった。
ともにガチガチに守りを優先しているのか、攻撃に何の意図を感じぬままに終わった。

後半はゴール前の攻防に面白い場面もあったが、
中立の立場の僕にとっては、早目にどちらかに点が入った方が面白い展開になったのかもしれない。
目を見張るような選手も居らず、なんとも拍子抜けして、単に長い時間スタジアムにいただけのようであった。

例年、優秀選手の発表までスタジアムに残っているのだが、今年は表彰式のみであっさりとスタジアムを後にした。


         例年通りのバックスタンドでの高みの見物:試合開始前の両チームの挨拶

またまた、癒しの国立:1月 8日(土)


今日の国立は燃えました。

第1試合の国見vs鹿実は、やっぱり番狂わせでした。
鹿実のフィジカル勝ちでしょうか?
それとも作戦勝ちでしょうか?
国見のいつものロングボールの放り込みが全く封じられていました。

第2試合の市船vs星稜は、最後にもの凄く盛り上がりました。
ロスタイムの星稜の同点ゴールにはスタンド中が大拍手でした。
みんな、本当に高校サッカーを楽しんでいるかのようでした。
おまけのPK戦は、涙無しには語れません。
最後の最後まで、星稜の選手達に拍手を送って、帰途につきました。

とっても疲れたよ〜お!


                    国見vs鹿児島実業


                     星稜vs市立船橋

強豪が順当勝ち1月6日(木)

夕方になるまでは陽差しの暖かい三ツ沢であった。

第1試合は国見vs盛岡商、前半の3:0で楽勝と思われた国見が後半失速した。
後半半ば過ぎに見せた盛岡商の素早いパス回しは判官びいきの観客を沸かせた。
残念ながら、番狂わせを起こすことは出来なかったが、試合後に観客から大きな拍手を貰った。

第2試合は市船vs鵬翔、前評価の高い鵬翔の興梠君の動きを追った。
それなりの能力は見せてくれたが、市船のDF陣はそれほど自由な働きをさせなかった。
試合運びにそつない市船が、何となく3点も獲ってしまった感が強いゲームであった。

結局、強豪と言われるチームが順当に勝ち上がった三ツ沢でした。


                     鵬翔vs市立船橋

一日だけの駒澤:1月 4日(火)

昨日は駒沢に駆け付けた。
東京勢が消えてしまったので、特にお目当てはなかった。

前橋商も鹿実もDFセンターのキャプテンが大活躍をして、ベスト8へ進出した。

組み合わせを見て、急遽、5日は三ツ沢への参戦に変更した。国見と市船が見たくなったから・・・。


                     前橋商vs仙台育英


                     北海vs鹿児島実業

東京勢、早々に敗退:1月 3日(月)

昨日も西が丘に駆け付けた。
東京勢は、何ともあっけなく消えてしまった。

帝京以外の東京勢はいつも早々に敗退してしまう。

強豪というプレッシャーを相手に与えることが出来ないのだと思う。

実践も修徳も有効な攻め手を持っていなかったことが痛かった。

おまけに、山梨の韮崎まで負けてしまった。
ロスタイムに追い付いたのに、とても残念だった。
小瀬のゴール裏でビッグフラッグを振っているおねえさん二人が、
西が丘まで韮崎の応援に来ていたのに感激した。

今日からは駒澤参りだ!


                         修徳vs鹿児島実業


                     韮崎vs北海

西が丘、前半で撤退:12月31日(金)

実践vs済美を見るために、西が丘までバイクで行った。メチャ寒かった。
なんと、大学サッカーよりも高校サッカーの方が入場料が高いことを初めて知った。
それでも、高校サッカーの方が客が入っている。需要と供給の関係から仕方なしか?

前半、実践が済美に押しまくられた。

ところが、前半終了15分前頃から雪が激しくなった。
このまま降り続けるとバイク走行が危険になりそうなので、

ここで撤退することにした。勝負はついたと判断したこともあるが・・・

家に帰ってから、暖かい室内でぬくぬくと録画を見ながら実践の敗戦を確認した。
第53回全日本大学サッカー選手権大会 DATE:2004年12月26日■ TOP▲

癒しの西が丘(2):12月26日(日)21時04分26秒


今日も全日本大学サッカー選手権の準決勝を西が丘まで見に行ってきた。
流通経済大が負けて、栗澤君は決勝に出ることが出来なかった。
筑波大も駒澤大に負けてしまい、今日は番狂わせのオンパレードだった。

今日、気に入った選手がひとりいた、立命館大の14MF関君だ。

小柄ではあるが、彼の足先を駆使した細かい技術に魅了された。

各大学の関係者以外にも、僕のような年寄のサッカー好きなおじさんがたくさんいたのが印象的だった。

困った酔っ払い(僕ではないよ)もいたけれど・・・

癒しの西が丘:12月23日(木)21時22分44秒

全日本大学サッカー選手権の準々決勝を、バイクを飛ばして、西が丘まで見に行ってきた。
本来の目的は、来季東京に加入する栗澤を見たかったのだが、怪我で出場せず、ちょっと拍子抜け。
代わりに、期待していなかった平山がフェースマスクをして登場したが、相変わらず。

中大vs流通経済大の試合は、意図するパス回しが見えて、とても面白かった。

筑波大vs福岡大の試合は、ちょっといいかげんで、眠くて仕方なかった。
でも、アルコールが廻ったせいもあるけれど
・・・

一次予選の駒澤:12月03日(金)

暇に任せて駒澤公園まで大学サッカーを見にやって来た

高知大vs東北学院大の試合は、どちらも決め手に欠け、0:0のスコアレスドローで終わった。

駒澤大vs亜細亜大の試合は、前半は何とか亜細亜大が踏ん張ったが、後半は耐えられなくなり4点を獲られてしまった。

ガラガラのスタンドはちょっと寂しかった。


               亜細亜大vs駒澤大の試合開始前の挨拶

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