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【憲法と、】

第3部 沖縄の怒り<中> 「戦争に利用許せない」

 「本土復帰により、日本国憲法下の地権者になった立場から、憲法九条に基づく軍事基地、軍隊の拒否は当然の行為だと考えております」

 一九九七年十月、沖縄コンベンションセンターで、琉球大大学院生の親川志奈子(32)の祖父は、声を張り上げていた。米軍用地として強制収用されていることが妥当かどうかや、期間を決める県土地収用委員会の審理の場。反戦地主の一人として、土地が奪われた怒りのたけを委員にぶつけた。

 曽祖父は戦前、一家でサイパンに移住、祖父が生まれた。当時、貧困にあえぎサイパンでの農業や漁業に活路を求めた沖縄の人は少なくなかった。戦後、祖父が沖縄に戻ると、曽祖父が帰国する日を夢見て購入していた土地は、嘉手納基地となっていた。

 祖父はその怒りを孫の親川に伝えることはあまりない。それでも沖縄戦が終結した六月二十三日の慰霊の日などには「自分は戦争難民。土地を追われ、帰るところがない。戦争に土地を使われることが許せない」と漏らすことがある。

     ■

 米兵少女暴行事件があった九五年九月二十八日、沖縄県知事(当時)の大田昌秀(88)は、積もり積もった沖縄の憤怒を一つの行動として表す。土地収用の書類に署名することを拒む反戦地主の代わりに行ってきた代理署名をやめると、県議会で明かした。「沖縄の最大の問題は土地問題」という長年の思いがあった。

 村山富市首相から訴えられた大田は九六年七月十日、最高裁で意見陳述する。「憲法の理念が生かされず、基地の重圧に苦しむ県民の過去、現在の状況を検証し、若者が夢と希望を抱けるような、沖縄の未来を切りひらく判断をお願いします」。結果は敗訴。最高裁は「知事は代理署名する義務がある」と判断する。

 政府は翌年、「日米安保条約上の義務を果たすことは、国家の存立に関わる重大問題」として、土地収用を容易にする米軍用地特別措置法改正案を国会に提出。日弁連は、憲法で保障された国民の財産権を侵害する恐れがあると批判したが衆参両院は圧倒的多数で可決した。「自分のこととして考えない国会議員たちは痛くもかゆくもないだろう」。沖縄戦の多大な犠牲とひきかえに手に入れたはずの民主主義が、機能していないと感じた瞬間だった。

     ■

 二〇〇四年八月十三日、米国から沖縄に戻っていたミュージシャン宮永英一(61)は、家族と食事に出た帰り、宜野湾市の自宅の方から異様な煙が出ているのを見た。米軍普天間飛行場の大型ヘリが沖縄国際大学に墜落、炎上。すでに一帯は米軍に封鎖されていた。自宅からわずか百五十メートルだった。

 「バンド仲間には、宮森小に米軍機が落ちたときに通っていたやつもいる。沖縄ではこんな事故が身近にあるんだ」。一九五九年、米国統治下の石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍機が墜落した事故では、火だるまになった子どもや周辺住民十七人が亡くなっている。

 土地が奪われ、命が危険にさらされる。憲法がなかった占領下でも今も、その現実に変わりはない。

 「憲法以前の問題だ」 (文中敬称略)

<米軍用地特別措置法(特措法)> 国が米軍に土地を提供するため地権者から強制的に使用権を得る手続きを定めた法律。現在は沖縄県でしか適用されていない。知事の代理署名拒否などに伴い、96年に同法に基づく使用期限が切れ、不法占拠状態の土地が出てきたため、政府は翌97年に法改正。現在は、収用の是非を判断する県収用委員会の審理中も土地の暫定使用が可能となり、収用委が使用を認めなくても防衛相の決裁で使用できる。沖縄の米軍用地の地権者は4万354人(2011年1月1日現在)。このうち土地の賃貸借契約を拒むなどした3832人の土地に特措法を適用している。

 

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