2013年 月 14日 (金)
流れ星
先日の6月9日、皇太子夫妻が結婚20周年を迎えたという。その報道に触れたこの機会に、僕のブログにそぐわない話題ではあるけれど長いこと言いたかったことを書いてみようと思いたった。この件について書くと里が知られることにもなるのだが、そのあたりの僕の中の城壁はこのごろかなり崩れてきている。そして長いこと日本から離れているために皇室というものについて勝手なことを書くことがいったいどの程度まで常識によって許されているのかというセンスについても僕はもう疎くなってしまっているので、そのあたりについては余計な考慮はせずにまどろっこしい敬語や敬称も省いて自分勝手に書いてしまおうと思う。
あれから20年も経ったのかと思うと驚いてしまった。が、自分の人生のこの20年を思えば、たしかにそれだけの年月が過ぎたのだなと悟る。すでにパリに住んでいた僕は20年前のあのロイヤル・ウェディングをたぶん普通の人とはだいぶ違った感慨深さで遠くから眺めていたと思う。そしてあのときの日本じゅうに花を咲かせたような華々しいスタートを切った笑顔の雅子妃があれからたどって至った末の今日の姿をときどき垣間見るにつけ、まったく他人事ではあるのだが僕は今でもとらえどころのない大きな壁に向かって無念の何かをぶつけてみたくなる。
あの結婚式からさかのぼること半年ほど、1993年始めの頃に僕のところに友人からファックスが入ってきた。携帯電話もインターネットもなかったあのころ、ファックスが庶民にとっての最新通信手段で僕たちは仲間どうしで遊びのようにしてファックスを送りあっていたものだ。
そのファックスは皇太子妃に小和田雅子さんが決定したという新聞の号外のコピーだった。そして、そうは書かれていなかったが、その友人の暗黙の笑いを含んだ台詞が薄い感熱紙から聞こえてくるかのようだった。
「おまえがいつも言っていたことと話が違うじゃないか!」
話が違うと思ったのは誰よりも僕のほうで、その号外ニュースに僕は衝撃を受けて飛び上がって一人で「ええーっ!」叫び声を上げてしまった。
これは本当なのか!? どうしていつの間にこんなことになってしまったのだろう。
そして真っ先に一人の友人のことを思った。
「じゃあ、Tはどうなったのだろう?・・・」
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Tというのは僕の大学時代の数少ない友人だった。僕の大学時代というのは今思い返す記憶の中でも当時の気持ちにおいても少しも楽しいものではなく、だから授業にもほとんど出なかったし日々の行動も大学とは無縁の暮らしを送っていた。それでも同じ大学にいくらかの友達と呼べる人間はいて、その一人がTだった。それもTというのは同じクラスではあったものの最後の4年生になってから急に近づきになった男で、親しくなって話してみると共通の生い立ちや趣味があって意気投合し、それ以前に彼の知性と思慮深さと落ち着いた大人ぶりが僕に尊敬心を抱かせた。
そしてもしかしたら、日本人には珍しいほどに背が高くがっしりとした体格で太い眉を持つ彫りの深い顔の彼から「以前から思ってたんだけど、XXは格好いいよなぁ」などと正面きって言われたことで、まだ自分が同性愛者だと堂々と自認できてもいなかったあのときの僕の心は思いがけずにポーッとなったのかもしれない。いずれにしても大学四年になってから僕とTはよく一緒に食事や遊びに出かけ、あの頃の僕にとって一番親しくしていたのはこのTだった。
そのTがその夏に外交官試験に合格した。今ではどういう試験制度になっているのかよく知らないが、当時でいえば外交官試験一種という部類で要するに幹部キャリア用の試験で、もちろん難関だ。まあ、Tならば受かっても不思議ではなかったし、慎重穏やかな性格でまさに外交的配慮に富んだ彼ならばその職に最適だろうとも思った。
その年の秋頃だっただろうか。彼からある女性を紹介された。アメリカで育ちハーバード大の経済学部を卒業したあと僕たちの大学に学士入学してきた女性で、なにやら父親が外務省の重職だという。あのころ僕には事務次官などという言葉の意味がまったく分からず「次官ということはトップではなくて大勢いる下のレベルなのだな」などという間抜けな印象しか持たなかった。事務次官というのが官庁の実質トップの地位だということを悟ったのはそれから何年もあとになってからだ。
そんな父親のことよりも僕はその女性を見て電撃を受けたように驚いてしまった。なんという凛と颯爽とした知的な女性だろう。「父親のイラン在住のときにできた隠し子じゃないの、なんていう影の噂もあるくらいなんだよ」などといつかTが冗談を言って笑っていたが、そんな感じの輪郭のくっきりとした綺麗な顔だった。何よりも、品があって慎ましくてそれでいて意思をしっかりと持っている女性という感じで、控えめながらも何か一言を発するごとに「この人、なんて鋭くて頭がいいんだろう」と思わせる女性だった。
彼女も同時期に外交官試験に受かっていたということをそのときにも知った。だから日本の大学への在学もただのその職の道への通過点にすぎなかったわけだが、それから彼女とはキャンパス内でときどき会って昼食を一緒にとったりしながら、そのつど彼女への途方もない賞賛の念を僕は深めていった。
それが二十代はじめの小和田雅子さんとの僕の出会いだった。
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僕と小和田さんとの接点がそれで終わらなかった理由は思わぬところから湧いてきた。それから少ししてTが僕に小和田さんと特別な仲になったことを明かしてくれたのだった。彼女のことを「オワ」と呼んでいた彼も、決してノロけたりせず常に落ち着いていたが彼女との付き合いで顔は輝いていたし、それよりも僕が見たところむしろ小和田さんのほうがTにぞっこんになっていたように思う。そんなことに気づきながら僕が感じたことというのは、小和田さんくらいの女性となればその相手はTほどの男でなければ務まらないだろうという思いで、だから僕にとっては羨ましさや嫉妬なんていうものはまったく湧かず、まあなんと稀にみる立派なカップルがこんな身近に現れたことよという感心と賞賛でいっぱいだった。
彼ら二人はしょっちゅう会っていたようだが、お邪魔虫のように僕が彼らにくっついて三人で遊ぶこともあった。小和田さんのスキーにおけるものすごいレベルについてはTからも話を聞いていたが、三人でテニスをしたときには彼女のテニスのレベルにも驚いた。まあ僕もTもテニスはたしなむ程度で自慢できるほどの上手さではないのだが、小和田さんのテニスはこの女はテニスが上手い!と唸らされるレベルだった。動きそのものがスポーティそのものだったし、力強さがそこらの媚びにまみれた可愛い子ぶりっ子女子大生とは雲泥の差があって、彼女のテニスは真剣勝負のパワーに溢れていた。
そんなテニスゲームのあとである日彼女の運転する車で小和田家まで送ってもらったことも覚えている。いや、残念ながら家に上がりはしなかった。もう記憶がさだかではないのだが、たぶん何か次の用事で彼女が急いでいたときでTと僕はそのあと彼女の家から二人でどこかへと出かけていったような記憶がある。
彼らが二人きりでいるときにはどんな様子だったのかは知らないが、三人で話しているときの二人は特にベタベタすることもなくいかにもこの二人だというようなキリッとして品と節度のあるムードをかもし出していた。僕の図々しさもあったのだろう、このひととき自分が彼らの邪魔をしているのだという認識などまったく抱かなかったのを今ちょっと赤面しながら思い出している。小和田さんはいつも静かで控えめでありつつ、話すことはまるで言葉がキラキラ輝くのが目に見えるかのようにシャープで理知的で、彼女から聞く妹たちの話やアメリカ暮らしの話も僕には楽しかった。
それでも小和田さんがときどきTの腕に手を触れて愛しそうに寄り添っていた光景を今もはっきりと思い浮かべることができるし、何よりも二人はとても幸せそうに輝いていた。
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年が明けて春がきて大学を卒業するとTと小和田さんは揃って外務省へと入っていった。Tとはそう頻繁に会いはしなかったが何かと連絡をとりあってはいて、入省後も周囲に知られないようにこっそりと二人は付き合いつづけているのを知り安心もした。その頃には双方の両親にも公認の付き合いだったと思う。ただ、聞いていたことによると入省したての新人の毎日ときたら真夜中まで、ひどいときは明け方までの激務つづきで、平日のアフターファイブにゆっくりデートを楽しむなんていう暇はほとんどなかったらしい。
それでもTはひとつのことを楽しみにしていたようだ。外務省の新人は二年目の夏から一年間海外研修ということで欧米の大学院へ留学に出ることになっている。その期間は勉強という名目があるものの仕事から離れて比較的伸び伸びと過ごすことができる。おそらく希望と将来像をかんがみて言語と行き先を指定されるのだろうが、Tと小和田さんはうまく画策して二人そろってイギリスのオックスフォード大学へ留学することとなった。もちろん外務省側は二人の関係には気づいていなかったはずだ。
が、その留学に出る前のころに僕をすでに驚かせることが起きていた。なにやら小和田さんが浩宮皇太子の最有力なお妃候補に挙げられたのだ。その頃のことは多くの人が覚えていることだろう。「浩宮妃候補急浮上。24歳の外交官小和田雅子さん!」なんていう見出しでスクープを出したスポーツ新聞を皮切りに週刊誌がドッと彼女のことを追いかけはじめた。
あの頃は彼女を少しでも悪く言うようなマスコミは皆無だったのに、あれから十何年もたってから適応障害やらに陥って公務に障害が生じ始めて世間の攻撃を受けはじめると、やおら「そういえば昔彼女はこんなことをしたよ」と言わんばかりに過去の多くのくだらないことを歪曲してマスコミは広めはじめたようなのだが、その中には最初にお妃候補に挙げられたこの時期のエピソードもよく取り上げられている。
ひとつはお妃好捕としてスクープされたすぐの翌日、マスコミが勝手に彼女の家へと殺到した際に起こった出来事なのだが、出勤のために家を出ようとした彼女にカメラマンたちが一斉にフラッシュたをたいたのを受けて彼女が怒って「なんですか、あなたたちは。やめなさい」と叫んでバッグで顔を隠したという。それでもフラッシュをたき続けたカメラマンたちに「あなたたち、どこの会社なの。名刺を出しなさい!」と怒鳴ったという。
それを知ったとき、僕はそりゃそうだろうと全面的に小和田さんに同情した。そして若い - 24歳といったら大人ではあるが若いと思う - 女性なのに、よくもそこまで毅然としっかりした態度を大勢の男たちに向かって投げつけたものだとひたすら感心した。とっさの無礼の出来事に遭遇して、そこまでピシャリと言い放つことのできるその歳の一市民女性はそう多くはいまい。しかし彼女ならまさにそれができたことだろうと、僕には不思議でも何でもなかった。
このあたりの事件について僕は特別に詳しいというわけではないのだが、この時期に関して同じようにこれまた頻繁に広められているエピソードに次のようなものもある。
自宅前に張り込んでいたあるカメラマンの述懐らしいのだが、仕事へ向かうために家を出てきた小和田さんから話を引き出そうと食い下がったものの一言も口をきいてもらえずに駅までたどり着いてしまった。そのカメラマンはどうしても小和田さんの写真を撮りたくて、彼女がいた上り線ホームとは線路をはさんだ反対側の下り線ホームへと身を移してそこから人混みに紛れてレンズを向けて写真に収めたとのこと。その瞬間に小和田さんは気づき、と思うと全力疾走でホームとホームをつなぐ陸橋を駆け上っていってカメラマンへと突進していったらしい。そして彼の胸倉を両手で掴んでゆすぶって「フィルムを出してください!」と叫んだとのこと。そのものすごい剣幕にカメラマンはたじたじとなったらしい。
しかしこういうエピソードが世に広まったのは、実際の日からずっとずっと後になってからのこと。それもすでに適応障害を起こして世間の顰蹙を買いはじめたころに持ち出してきて「だいたいあの女は昔から鬼のような我がままな女でね・・・」というニュアンスで広められたようで、僕はそのことについて言いたいことが山ほどあるのだが言うのはやめよう。
お妃候補に挙げられてマスコミに追われていたころにTは一生懸命に自分の存在を隠していたのを覚えている。二人で外出するときにはまるで有名人の逃避行のようにサングラスをしてなるべく人がデートで出向かないようなところを選ぶのに苦労しているとも言っていた。彼の存在が浮上すればお妃候補から下ろされるのだからむしろ好都合だろうというのは安易な想像で、それがバレるのがマスコミのせいだとなっては誰だってたまらないだろう。それに外務省に対しても二人はおそらく自分たちの関係を秘密にしておきたかったことと思う。なにしろこれから二人そろってイギリスへ留学するという直前だったのだから。
ともかくもTと小和田さんはそろってイギリスへの留学へと発った。そして僕はTとはけっこうマメに手紙のやりとりをした。安易なメール全盛時代の今から思えばなんとも壮大古典的な交信だ。海を隔てた遠いところから二人それぞれ万年筆を執って縦書き便箋に何枚もの文をしたためて送りあうのだ。しかしあの頃僕は多くの友達にそうやって肉筆ペン縦書きの手紙を一生懸命暇さえあれば書いて送っていたものだ。Tからはイギリスのしとやかな雨に打たれた優しい緑の中のキャンパスで小和田さんとひっそり仲良く幸せに過ごしている旨が伝えられてきた。
それからの数年のことはあまり僕は覚えていない。イギリスから戻ってきたあとは二人とも激務に追われていたようだし、そうだ、何よりも僕も自分の福岡勤務、東京での仕事そして留学準備などでそういつまでも彼としみじみ長文の手紙をしたためあう余裕はなかったのだろう。
それでも彼の手紙の中に書かれてあったことでよく覚えていることがある。そういうことを明かすのに時効というものがあるのかどうだか分からないが - たぶんないだろう - それでも書いてしまえば、小和田さんとはもちろん肉体的な関係でつながって愛し合っているということ、そして二人とも結婚を考えているということだった。
ただ外交官どうしの結婚は果たしてどういうものか。そのことが二人の一番の深い悩みだということをTは言っていた。
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それからしばらく数年のあいだ小和田さんの周辺は静かだったような覚えがある。当然宮内庁もマスコミも知るべきことを知って彼女のお妃候補説を取り下げたのだろうと僕は思った。皇太子のお妃ともなれば、誰もがはばかってそうはっきりは言わないが過去に男とつき合ったことのある女性は – ましてや処女ではない女性は – 何がなんでも候補からはずされることだろう。ギャーギャー騒いではみたが調べてみたら決定的に不合格だということが分かってマスコミ一同シーンと静まり返ったのだろう、そう思っていた。
僕がパリにやって来てすぐの留学中のとき − 冬だったが − 一度Tが出張でベルギーに来たときに、ならばついでにパリで会おうかとか言う話になった。「じゃあ何日の何時にシャトレーで」という約束をしたのだが、今思えばなんとおろそかな馬鹿な取り決めだったことか。実際にTはわざわざブラッセルからシャトレーまでやって来てくれたのだが、そのころ僕はパリ郊外にあるキャンパス寮に住んでいてパリについてもまだ不慣れで、お互いシャトレーに向かったもののその辺りをウロウロ・・・。あれはちょうど「じゃあ、新宿で待ち合わせね」と言い合って互いに新宿へと向かったというに等しいあまりにもざっくばらんすぎる待ち合わせだった。しつこいが携帯電話などない時代だから、もちろん結局会えずじまいだった。でもあの頃もまだTと小和田さんはつき合っていた記憶がある。
なのに、それから一年ほどたったときにあの号外のお妃決定ファックスが僕の家に飛び込んできたのだ。
どうしてまた小和田さんに決まったのだろう。いや、決まってしまったのだろう。不思議で疑問で頭がいっぱいになると同時に、猛烈な残念さが襲ってきた。彼女のお妃候補に関してはそれまでも僕も友人たちといろいろ議論をしてきていたから、彼女が皇太子妃となった場合にはどういうメリットがあって – 本人にとっても日本という国にとっても – そしてどういうデメリットがあるかということはさんざん僕なりに意見があった。それでもそんな議論は楽しみのための空論にすぎず、結局は「まあ、絶対にならないだろうな」という確信と安心感がずっと僕にはあったのだ。
本当かどうか知らないが、巷の噂によれば浩宮があまりにも小和田さんを気に入って頑固に言い張り、「処女でなくてもいい」とすら言ったとかどうだとか。なにしろ5年もかけて宮内庁や周囲そして小和田さん本人と彼女の家族を説得しきったのだ。
まあ、そんなことはどうでもいい。それよりもいったい小和田さん自身はどういう気持ちの整理をしたのだろうという疑問のほうが僕に強く迫ってきた。そしてもちろん思った。Tと彼女はどうなったのだろう・・・
もちろん別れたのだろう。それは分かった。それ以外に解はない。二人は納得して別れたのだろうか。別れの原因はこの皇太子婚約と関係あるのだろうか。
正式にお妃候補となった – 僕から見れば「なってしまった」と言いたかった – 小和田さんは、それ以降もはや「小和田さん」ではなくなった。「雅子さま」と国を挙げてもてはやされ、どれほどの美人であることか、どれほどの才女であることか、毎日のように取りざたされた。もちろん僕の知らなかった彼女の側面もあり余る報道によって知ることができ、いずれにしても広められている彼女への賞賛が僕の印象に合致していたからその点では何だか嬉しかった。
しかし嬉しさよりも – そのときは漠然とした思いだったが – やはり大きな大きな惜念のようなものが僕の中にドスンと居座っていた。それはすでによく言われていたように外交官としての彼女の将来がこれでふいになるという、大げさに言えば日本という国にとっての損失への思いであると同時に、もちろんほとんどの人が知らなかったであろうTとの将来がこれで完全に失われたということへの吹っ切れぬ僕なりの思いだった。
そしてそんな負の思いを僕は世間に言うことができずに一人でジクジクした思いを抑えこんでいた。しばらくTと連絡をとっていなかったが、これを機会に「ねえねえ、いったいどうしたんだよ!?」などと連絡を入れるようなことはできず、もちろん彼のほうからわざわざ僕にことのいきさつを教えてくれるために連絡をくれるはずもなく、結局僕は一人でポカーンと日本皇室の慶事というイベントの大きな波を遠くから眺めているほかなかった。
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皇太子妃になった小和田さんのその後の20年については僕が描写する必要はないだろう。いや、実際のところ僕はこの20年の彼女についてはほとんど何も知らない。日本に住んでいる皆のほうがはるかに多くのことを知っているはずだ。なにやら精神を病んで、それがさまざまな憶測を呼び、奇行と呼べるような言動も取りざたされはじめ、中でも跡継ぎの問題が日本じゅうで議論される中、そういう報道にも僕はほとんど目を向けてきていない。
それでもふと何かの拍子に彼女に関することが否応なく目に入ってくる。ときには開いた口が塞がらないほどに彼女への猛烈な批判 – 罵倒といってもいいほどの – 雑言があちこちで無数に広められているのも目に入ってきた。そのたびに「何を言っている!」と僕は心の中で唖然としながら彼女をかばっていた。
しかし年月というものは重い。残酷でもある。皇室という世界へと入った彼女の人生も環境も、もはや僕が覚えている彼女をあのままの形で育て発展させていくはずなどないということも分かっていた。それが果たしてどんな影響を彼女に与えるのか、誰もが関心を持って眺めてきていたことだろうし、そして誰も前もってその答を見通すことなどできなかったことだろう。
皇室という日本にとっての重要な地位と責務という面から見れば、彼女の実績については喧々諤々の議論がなされてもおかしくはない。本当はこんなふうになるはずの人ではなかったんだよと言って彼女をかばったところで、不名誉な事実があるとしたらそれも事実なのだろう。そして事実を作るのは本人の資質だけではない。皇室という世界ともなればなおさらだ。
このごろは報道される彼女の写真をじっと見つめるようになった。構わずに自分の印象を自由勝手に書こう。なんという生気のない蝋人形のような醜い顔になってしまったことか。あの、キラキラと輝く大学生のときの凛々しい瞳はどこにも見当たらない。もはや抜け出ることのできない重い重い透明の網の目に体も精神も絡め取られて、人生を諦める寸前の中でとらえどころのない大きなものへの恨みを宿らせたかのような目をしている。
誰もが彼女のことを「雅子さま」と呼ぶ中で、僕はずっと「小和田さん」と彼女のことを呼んできている。別に自分を特別の位置づけに置いているのではなく、ただ単純に彼女は僕にとって「小和田さん」だったのだし、その後の彼女の道がどうなったとしても僕の人生と彼女が交差したときの思い出においては彼女はずっと「小和田さん」なのだ。「雅子さま」という呼称は職名といっていいような気がする。僕にとっての彼女は「小和田さん」という一人の女性にすぎない。そして僕とは別に、彼女のことを今も心の中でずっと「オワ」と呼んでいる一人の男もいるはずだ。
僕にとって彼女は一人の女性にすぎないと書きはしたが、しかしそう思うと同時に、一人の女性として生きることを許されない世界で彼女は生きているのだなということを改めてしみじみ思う。そのことを果たして彼女自身があらかじめ分かっていただろうか。
もちろん20年来僕は彼女とは個人的なつながりはまったくない。彼女だってたぶん僕のことなんかもう覚えていないかもしれない。しかし彼女がしっかりと心の中で、死んでも覚えているであろう男は少なくとも一人はいるだろう。
そうだった、あれはいつだっただろうか。思い出そうとするのだが、正確にいつのことだったどうしても思い出せない。しかし僕がパリに住み始めてから最初か二回目に東京へ休暇へ帰ったときだから、皇太子夫妻の結婚から4年か6年たった夏だったと思う。ものすごく久しぶりに僕はTと会うこととなり、仕事を特別に早く切り上げてくれた彼と夕食を一緒にした。
いろいろな話をした。触れていいのか分からずに僕は彼が言い出すまで待ったが、そのころにはもう吹っ切れていたのだろう、けっこうあっさりとTは小和田さんとの過ぎた思い出の片鱗を語ってくれた。仕方ないよ、やはり外交官どうしの結婚は難しいと二人で納得しあったことでもあるし・・・そんなことを言ったような言わなかったような。
それに彼がすでにすっきりとした様子だったのには背景があることも僕はそのとき知った。食事が終わると彼はちょっと家に寄っていかないかと誘ってくれたのだ。新婚の妻を紹介したいと。
夜遅く僕を迎えてくれたTの奥さんを見て僕は思わず彼らに聞こえてしまうほどの溜め息をついてしまった。
Tよ、なぜまたこの広い広い世界からこうも小和田さんに似た女性を見つけてきたのか。
そこにいたのはやはり凛とした理知的で慎ましく優雅な女性で、Tは幸せで誇らしげだった。しかし外見はあちこちで小和田さんと似ていたが、晴れてTの奥さんとなったこの女性はいかにも家庭的な感じの女性だった。よかったな、おめでとう。僕は嬉しくなり、そして安心した。
人生は不思議この上なく、ときに主の手を強引に離れていく。
Tが小和田さんと会うことなど、二人が生きているあいだにもう二度とあるわけがない。
でも僕の思い出の中で、彼らはどうしてもいつも一緒に現れる。

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あれから20年も経ったのかと思うと驚いてしまった。が、自分の人生のこの20年を思えば、たしかにそれだけの年月が過ぎたのだなと悟る。すでにパリに住んでいた僕は20年前のあのロイヤル・ウェディングをたぶん普通の人とはだいぶ違った感慨深さで遠くから眺めていたと思う。そしてあのときの日本じゅうに花を咲かせたような華々しいスタートを切った笑顔の雅子妃があれからたどって至った末の今日の姿をときどき垣間見るにつけ、まったく他人事ではあるのだが僕は今でもとらえどころのない大きな壁に向かって無念の何かをぶつけてみたくなる。
あの結婚式からさかのぼること半年ほど、1993年始めの頃に僕のところに友人からファックスが入ってきた。携帯電話もインターネットもなかったあのころ、ファックスが庶民にとっての最新通信手段で僕たちは仲間どうしで遊びのようにしてファックスを送りあっていたものだ。
そのファックスは皇太子妃に小和田雅子さんが決定したという新聞の号外のコピーだった。そして、そうは書かれていなかったが、その友人の暗黙の笑いを含んだ台詞が薄い感熱紙から聞こえてくるかのようだった。
「おまえがいつも言っていたことと話が違うじゃないか!」
話が違うと思ったのは誰よりも僕のほうで、その号外ニュースに僕は衝撃を受けて飛び上がって一人で「ええーっ!」叫び声を上げてしまった。
これは本当なのか!? どうしていつの間にこんなことになってしまったのだろう。
そして真っ先に一人の友人のことを思った。
「じゃあ、Tはどうなったのだろう?・・・」
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Tというのは僕の大学時代の数少ない友人だった。僕の大学時代というのは今思い返す記憶の中でも当時の気持ちにおいても少しも楽しいものではなく、だから授業にもほとんど出なかったし日々の行動も大学とは無縁の暮らしを送っていた。それでも同じ大学にいくらかの友達と呼べる人間はいて、その一人がTだった。それもTというのは同じクラスではあったものの最後の4年生になってから急に近づきになった男で、親しくなって話してみると共通の生い立ちや趣味があって意気投合し、それ以前に彼の知性と思慮深さと落ち着いた大人ぶりが僕に尊敬心を抱かせた。
そしてもしかしたら、日本人には珍しいほどに背が高くがっしりとした体格で太い眉を持つ彫りの深い顔の彼から「以前から思ってたんだけど、XXは格好いいよなぁ」などと正面きって言われたことで、まだ自分が同性愛者だと堂々と自認できてもいなかったあのときの僕の心は思いがけずにポーッとなったのかもしれない。いずれにしても大学四年になってから僕とTはよく一緒に食事や遊びに出かけ、あの頃の僕にとって一番親しくしていたのはこのTだった。
そのTがその夏に外交官試験に合格した。今ではどういう試験制度になっているのかよく知らないが、当時でいえば外交官試験一種という部類で要するに幹部キャリア用の試験で、もちろん難関だ。まあ、Tならば受かっても不思議ではなかったし、慎重穏やかな性格でまさに外交的配慮に富んだ彼ならばその職に最適だろうとも思った。
その年の秋頃だっただろうか。彼からある女性を紹介された。アメリカで育ちハーバード大の経済学部を卒業したあと僕たちの大学に学士入学してきた女性で、なにやら父親が外務省の重職だという。あのころ僕には事務次官などという言葉の意味がまったく分からず「次官ということはトップではなくて大勢いる下のレベルなのだな」などという間抜けな印象しか持たなかった。事務次官というのが官庁の実質トップの地位だということを悟ったのはそれから何年もあとになってからだ。
そんな父親のことよりも僕はその女性を見て電撃を受けたように驚いてしまった。なんという凛と颯爽とした知的な女性だろう。「父親のイラン在住のときにできた隠し子じゃないの、なんていう影の噂もあるくらいなんだよ」などといつかTが冗談を言って笑っていたが、そんな感じの輪郭のくっきりとした綺麗な顔だった。何よりも、品があって慎ましくてそれでいて意思をしっかりと持っている女性という感じで、控えめながらも何か一言を発するごとに「この人、なんて鋭くて頭がいいんだろう」と思わせる女性だった。
彼女も同時期に外交官試験に受かっていたということをそのときにも知った。だから日本の大学への在学もただのその職の道への通過点にすぎなかったわけだが、それから彼女とはキャンパス内でときどき会って昼食を一緒にとったりしながら、そのつど彼女への途方もない賞賛の念を僕は深めていった。
それが二十代はじめの小和田雅子さんとの僕の出会いだった。
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僕と小和田さんとの接点がそれで終わらなかった理由は思わぬところから湧いてきた。それから少ししてTが僕に小和田さんと特別な仲になったことを明かしてくれたのだった。彼女のことを「オワ」と呼んでいた彼も、決してノロけたりせず常に落ち着いていたが彼女との付き合いで顔は輝いていたし、それよりも僕が見たところむしろ小和田さんのほうがTにぞっこんになっていたように思う。そんなことに気づきながら僕が感じたことというのは、小和田さんくらいの女性となればその相手はTほどの男でなければ務まらないだろうという思いで、だから僕にとっては羨ましさや嫉妬なんていうものはまったく湧かず、まあなんと稀にみる立派なカップルがこんな身近に現れたことよという感心と賞賛でいっぱいだった。
彼ら二人はしょっちゅう会っていたようだが、お邪魔虫のように僕が彼らにくっついて三人で遊ぶこともあった。小和田さんのスキーにおけるものすごいレベルについてはTからも話を聞いていたが、三人でテニスをしたときには彼女のテニスのレベルにも驚いた。まあ僕もTもテニスはたしなむ程度で自慢できるほどの上手さではないのだが、小和田さんのテニスはこの女はテニスが上手い!と唸らされるレベルだった。動きそのものがスポーティそのものだったし、力強さがそこらの媚びにまみれた可愛い子ぶりっ子女子大生とは雲泥の差があって、彼女のテニスは真剣勝負のパワーに溢れていた。
そんなテニスゲームのあとである日彼女の運転する車で小和田家まで送ってもらったことも覚えている。いや、残念ながら家に上がりはしなかった。もう記憶がさだかではないのだが、たぶん何か次の用事で彼女が急いでいたときでTと僕はそのあと彼女の家から二人でどこかへと出かけていったような記憶がある。
彼らが二人きりでいるときにはどんな様子だったのかは知らないが、三人で話しているときの二人は特にベタベタすることもなくいかにもこの二人だというようなキリッとして品と節度のあるムードをかもし出していた。僕の図々しさもあったのだろう、このひととき自分が彼らの邪魔をしているのだという認識などまったく抱かなかったのを今ちょっと赤面しながら思い出している。小和田さんはいつも静かで控えめでありつつ、話すことはまるで言葉がキラキラ輝くのが目に見えるかのようにシャープで理知的で、彼女から聞く妹たちの話やアメリカ暮らしの話も僕には楽しかった。
それでも小和田さんがときどきTの腕に手を触れて愛しそうに寄り添っていた光景を今もはっきりと思い浮かべることができるし、何よりも二人はとても幸せそうに輝いていた。
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年が明けて春がきて大学を卒業するとTと小和田さんは揃って外務省へと入っていった。Tとはそう頻繁に会いはしなかったが何かと連絡をとりあってはいて、入省後も周囲に知られないようにこっそりと二人は付き合いつづけているのを知り安心もした。その頃には双方の両親にも公認の付き合いだったと思う。ただ、聞いていたことによると入省したての新人の毎日ときたら真夜中まで、ひどいときは明け方までの激務つづきで、平日のアフターファイブにゆっくりデートを楽しむなんていう暇はほとんどなかったらしい。
それでもTはひとつのことを楽しみにしていたようだ。外務省の新人は二年目の夏から一年間海外研修ということで欧米の大学院へ留学に出ることになっている。その期間は勉強という名目があるものの仕事から離れて比較的伸び伸びと過ごすことができる。おそらく希望と将来像をかんがみて言語と行き先を指定されるのだろうが、Tと小和田さんはうまく画策して二人そろってイギリスのオックスフォード大学へ留学することとなった。もちろん外務省側は二人の関係には気づいていなかったはずだ。
が、その留学に出る前のころに僕をすでに驚かせることが起きていた。なにやら小和田さんが浩宮皇太子の最有力なお妃候補に挙げられたのだ。その頃のことは多くの人が覚えていることだろう。「浩宮妃候補急浮上。24歳の外交官小和田雅子さん!」なんていう見出しでスクープを出したスポーツ新聞を皮切りに週刊誌がドッと彼女のことを追いかけはじめた。
あの頃は彼女を少しでも悪く言うようなマスコミは皆無だったのに、あれから十何年もたってから適応障害やらに陥って公務に障害が生じ始めて世間の攻撃を受けはじめると、やおら「そういえば昔彼女はこんなことをしたよ」と言わんばかりに過去の多くのくだらないことを歪曲してマスコミは広めはじめたようなのだが、その中には最初にお妃候補に挙げられたこの時期のエピソードもよく取り上げられている。
ひとつはお妃好捕としてスクープされたすぐの翌日、マスコミが勝手に彼女の家へと殺到した際に起こった出来事なのだが、出勤のために家を出ようとした彼女にカメラマンたちが一斉にフラッシュたをたいたのを受けて彼女が怒って「なんですか、あなたたちは。やめなさい」と叫んでバッグで顔を隠したという。それでもフラッシュをたき続けたカメラマンたちに「あなたたち、どこの会社なの。名刺を出しなさい!」と怒鳴ったという。
それを知ったとき、僕はそりゃそうだろうと全面的に小和田さんに同情した。そして若い - 24歳といったら大人ではあるが若いと思う - 女性なのに、よくもそこまで毅然としっかりした態度を大勢の男たちに向かって投げつけたものだとひたすら感心した。とっさの無礼の出来事に遭遇して、そこまでピシャリと言い放つことのできるその歳の一市民女性はそう多くはいまい。しかし彼女ならまさにそれができたことだろうと、僕には不思議でも何でもなかった。
このあたりの事件について僕は特別に詳しいというわけではないのだが、この時期に関して同じようにこれまた頻繁に広められているエピソードに次のようなものもある。
自宅前に張り込んでいたあるカメラマンの述懐らしいのだが、仕事へ向かうために家を出てきた小和田さんから話を引き出そうと食い下がったものの一言も口をきいてもらえずに駅までたどり着いてしまった。そのカメラマンはどうしても小和田さんの写真を撮りたくて、彼女がいた上り線ホームとは線路をはさんだ反対側の下り線ホームへと身を移してそこから人混みに紛れてレンズを向けて写真に収めたとのこと。その瞬間に小和田さんは気づき、と思うと全力疾走でホームとホームをつなぐ陸橋を駆け上っていってカメラマンへと突進していったらしい。そして彼の胸倉を両手で掴んでゆすぶって「フィルムを出してください!」と叫んだとのこと。そのものすごい剣幕にカメラマンはたじたじとなったらしい。
しかしこういうエピソードが世に広まったのは、実際の日からずっとずっと後になってからのこと。それもすでに適応障害を起こして世間の顰蹙を買いはじめたころに持ち出してきて「だいたいあの女は昔から鬼のような我がままな女でね・・・」というニュアンスで広められたようで、僕はそのことについて言いたいことが山ほどあるのだが言うのはやめよう。
お妃候補に挙げられてマスコミに追われていたころにTは一生懸命に自分の存在を隠していたのを覚えている。二人で外出するときにはまるで有名人の逃避行のようにサングラスをしてなるべく人がデートで出向かないようなところを選ぶのに苦労しているとも言っていた。彼の存在が浮上すればお妃候補から下ろされるのだからむしろ好都合だろうというのは安易な想像で、それがバレるのがマスコミのせいだとなっては誰だってたまらないだろう。それに外務省に対しても二人はおそらく自分たちの関係を秘密にしておきたかったことと思う。なにしろこれから二人そろってイギリスへ留学するという直前だったのだから。
ともかくもTと小和田さんはそろってイギリスへの留学へと発った。そして僕はTとはけっこうマメに手紙のやりとりをした。安易なメール全盛時代の今から思えばなんとも壮大古典的な交信だ。海を隔てた遠いところから二人それぞれ万年筆を執って縦書き便箋に何枚もの文をしたためて送りあうのだ。しかしあの頃僕は多くの友達にそうやって肉筆ペン縦書きの手紙を一生懸命暇さえあれば書いて送っていたものだ。Tからはイギリスのしとやかな雨に打たれた優しい緑の中のキャンパスで小和田さんとひっそり仲良く幸せに過ごしている旨が伝えられてきた。
それからの数年のことはあまり僕は覚えていない。イギリスから戻ってきたあとは二人とも激務に追われていたようだし、そうだ、何よりも僕も自分の福岡勤務、東京での仕事そして留学準備などでそういつまでも彼としみじみ長文の手紙をしたためあう余裕はなかったのだろう。
それでも彼の手紙の中に書かれてあったことでよく覚えていることがある。そういうことを明かすのに時効というものがあるのかどうだか分からないが - たぶんないだろう - それでも書いてしまえば、小和田さんとはもちろん肉体的な関係でつながって愛し合っているということ、そして二人とも結婚を考えているということだった。
ただ外交官どうしの結婚は果たしてどういうものか。そのことが二人の一番の深い悩みだということをTは言っていた。
- - - - - - - - - - - - - -
それからしばらく数年のあいだ小和田さんの周辺は静かだったような覚えがある。当然宮内庁もマスコミも知るべきことを知って彼女のお妃候補説を取り下げたのだろうと僕は思った。皇太子のお妃ともなれば、誰もがはばかってそうはっきりは言わないが過去に男とつき合ったことのある女性は – ましてや処女ではない女性は – 何がなんでも候補からはずされることだろう。ギャーギャー騒いではみたが調べてみたら決定的に不合格だということが分かってマスコミ一同シーンと静まり返ったのだろう、そう思っていた。
僕がパリにやって来てすぐの留学中のとき − 冬だったが − 一度Tが出張でベルギーに来たときに、ならばついでにパリで会おうかとか言う話になった。「じゃあ何日の何時にシャトレーで」という約束をしたのだが、今思えばなんとおろそかな馬鹿な取り決めだったことか。実際にTはわざわざブラッセルからシャトレーまでやって来てくれたのだが、そのころ僕はパリ郊外にあるキャンパス寮に住んでいてパリについてもまだ不慣れで、お互いシャトレーに向かったもののその辺りをウロウロ・・・。あれはちょうど「じゃあ、新宿で待ち合わせね」と言い合って互いに新宿へと向かったというに等しいあまりにもざっくばらんすぎる待ち合わせだった。しつこいが携帯電話などない時代だから、もちろん結局会えずじまいだった。でもあの頃もまだTと小和田さんはつき合っていた記憶がある。
なのに、それから一年ほどたったときにあの号外のお妃決定ファックスが僕の家に飛び込んできたのだ。
どうしてまた小和田さんに決まったのだろう。いや、決まってしまったのだろう。不思議で疑問で頭がいっぱいになると同時に、猛烈な残念さが襲ってきた。彼女のお妃候補に関してはそれまでも僕も友人たちといろいろ議論をしてきていたから、彼女が皇太子妃となった場合にはどういうメリットがあって – 本人にとっても日本という国にとっても – そしてどういうデメリットがあるかということはさんざん僕なりに意見があった。それでもそんな議論は楽しみのための空論にすぎず、結局は「まあ、絶対にならないだろうな」という確信と安心感がずっと僕にはあったのだ。
本当かどうか知らないが、巷の噂によれば浩宮があまりにも小和田さんを気に入って頑固に言い張り、「処女でなくてもいい」とすら言ったとかどうだとか。なにしろ5年もかけて宮内庁や周囲そして小和田さん本人と彼女の家族を説得しきったのだ。
まあ、そんなことはどうでもいい。それよりもいったい小和田さん自身はどういう気持ちの整理をしたのだろうという疑問のほうが僕に強く迫ってきた。そしてもちろん思った。Tと彼女はどうなったのだろう・・・
もちろん別れたのだろう。それは分かった。それ以外に解はない。二人は納得して別れたのだろうか。別れの原因はこの皇太子婚約と関係あるのだろうか。
正式にお妃候補となった – 僕から見れば「なってしまった」と言いたかった – 小和田さんは、それ以降もはや「小和田さん」ではなくなった。「雅子さま」と国を挙げてもてはやされ、どれほどの美人であることか、どれほどの才女であることか、毎日のように取りざたされた。もちろん僕の知らなかった彼女の側面もあり余る報道によって知ることができ、いずれにしても広められている彼女への賞賛が僕の印象に合致していたからその点では何だか嬉しかった。
しかし嬉しさよりも – そのときは漠然とした思いだったが – やはり大きな大きな惜念のようなものが僕の中にドスンと居座っていた。それはすでによく言われていたように外交官としての彼女の将来がこれでふいになるという、大げさに言えば日本という国にとっての損失への思いであると同時に、もちろんほとんどの人が知らなかったであろうTとの将来がこれで完全に失われたということへの吹っ切れぬ僕なりの思いだった。
そしてそんな負の思いを僕は世間に言うことができずに一人でジクジクした思いを抑えこんでいた。しばらくTと連絡をとっていなかったが、これを機会に「ねえねえ、いったいどうしたんだよ!?」などと連絡を入れるようなことはできず、もちろん彼のほうからわざわざ僕にことのいきさつを教えてくれるために連絡をくれるはずもなく、結局僕は一人でポカーンと日本皇室の慶事というイベントの大きな波を遠くから眺めているほかなかった。
- - - - - - - - - - - - - -
皇太子妃になった小和田さんのその後の20年については僕が描写する必要はないだろう。いや、実際のところ僕はこの20年の彼女についてはほとんど何も知らない。日本に住んでいる皆のほうがはるかに多くのことを知っているはずだ。なにやら精神を病んで、それがさまざまな憶測を呼び、奇行と呼べるような言動も取りざたされはじめ、中でも跡継ぎの問題が日本じゅうで議論される中、そういう報道にも僕はほとんど目を向けてきていない。
それでもふと何かの拍子に彼女に関することが否応なく目に入ってくる。ときには開いた口が塞がらないほどに彼女への猛烈な批判 – 罵倒といってもいいほどの – 雑言があちこちで無数に広められているのも目に入ってきた。そのたびに「何を言っている!」と僕は心の中で唖然としながら彼女をかばっていた。
しかし年月というものは重い。残酷でもある。皇室という世界へと入った彼女の人生も環境も、もはや僕が覚えている彼女をあのままの形で育て発展させていくはずなどないということも分かっていた。それが果たしてどんな影響を彼女に与えるのか、誰もが関心を持って眺めてきていたことだろうし、そして誰も前もってその答を見通すことなどできなかったことだろう。
皇室という日本にとっての重要な地位と責務という面から見れば、彼女の実績については喧々諤々の議論がなされてもおかしくはない。本当はこんなふうになるはずの人ではなかったんだよと言って彼女をかばったところで、不名誉な事実があるとしたらそれも事実なのだろう。そして事実を作るのは本人の資質だけではない。皇室という世界ともなればなおさらだ。
このごろは報道される彼女の写真をじっと見つめるようになった。構わずに自分の印象を自由勝手に書こう。なんという生気のない蝋人形のような醜い顔になってしまったことか。あの、キラキラと輝く大学生のときの凛々しい瞳はどこにも見当たらない。もはや抜け出ることのできない重い重い透明の網の目に体も精神も絡め取られて、人生を諦める寸前の中でとらえどころのない大きなものへの恨みを宿らせたかのような目をしている。
誰もが彼女のことを「雅子さま」と呼ぶ中で、僕はずっと「小和田さん」と彼女のことを呼んできている。別に自分を特別の位置づけに置いているのではなく、ただ単純に彼女は僕にとって「小和田さん」だったのだし、その後の彼女の道がどうなったとしても僕の人生と彼女が交差したときの思い出においては彼女はずっと「小和田さん」なのだ。「雅子さま」という呼称は職名といっていいような気がする。僕にとっての彼女は「小和田さん」という一人の女性にすぎない。そして僕とは別に、彼女のことを今も心の中でずっと「オワ」と呼んでいる一人の男もいるはずだ。
僕にとって彼女は一人の女性にすぎないと書きはしたが、しかしそう思うと同時に、一人の女性として生きることを許されない世界で彼女は生きているのだなということを改めてしみじみ思う。そのことを果たして彼女自身があらかじめ分かっていただろうか。
もちろん20年来僕は彼女とは個人的なつながりはまったくない。彼女だってたぶん僕のことなんかもう覚えていないかもしれない。しかし彼女がしっかりと心の中で、死んでも覚えているであろう男は少なくとも一人はいるだろう。
そうだった、あれはいつだっただろうか。思い出そうとするのだが、正確にいつのことだったどうしても思い出せない。しかし僕がパリに住み始めてから最初か二回目に東京へ休暇へ帰ったときだから、皇太子夫妻の結婚から4年か6年たった夏だったと思う。ものすごく久しぶりに僕はTと会うこととなり、仕事を特別に早く切り上げてくれた彼と夕食を一緒にした。
いろいろな話をした。触れていいのか分からずに僕は彼が言い出すまで待ったが、そのころにはもう吹っ切れていたのだろう、けっこうあっさりとTは小和田さんとの過ぎた思い出の片鱗を語ってくれた。仕方ないよ、やはり外交官どうしの結婚は難しいと二人で納得しあったことでもあるし・・・そんなことを言ったような言わなかったような。
それに彼がすでにすっきりとした様子だったのには背景があることも僕はそのとき知った。食事が終わると彼はちょっと家に寄っていかないかと誘ってくれたのだ。新婚の妻を紹介したいと。
夜遅く僕を迎えてくれたTの奥さんを見て僕は思わず彼らに聞こえてしまうほどの溜め息をついてしまった。
Tよ、なぜまたこの広い広い世界からこうも小和田さんに似た女性を見つけてきたのか。
そこにいたのはやはり凛とした理知的で慎ましく優雅な女性で、Tは幸せで誇らしげだった。しかし外見はあちこちで小和田さんと似ていたが、晴れてTの奥さんとなったこの女性はいかにも家庭的な感じの女性だった。よかったな、おめでとう。僕は嬉しくなり、そして安心した。
人生は不思議この上なく、ときに主の手を強引に離れていく。
Tが小和田さんと会うことなど、二人が生きているあいだにもう二度とあるわけがない。
でも僕の思い出の中で、彼らはどうしてもいつも一緒に現れる。
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コメント
お姫様は
与えられたものから選ぶだけ 周りがお姫様の望みを察して与えてくれることはあっても、自らあれが欲しいとか、これがしたいと云わない。あれこれ自分の要求を述べるような女性はお嬢様どまり ということらしい。
皇太子はほぼ同い年なので、週刊誌でお妃候補の記事を読むことは多かったですね。20代のころはお妃候補の条件として「働いていないこと(ボランティアは可)」という項目があって 憤然とした覚えがあります。今から考えれば 俗世間(の楽しさ)を知っていたら務まらないということだったのでしょう。
誰も幸せでないように見えるこの状況 当時マスコミがどんなに小和田雅子さんの才女ぶりを称えても うすうすは危惧されていたではないかと思います。帰国子女であること、男兄弟がいないこと、皇太子より背が高いこと、働いていること、などから反対意見を述べる識者?もいました。しかし圧倒的に早く皇太子に結婚してもらって(しかも一般女性と)安堵したい、世の中バブルが弾けて明るい話題が欲しいという国民的感情が歓迎ムードを作り出していたように思います。婚約発表の記者会見の不自然さ、似合わない色、似合わないデザインの衣装を着て 自分のものでない言葉で話す彼女の印象は生真面目で不器用な人 というものでした。今になって国民もマスコミも色々いいますが 誰も彼女の立場になりたくないのに彼女1人に無理なことを押し付けている感じです。適応障害という言葉も 適応できないのが悪いかのようです。
Tさんの存在に関わらす 結婚を承諾したのは何故か?これは当事者にしかわからないことでしょう。
下世話な推測では
彼女にも野心があって 皇室外交も外交官の仕事も同じという皇太子の言葉に乗ってしまった。実際にはまったく違っていたということ。受験勉強や仕事のように真面目に頑張れば何とかなるものではなかった。
また結婚前に皇族の生活を具体的に知らされなかった。国家神道の長の家柄であり国民の目に触れない宗教行事が多いこと(禊など水風呂のなかで女官に全身を撫で回されるとか、一般人には心理的抵抗が大きいこと)今までと違って、完全に精神を入れ替えなくてはいけないくらいの受身にならなければならないこと。戸籍を失くして皇籍に入ることが、日本国憲法が日本国民に約束する基本的人権を失うことと気づかなかったのか?
最終的には彼女が官僚である父親の意向に逆らえなかったのではないか。
これくらいですね。
だから両親が亡くなり、娘が成人したら 彼女はまた変わるかも知れません。
誰もはっきり言わないが、人間としては尊敬できて悪意を持たない善人であることは間違いないにしても、皇太子が男性的魅力に欠けること 小和田雅子さんが正田美智子さんと川嶋紀子さんと決定的に違っている点は お二人はすでに交際しており相手に対して恋愛感情があったことではないか。女は好きな男のためなら我慢も苦労もできるってもんです。
与えられたものから選ぶだけ 周りがお姫様の望みを察して与えてくれることはあっても、自らあれが欲しいとか、これがしたいと云わない。あれこれ自分の要求を述べるような女性はお嬢様どまり ということらしい。
皇太子はほぼ同い年なので、週刊誌でお妃候補の記事を読むことは多かったですね。20代のころはお妃候補の条件として「働いていないこと(ボランティアは可)」という項目があって 憤然とした覚えがあります。今から考えれば 俗世間(の楽しさ)を知っていたら務まらないということだったのでしょう。
誰も幸せでないように見えるこの状況 当時マスコミがどんなに小和田雅子さんの才女ぶりを称えても うすうすは危惧されていたではないかと思います。帰国子女であること、男兄弟がいないこと、皇太子より背が高いこと、働いていること、などから反対意見を述べる識者?もいました。しかし圧倒的に早く皇太子に結婚してもらって(しかも一般女性と)安堵したい、世の中バブルが弾けて明るい話題が欲しいという国民的感情が歓迎ムードを作り出していたように思います。婚約発表の記者会見の不自然さ、似合わない色、似合わないデザインの衣装を着て 自分のものでない言葉で話す彼女の印象は生真面目で不器用な人 というものでした。今になって国民もマスコミも色々いいますが 誰も彼女の立場になりたくないのに彼女1人に無理なことを押し付けている感じです。適応障害という言葉も 適応できないのが悪いかのようです。
Tさんの存在に関わらす 結婚を承諾したのは何故か?これは当事者にしかわからないことでしょう。
下世話な推測では
彼女にも野心があって 皇室外交も外交官の仕事も同じという皇太子の言葉に乗ってしまった。実際にはまったく違っていたということ。受験勉強や仕事のように真面目に頑張れば何とかなるものではなかった。
また結婚前に皇族の生活を具体的に知らされなかった。国家神道の長の家柄であり国民の目に触れない宗教行事が多いこと(禊など水風呂のなかで女官に全身を撫で回されるとか、一般人には心理的抵抗が大きいこと)今までと違って、完全に精神を入れ替えなくてはいけないくらいの受身にならなければならないこと。戸籍を失くして皇籍に入ることが、日本国憲法が日本国民に約束する基本的人権を失うことと気づかなかったのか?
最終的には彼女が官僚である父親の意向に逆らえなかったのではないか。
これくらいですね。
だから両親が亡くなり、娘が成人したら 彼女はまた変わるかも知れません。
誰もはっきり言わないが、人間としては尊敬できて悪意を持たない善人であることは間違いないにしても、皇太子が男性的魅力に欠けること 小和田雅子さんが正田美智子さんと川嶋紀子さんと決定的に違っている点は お二人はすでに交際しており相手に対して恋愛感情があったことではないか。女は好きな男のためなら我慢も苦労もできるってもんです。
宇宙空間に瞬く地球上から見える最も明るい恒星であるSiriusさん。
多くの読者を魅了し、その自分勝手とも思われる生き方の中にも、人類愛が満ち溢れていて、自然界への敬意と畏怖を持って生きている、その生き様に憧れさえも抱かさせる存在。
だからこそ、敢えて愚見なる苦言を。多分、ご本人が十分認識されているのだろうけど、人間の過去を暴くことに賛成はできない。確かに貴重な情報であり、それこそ身勝手なマスコミ報道なんかにはない、真摯な思いと確かな経験・体験に裏打ちされているのだろうけど、よくぞ教えてくれたとは思えない。自分の過去に責任を持って、人は生きているのだと思う。でも、敢えて、それをつきつけなくてもいいのではないかしら。
できたら、この記事、削除して欲しいと願わずにはいられません。
人間は、時に、『断れない提案』を受けることがあると思います。その人の立場の中で、大臣、上場企業のCEO、校長、など様々であろうと思いますが、人間として断れないプロポーザル。そうして、何人の人が成功を手にしたか。何人の人が更迭されたか。Alcatel Lucent、Carrefourなど、CEOが取締役会で吊し上げられ、辞任に追い込まれ、株式市場では歓迎するかの如く株価が上昇する。手酷い仕打ち。それでも、彼らは舞台から去ることができる。人間として生きていける。一方で、そうできないポストもある。断れない提案を引き受けたが最後、死ぬまで背負っていかねばならないポストもあるのだと思います。
全身全霊を尽くし、君を守り抜くといわれてお引き受けした。その言葉には間違いはないのでしょうが、それでも、人間とは、点として存在しているのではなく、線として存在しているのですよね。心痛みます。
削除をお願いしておきながら、コメントまでしてしまい、何度か拝読させていただいた後で拍手までクリックしてしまった愚か者ですが、どうぞお気を悪くなさらないでください。活字になることの怖さを良くご存知であろうSiriusさん。どうぞ思わぬ反響が起こる前に、ご決断を。
多くの読者を魅了し、その自分勝手とも思われる生き方の中にも、人類愛が満ち溢れていて、自然界への敬意と畏怖を持って生きている、その生き様に憧れさえも抱かさせる存在。
だからこそ、敢えて愚見なる苦言を。多分、ご本人が十分認識されているのだろうけど、人間の過去を暴くことに賛成はできない。確かに貴重な情報であり、それこそ身勝手なマスコミ報道なんかにはない、真摯な思いと確かな経験・体験に裏打ちされているのだろうけど、よくぞ教えてくれたとは思えない。自分の過去に責任を持って、人は生きているのだと思う。でも、敢えて、それをつきつけなくてもいいのではないかしら。
できたら、この記事、削除して欲しいと願わずにはいられません。
人間は、時に、『断れない提案』を受けることがあると思います。その人の立場の中で、大臣、上場企業のCEO、校長、など様々であろうと思いますが、人間として断れないプロポーザル。そうして、何人の人が成功を手にしたか。何人の人が更迭されたか。Alcatel Lucent、Carrefourなど、CEOが取締役会で吊し上げられ、辞任に追い込まれ、株式市場では歓迎するかの如く株価が上昇する。手酷い仕打ち。それでも、彼らは舞台から去ることができる。人間として生きていける。一方で、そうできないポストもある。断れない提案を引き受けたが最後、死ぬまで背負っていかねばならないポストもあるのだと思います。
全身全霊を尽くし、君を守り抜くといわれてお引き受けした。その言葉には間違いはないのでしょうが、それでも、人間とは、点として存在しているのではなく、線として存在しているのですよね。心痛みます。
削除をお願いしておきながら、コメントまでしてしまい、何度か拝読させていただいた後で拍手までクリックしてしまった愚か者ですが、どうぞお気を悪くなさらないでください。活字になることの怖さを良くご存知であろうSiriusさん。どうぞ思わぬ反響が起こる前に、ご決断を。
こんにちは Le Serius様。
貴ブログを長く楽しみに読ませていただいている者です。
昨夜、この記事を読んで、どうしようかと思っておりましたが、
やはりコメントを書くことにしました。
初めてのコメントが苦情のようで心苦しいのですが、非礼をおゆるしください。
クッカバラ様のおっしゃることに全面賛成です。
クッカバラ様、
整理のつかなかったことを明瞭な言葉にしてくださり、ありがとうございます。
いつもコメントを興味深く読ませていただいております。
もう一点、この記事はTさんのご了承は得られているのでしょうか。
学歴、就職先、留学先、これだけの情報を公開されてしまったのですから、
Tさん(およびそのご家族)は容易に特定されてしまう可能性があります。
事が事だけに、当時の彼女以上の騒ぎに巻き込まれないとも限りません。
そのようなヒマや興味を持つ人の目にこの記事が触れないことを願いますが、
発した情報が誰にどこでどんな動機でどんな使われ方をするか、
それを自分がコントロールできないのである限り、
自分以外の人についての個人情報は公開すべきではないと私は考えています。
このあたりは、少しお考えと違うところのようで、
貴ブログを拝読していてふだんから少し気になっています。
口をつぐもう、という話ではありません。
情報と情報ツールへの異常なまでの執着・依存が世の中をどんどん幼稚化してしまい、
いまや、他者の悪意にとりあうつもりはない、ではすまなくなってきました。
私はLe Serius様と同じ年齢だと思います。彼女とも1つ違いのはずです。
個人的に知る人ではありませんが、
同じ時期をほぼ同年齢で体験しながら生きてきた同性の彼女について、
そして彼女を通して、いろいろ考えてきました。
勝手ながら似ていると思うところ、わかると思うところがたくさんあります。
私は彼女の道はとりませんでしたが、同じように、彼女に私の道はなかったでしょう。
彼女が彼女の人生を生きることができますように。
それこそ、おせっかいながら、そう願っています。
初めてのコメントが長い苦言ですみません。
これからも楽しみにしています。
xiang
貴ブログを長く楽しみに読ませていただいている者です。
昨夜、この記事を読んで、どうしようかと思っておりましたが、
やはりコメントを書くことにしました。
初めてのコメントが苦情のようで心苦しいのですが、非礼をおゆるしください。
クッカバラ様のおっしゃることに全面賛成です。
クッカバラ様、
整理のつかなかったことを明瞭な言葉にしてくださり、ありがとうございます。
いつもコメントを興味深く読ませていただいております。
もう一点、この記事はTさんのご了承は得られているのでしょうか。
学歴、就職先、留学先、これだけの情報を公開されてしまったのですから、
Tさん(およびそのご家族)は容易に特定されてしまう可能性があります。
事が事だけに、当時の彼女以上の騒ぎに巻き込まれないとも限りません。
そのようなヒマや興味を持つ人の目にこの記事が触れないことを願いますが、
発した情報が誰にどこでどんな動機でどんな使われ方をするか、
それを自分がコントロールできないのである限り、
自分以外の人についての個人情報は公開すべきではないと私は考えています。
このあたりは、少しお考えと違うところのようで、
貴ブログを拝読していてふだんから少し気になっています。
口をつぐもう、という話ではありません。
情報と情報ツールへの異常なまでの執着・依存が世の中をどんどん幼稚化してしまい、
いまや、他者の悪意にとりあうつもりはない、ではすまなくなってきました。
私はLe Serius様と同じ年齢だと思います。彼女とも1つ違いのはずです。
個人的に知る人ではありませんが、
同じ時期をほぼ同年齢で体験しながら生きてきた同性の彼女について、
そして彼女を通して、いろいろ考えてきました。
勝手ながら似ていると思うところ、わかると思うところがたくさんあります。
私は彼女の道はとりませんでしたが、同じように、彼女に私の道はなかったでしょう。
彼女が彼女の人生を生きることができますように。
それこそ、おせっかいながら、そう願っています。
初めてのコメントが長い苦言ですみません。
これからも楽しみにしています。
xiang
このエントリーに面食らいました。私が仄聞する事には、皇后陛下は皇太子妃の能力と自主性を重んじるあまり、何事にも『雅子さんのお好きになさりなさい』としか言わずに、雅子妃殿下は教えを受けられず妃殿下は八方塞がりになったと聞き及びます。ちなみにこの話は皇后パッシングの一部だとは思いますが。
Siriusさんは6月8日にはご自身の裸をさらした。これを見た私は、すわ、Siriusさんほどのかたでも、ゲイが陥り易い『露悪趣味』に走るものなのか、よくわからない。と、思った。
コメントにあるクッカバラさんのお気持ちと願いは、ブログ主さまであるsiriusさんも理解できると思いますし、Enterキーを押す前には(いや、書いている最中に)懊悩された事でしょう。逆に筆が進んだかも。
あえて発表された理由は知る由しも無いけれど、二度と逢う事は無い旧友へのエールだと思えば、何となく腑に落ちる気がします。
なんか、取り散らかったコメントですみません。
それにしても、このエントリーは、英国王室であれば、キャサリン妃の元彼の親友が暴露したとして、最高最悪のスキャンダルになりMI6が暗躍してもおかしくない話になります。
私はクッカバラさんに賛成します。
Siriusさんは6月8日にはご自身の裸をさらした。これを見た私は、すわ、Siriusさんほどのかたでも、ゲイが陥り易い『露悪趣味』に走るものなのか、よくわからない。と、思った。
コメントにあるクッカバラさんのお気持ちと願いは、ブログ主さまであるsiriusさんも理解できると思いますし、Enterキーを押す前には(いや、書いている最中に)懊悩された事でしょう。逆に筆が進んだかも。
あえて発表された理由は知る由しも無いけれど、二度と逢う事は無い旧友へのエールだと思えば、何となく腑に落ちる気がします。
なんか、取り散らかったコメントですみません。
それにしても、このエントリーは、英国王室であれば、キャサリン妃の元彼の親友が暴露したとして、最高最悪のスキャンダルになりMI6が暗躍してもおかしくない話になります。
私はクッカバラさんに賛成します。
私は、皇太子夫妻をテレビで拝見するたびにゲンナリし、早々に消してしまうくらいです。
しかし、そんな私にとってもこの記事は女性としてショックでした。
過去の恋愛に何らやましい事はないにしても、過去には友だった人にブログで公に晒されるなんて、マスコミに罵倒されるよりつらいことです。
その上、「処女」うんぬんとか…女性にとってデリケートなことをいとも簡単にさらされたんじゃ卒倒ものです。皆が、あなたと同じように性に対してオープンではありまでん。オープンになる必要性もかんじておりません。
どうか、二度とこんな記事は書かないでください。
幸せに暮らしているであろうTさんご家族に迷惑がかからないことを祈るばかりです。
但し、ここはsirius様のブログですので、露悪趣味と言われ様が臆することなくご自分のかっこいい裸体は披露してください
当方、知性も教養もここにコメントしてる方より格下で語彙もなく幼稚な文章で恥ずかしいので、これにて退散致します。
しかし、そんな私にとってもこの記事は女性としてショックでした。
過去の恋愛に何らやましい事はないにしても、過去には友だった人にブログで公に晒されるなんて、マスコミに罵倒されるよりつらいことです。
その上、「処女」うんぬんとか…女性にとってデリケートなことをいとも簡単にさらされたんじゃ卒倒ものです。皆が、あなたと同じように性に対してオープンではありまでん。オープンになる必要性もかんじておりません。
どうか、二度とこんな記事は書かないでください。
幸せに暮らしているであろうTさんご家族に迷惑がかからないことを祈るばかりです。
但し、ここはsirius様のブログですので、露悪趣味と言われ様が臆することなくご自分のかっこいい裸体は披露してください
当方、知性も教養もここにコメントしてる方より格下で語彙もなく幼稚な文章で恥ずかしいので、これにて退散致します。
バッシングは誰もしてないと思いますよ(笑)
どっちかというと、敬愛するSiriusさんを案じてのコメントだと思います。
ブログは全世界に発信するものなので、案じる気持ちは私も同じです。
日本人なら誰しも多かれ少なかれ皇室に関しては発言に慎重になりますしね。
皇室は何重にも日本人にとっては禁忌、だと思うので(歴史的な意味合いもあるし、宗教的でも政治的でもある)それに触れるとやっぱりハラハラしてしまいます。
私も幼稚な文章が恥ずかしいのでこれにて退散。
どっちかというと、敬愛するSiriusさんを案じてのコメントだと思います。
ブログは全世界に発信するものなので、案じる気持ちは私も同じです。
日本人なら誰しも多かれ少なかれ皇室に関しては発言に慎重になりますしね。
皇室は何重にも日本人にとっては禁忌、だと思うので(歴史的な意味合いもあるし、宗教的でも政治的でもある)それに触れるとやっぱりハラハラしてしまいます。
私も幼稚な文章が恥ずかしいのでこれにて退散。
こんにちは。
今回の記事、興味深く読ませていただきました。
僕も自分がこんな体験をしたら、誰かにばらしてしまいたくはなりますが、やはりブログに書いてしまうのはまずいと思います。
もし僕がここでTwitterでこのブログのことをつぶやいたら、僕のフォローワー100人に広まります。
さらに、Twitterには便利ですが恐ろしいリツイート機能があるので、僕のフォローワーの1人でも僕のツイートをリツイートしたら、またさらに広まります。1度広まってしまったものはものすごい勢いでリツイートされ、この記事が雅子様を擁護していることと、Siriusさんのリアルな文章があだとなり信憑性が高まり、2ちゃんねるや、ブログを通して一斉に全国に広まります。
それが、週刊誌の目にとまれば、この記事と他の多くの情報でTさんは簡単に特定されてしまいます。
週刊誌は確定的な証拠が無ければ記事にすることはほとんどありませんが、これだけ重大なスキャンダルの場合、もしTさんがなにか少しでも喋ってしまえば、週刊誌の一面として全国に売り出されます。
こうなってしまえば、いくら記事を削除してもコピーされた記事が出回りどうにもならなくなってしまいます。
あくまで可能性の話ですが、これだけスマホが流行している時代ですから十分ありえる話だと思います。
おせっかいかもしれませんが、正直このブログでなければ僕も興味本位で2ちゃんやTwitterに投稿しているかもしれません。このブログはずっと続いて欲しいと思っているのでそんなことはしませんが、誰かにコピーがとられる前に削除したほうがいいと思います。
これからも更新を楽しみにしています。
今回の記事、興味深く読ませていただきました。
僕も自分がこんな体験をしたら、誰かにばらしてしまいたくはなりますが、やはりブログに書いてしまうのはまずいと思います。
もし僕がここでTwitterでこのブログのことをつぶやいたら、僕のフォローワー100人に広まります。
さらに、Twitterには便利ですが恐ろしいリツイート機能があるので、僕のフォローワーの1人でも僕のツイートをリツイートしたら、またさらに広まります。1度広まってしまったものはものすごい勢いでリツイートされ、この記事が雅子様を擁護していることと、Siriusさんのリアルな文章があだとなり信憑性が高まり、2ちゃんねるや、ブログを通して一斉に全国に広まります。
それが、週刊誌の目にとまれば、この記事と他の多くの情報でTさんは簡単に特定されてしまいます。
週刊誌は確定的な証拠が無ければ記事にすることはほとんどありませんが、これだけ重大なスキャンダルの場合、もしTさんがなにか少しでも喋ってしまえば、週刊誌の一面として全国に売り出されます。
こうなってしまえば、いくら記事を削除してもコピーされた記事が出回りどうにもならなくなってしまいます。
あくまで可能性の話ですが、これだけスマホが流行している時代ですから十分ありえる話だと思います。
おせっかいかもしれませんが、正直このブログでなければ僕も興味本位で2ちゃんやTwitterに投稿しているかもしれません。このブログはずっと続いて欲しいと思っているのでそんなことはしませんが、誰かにコピーがとられる前に削除したほうがいいと思います。
これからも更新を楽しみにしています。
とりわけクッカバラさんそしてxiangさんへ
まずは、ご思慮深いご忠告をこうして送っていただいて心から感謝しています。これは社交辞令ではなく本心からのものですので、どうか僕のその感謝の気持ちをお二人も - そして同様の意見を別途送ってくださった他の方も − 受け止めてください。その上でこれから書くことを読んでいただきたいと思います。
− − − − − − − − − − − −
細かいことを一つだけ取り上げてしまいますが、実はクッカバラさんが仰っているのが「削除すべきだ」というのではなくて「削除してほしいと願う」という点が、僕には引っかかってその奥の意味を探ろうとしてしまっています。それは「忠告」や「進言」ではなくて「お願い」なのですね。ということは、それは正義や倫理の面から述べられているというよりもクッカバラさん自身の心情にもとづく願いなのだろうかと考えて僕には別の思惑も生じているのです。
誰のために − 誰を守るために − 削除してもらいたいのか、と。僕を守るためでしょうか・・・いや、そんなはずはない。ならば小和田さんでしょうか、それともTでしょうか。それともクッカバラさんを守るためでしょうか。・・・それとも社会全体の平穏を守るためでしょうか。あるいはこの記事の削除を要請されることによって、過去の別の記事のことをも示唆されているのでしょうか。
具体的な点を突いてしまいますが、クッカバラさんは本件の僕の話を20年前から知っていたわけですから、おそらくこの話の内容を初めて聞く他の読者の方たちとは違った立場から意見を言われているのだろうと思います。ところが「よくぞ教えてくれたとは思えない」と書かれている。(もちろんこの文の意味するところは分かります。) クッカバラさんにとってはこの話はこの際に初めて知るわけではないわけですから、そういう書き方をしたということは他の一般の人々の口を借りての一般論的な苦言をしたかったということに思え、そうなるとクッカバラさんの「お願い」という少し切実なパーソナルな響きと照らし合わせていろいろと迷い考えてしまっています。
が、このことは大して重要ではありません。
− − − − − − − − − − − −
インターネットを介しての情報というものへの異常なまでの執着と依存が世の中をどんどん幼稚化してしまって、今や他者の悪意にとりあうつもりはないという姿勢ではすまなくなってきている・・・xiangさんのそのご指摘はまったくその通りで、今の情報社会の中のあちこちで起きているそういう悲惨で醜悪な面はもちろん僕も遠巻きながらしょっちゅう目にしていますし、被害は小さいとはいえ僕だってこのブログの中にかぎらず日常生活の中でその波は受けていますから、そのご指摘とそこから生じるお考えについてはまったく同意見です。
そしてクッカバラさんとxiangさんをはじめ皆さんが書かれた諸点についても − 特に個人情報が多く載ってしまっているという点について − もちろん僕はこの記事を載せる前にすべて十分に考えを巡らせました。そしてひとつひとつの点を取り上げて僕なりの意見を説明したくもありますが、そういう細かい各論を取り上げるよりは、もっと大きな立場から僕の姿勢を述べさせていただくことにします。
僕だって、クッカバラさんにもXiangさんにも全面的に賛成です。何が一番正しいかということを論じるのであれば、まったく同意見です。こういう内容のものは書かない方が良いに決まっています。
しかし僕のブログは、何が正しいか、いかに品行正しくて瑕疵がないか、そういうことを軸にして走っているのではありません。善良であること、正しくあること、問題を起こすようなリスクをまったく持たないこと、誰をも不愉快な気持ちにさせないこと・・・そういう内容でなくてはならないのであるならば僕がブログなど書くわけはないだろうというのは、たとえばクッカバラさんならよく知っているはずです。もう他の皆さんだって説明の必要もなくそんな僕のことは十分にご存知でしょう。その上でこのブログを読みに来てくれているのでしょう。正しいことに触れたくて何かを読むのであれば、聖書というものが別にあります。
この記事を書くことがどういう意味を持っているのか、どういうことにつながりかねないか、僕が考えもしなかったとはまさかお思いではないでしょう。昨日今日に思いついた遊び半分のテーマではありません。20年にわたって思い浮かべては考えてきた僕の思い出の話です。今回これを載せるにあたって考え落とした点などはいっさいないと言っていいでしょう。
だからといってそれはリスクをまったくゼロにして書いたのだというわけでもありません。考えた上で、すべての危険を承知のうえで、地雷を足下に百個も埋めたまま載せました。それはこの記事にかぎらず、これまでのすべての記事にも当てはまることです。過去にはそういう地雷が爆発したときもありました。(地雷が爆発するのを見たくてこのブログを訪れている人も多いということも知っています。)皆さんが気づかないところで個人的に二者のあいだで問題が起こったこともありました。ですからこういう問題にまったくナイーブであるというわけでもありません。
そもそも僕のブログがどういう性質のものなのか、どういう姿勢と動機にもとづいているのかということを時々多くの人が忘れてしまうのではないか、と思うことがあります。折りにつけいろいろと褒めてもらったり賛意のコメントを送ってもらったりするのはもちろんとても嬉しいことではありますが、だからといって僕は万人にとって、そしてあまねく広きにわたって正しく素晴らしいなどというわけではありません。
正しくあること、崇高であること、すべての人に心地良さを与えること、模範であること・・・そんな意思はブログを書くうえで僕にはこれっぽっちもありません。むしろ逆です。実社会では一片たりとも見せずにいる自分の肝心の嫌らしい本性の部分をえぐって、どうしてそこまで見せるのかと言われるくらいに醜悪な部分を正直に書き表してしまうというのが − ひとつの言い方ですが − 僕の目的です。
僕の普段書いていることで不快感を持つ人がいるであろうことはもちろんのこと、迷惑を被る人もいるでしょうし、あまりにも信条が異なるために憤慨する人もいることでしょう。しかし、それを恐れて、さまざまな細かい配慮を重ねて慎重に考えを調整して折衷的なことがらを書くことでなるべく多くの人からの共感を得るのがブログのあるべき姿であるというのなら、僕はそんなブログなど書くつもりはありません。そういう姿勢は仕事と日常生活の中で朝から晩まですでに発揮しているつもりですから。
僕のブログを読んでもらうときに、さて個人情報がどれだけ漏れてしまっているか、さて倫理的にふさわしくないことがどれだけ紛れ込んでいるか、いつのまにかそういう観点で読んでしまわれている人がおそらく多いのでしょうか。それこそ嫌らしい読み方だと思いますが、そういう読まれ方をしてしまうのならそれで仕方がない。しかしそういう風が僕のブログの上を吹くことがあろうと、僕は自分の思うままに立ち続け、変わりたくありません。いつだってそういうふうに生きてきたつもりですし、このブログはそうやって生きてきた結果の現れでもあるのです。
もう一度言いますが、仰ることはすべてもっともだと思います。そして、世の中がこの記事をどうとらえるか、あるいはこの件に関して特殊な位置づけにある人が偶然この記事を読んだときにどう思うか、傷つく者がいるのではないか、あるいはこれを悪用して火をつける者が出てくるのではないか・・・そういうようなキリのない可能性を危惧考慮していただくのはとてもありがたいと思います。
しかし僕は他人の価値観や善悪観に自分を合わせるためにこのブログを書いているわけではないのです。ですから僕の思うとおりに書かせてください。読む読まない、そしてどういう感想を抱くか、それは皆さんの自由です。
− − − − − − − − − − − −
本記事に関しては、ここはひとつ、僕自身がどういう気持ちと意図でこれを書いたか、そのことだけに焦点を当てて皆さんには読んでいただきたいと思いました。
僕がこの記事を書くうえでの芯となっている僕の気持ちについて改めて説明する必要があるでしょうか。その必要があるのなら、それをわざわざ説明しなくてはならないほどに上の記事が暴露趣味あるいは野次馬根性の一色で染まっているのであれば、即座にご忠告のとおり記事を削除しましょう。
しかし、これを暴露とか個人情報とか、さらには皇室問題という面とはまったく別の方角から読んでくれた人々もいるのではないでしょうか。 いちいち機械的な情報を出して弁解はしたくありませんが、僕が詳しく調べたかぎりこの記事によって何かが暴かれたとは思いませんし − この件では遠の昔にすでにTは多くの雑誌から取材攻勢を受けています − この記事によって小和田さんやTが実質的な迷惑をさらに受けるとも僕には思えません。
もちろんそれは僕の楽観的な考えであって − しっかりと考え尽くした上での考えではありますが − 実際にたとえばT自身が直接僕に苦情を伝えてきた場合にはもちろん考え直しますし、真摯にその対処に務めるつもりです。しかしその苦情は当該者自身からのものであってほしいと思います。
以上、目新しいことではないでしょうが僕の思うところを書きました。が、ここでひとつ皮肉を言ってしまいますと、皆さんはすでにもうこの記事をこうして読まれたわけで、もしもこの記事を暴露話という面だけでとらえているのであれば − あるいは暴露の面がもっとも重要な要素をなしているとみなしているのであれば − もうその汁はじゅうぶん吸ったわけで、今さら記事が削除されたところで何の違いももたらさないわけです。読んだあとで削除に賛成するほうが当然politically correct ということになるでしょう。ところが、ご推察のとおり僕がもっとも嫌いなものがこのpolitical correctnessなのです。
それでも状況展開によってはブログ上においても最終的にはpolitically correctに振る舞わざるをえないこともあるでしょう。それが明日来月であっても遅すぎるとは僕には思えません。
− − − − − − − − − − − −
結論ですが、一、二日たってからこの記事は消去します。読んでいただきたい人々にはすでに読んでいただいたと思います。明日あさってになれば普段からフォローしてくれている人のたいていの人には読んでいただけることでしょう。その先の将来にわたる長期間に思わぬ人がこれを読んでしまうのをそうやって避けるだけでも、ここに危惧のコメントを送ってくれた人々へのお気持ちには応えることになるものと思います。
ただ、今だに心の中でしっくり来ない点があるので最後に言わせていただきますが、正規のメディアでも出版者でもない個人のブログにおいて、記事によって実際に直接迷惑を受けたわけでもない者が登場人物の立場に立ったつもりになって「記事を削除してほしい」と言い出すという構図に驚いています。ならば、僕が「コメントを削除してほしい」と言ってもよいのではないでしょうか。
この件についてはこれでコメント投稿を終わりにしていただいて、この先へと進みたいと思います。
再びですが、ご意見、本当にありがとうございました。
PS:coimbraさんへ
いつものようにご考察に富んだせっかくの面白いコメントですが、今回はお答えを省かせていただきます。また別の機会に。
まずは、ご思慮深いご忠告をこうして送っていただいて心から感謝しています。これは社交辞令ではなく本心からのものですので、どうか僕のその感謝の気持ちをお二人も - そして同様の意見を別途送ってくださった他の方も − 受け止めてください。その上でこれから書くことを読んでいただきたいと思います。
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細かいことを一つだけ取り上げてしまいますが、実はクッカバラさんが仰っているのが「削除すべきだ」というのではなくて「削除してほしいと願う」という点が、僕には引っかかってその奥の意味を探ろうとしてしまっています。それは「忠告」や「進言」ではなくて「お願い」なのですね。ということは、それは正義や倫理の面から述べられているというよりもクッカバラさん自身の心情にもとづく願いなのだろうかと考えて僕には別の思惑も生じているのです。
誰のために − 誰を守るために − 削除してもらいたいのか、と。僕を守るためでしょうか・・・いや、そんなはずはない。ならば小和田さんでしょうか、それともTでしょうか。それともクッカバラさんを守るためでしょうか。・・・それとも社会全体の平穏を守るためでしょうか。あるいはこの記事の削除を要請されることによって、過去の別の記事のことをも示唆されているのでしょうか。
具体的な点を突いてしまいますが、クッカバラさんは本件の僕の話を20年前から知っていたわけですから、おそらくこの話の内容を初めて聞く他の読者の方たちとは違った立場から意見を言われているのだろうと思います。ところが「よくぞ教えてくれたとは思えない」と書かれている。(もちろんこの文の意味するところは分かります。) クッカバラさんにとってはこの話はこの際に初めて知るわけではないわけですから、そういう書き方をしたということは他の一般の人々の口を借りての一般論的な苦言をしたかったということに思え、そうなるとクッカバラさんの「お願い」という少し切実なパーソナルな響きと照らし合わせていろいろと迷い考えてしまっています。
が、このことは大して重要ではありません。
− − − − − − − − − − − −
インターネットを介しての情報というものへの異常なまでの執着と依存が世の中をどんどん幼稚化してしまって、今や他者の悪意にとりあうつもりはないという姿勢ではすまなくなってきている・・・xiangさんのそのご指摘はまったくその通りで、今の情報社会の中のあちこちで起きているそういう悲惨で醜悪な面はもちろん僕も遠巻きながらしょっちゅう目にしていますし、被害は小さいとはいえ僕だってこのブログの中にかぎらず日常生活の中でその波は受けていますから、そのご指摘とそこから生じるお考えについてはまったく同意見です。
そしてクッカバラさんとxiangさんをはじめ皆さんが書かれた諸点についても − 特に個人情報が多く載ってしまっているという点について − もちろん僕はこの記事を載せる前にすべて十分に考えを巡らせました。そしてひとつひとつの点を取り上げて僕なりの意見を説明したくもありますが、そういう細かい各論を取り上げるよりは、もっと大きな立場から僕の姿勢を述べさせていただくことにします。
僕だって、クッカバラさんにもXiangさんにも全面的に賛成です。何が一番正しいかということを論じるのであれば、まったく同意見です。こういう内容のものは書かない方が良いに決まっています。
しかし僕のブログは、何が正しいか、いかに品行正しくて瑕疵がないか、そういうことを軸にして走っているのではありません。善良であること、正しくあること、問題を起こすようなリスクをまったく持たないこと、誰をも不愉快な気持ちにさせないこと・・・そういう内容でなくてはならないのであるならば僕がブログなど書くわけはないだろうというのは、たとえばクッカバラさんならよく知っているはずです。もう他の皆さんだって説明の必要もなくそんな僕のことは十分にご存知でしょう。その上でこのブログを読みに来てくれているのでしょう。正しいことに触れたくて何かを読むのであれば、聖書というものが別にあります。
この記事を書くことがどういう意味を持っているのか、どういうことにつながりかねないか、僕が考えもしなかったとはまさかお思いではないでしょう。昨日今日に思いついた遊び半分のテーマではありません。20年にわたって思い浮かべては考えてきた僕の思い出の話です。今回これを載せるにあたって考え落とした点などはいっさいないと言っていいでしょう。
だからといってそれはリスクをまったくゼロにして書いたのだというわけでもありません。考えた上で、すべての危険を承知のうえで、地雷を足下に百個も埋めたまま載せました。それはこの記事にかぎらず、これまでのすべての記事にも当てはまることです。過去にはそういう地雷が爆発したときもありました。(地雷が爆発するのを見たくてこのブログを訪れている人も多いということも知っています。)皆さんが気づかないところで個人的に二者のあいだで問題が起こったこともありました。ですからこういう問題にまったくナイーブであるというわけでもありません。
そもそも僕のブログがどういう性質のものなのか、どういう姿勢と動機にもとづいているのかということを時々多くの人が忘れてしまうのではないか、と思うことがあります。折りにつけいろいろと褒めてもらったり賛意のコメントを送ってもらったりするのはもちろんとても嬉しいことではありますが、だからといって僕は万人にとって、そしてあまねく広きにわたって正しく素晴らしいなどというわけではありません。
正しくあること、崇高であること、すべての人に心地良さを与えること、模範であること・・・そんな意思はブログを書くうえで僕にはこれっぽっちもありません。むしろ逆です。実社会では一片たりとも見せずにいる自分の肝心の嫌らしい本性の部分をえぐって、どうしてそこまで見せるのかと言われるくらいに醜悪な部分を正直に書き表してしまうというのが − ひとつの言い方ですが − 僕の目的です。
僕の普段書いていることで不快感を持つ人がいるであろうことはもちろんのこと、迷惑を被る人もいるでしょうし、あまりにも信条が異なるために憤慨する人もいることでしょう。しかし、それを恐れて、さまざまな細かい配慮を重ねて慎重に考えを調整して折衷的なことがらを書くことでなるべく多くの人からの共感を得るのがブログのあるべき姿であるというのなら、僕はそんなブログなど書くつもりはありません。そういう姿勢は仕事と日常生活の中で朝から晩まですでに発揮しているつもりですから。
僕のブログを読んでもらうときに、さて個人情報がどれだけ漏れてしまっているか、さて倫理的にふさわしくないことがどれだけ紛れ込んでいるか、いつのまにかそういう観点で読んでしまわれている人がおそらく多いのでしょうか。それこそ嫌らしい読み方だと思いますが、そういう読まれ方をしてしまうのならそれで仕方がない。しかしそういう風が僕のブログの上を吹くことがあろうと、僕は自分の思うままに立ち続け、変わりたくありません。いつだってそういうふうに生きてきたつもりですし、このブログはそうやって生きてきた結果の現れでもあるのです。
もう一度言いますが、仰ることはすべてもっともだと思います。そして、世の中がこの記事をどうとらえるか、あるいはこの件に関して特殊な位置づけにある人が偶然この記事を読んだときにどう思うか、傷つく者がいるのではないか、あるいはこれを悪用して火をつける者が出てくるのではないか・・・そういうようなキリのない可能性を危惧考慮していただくのはとてもありがたいと思います。
しかし僕は他人の価値観や善悪観に自分を合わせるためにこのブログを書いているわけではないのです。ですから僕の思うとおりに書かせてください。読む読まない、そしてどういう感想を抱くか、それは皆さんの自由です。
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本記事に関しては、ここはひとつ、僕自身がどういう気持ちと意図でこれを書いたか、そのことだけに焦点を当てて皆さんには読んでいただきたいと思いました。
僕がこの記事を書くうえでの芯となっている僕の気持ちについて改めて説明する必要があるでしょうか。その必要があるのなら、それをわざわざ説明しなくてはならないほどに上の記事が暴露趣味あるいは野次馬根性の一色で染まっているのであれば、即座にご忠告のとおり記事を削除しましょう。
しかし、これを暴露とか個人情報とか、さらには皇室問題という面とはまったく別の方角から読んでくれた人々もいるのではないでしょうか。 いちいち機械的な情報を出して弁解はしたくありませんが、僕が詳しく調べたかぎりこの記事によって何かが暴かれたとは思いませんし − この件では遠の昔にすでにTは多くの雑誌から取材攻勢を受けています − この記事によって小和田さんやTが実質的な迷惑をさらに受けるとも僕には思えません。
もちろんそれは僕の楽観的な考えであって − しっかりと考え尽くした上での考えではありますが − 実際にたとえばT自身が直接僕に苦情を伝えてきた場合にはもちろん考え直しますし、真摯にその対処に務めるつもりです。しかしその苦情は当該者自身からのものであってほしいと思います。
以上、目新しいことではないでしょうが僕の思うところを書きました。が、ここでひとつ皮肉を言ってしまいますと、皆さんはすでにもうこの記事をこうして読まれたわけで、もしもこの記事を暴露話という面だけでとらえているのであれば − あるいは暴露の面がもっとも重要な要素をなしているとみなしているのであれば − もうその汁はじゅうぶん吸ったわけで、今さら記事が削除されたところで何の違いももたらさないわけです。読んだあとで削除に賛成するほうが当然politically correct ということになるでしょう。ところが、ご推察のとおり僕がもっとも嫌いなものがこのpolitical correctnessなのです。
それでも状況展開によってはブログ上においても最終的にはpolitically correctに振る舞わざるをえないこともあるでしょう。それが明日来月であっても遅すぎるとは僕には思えません。
− − − − − − − − − − − −
結論ですが、一、二日たってからこの記事は消去します。読んでいただきたい人々にはすでに読んでいただいたと思います。明日あさってになれば普段からフォローしてくれている人のたいていの人には読んでいただけることでしょう。その先の将来にわたる長期間に思わぬ人がこれを読んでしまうのをそうやって避けるだけでも、ここに危惧のコメントを送ってくれた人々へのお気持ちには応えることになるものと思います。
ただ、今だに心の中でしっくり来ない点があるので最後に言わせていただきますが、正規のメディアでも出版者でもない個人のブログにおいて、記事によって実際に直接迷惑を受けたわけでもない者が登場人物の立場に立ったつもりになって「記事を削除してほしい」と言い出すという構図に驚いています。ならば、僕が「コメントを削除してほしい」と言ってもよいのではないでしょうか。
この件についてはこれでコメント投稿を終わりにしていただいて、この先へと進みたいと思います。
再びですが、ご意見、本当にありがとうございました。
PS:coimbraさんへ
いつものようにご考察に富んだせっかくの面白いコメントですが、今回はお答えを省かせていただきます。また別の機会に。
クッカバラさんの心情は、男であるシリウス様には、とうてい伺いしれない女としての感情だと思います。これは、多分、雅子さんも理解できる事だとも思います。
シリウスさんがゲイである前に男という事実が、多分、女を過少評価してるのではないかと勘ぐらさせられるように思います。
なぜならもし、シリウス様が、小和田さんを等分に考えていたならば、このエントリーは出来なかった筈です。
私が思いますのは、シリウスさんの身辺で何か起こったから、このようなエントリーをされたんではないかという、まったく門外漢の愚考でございます。
杞憂で終わればよいです。しかしながらまったくもって聞いた風な事をコメントしてしまった無礼をお許しいただけたら幸いです。
シリウスさんがゲイである前に男という事実が、多分、女を過少評価してるのではないかと勘ぐらさせられるように思います。
なぜならもし、シリウス様が、小和田さんを等分に考えていたならば、このエントリーは出来なかった筈です。
私が思いますのは、シリウスさんの身辺で何か起こったから、このようなエントリーをされたんではないかという、まったく門外漢の愚考でございます。
杞憂で終わればよいです。しかしながらまったくもって聞いた風な事をコメントしてしまった無礼をお許しいただけたら幸いです。
お願いしたのは、本当に、Siriusさんのことを思って、なのです。
だって、ちょっとキーワードを入れれば、すぐに検索され、このページにたどり着くのですよ。
で、お役所関係の方々がSiriusさんを抹殺しようと動くかもしれないじゃあないですか。
以前、本気で別件についての書き込みを心配し、個人的にメールまで送ったこと、覚えていらっしゃいますか?
お節介な性格から、お願いしたのです。もっと、自分を大切にしてください、と。そして、言葉は一人歩きするので、発信されたら最後、思ってもいないような内容で世間を席捲するやもしれぬ怖さ、それを僭越ながらお伝えしたかったのでした。
気持ちは空振り。いつだって。。。
ま、空を仰いで、そんなもんか、とうそぶいてみます。
ちゃお
だって、ちょっとキーワードを入れれば、すぐに検索され、このページにたどり着くのですよ。
で、お役所関係の方々がSiriusさんを抹殺しようと動くかもしれないじゃあないですか。
以前、本気で別件についての書き込みを心配し、個人的にメールまで送ったこと、覚えていらっしゃいますか?
お節介な性格から、お願いしたのです。もっと、自分を大切にしてください、と。そして、言葉は一人歩きするので、発信されたら最後、思ってもいないような内容で世間を席捲するやもしれぬ怖さ、それを僭越ながらお伝えしたかったのでした。
気持ちは空振り。いつだって。。。
ま、空を仰いで、そんなもんか、とうそぶいてみます。
ちゃお
ブログに投稿したことがありません。今回が初めてです。ブログを読むということもほとんどないのですが、たまたま読んで魅了されました。深い知識、見識、文章力など見事です。まだ一部しか読んでいませんが、これから読み進めるのが楽しみです。
今回のエピソードですが、大分前に聞いたことがあります。当時は極秘にしていたことでしょうが、後に少しずつ漏れて、外務省関係者には結構知られている話です。ただ外務省の奥克彦氏がイラクで殉職した際、
雅子様が憧れたひとという話も伝わってきましたので、2人の話が混乱して伝わった可能性もあります。記者でも少なくないひとが承知していたはずです。あれだけのキャリアを持つ素晴らしい女性が、誰とも付き合ったことがないという方が不自然ですし、Tさんも素晴らしい方だったことが確認できて、良かったと思いました。
ましてブログなのですから、Le Sirius さんが主張される通り、削除の必要はないと思います。そういう少数意見もあることをお伝えしたくて、ブログに投稿したことはないのですが、敢えて投稿しました。
私は以前10年以上パリに住んでいたことがある男性です。そのため Le Sirius さんの色々な主張に共感することが多いです。これからもLe Sirius さんの感性、観察力を発揮した記事と、日常生活では出せない醜悪な部分をさらけ出す記事を楽しみにしています。叶わぬことながら、パリ在住時にお会いして、色々話してみたかったです。
NEUILLY
今回のエピソードですが、大分前に聞いたことがあります。当時は極秘にしていたことでしょうが、後に少しずつ漏れて、外務省関係者には結構知られている話です。ただ外務省の奥克彦氏がイラクで殉職した際、
雅子様が憧れたひとという話も伝わってきましたので、2人の話が混乱して伝わった可能性もあります。記者でも少なくないひとが承知していたはずです。あれだけのキャリアを持つ素晴らしい女性が、誰とも付き合ったことがないという方が不自然ですし、Tさんも素晴らしい方だったことが確認できて、良かったと思いました。
ましてブログなのですから、Le Sirius さんが主張される通り、削除の必要はないと思います。そういう少数意見もあることをお伝えしたくて、ブログに投稿したことはないのですが、敢えて投稿しました。
私は以前10年以上パリに住んでいたことがある男性です。そのため Le Sirius さんの色々な主張に共感することが多いです。これからもLe Sirius さんの感性、観察力を発揮した記事と、日常生活では出せない醜悪な部分をさらけ出す記事を楽しみにしています。叶わぬことながら、パリ在住時にお会いして、色々話してみたかったです。
NEUILLY
クッカバラさん
ま、空を仰いでもこのところパリの灰色の空からは大粒の水が降ってくるだけですから、そううそぶかずに。
貴方の投げた石そのものは泉の底のピタリの位置にしっかりと届いています。水面に広がった波紋がどの方角へどういうふうに広がるかは浮き草や岩のありか次第です。ですからお気になさらぬよう。
皆さんと同様貴女も僕についてあれこれいろいろと心配してくれているようで、僕だってこうしてブログを書いていなければそんな心配をされていること自体にまったく気づかずに暮らしていることでしょう。それに対しては、本当にありがとう。
でも、実際僕は人生このかたずっとずっと、心配すべき心配、怠らぬべき用心、備えるべき慎重さ・・・そういうものをほとんどせずに持たずに自分を信じて勢いよく生きてきたように思っています。本来ならどこかで致命的な失敗に陥って今の自分はここにいなかったかもしれません。ところがそれでも僕はここにいるのです。それは僕が僕なりの自分だけの磁石のようなものを持っていたからだと思うのですが、その磁石を他の人間が見ても「何それ?」と思うだけかもしれません。
走ってきた過去をようやく振り返って大局的にその全体像を眺めわたすことができるようになったこの歳に、僕がブログを書いてみようと思ったのはそういう自分について書いてみようと思ったからです。
それは他の誰のためでもない。自分のためでもない。
誰かのためになれば嬉しくはあります。自分のためになったと後に分かればそれも嬉しいです。
でも、僕がブログを書いているのは何かを求めているからでもなく、自分を変えたいからでもなく、自分に欠けている資質や問題点を改善したいからでもありません。
ハヤブサは空高く絶壁のあいだを飛び交うでしょう。そんなところを飛んでいては危ないよと声をかける必要はない。彼らは大丈夫。ずっとそうやって生きてきたのですから。
イルカは大海原を跳ねながら波の下へと消えていくでしょう。溺れないように気をつけてと声をかける必要もない。彼らはどんな荒波の中でも息をするコツを知っていますから。
でもね、それでも貴女には言いたい。いつもありがとう。
− − − − − − − − − −
それから、剛さん、Harukiさん、お二人の趣旨は異なっていますが、仰ることとお気持ちをしっかりと受けとめています。どうもありがとうございます。その他のコメントを送ってくださった方、ひとつひとつの点について議論するのは控えさせていただきますが、もちろん仰りたいことはすべて分かります。
ただ、多くの方が各自が設けた「仮定」にもとづいて登場人物がどう思うであろうかという点についてご意見と推測を述べていらっしゃるようです。それが果たして実際の現実、そして小和田さんが思うであろうこと、Tが思うであろうこととと合致するのかどうか。それはもちろん僕にもはっきりと明言できはしません。しかしいちいち本文には書きませんでしたが、この話を今日になって書いてもいいだろうと僕なりに思えた根拠もあります。皆さんが指摘された諸々の点の中で、それは考えもつかなかったなどという点はないということも言わせてもらいましょう。
女性の心理や感受性にかかる僕の姿勢については、この記事においてこれまで僕が他の記事で見せてきたものと違うものを見せているとは決して思いませんから、もしもこの記事で不快感を覚えるようなことがあれば、それは当然これまでの他の多くの記事においても同様のことだったはずです。ですから、その点において今になって批判を浴びても − そういう批判があるということを知るのはためになりますが – 生まれ直して来いと言われているようなもので対処のしようがありません。
再び言いますが、僕は社会の徳や秩序を代表したり守ったりするためにものを書いているのではなく、自分の家の中で暮らすかのごとく単なるブログを書いているにすぎないのです。皆さんがある他人の家の中へと足を踏み入れるのは決して義務ではないはずです。僕の要請によって仕方なく訪問されているわけでもないはずです。僕の家は玄関も扉も開けっ放しにしてありますが、それは入ってくる人のためだけではなく、出て行く人のためでもあります。
そして 初めてコメントをいただいた NEUILLYさん、どうもありがとうございます。パリでお住まいだったときのご様子がちらっと伺えます。これからお読みなられるものすべてに共感していただけるかどうか分かりませんが、NEUILLYさんの感性ならばマロニエ並木の葉が風を流すようにしてそれらを取捨選択しながら楽しんでいただけることと期待しています。